文久2年の麻疹流行と新型コロナの共通点

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 新型コロナウイルスによる感染症で日本社会は大きな影響を受けているが、歴史的に見て疫病の流行は珍しいことではない。江戸時代の麻疹(はしか)の流行と、今回の流行の共通点が見えてきた。

■文久2年の麻疹の流行で人口の4分の1が死亡か

かわら版で読み解く江戸の大事件(森田健司・彩図社)

 江戸時代の世相については、「かわら版で読み解く江戸の大事件」(森田健司著:彩図社、以下、本書)が詳しい。それによると江戸時代は麻疹は15~20年ほどの周期で流行し、特に1862年(文久2)の大流行では江戸だけで24万人以上の死者が出たという。

 幕末の江戸は人口が100万人程度と言われているから、およそ4分の1の人が亡くなった計算になる。今とは比べものにならないような衛生状況の悪さ、医療技術のレベルの低さを考えれば、それは仕方のないものだったのかもしれない。

 本書によると、当時のかわら版では「見立番付」というものが出されていた。相撲の番付のようなものという意味で、例えば疫病が流行した際には、世間で流行ったものと、廃れたものを番付のようにするのである。

■麻疹の流行で江戸で売れた食品は

 本書では麻疹大流行時の「見立番付」が掲載されている。右が「あたりの方」、つまり恩恵を受けたもので、左が「はづれ(ハズレ)の方」、こちらは被害受けたもの、負の影響を受けたものが並べられている。

 著者によると、あたりとはづれは以下である。

★あたりの方:薬屋・医者・籠屋・タクアン・黒豆・かんぴょう

★はづれの方:女郎屋・芸者・舟宿・天ぷら屋・蕎麦屋・寿司屋

 流行った方の医薬関係は当然であろう。「籠屋」は一義的には籠を作る人を指すようであるが、棺桶を作る人たちを「かごや」と呼んだそうなので、それかもしれない。食料品ではタクアン・黒豆・かんぴょうが「あたり」である。

 これを現代に置き換えてみると、病院や薬局が流行ると言うと語弊があるが、忙しくなっているのは同じである。タクアン等の食料品は、今なら非常食のようなものかもしれない。小池百合子知事が3月28、29日の自粛を呼びかけたところ、スーパーなどでは冷凍食品やインスタント食品がよく売れたようであるから、基本的に江戸時代の人々と現代に生きる我々との思考方法の差異は少ない。

■江戸の風俗は麻疹で大打撃か 濃厚接触は危険

疫病の流行で影響を受ける外食産業・ネオン街(写真は新宿ゴールデン街)

 はづれの方を見てみよう。「女郎屋」とは売春宿のこと。芸者を含めて風俗産業である。麻疹は空気感染するそうで、江戸時代の人も感染を避けるために他者との接触の機会を減らそうとしたのであろう。

 舟宿は船のレンタルであると同時に、タクシーのようなものでもあるし、また、売春宿の近くでは社交場のようなものだったらしい。天ぷら屋などは屋台が中心のようだが、店構えで商売をする者もあったという。

 こちらも現代で置き換えてみると、風俗関係は同じように低調である。「コロナで客が激減のネオン街『自殺者も出かねない』ヤバい状況 一時休業する店も」(livedoor NEWS)というニュースも流れているように、芳しくない状況と思われる。

 この時期、濃厚接触は避けたいという思惑もあるだろうし、社会全体が停滞している時に風俗などと言ってる場合ではないという心理状態も影響するのかもしれない。舟宿は今なら屋形船であったり、バーなどと似た存在と考えると同じ流れであろう。

 江戸時代の天ぷら屋などは、今の時代なら外食産業。今回の新型コロナウイルスで最も影響を受けた業種の1つが外食産業であるのは疑いない。他者との接触を極力避ける狙いで、真っ先に外食を控えるのは江戸時代から変わらぬ庶民の防衛手段なのであろう。

 こうして考えると、歴史の中でしかなかった江戸時代が少しだけ身近に感じられる。

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