光市母子殺害犯が反省 正気か?門田隆将氏

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 1999年に発生した光市母子殺害事件について、犯人と面会したジャーナリスト・門田隆将氏の文章が発表から11年の時を経て、8月30日、文春オンラインに掲載された。幼児を含む2人を殺害し死刑判決を受けた大月(旧姓福田)孝行被告(当時)に関するもので、差し戻し控訴審での遺族を挑発するかのような主張について「反省が深まっている証拠」とする内容。文章を書いた門田氏も、掲載して11年後に再掲する文藝春秋社も一体何を考えているのか、理解に苦しむ。

■文春2010年10月号の再掲

ジャーナリスト門田隆将氏(同氏Twitterから)

 問題の記事は「光市母子殺害事件 死刑判決の翌朝、広島拘置所で聞いた元少年の肉声『胸のつかえが下りました』」(以下、当該記事)。ジャーナリストの門田氏が文藝春秋2010年10月号に寄稿したものの再掲であることが明記されている。

 光市母子殺害事件は1999年、当時23歳だった主婦のAさんの自宅に配管工事を装って侵入し、殺害した上に強姦(いわゆる屍姦)、その後に長女Bちゃん(当時生後11か月)が泣き止まないことに激昂し、殺害した凄惨な事件である。

 犯人の大月(当時は福田姓)が犯行当時18歳だったこともあり、山口地裁は求刑死刑に対して無期懲役判決を言い渡し、広島高裁も検察控訴を棄却。しかし、最高裁は高裁判決を破棄し、審理を広島高裁に差し戻した。差し戻し控訴審では弁護側は「母への甘えたさからただ抱きついただけだった」「性行為は生き返らせるための復活の儀式だった」(当該記事から)と傷害致死を適用すべきと主張、遺族を刺激しただけでなく世間から批判を浴びた。

 門田氏が最初に面会をしたのは2008年4月23日、差し戻し控訴審で死刑判決が出た翌日であり、当該記事は2010年7月12日の面会の後に書かれたものである。

■憎むべきは犯罪 責められるべきは加害者

 冒頭から違和感のある表現が並ぶ。大月が海が恋しくなる、潮の香りを嗅ぎたい、風にあたりたいという趣旨の発言をした後に、門田氏はこう書いている。

 「山口県光市の美しい海のもとで育っていたF(筆者註:大月のこと)は、事件以来もう11年も、海の風景から遠ざかっている。無機質な拘置所の壁は、潮の香りをFのもとに運んで来てはくれないのである。」

 門田氏のこの一文に何か意味があるのか。

 大月が海の風景から遠ざかっているのは、2人を殺害して刑事施設に勾留されているから。それは本人の責任であり、それ以上でも以下でもない。無実の人間が、11年間刑事施設に勾留された状況で「海が恋しくなる」と言ったのであれば上記の表現も心情的には許される。

 しかし、凄惨な殺害をした挙句、「殺意はなかった」と主張して退けられての死刑判決、その翌日の面会で「海が恋しい」と被告が言ったことを美化するかのように書くことで、遺族の心情をどれだけ傷付けるか、その程度の想像力も働かないことを不思議に思う。

 僕なら面会など行かないが、もし、面会して上記の発言を聞いたら「お前は本当に反省しているのか」と言う。そしてもし、記事を書くなら「荒唐無稽な主張が退けられての死刑判決。混乱しているのか、恐怖を感じているのか。被害者ではなく自分の拘禁生活のことを言い出すあたり、真摯な反省とは程遠いものがあるように感じる。その意味で死刑判決は妥当」とでも書くであろう。

 門田氏は遺族に密着して「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」(新潮社)を著している。大月との面会は、いわば”敵方”にも会ってもらっていることになり、被害者と加害者どちらにも公平に接し、真実を伝えているということをアピールしたかったのかもしれない。

 しかし、憎むべきは犯罪であり、責められるべきは加害者。それを忘れて「加害者の言葉にも耳を傾けよう」というのはジャーナリストとして順番が逆であると指摘しておく。

■さらに強くなる加害者擁護

写真はイメージ

 当該記事は後半になるとさらに加害者擁護が強くなる。門田氏は大月と向かい合いながら、以下のように感じたという。

 犯罪者が反省が深まった末に行き着くのは反省と悔悟。そうすると犯罪があまりに無惨な場合には「罪の重さに愕然として、自殺、あるいは発狂という事態に陥ることもあると聞く。それを防ぐために、人間は往々にして防御本能を発揮し、無意識の内に自己の行為に『理由づけ』をおこなうことがあるということを、私はこれまで多くの司法関係者から聞いている。」とする。

 そのため、「あの奇想天外な主張こそ、実はFの反省が深まっている証拠ではないかと私は思った。」と結論づける。

 また、「僕は、これまで検察に迎合して(裁判で)嘘を言っていました。これは、僕のもう一つの罪です」という大月の言葉を紹介。これは、本当は殺意がなかったのに、検察官に迎合して殺意を認めていたに過ぎないとするもので、荒唐無稽な理由は真実であると主張していることにほかならない。

 門田氏は大月がこのようなことを言い出したのは、罪はあまりに重く、とても償いきれないと絶望的な思いになるところ、それを防ぐために防御本能が発揮され、無意識のうちに自分の行為を理由付けしたことによると判断したのであろう。それゆえ、反省が以前より深くなっていると結論付けたのである。

 しかし、その理屈に納得できる人がどれだけいるのか疑問に思う。殺人ではなく傷害致死を適用すべきと主張している時点で、自らの刑事責任を軽減させようとしているのであるから、反省が以前より深くなることなどあり得ない。

 殺意をもって殺しながら、生き返らせるために死んだ被害者を強姦したのであって「殺意はありませんでした」と主張する人間を「反省が以前より深くなった」と本当に考えているなら、ジャーナリストの看板をおろした方がいい。まともな判断力を持ち得ない者が、どうしてジャーナリストとして活動していけようか。

 大月が荒唐無稽な理由を言い出したのは反省が深くなったのではなく、①苦し紛れに嘘を並べた、②死刑判決が迫っている恐怖から正常な判断能力を失った、③弁護団から「もしかしたら死刑を免れるかもよ」と吹き込まれ、言われるまま嘘をついた、そのいずれかであろう。少なくとも僕はそう思う。

■遺族を傷つけ読者を不快にするだけの記事

 大月は死刑が確定し、昨年12月7日には最高裁が特別抗告を退け、再審請求が認められないことも確定した。

 懲役刑なら受刑者の矯正が重要であるが、確定死刑囚は矯正の必要などない。当然、刑の執行前に反省しようが、開き直って遺族を攻撃しようが関係ない。ただ、刑罰を受ければいい。犯行から20年以上経っても執行されていないことの方が、よほど問題である。

 僕は一読者として、大月死刑囚の反省の言葉など聞きたくないし、仮に死刑囚が語ったとしても聞く価値もないと思う。まして死刑確定前に「海の香りが恋しい」と語ったことなど、伝える価値のない情報である。

 門田氏と文藝春秋社はこの記事で何を伝えたかったのか。遺族を傷つけ、読者を不快にするだけの記事は掲載(再掲)すべきではない。

"光市母子殺害犯が反省 正気か?門田隆将氏"に11件のコメントがあります

  1. NA より:

    門田氏の良識がここまで欠如していたとは、驚きです。
    文春はマルコポーロ事件以降、かなり方向性がかわりましたね。

  2. Unknown より:

    理解に苦しんで下さい一生。
    他人の昔の論評を引っ張り出してきて考察するのがプロの物書きのする事なんでしょうかね?
    あなたはこの事件についてどこまでの取材を?
    プロが他人のふんどしで相撲をとることほど情けないものはないかと…。

    1. 隆さん応援団 より:

      何故このようなコメントを書いたのか、考えてみた。
      他の松田さんの記事を読んでいない、ただの通りすがり?
      読んでいて、他の記事で槍玉に挙がっている当人?
      兎に角批判したくて仕方がない負のオーラを感じる。

      ジャーナリストが他人の記事を批評してはいけないわけでもなく。
      問題提起の動機付けも必要でしょう。

      素人の個人の感想で逃げても構いませんが。
      非難するにもそれなりの理由を表明しないと只の誹謗中傷で終わってしまう。
      建設的な議論ができませんね。

      門田さんの書籍は幾つか読んでますし、TV番組でも拝見して、
      熱心なファンとまではいきませんが、贔屓の作家さんです。
      ですが、今回の内容は、どうした?、と思ってしまいますね。
      感情移入しちゃったのかな。

    2. unknown より:

      昔の論評を引っ張り出してきたのではなく、再掲されたことへの疑問を書かれているのでは?

      1. NA より:

        unknown様がおっしゃるとおりだと思います。「門田氏と文藝春秋社はこの記事で何を伝えたかったのか。遺族を傷つけ、読者を不快にするだけの記事は掲載(再掲)すべきではない。」と結ばれています。

        つい最近、旭川女子中学生凍死事件で加害者・学校・教育委員会について厳しいスタンスで報じていた文春にしては、何故?と思います。この20年ほどの間で、リベラル化が顕著になったとは思いますが

        山口敬之氏によるベトナムでの韓国軍の蛮行記事からほどなく、書籍部からは、山口氏を加害者として名指ししながら、虚偽・重要部分の隠蔽などが散見されるブラックボックスなるノンフィクションを刊行。容易にわかる矛盾点満載で、よく通ったなと。

        1. 月の桂 より:

          NA 様
          〉容易にわかる矛盾点満載で、よく通ったなと。

          上からの圧力があって通せた…とか(笑)
          出版社は原稿の精読はしないのでしょうか。刑事事件の流れを知っている方なら、BBが妄想本だとすぐに気付くはずです。文藝春秋社は、虚偽本を出版した責任を取るべきですね。

          1. NA より:

            月の桂 様

            大原ケイさんという版権ビジネスをしている方が、アメリカ出版業界解説として、このような記事を書いてます。

            「歴史を扱う本にウソが見つかった時、アメリカの出版社ではどう対処しているのか?」 HON.jpNews Blog 2019.5.30

            日本でも、悪意ある虚偽・捏造てんこ盛りのノンフィクション等に対して、集団訴訟でも起これば、悪しき慣習、曖昧な責任が改善されるかもしれませんね。伊藤女史のブラックボックスは、東スポの河童記事やTHE SunのUFOやエイリアン記事とは全く違うのです。

  3. 月の桂 より:

    門田氏の著書は信念を持った人物をモデルとしたものが多く、氏の作品はよく読んでいます。「なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日」も読みました。

    本村氏は死刑判決に辿り着くまでの長きにわたり、遺族や被害者の権利擁護を求めて活動して来られました。大切な家族を奪われた憎しみや復讐という次元を超越した深い思考をされる方との印象があります。
    密着取材なるものは、信頼関係により成立するものでしょうし、今回の再掲は本村氏の承諾を得ているような気もします。あくまで、私個人の印象ですが。

    〉罪の重さに愕然としてーーー、人間は往々にして防御本能を発揮し、無意識の内に自己の行為に『理由づけ』をおこなうことがあるということをーーー

    犯罪だけではなく、自分では抱えきれない現実を目の当たりにした時、自分を守る為に「そうしなければならなかった理由付け」をすることがあります。取り返しのつかない犯罪を犯してしまった現実を受け入れ、自分を納得させる為に理由付けをしたのかもしれません。これは本人の考えというより、弁護人が意図的に助言したのではないでしょうか。少年事件を担当する弁護士は、社会通念から著しく解離しているように感じることがあります。特にこの事件にはそう感じました。

    私は犯罪被害者・加害者・加害者家族に関心を持っていますが、中でも加害者心理は探求してみたいものの一つです。ですので、門田氏の今回の掲載文は、探求する為の材料として歓迎します。大月死刑囚の肉声を知ることは有益です。勿論、大月死刑囚を擁護する気は一ミリもありませんが、その事件の全容を知る為には、本人のことを知ることも重要だと思っています。

    確定死刑囚には矯正の必要はありませんが、被害者への懺悔や償いの気持ちを持たせることは重要です。刑を執行して終りであってはならないと思います。

  4. KI より:

    元記事は、実際に面談した門田氏の当時の素直な感想でしょうから、
    それ以上のものではないと思います。
    門田氏をして、そう感じさせるほどのサイコパスだったとも言えます。
    もちろん、松田さんのお怒りもわかりますが。

    なぜいまになって再掲なのか、というのがわかりません。
    関係者の了解はとっているのだと思いますが…。
    そしていまだ刑が執行されていない…それこそが一番の問題かと思います。

  5. NA より:

    人気論客の過去のルポやコラム等に関する、松田様の論評も興味深く読ませていただきました。これからも、遡った事件に対する当時の記事等で改めて関心をお持ちになったものを紹介、考察してくださると嬉しいです。

  6. 匿名 より:

    司法関係者の末席を汚す者です。死刑事件にも関与した経験があります。
    >しかし、その犯罪があまりに無惨なものの場合、自分の罪と向き合った犯人は一体どうなるだろうか。罪の重さに愕然として、自殺、あるいは発狂という事態に陥ることもあると聞く。それを防ぐために、人間は往々にして防御本能を発揮し、無意識の内に自己の行為に「理由づけ」をおこなうことがあるということを、私はこれまで多くの司法関係者から聞いている。
    残念ながら、自分は寡聞にしてこのような刑事司法関係者の認識を聞いたことはありません。加害者側が往々にして陥りがちな自己保身、現実逃避の心情に関する一部関係者の論評を門田氏が曲解しているだけではないか、との疑問を禁じ得ません。
    門田氏の犯罪ノンフィクション分野、特に加害者側を取材した内容については、取材対象者への過剰な感情移入が散見され、極めてバランスを欠いていると以前から感じていました。「オウム死刑囚 魂の遍歴 井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり」などはその最たるものであり、一連のオウム犯罪の被害者感情を逆撫でし、カルト教団との苦闘を強いられた多くの司法関係者の名誉を傷つける代物だと思います。
    https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-84137-3
    門田氏の他分野(安全保障や歴史認識など)の論稿については自分も何冊か読んでいて、氏の高い見識を否定するわけではありません。是々非々で評価すべきなのでしょうが、松田様が手厳しく批判された今回の再掲記事も併せ読むと、門田氏のジャーナリストとしての根本的なバランス感覚については多大な疑問を感じるところです。

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