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	「靖国」賛美への違和感-失敗を肯定するのか へのコメント	</title>
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	<description>政治、社会、運動、芸能など、様々なジャンルのニュース＆オピニオンサイトです</description>
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		<title>
		ケン より		</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/politics/20200812/#comment-31634</link>

		<dc:creator><![CDATA[ケン]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 20 Mar 2021 15:09:32 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[石井様　大変興味深く、読ませて頂きました。読んで尚、私の靖国神社に対する崇敬の気持ちは揺るぎませんでした。靖国神社は、散花された英霊にとって心の拠り所だと思います。彼等の気持ちを汲み取ると、後世で靖国神社を否定されるのは、心穏やかでは無いでしょう。仰るように、戦時における軍の稚拙な一面は、否定出来ません。ただ、散花された英霊のお気持に焦点をあて、考えた時、靖国神社を参拝させて頂くのが、英霊にとっての哀悼になると私は感じます。長文失礼致しました。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>石井様　大変興味深く、読ませて頂きました。読んで尚、私の靖国神社に対する崇敬の気持ちは揺るぎませんでした。靖国神社は、散花された英霊にとって心の拠り所だと思います。彼等の気持ちを汲み取ると、後世で靖国神社を否定されるのは、心穏やかでは無いでしょう。仰るように、戦時における軍の稚拙な一面は、否定出来ません。ただ、散花された英霊のお気持に焦点をあて、考えた時、靖国神社を参拝させて頂くのが、英霊にとっての哀悼になると私は感じます。長文失礼致しました。</p>
]]></content:encoded>
		
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		<item>
		<title>
		野崎「 より		</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/politics/20200812/#comment-29760</link>

		<dc:creator><![CDATA[野崎「]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 13 Aug 2020 08:42:52 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[歌謡曲、東京だよおっかさん、と映画、硫黄島からの手紙

すでに超越している。
その主語は現在に在る者達は皆、いや圧倒的多数は、である。中に誤認している者はいる。
超越しているとは、先の大戦は不条理極まりない歴史、地獄であったと明確に認識しているという事である。

よって賛美などはない。当然肯定も無い。

超越している、その主語には、おのず靖国神社も含まれる、靖国神社の持つ意味は現在においてまったく異なっている。

それが理解されているからこそ、外国の要人達、武官達も参拝するのだ。彼らは明確に理解している。
彼らの参拝は、ある価値観からの敬意の現れだ。
又偽クリスチャンではない真のクリスチャン達も多く参拝している。

参拝の意味は不条理の中を生き、そして死んだ者達への敬意、そして愛情だ、それは日本人のみならず戦いの相手であった者達、すなわち敵へも敷衍される、おのずその次元へ昇華される、されているのだ。
であるから他国も何ら靖国参拝を問題にしなかった、慰安問題と同じように、ある事が発生するまでは。

比較文化論において日本人は宗教及び規範を有しないという評価がある、どこにあるかは割愛する。
日本人の宗教的意識とは、
何かは解らぬが人を超えた存在がある、ということだとする宗教学における見解がある、その証左としてよく使われる。

なにごとのおはしますかは知らねども　かたじけなさに涙こぼるる
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　西行

そして死後の世界は存在し、人は死後、その世界、彼岸へ行くと、、

靖国参拝は、今彼岸にある愛する者へ会いに行くのだ、ただそれだけのことだ。
宗教的概念など関係の無い単純な思いだ、宗教学において神道は宗教ではない、という評価もあり符合する。

故島倉千代子氏の、東京だよおっかさん、という歌

まだ日本が貧しい時代、地方、おそらくは東北から上京し懸命に働きその蓄えをもち年老いた母親を招き、東京見物を共にする歌だ。

●久しぶりに手をつなぎ親子で歩ける嬉しさに小さい頃が浮かんで来ますよ、おっかさん、、

で始まるこの歌、、小さい頃は母に手をつながれた、、それが今は歳老い背中の曲がった母の手を引く、、

靖国神社へのくだりは、ただ単に彼岸にいる、不条理のうちに死んだ優しかった兄に、母親と一緒に会いに行く、ただそれだけだ、心ある日本人の心は皆そうだ、歌はそれを表している。

歌詞引用
＞やさしかった兄さんが
田舎の話を聞きたいと
桜の下でさぞかし待つだろ
おっかさん
あれがあれが九段坂
逢ったら泣くでしょ兄さんも

何故、靖国神社ではなく代替施設では駄目なのか、神道的宗教意識を有する日本人にとり、現実に存在し今に在る、その歴史的経緯を踏まえ、さらにそれを超えたからこそ靖国である必然性があるのだ、昇華された日本人の集合意識として靖国神社でなくば駄目なのだ。　　抽象的～～！

映画硫黄島からの手紙　監督　クリント　イーストウッド氏は言う。

絶対悪も絶対善も無い、不条理の中で他者の為に死んだ者は崇高なる存在であると、。
そして先の大戦を善悪の次元で見るのではなく、そこから新たなものが生まれるように望むと、

靖国に参拝する日本人の想い、心は正にそうであり、それは相まみえ戦った相手をも包み込む、
その証左は硫黄島での日米合同慰霊祭にて現出した、相手も同じ思の次元に在ったのだ。

●クリント　イーストウッド氏のメッセージ

私が観て育った戦争映画の多くは、どちらかが正義で、どちらかが悪だと描いていました。しかし、人生も戦争も、そういうものではないのです。私の２本の映画も勝ち負けを描いたものではありません。

戦争が人間に与える影響、ほんとうならもっと生きられたであろう人々に与えた影響を描いています。どちらの側であっても、戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在です。 

だから、この２本の映画は彼らに対する私のトリビュートなのです。日米双方の側の物語を伝えるこれらの映画を通して、両国が共有する、あの深く心に刻まれた時代を新たな視点で見ることができれば幸いです。
ここまで引用。

先の大戦は、そして靖国神社はすでに新たな視点で見られている。見ている、まっとうなる日本人は、他国の心ある人達も。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>歌謡曲、東京だよおっかさん、と映画、硫黄島からの手紙</p>
<p>すでに超越している。<br />
その主語は現在に在る者達は皆、いや圧倒的多数は、である。中に誤認している者はいる。<br />
超越しているとは、先の大戦は不条理極まりない歴史、地獄であったと明確に認識しているという事である。</p>
<p>よって賛美などはない。当然肯定も無い。</p>
<p>超越している、その主語には、おのず靖国神社も含まれる、靖国神社の持つ意味は現在においてまったく異なっている。</p>
<p>それが理解されているからこそ、外国の要人達、武官達も参拝するのだ。彼らは明確に理解している。<br />
彼らの参拝は、ある価値観からの敬意の現れだ。<br />
又偽クリスチャンではない真のクリスチャン達も多く参拝している。</p>
<p>参拝の意味は不条理の中を生き、そして死んだ者達への敬意、そして愛情だ、それは日本人のみならず戦いの相手であった者達、すなわち敵へも敷衍される、おのずその次元へ昇華される、されているのだ。<br />
であるから他国も何ら靖国参拝を問題にしなかった、慰安問題と同じように、ある事が発生するまでは。</p>
<p>比較文化論において日本人は宗教及び規範を有しないという評価がある、どこにあるかは割愛する。<br />
日本人の宗教的意識とは、<br />
何かは解らぬが人を超えた存在がある、ということだとする宗教学における見解がある、その証左としてよく使われる。</p>
<p>なにごとのおはしますかは知らねども　かたじけなさに涙こぼるる<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　西行</p>
<p>そして死後の世界は存在し、人は死後、その世界、彼岸へ行くと、、</p>
<p>靖国参拝は、今彼岸にある愛する者へ会いに行くのだ、ただそれだけのことだ。<br />
宗教的概念など関係の無い単純な思いだ、宗教学において神道は宗教ではない、という評価もあり符合する。</p>
<p>故島倉千代子氏の、東京だよおっかさん、という歌</p>
<p>まだ日本が貧しい時代、地方、おそらくは東北から上京し懸命に働きその蓄えをもち年老いた母親を招き、東京見物を共にする歌だ。</p>
<p>●久しぶりに手をつなぎ親子で歩ける嬉しさに小さい頃が浮かんで来ますよ、おっかさん、、</p>
<p>で始まるこの歌、、小さい頃は母に手をつながれた、、それが今は歳老い背中の曲がった母の手を引く、、</p>
<p>靖国神社へのくだりは、ただ単に彼岸にいる、不条理のうちに死んだ優しかった兄に、母親と一緒に会いに行く、ただそれだけだ、心ある日本人の心は皆そうだ、歌はそれを表している。</p>
<p>歌詞引用<br />
＞やさしかった兄さんが<br />
田舎の話を聞きたいと<br />
桜の下でさぞかし待つだろ<br />
おっかさん<br />
あれがあれが九段坂<br />
逢ったら泣くでしょ兄さんも</p>
<p>何故、靖国神社ではなく代替施設では駄目なのか、神道的宗教意識を有する日本人にとり、現実に存在し今に在る、その歴史的経緯を踏まえ、さらにそれを超えたからこそ靖国である必然性があるのだ、昇華された日本人の集合意識として靖国神社でなくば駄目なのだ。　　抽象的～～！</p>
<p>映画硫黄島からの手紙　監督　クリント　イーストウッド氏は言う。</p>
<p>絶対悪も絶対善も無い、不条理の中で他者の為に死んだ者は崇高なる存在であると、。<br />
そして先の大戦を善悪の次元で見るのではなく、そこから新たなものが生まれるように望むと、</p>
<p>靖国に参拝する日本人の想い、心は正にそうであり、それは相まみえ戦った相手をも包み込む、<br />
その証左は硫黄島での日米合同慰霊祭にて現出した、相手も同じ思の次元に在ったのだ。</p>
<p>●クリント　イーストウッド氏のメッセージ</p>
<p>私が観て育った戦争映画の多くは、どちらかが正義で、どちらかが悪だと描いていました。しかし、人生も戦争も、そういうものではないのです。私の２本の映画も勝ち負けを描いたものではありません。</p>
<p>戦争が人間に与える影響、ほんとうならもっと生きられたであろう人々に与えた影響を描いています。どちらの側であっても、戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在です。 </p>
<p>だから、この２本の映画は彼らに対する私のトリビュートなのです。日米双方の側の物語を伝えるこれらの映画を通して、両国が共有する、あの深く心に刻まれた時代を新たな視点で見ることができれば幸いです。<br />
ここまで引用。</p>
<p>先の大戦は、そして靖国神社はすでに新たな視点で見られている。見ている、まっとうなる日本人は、他国の心ある人達も。</p>
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