CO2排出実質ゼロ? 2週間に1基の原発建設を

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石井 孝明🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

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経済・環境ジャーナリスト。慶應義塾大学経済学部卒、時事通信社記者、経済誌フィナンシャルジャパン副編集長、アゴラ研究所の運営するエネルギー問題のサイトGEPRの編集担当を経て、ジャーナリストとエネルギー・経済問題を中心に執筆活動を行う。著書に「京都議定書は実現できるのかーC O2規制社会のゆくえ」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞社)など。
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 菅首相が10月26日の所信表明演説で、温暖化を止めるために「2050年までにCO2(二酸化炭素)など温室効果ガスの排出を実質ゼロにすることを目指す」と宣言した。EUと「西の」加盟諸国は既に同様の宣言をしている。米国でもバイデン政権が誕生すれば、同様な目標を宣言するであろう。

 これを本気で主張する人に、「あなた、大丈夫か?」と聞いてみたい。できるわけがないのだから。

◆原発か風車の大量建設が必要

日本原電敦賀二号機(同社提供)。原発は大半が停止している

 「2050年までに温室効果ガスの排出実質ゼロ」が、どれくらい大変なことなのか。政治家も、メディアもわかっている人がいなさそうだ。それどころかスウェーデンの過激な環境活動少女のグレタ ・トゥーンベリさんなどは2050年ではなく、「2030年まで」に、温室効果ガスとその大半を占める二酸化炭素の半減を求めるもっと過激な主張をしている。それは不可能だ。

 この実現を考える場合に、手段は化石燃料を燃やさず二酸化炭素を排出しない電源である再生可能エネルギーか原子力発電の発電量を増やすことになるだろう。省エネ、蓄電池、水素エネルギー、電気自動車など、エネルギー分野での技術革新で状況が変わることは期待できるものの、形になっていないものを現時点で計算に入れることは難しい。既存技術を前提に考えなければならない。

 その前提で、「ゼロ宣言」を実現するとすれば、以下の条件が必要になる。

「2週間で1基のペースで最新型の原発(発電能力140万キロワット)を建設して運転する」

もしくは

「大型の発電用風車(発電能力2500キロワット)を1日30基建設して運転する。それに必要な面積は15平方キロ(東京の武蔵村山市1個分)になる」

 この条件を乗り越えて、目標を実現できるわけがない。この文章のタイトル「2週間に1基の原発建設を」というのは、できないことへの皮肉である。

 原発は福島原発事故以降の過剰でおかしな規制で大半が停止している。私は原子力を活用すべきという立場だが、それを使う批判は根強く、新設などできるわけがない。風力も、地上では適地がだいぶ埋まり、洋上風力にしなければならない。しかし送電や漁業権との調整があり、建設拡大は容易ではない。

 この試算は米誌フォーブスにコロラド大学のロジャー・ピルキー教授の寄稿「炭素ゼロ排出を実現する場合、毎日原発1基の建設が必要」(19年9月30日)(Net-Zero Carbon Dioxide Emissions By 2050 Requires A New Nuclear Power Plant Every Day) を参考にした。

 この論考によれば世界で「ゼロ宣言」を達成するには、2日で3基の大型原発新設か、2500kW級の風力を2050年まで毎日1500基増設することが必要になるという。風車を作るには毎日780平方キロメートル(ちなみに東京都の面積は約2300平方キロ)の場所が新たに必要になる。

 日本のエネルギーは世界のエネルギー消費の2.3%ほどだ。この数字を50分の1にした数字が上で私が示した数字だ。「BP統計」の 2020 年版(BP Statistical Review of World Energy 2020)で、2019 年の世界の一次エネルギー消費は 583.9Exajoules(エクサジュール、10の18 乗ジュール、以下EJ)。日本の一次エネルギー消費は、エネルギー白書によれば、19年度に13・5EJだった。

 こうしたエネルギー源の転換は、タダで、そして建設の労力なしにはできない。英国政府の試算では、「ゼロ宣言」を実現した場合に、英国の1世帯の負担額は1000万円を超えるという(「「2050年CO2ゼロ」は世帯当たり1000万円を大きく超える:英報告」杉山大志、キヤノングローバル戦略研究所)。日本でもその程度は必要になるだろう。

 エネルギーは「安さ」や「安定供給」、「安全性」などの消費者の求めに応じて企業が供給する。政策は、そうした要望の達成を考えなければならない。二酸化炭素の削減だけを政策の目的にすることはできない。そもそも地球温暖化は生じているが、人類の生存が脅かされるほどのものではないのだ。その負担の意味があるか、当然、私たちは考えるべきであろう。そして、負担を考えれば、菅首相の「ゼロ宣言」に誰もが反対するはずだ。

◆作られつつある「温暖化利権」を潰せ

 ただし不思議なことに、こうした馬鹿げた「ゼロ宣言」という目標が、欧州と日本で大真面目に掲げられている。一応、欧州各国は不可能だが政治家と専門家が実現可能性を議論している。ところが日本では、政治の現場でその内容を精査する、まともな議論が行われていない。誰も反対していないのだ。この「ゼロ宣言」はツッコミどころ満載だ。国会審議で「モリカケ桜学術会議」より政府を痛めつけられると思うのだが、勉強していない野党議員らはそのことに気付かないらしい。

 「ゼロ宣言」は、実現できないと、私たちは見ていればいい。しかし、やらなければならないことが2つある。

 第一に、強固な温暖化利権が、日本でも世界でも、あちこちにできてしまった。それがこのバカバカしい「ゼロ宣言」を支えている。そうした利権を監視し、解体しなければならない。

 日本の温暖化対策予算は、今は集計をやめているが、2010年ごろ約3兆5000億円にもなると公表されていた。これは既存の予算を温暖化対策にも使っていると二重計上していたが、あまりにも巨額だ。

 官庁は温暖化対策予算と権限が増える。その補助金に群がる企業がある。研究者は政府予算を使って研究ができ、温暖化で災害が起きる、温暖化対策に役立つという成果を発表する。メディアは温暖化をホラー話にして目立とうとする。政治家はイメージがよくなるし、儲かる企業から政治献金を受けやすくなるので、温暖化対策を拡充する。

 このように他の問題と同じような利権構造が発生している。それぞれの当事者の関わる範囲での部分最適は発生しているが、日本全体の国力は損なわれているのに誰もその費用と効果を検証しない。こうした構造に厳しい目を向けなければならない。

◆したたかに流行を利用することを考えよう

 第二に、個人はどのように、この問題に向き合うかという問題がある。それぞれの立場で、変な温暖化対策の流れに、巻き込まれてしまう可能性がある。

 知人で、金融の某企業に勤めている人がいる。その会社では、出世競争に出遅れそうな役員が、急に「環境」「SDGs原則」と騒ぎ始め、他にやる人がいないために会社内の権威となってしまったという。その役員は今、「2050年までのゼロエミッション」にご執心だそうだが、本人は私生活では喫煙家で森林伐採の後に建設された場所でゴルフをすることが好きであり環境保護活動にはあまり関心がないという。

 温暖化の「ゼロ宣言」は、この役員のような個人の欲望や野心を巻き込みながら、そして問題の本質である温室効果ガスの削減に効果を生まないまま、さまざまな人の生活におかしな影響を与えてしまうかもしれない。

 ここで私は一つの処世術を思い出す。ある投資家から聞いた米国の相場格言だ。(英語で検索すると出てこないので、この人の創作だったのかもしれない。)

「パーティーを楽しみなさい。しかし、部屋の出口とパンチボールの位置は忘れずに」。

 お付き合いを断り、楽しいことを逃す(この場合はビジネスの利益)必要はないが、酔いすぎず、いつでも逃げ出せるようにするべきという意味だろう。パンチボウルとは酒やカクテルを入れた容器を言う。

 繰り返すが、「2050年まで温室効果ガスの排出実質ゼロ」などできるわけがない。それを目指す各国政府の行動はいずれ失敗する。それに巻き込まれずに、騒ぐ人々を横目に見ながら自分の利益を拡大する態度が、国際社会における日本という国家レベルでも、各業界におけるそれぞれの企業レベルでも、組織や社会生活における個人の行動のレベルでも、必要になるだろう。

 私は温暖化をめぐる騒動を全て否定するわけではない。実際に温暖化は起こっているし、その抑制策を考えるのは当然のことだ。さらに騒動が社会の関心を集め、資金の流れや人々の努力に結びつき、技術革新や企業利益、そしてそれによる温暖化の抑制につながる前向きの影響に期待している。日本は経済が衰退しつつあるが、まだエネルギー・環境分野では、世界最先端の環境技術を持つ企業がたくさんある。

 日本人、そして日本企業がそうした技術を使って利益を得ながら、温暖化抑制に貢献する。バカバカしい「ゼロ宣言」を、そうした前向きの変化につなげたいものだ。

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