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	「植松君一人殺したとて何も変わらない」→変わらなくていい 粛々と死刑執行を へのコメント	</title>
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		<title>
		野崎 より		</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/society/20200319/#comment-28555</link>

		<dc:creator><![CDATA[野崎]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 27 Mar 2020 13:09:28 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://t-matsuda14.com/?p=5495#comment-28555</guid>

					<description><![CDATA[奥田知志氏に関して。

記事より奥田知志なる人物に問題を感じ、おそらくは左派であろうと検索したところ。

学生？左翼集団シールズの幹部？である若者の父親であると。
その履歴からも推測どおりの左翼であった。
さらにキリスト教プロテスタントの牧師であることが解った。
牧会する教会の規模も大きく、キリスト教界内部、そしてキリスト教界から社会へ与える影響力は問題と考える。

奥田牧師の目的は二つである。
彼はタレントクリスチャン（私の造語）であり。
（メディアでもしばしば取り上げられる戦う牧師　東八幡教会HPより）

クリスチャンを装い自己への利益誘導を計る、その利益とは単に金銭のみではなくクリスチャンタレントとしての名声と社会的影響力の増大である。

もう一つは左翼としての目的である

それ故、奥田牧師は今般の事件を利用している。

彼の発想、論理、行動はクリスチャンのものではない、それ故、彼はキリスト教、キリスト教界を利用し左翼としての目的を達成しようとしていることが解り、今回の事件を利用していることが解る。

彼の主張は抽象的で、あえて論理性を持たせず又もし？という仮定や問いかけ表現を使い、巧みにごまかし論破されることを回避しているが、彼の主張から見える偽善、本音は以下である。

この事件は単に一異常者（私見）の犯罪である。

しかし奥田牧師は
＞あいつは極端な人殺しだ、とおさめてしまったら、何もこの事件から得ることができない。八幡教会HPより。

奥田牧師は
植松死刑因個人の考え、思想性？　それを社会全般が（潜在的に）有しているとする。
社会を構成するのは国民であり、つまり国民一人一人が（潜在的に）有している。
と濡れ衣を着せる。

そして
＞やまゆり園事件植松被告の死刑判決を受けて ーいま生きているということの絶対的な価値をつくる
HPより。

これはクリスチャンの発想、論理ではない。
奥田牧師がよしとする価値観しか認めないとする社会を作ると宣言しているのである。


植松死刑因の考え、思想性、それを社会、日本国民が有しているとする奥田牧師
そのような実態は無いことを彼は百も承知だ。
であるから、

＞だったのではないか？
＞もしあるならば？
＞あるならば？
＞あの（死刑）判決は多かれ少なかれ今の社会をも裁いたのではないか？

と断定はせず又できず、それでいて、

植松死刑因は時代の子だとする。
時代を作るのは、その時代を生きる国民であり、その集合意識である。
つまり社会は有していると結論づけている。

であるから、
社会が有するとする植松死刑因の価値観を否定し糾弾し。そしてその価値観を人から社会から根絶するのだ、としている。

＞彼には勝てないと思いますね。
以下、氏のブログより引用。
＞彼が持ち出した価値観や主張を私たちは本当に根絶できるのか。
＞本当の勝負はこれからである。

勝負するのだと決意表明している。

●この作意（濡れ衣を着せる）とこの発想、この論理は、彼がクリスチャンではない証左である。

クリスチャンは人に内在する罪とその現れを人の力、自力により根絶できるなどとは思わない。
犯罪者とその犯罪を糾弾しない。

銀食器を盗んだジャンバルジャンを神父は泥棒、犯罪だ、と糾弾しなかった。

社会学者、故小室直樹氏は端的に明確にキリスト教の教えを理解し、いわゆる福音を説明している。

人は自力ではなく信じる信仰のみによって救われる。（罪による滅びから）
人は罪人であるから善は行わないのだと

奥田知志氏がクリスチャンならば、まして牧師ならば

植松死刑因にこそ寄り添い、植松死刑因に神の福音を伝え、植松死刑因の救いを祈り、
彼の死刑を憂うはずだ、そしてその意味を彼の教会で信者に説くはずが、だがまったくその動向は確認できない。

オウム事件に関し、麻原 彰晃、オウム実行犯達の救いを祈るべきだ、彼らに福音を伝えるべきだとする主張がキリスト教界にあった。
作家曽野綾子女史もその一人であった。

奥田牧師との相違である。

そしてここからが左翼としての顔が浮かび上がってくる。

＞植松君ひとり殺したとて、何にも変わらない。
ひとりではなく、全員殺さねば何も変わらない、ということだ。　殺すの意味は無論殺人とは異なる。

奥田氏の左翼の価値観が社会に普遍性を持たねばならない、という事だ。
それは、いわゆる差別を許さない、とする社会の具現化を目的としていることだ。


その社会は
自分達の価値感に反するものは差別であり、それを許さないとする社会。
ニューズウィーク誌が指摘した、反差別という名の差別、という左翼の社会だ。

その様な社会が形成される危機感から
ポリティカルコレクトネスという言葉が使われるようになった。
一見、正論の裏に隠された本当の顔があるという意味であろう。

奥田氏が行っていることはこの事件を利用し、社会に濡れ衣を着せ自己の利益を計っているのである。
存在しない障害者差別を存在するとして、その差別という抽象概念、その言葉に力を持たせ自己に都合よく恣意的に使え他者を糾弾できる社会を作ろうとしているのだ。

何故奥田氏は、この事件のみに過剰に反応しているのか？
世間の耳目を集めるこの事件はクリスチャンタレントとしての知名度を上げるのに好都合であり、左翼としての目的達成の為にも合致しているからである、他の犯罪事件にはまったく頓着していない。

御返信は不要です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>奥田知志氏に関して。</p>
<p>記事より奥田知志なる人物に問題を感じ、おそらくは左派であろうと検索したところ。</p>
<p>学生？左翼集団シールズの幹部？である若者の父親であると。<br />
その履歴からも推測どおりの左翼であった。<br />
さらにキリスト教プロテスタントの牧師であることが解った。<br />
牧会する教会の規模も大きく、キリスト教界内部、そしてキリスト教界から社会へ与える影響力は問題と考える。</p>
<p>奥田牧師の目的は二つである。<br />
彼はタレントクリスチャン（私の造語）であり。<br />
（メディアでもしばしば取り上げられる戦う牧師　東八幡教会HPより）</p>
<p>クリスチャンを装い自己への利益誘導を計る、その利益とは単に金銭のみではなくクリスチャンタレントとしての名声と社会的影響力の増大である。</p>
<p>もう一つは左翼としての目的である</p>
<p>それ故、奥田牧師は今般の事件を利用している。</p>
<p>彼の発想、論理、行動はクリスチャンのものではない、それ故、彼はキリスト教、キリスト教界を利用し左翼としての目的を達成しようとしていることが解り、今回の事件を利用していることが解る。</p>
<p>彼の主張は抽象的で、あえて論理性を持たせず又もし？という仮定や問いかけ表現を使い、巧みにごまかし論破されることを回避しているが、彼の主張から見える偽善、本音は以下である。</p>
<p>この事件は単に一異常者（私見）の犯罪である。</p>
<p>しかし奥田牧師は<br />
＞あいつは極端な人殺しだ、とおさめてしまったら、何もこの事件から得ることができない。八幡教会HPより。</p>
<p>奥田牧師は<br />
植松死刑因個人の考え、思想性？　それを社会全般が（潜在的に）有しているとする。<br />
社会を構成するのは国民であり、つまり国民一人一人が（潜在的に）有している。<br />
と濡れ衣を着せる。</p>
<p>そして<br />
＞やまゆり園事件植松被告の死刑判決を受けて ーいま生きているということの絶対的な価値をつくる<br />
HPより。</p>
<p>これはクリスチャンの発想、論理ではない。<br />
奥田牧師がよしとする価値観しか認めないとする社会を作ると宣言しているのである。</p>
<p>植松死刑因の考え、思想性、それを社会、日本国民が有しているとする奥田牧師<br />
そのような実態は無いことを彼は百も承知だ。<br />
であるから、</p>
<p>＞だったのではないか？<br />
＞もしあるならば？<br />
＞あるならば？<br />
＞あの（死刑）判決は多かれ少なかれ今の社会をも裁いたのではないか？</p>
<p>と断定はせず又できず、それでいて、</p>
<p>植松死刑因は時代の子だとする。<br />
時代を作るのは、その時代を生きる国民であり、その集合意識である。<br />
つまり社会は有していると結論づけている。</p>
<p>であるから、<br />
社会が有するとする植松死刑因の価値観を否定し糾弾し。そしてその価値観を人から社会から根絶するのだ、としている。</p>
<p>＞彼には勝てないと思いますね。<br />
以下、氏のブログより引用。<br />
＞彼が持ち出した価値観や主張を私たちは本当に根絶できるのか。<br />
＞本当の勝負はこれからである。</p>
<p>勝負するのだと決意表明している。</p>
<p>●この作意（濡れ衣を着せる）とこの発想、この論理は、彼がクリスチャンではない証左である。</p>
<p>クリスチャンは人に内在する罪とその現れを人の力、自力により根絶できるなどとは思わない。<br />
犯罪者とその犯罪を糾弾しない。</p>
<p>銀食器を盗んだジャンバルジャンを神父は泥棒、犯罪だ、と糾弾しなかった。</p>
<p>社会学者、故小室直樹氏は端的に明確にキリスト教の教えを理解し、いわゆる福音を説明している。</p>
<p>人は自力ではなく信じる信仰のみによって救われる。（罪による滅びから）<br />
人は罪人であるから善は行わないのだと</p>
<p>奥田知志氏がクリスチャンならば、まして牧師ならば</p>
<p>植松死刑因にこそ寄り添い、植松死刑因に神の福音を伝え、植松死刑因の救いを祈り、<br />
彼の死刑を憂うはずだ、そしてその意味を彼の教会で信者に説くはずが、だがまったくその動向は確認できない。</p>
<p>オウム事件に関し、麻原 彰晃、オウム実行犯達の救いを祈るべきだ、彼らに福音を伝えるべきだとする主張がキリスト教界にあった。<br />
作家曽野綾子女史もその一人であった。</p>
<p>奥田牧師との相違である。</p>
<p>そしてここからが左翼としての顔が浮かび上がってくる。</p>
<p>＞植松君ひとり殺したとて、何にも変わらない。<br />
ひとりではなく、全員殺さねば何も変わらない、ということだ。　殺すの意味は無論殺人とは異なる。</p>
<p>奥田氏の左翼の価値観が社会に普遍性を持たねばならない、という事だ。<br />
それは、いわゆる差別を許さない、とする社会の具現化を目的としていることだ。</p>
<p>その社会は<br />
自分達の価値感に反するものは差別であり、それを許さないとする社会。<br />
ニューズウィーク誌が指摘した、反差別という名の差別、という左翼の社会だ。</p>
<p>その様な社会が形成される危機感から<br />
ポリティカルコレクトネスという言葉が使われるようになった。<br />
一見、正論の裏に隠された本当の顔があるという意味であろう。</p>
<p>奥田氏が行っていることはこの事件を利用し、社会に濡れ衣を着せ自己の利益を計っているのである。<br />
存在しない障害者差別を存在するとして、その差別という抽象概念、その言葉に力を持たせ自己に都合よく恣意的に使え他者を糾弾できる社会を作ろうとしているのだ。</p>
<p>何故奥田氏は、この事件のみに過剰に反応しているのか？<br />
世間の耳目を集めるこの事件はクリスチャンタレントとしての知名度を上げるのに好都合であり、左翼としての目的達成の為にも合致しているからである、他の犯罪事件にはまったく頓着していない。</p>
<p>御返信は不要です。</p>
]]></content:encoded>
		
			</item>
		<item>
		<title>
		野崎 より		</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/society/20200319/#comment-28554</link>

		<dc:creator><![CDATA[野崎]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 20 Mar 2020 15:12:29 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://t-matsuda14.com/?p=5495#comment-28554</guid>

					<description><![CDATA[死刑は刑罰としての意味以外に。

個人の復讐を国家が行う代替行為といえるでしょう。

極端に単純化して以下。

他者からいわれなき被害をこうむった個人は復讐心を抱き、時には実行します。

相手を許せたなら、相手から受けた被害はその程度ということでしょう。
いかなる場合でも相手を許せる者はそれはそれ。相手を許せない者もいる。

個人の復讐を容認すれば復讐の連鎖が起こり社会秩序は維持できない。
よって法治により国家がこれを行う。

殺人を禁止している国家が殺人を認めるのは矛盾だ、
とする意見がありますが違うでしょう。

国家は個人の集合体であり、個人，すなわち国民の意志、要求として。
いわれなき被害にあったなら相手に死をもって償わせたいとの思い。
極刑としての死刑を認める意志がある場合、多数決原理により死刑制度は確立する。

死刑は原則
加害者Aと被害者Bとの二者間の問題であり、第三Cはまったく関係ない。

よってCがBに対し、Aを殺さず許してやれ、という権利はない。

これは金銭の貸借に置き換えればよくわかる。

債務者Aｈが債権者Bに不履行を行った場合、第三者CがBに対して、Aを許してやれ、とう権利はない。

娘を輪姦され惨殺された親が、その複数の犯罪者を殺したいとの意思、求めに対して、関係の無い第三者がk路してはならない、許してやれ、という権利はない。

殺してはならない、とする根拠も日本人は持ちえない。
何故人を殺してはならないか、の論理を構築できない。

キリスト教国ならば、殺してはならない、は神の命令だからである、が根拠である。


以上、私見です。

死刑反対論者も犯罪者に対して死刑以外の重罰を認めはします。
死刑反対論者には左翼が多い様に特殊な価値観からの反対意志があると思っています。

相手から受けた被害と同等の罰則を与える、とする同害復讐法的措置も、
その計量には問題が生じ、いずれにせよ被害者は被害者であり人の方法では救われませんね。

御返信は不要です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>死刑は刑罰としての意味以外に。</p>
<p>個人の復讐を国家が行う代替行為といえるでしょう。</p>
<p>極端に単純化して以下。</p>
<p>他者からいわれなき被害をこうむった個人は復讐心を抱き、時には実行します。</p>
<p>相手を許せたなら、相手から受けた被害はその程度ということでしょう。<br />
いかなる場合でも相手を許せる者はそれはそれ。相手を許せない者もいる。</p>
<p>個人の復讐を容認すれば復讐の連鎖が起こり社会秩序は維持できない。<br />
よって法治により国家がこれを行う。</p>
<p>殺人を禁止している国家が殺人を認めるのは矛盾だ、<br />
とする意見がありますが違うでしょう。</p>
<p>国家は個人の集合体であり、個人，すなわち国民の意志、要求として。<br />
いわれなき被害にあったなら相手に死をもって償わせたいとの思い。<br />
極刑としての死刑を認める意志がある場合、多数決原理により死刑制度は確立する。</p>
<p>死刑は原則<br />
加害者Aと被害者Bとの二者間の問題であり、第三Cはまったく関係ない。</p>
<p>よってCがBに対し、Aを殺さず許してやれ、という権利はない。</p>
<p>これは金銭の貸借に置き換えればよくわかる。</p>
<p>債務者Aｈが債権者Bに不履行を行った場合、第三者CがBに対して、Aを許してやれ、とう権利はない。</p>
<p>娘を輪姦され惨殺された親が、その複数の犯罪者を殺したいとの意思、求めに対して、関係の無い第三者がk路してはならない、許してやれ、という権利はない。</p>
<p>殺してはならない、とする根拠も日本人は持ちえない。<br />
何故人を殺してはならないか、の論理を構築できない。</p>
<p>キリスト教国ならば、殺してはならない、は神の命令だからである、が根拠である。</p>
<p>以上、私見です。</p>
<p>死刑反対論者も犯罪者に対して死刑以外の重罰を認めはします。<br />
死刑反対論者には左翼が多い様に特殊な価値観からの反対意志があると思っています。</p>
<p>相手から受けた被害と同等の罰則を与える、とする同害復讐法的措置も、<br />
その計量には問題が生じ、いずれにせよ被害者は被害者であり人の方法では救われませんね。</p>
<p>御返信は不要です。</p>
]]></content:encoded>
		
			</item>
		<item>
		<title>
		matsuda より		</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/society/20200319/#comment-28553</link>

		<dc:creator><![CDATA[matsuda]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 20 Mar 2020 12:15:42 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://t-matsuda14.com/?p=5495#comment-28553</guid>

					<description><![CDATA[&lt;a href=&quot;https://reiwa-kawaraban.com/society/20200319/#comment-28552&quot;&gt;照井&lt;/a&gt; への返信。

&gt;&gt;照井様

　コメントありがとうございます。おっしゃるように死刑は「何かを変えるため」にやってるわけではありません。
　EU加盟国は死刑を廃止していますが、フランスの警察が犯人を容赦射殺するシーンが昨年末に話題になりましたよね。刑罰としては認めず、犯人検挙の段階ではかなり容易に人を殺している印象を持ちました。死刑廃止論者はそういう部分も考えて論ずればまだ話はできるのですが、実際は「殺すより殺される方を選ぶ」と平気で言うから、もう最初からお話にならない人ばかり。

　そういう人たちはまさに死刑を過大評価していると言っていいと思います。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://reiwa-kawaraban.com/society/20200319/#comment-28552">照井</a> への返信。</p>
<p>>>照井様</p>
<p>　コメントありがとうございます。おっしゃるように死刑は「何かを変えるため」にやってるわけではありません。<br />
　EU加盟国は死刑を廃止していますが、フランスの警察が犯人を容赦射殺するシーンが昨年末に話題になりましたよね。刑罰としては認めず、犯人検挙の段階ではかなり容易に人を殺している印象を持ちました。死刑廃止論者はそういう部分も考えて論ずればまだ話はできるのですが、実際は「殺すより殺される方を選ぶ」と平気で言うから、もう最初からお話にならない人ばかり。</p>
<p>　そういう人たちはまさに死刑を過大評価していると言っていいと思います。</p>
]]></content:encoded>
		
			</item>
		<item>
		<title>
		照井 より		</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/society/20200319/#comment-28552</link>

		<dc:creator><![CDATA[照井]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 20 Mar 2020 05:23:31 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://t-matsuda14.com/?p=5495#comment-28552</guid>

					<description><![CDATA[そもそも死刑って何かを変えるためにやってるわけじゃないですよね。
人ひとりが到底償えない罪を犯してしまうか償う意思を見せない場合にやむなく行われるだけで、
啓蒙のためでも見せしめのためでもないはずです。
死刑廃止論者の方が死刑を過大評価しているように思えます。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>そもそも死刑って何かを変えるためにやってるわけじゃないですよね。<br />
人ひとりが到底償えない罪を犯してしまうか償う意思を見せない場合にやむなく行われるだけで、<br />
啓蒙のためでも見せしめのためでもないはずです。<br />
死刑廃止論者の方が死刑を過大評価しているように思えます。</p>
]]></content:encoded>
		
			</item>
		<item>
		<title>
		matsuda より		</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/society/20200319/#comment-28551</link>

		<dc:creator><![CDATA[matsuda]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 Mar 2020 13:21:12 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://t-matsuda14.com/?p=5495#comment-28551</guid>

					<description><![CDATA[&lt;a href=&quot;https://reiwa-kawaraban.com/society/20200319/#comment-28550&quot;&gt;ＭＲ．ＣＢ&lt;/a&gt; への返信。

&gt;&gt;ＭＲ．ＣＢ様

　コメントをありがとうございます。
　死刑反対派はこういう議論の仕方をします。この奥田氏は「命は誰でも大事」という大前提を否定できないようにして、相手と議論をするわけです。そうすると「被害者感情からして、死刑は当然」「予防措置としての死刑」という意見に対して大前提を持ち出してくるわけです。

　ただの●●やろう、は当たっていると思います。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://reiwa-kawaraban.com/society/20200319/#comment-28550">ＭＲ．ＣＢ</a> への返信。</p>
<p>>>ＭＲ．ＣＢ様</p>
<p>　コメントをありがとうございます。<br />
　死刑反対派はこういう議論の仕方をします。この奥田氏は「命は誰でも大事」という大前提を否定できないようにして、相手と議論をするわけです。そうすると「被害者感情からして、死刑は当然」「予防措置としての死刑」という意見に対して大前提を持ち出してくるわけです。</p>
<p>　ただの●●やろう、は当たっていると思います。</p>
]]></content:encoded>
		
			</item>
		<item>
		<title>
		ＭＲ．ＣＢ より		</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/society/20200319/#comment-28550</link>

		<dc:creator><![CDATA[ＭＲ．ＣＢ]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 Mar 2020 09:21:02 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">https://t-matsuda14.com/?p=5495#comment-28550</guid>

					<description><![CDATA[》》ジャーナリスト松田様

奥田何某が、死刑廃止論者かエセ人権主義者、エセ社会学者かは知りません。松田さんが丁寧に論破するまでもない、「ただのバカやろう」です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>》》ジャーナリスト松田様</p>
<p>奥田何某が、死刑廃止論者かエセ人権主義者、エセ社会学者かは知りません。松田さんが丁寧に論破するまでもない、「ただのバカやろう」です。</p>
]]></content:encoded>
		
			</item>
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