ローマ三越閉店OG嘆く「華やかな部分削られ…」

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 ローマの中心部にある「ローマ三越」が10日、閉店した。欧州に残る唯一の三越の店舗も新型コロナウイルスの影響には勝てず、1975年以来46年の歴史に幕を下ろした。同百貨店OGに話を聞くと、華やかで憧れだった海外店舗撤退に寂しさを感じるという。

■1971年パリに戦後海外1号店

日本橋三越本店(Googleマップより)

 ローマ三越はイタリアの有名ブランドを扱い、日本語が通じる店舗として観光客に人気だった。しかし、新型コロナウイルスの感染症の拡大で昨年はほとんど営業できず、主要顧客のアジアからの旅行者が戻る見通しも立たないことから閉店を決めたという。10日午後7時頃に、支配人らが最後の客を見送り、半世紀近い歴史を閉じた(共同通信:ローマ三越、コロナで閉店)。

 三越伊勢丹ホールディングス公式サイトによると、三越は1971年に戦後海外1号店のパリ三越をオープン。その後、欧州は75年にローマ、79年にロンドンでオープンしている。また、79年にデュッセルドルフ、マドリードの現地法人を立ち上げた。

 しかし、21世紀に入ると相次ぎ閉店。2009年デュッセルドルフ、マドリード、2010年パリと閉め、2013年にロンドンが営業終了となった(移転先を探している最中とされる)。欧州で最後に残っていたローマも2021年に閉店となり、三越は欧州から姿を消した。

■海外赴任はエリートコース「海外店は憧れ」

 70年代から海外戦略を推し進めたものの、2008年に(株)三越伊勢丹ホールディングス設立後、欧州からの撤退が始まり、最後まで残っていたローマはコロナにとどめを刺される形になった。

 こうした動きについて、三越OGに話を聞いた。A子さんは1980年代後半に三越に入社、2010年代前半に退職した。欧州からの相次ぐ撤退、ローマ三越の閉店について聞くと残念そうな様子だった。

 「寂しさと言いますか、凋落…落ちぶれていくというか、そんなイメージでしょうか。華やかな部分がどんどん削られていくような気がします。」

 社内で海外店舗を目指す人は少なくなかったという。希望者は社内で試験があり、そこで合格しないと海外赴任はできない決まりとのこと(2度目の赴任からは通常の人事異動)。当然、海外勤務は社内ではエリートコースであった。

 「海外に行く人は花形で、海外店は憧れでした。赴任すると将来を約束されたみたいな感じもありまして、戻ると海外事業部に行くことも少なくありませんでした。海外で箔をつけて紳士服や婦人服、婦人服はパリ三越が主流でしたが、そういう部署で管理職になるということも多かったように思います。海外店に行く人は選ばれた人たちでした。」

■伊勢丹との合併で現場に軋轢

 こうした華やかな欧州勤務も伊勢丹との合併、リーマンショックを契機に変化を余儀なくされていく。

 「伊勢丹と一緒になってから、伊勢丹の意向で不採算店は閉める、あちらの駐在があればそこに1つにするという動きがあったようです。そもそも伊勢丹に吸収されたみたいな感じでしたから。」(形の上は三越が存続会社となり、法人としての伊勢丹は解散)

 三越伊勢丹ホールディングスの公式サイトによると、現在、海外店舗は三越がオーランド三越(米)1店舗と台湾法人の新光三越が台北などに15店舗。伊勢丹はシンガポール、マレーシア、中国に全12店舗となっている。どちらもアジアが中心。採算の面ではそれが理想なのかもしれないが、欧州からの撤退でブランドイメージが傷ついたのは事実であろう。

 それが三越と伊勢丹のビジネスに対する考え方の違いなのかもしれない。日本を代表する百貨店同士の合併、A子さんに現場レベルで摩擦はあったのか聞くと「軋轢はありました。伊勢丹の人は『三越は甘くてダメだ。だから売り上げが伸びない』などと言っていたようです。それに対して、私たち三越の人間は『(伊勢丹の)お客様をお客様とも思わないような接客はどうなの?』みたいなことは言ってました」とのことであった。

 1673年(延宝1)に創業された350年近い歴史を誇る三越から見れば、1886年(明治19)創業の伊勢丹は200年以上後発の企業。社風も異なる両者の合併となれば、摩擦が起きない方が不思議であろう。

■ロンドン三越1994年夏

富嶽三十六景の「江都駿河町三井見世略図」。現在の日本橋三越店

 1994年夏、僕はロンドンに出張した。この年の英国は猛暑だった。当時、英国では自動車にエアコン付いていないことが多く、仕事用に借りたレンタカーにもエアコンがなかった。レストランやカフェも冷房はなく、(英国人は暑くないのか)と、したたる汗を拭いながら思ったものである。

 そんな時、ロンドン三越の「MITSUKOSHI」のマークが目に入った。中に入るとエアコンが良く効いており、別世界のように快適だった。外に出るのが嫌になり、カフェで日本語でアイスコーヒーを注文し、しばし休息を取った。

 (やっぱり日本の企業は客のことを考えてくれる)とエアコンに感激し、三越が英国にあることに(さすがは三越)と日本人として嬉しくなったのを覚えている。

 そうした三越の拠点が欧州から消えた。それがビジネスと分かっていても、一消費者として残念と言うしかない。

"ローマ三越閉店OG嘆く「華やかな部分削られ…」"に7件のコメントがあります

  1. 高山椎菜 より:

    おはようございます。これはそごうと西武、大丸と松坂屋の場合にもいえますね。とくに悲惨なのはそごう・西武で、目立つ話は閉店のニュースばかり。

    しょせんスーパーやコンビニの感覚では百貨店の経営はできなかったのでしょうね。

  2. 匿名 より:

    ドイツ デュッセルドルフ三越OGです。
    海外の三越各店舗その街に合わせた、そこでの役割があったのですが、寂しいですね。

    1. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

      コメントをありがとうございます。

      デュッセルドルフの三越の社員の方に電話で取材協力いただいたことがあります。競馬のジャパンカップというレースでドイツの馬が勝って、それが現地でどう報じられているかということを聞くためです。1995年のことです。

      若い男性の方でしたが、とても協力的で「三越の方はジェントルマンだな」と感じたのを思い出します。

      欧州から撤退が進むのは本当に寂しい限です。

  3. オーバーカッセル より:

    初めてコメントさせて頂きます。大分前ですが7年間程デュッセルドルフに駐在していた者です。三越さんにはかなりお世話になりました。衣料品は日本人に似合うデザインやサイズを取り揃えてくれていたり、日本に一時帰国する際のドイツ製のちょっとしたお土産品も豊富にあったので重宝していました。時代の流れとは言ってももう無くなってしまったのは寂しい思いです。

    松田さんの記事は極めてニュートラルなスタンスで決して人を陥れようとする訳でなく、しかし真実に迫るべく鋭く本音で切り込んで行かれるのでとても共感を覚えます。今後の記事も期待しています。

    1. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

      >>オーバーカッセル様

       コメントをありがとうございます。百貨店の海外、特に欧州進出は日本経済の元気の良さの象徴の1つだったのかと思います。そう考えると、本当に寂しい限りです。「昔はよかった」と年寄めいた感想を抱いてしまいます。

       報道のスタイルに関して、お褒めをいただき感謝いたします。これからも皆様に読んでいただけるような記事を書いていきたいと思います。

      1. オーバーカッセル より:

        松田さん、ご丁寧にコメントありがとうございます!

        私のドイツ駐在時の大きな出来事として東西ドイツの統一がありました。当時西側では、現実的な見地から仕事のない東側の人々への援助のため雇用に悪影響を与える事、国の税金支出が大幅に増える事等を懸念する現実的な意見が多く聞かれました。一方、日本のメディアはお祭り騒ぎの様なアプローチで「おめでとう」の連発に私は大きな違和感を感じ、結論ありきの日本の報道姿勢に大きな疑問を抱いた出来事でもありました。

        1. レモン より:

          コメント失礼いたします。デュッセルドルフ三越の文字を目にして、懐かしくなりました。閉店していたことすら知りませんでしたが(驚きませんが)、私も幼稚園~小学生ですが統一前に滞在していました。隣り?の日航ホテルには弁慶という和食屋さんがあったのも覚えています。本当に懐かしいです。

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