<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>ダイナガリバー | 令和電子瓦版</title>
	<atom:link href="https://reiwa-kawaraban.com/tag/%e3%83%80%e3%82%a4%e3%83%8a%e3%82%ac%e3%83%aa%e3%83%90%e3%83%bc/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://reiwa-kawaraban.com</link>
	<description>政治、社会、運動、芸能など、様々なジャンルのニュース＆オピニオンサイトです</description>
	<lastBuildDate>Mon, 27 May 2024 13:13:56 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.8.5</generator>

<image>
	<url>https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/04/icon.jpg</url>
	<title>ダイナガリバー | 令和電子瓦版</title>
	<link>https://reiwa-kawaraban.com</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>岡田繁幸氏死去 落胆の1993年ジャパンＣ</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/sports/20210321/</link>
					<comments>https://reiwa-kawaraban.com/sports/20210321/#comments</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 21 Mar 2021 13:35:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[運動]]></category>
		<category><![CDATA[東京優駿]]></category>
		<category><![CDATA[岡田繁幸]]></category>
		<category><![CDATA[コタシャーン]]></category>
		<category><![CDATA[ダイナガリバー]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://reiwa-kawaraban.com/?p=9583</guid>

					<description><![CDATA[　サラブレッドクラブ・ラフィアンの元代表の岡田繁幸氏が３月19日、死亡した。71歳。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #000000;">　サラブレッドクラブ・ラフィアンの元代表の岡田繁幸氏が３月19日、死亡した。71歳。いわゆる「マイネル軍団」の総帥として、日本の馬産をリードしてきた偉大なホースマンとして、競馬ファンからも親しまれた。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■1986年東京優駿 ダイナガリバーに迫った伏兵</span></strong></span></p>
<div id="attachment_9584" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/03/f6b8369bafab5e37732f5fd84769a95a.jpeg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-9584" class="wp-image-9584" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/03/f6b8369bafab5e37732f5fd84769a95a-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/03/f6b8369bafab5e37732f5fd84769a95a-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/03/f6b8369bafab5e37732f5fd84769a95a-768x461.jpeg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/03/f6b8369bafab5e37732f5fd84769a95a.jpeg 870w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-9584" class="wp-caption-text">1993年ジャパンCを伝える日刊スポーツ１面（1993年11月29日付け）</p></div>
<p><span style="color: #000000;">　岡田氏は自身の誕生日である３月19日に北海道の自宅で息を引き取ったと報じられた。死因は不明。180cmを超える長身で、確かな相馬眼でファンの間では神格化されていた存在と言える。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　僕も競馬担当の時代は何度か取材をさせていただいた。競馬担当として最初に取材した日本ダービー（東京優駿）が1986年、ダイナガリバーが優勝した年である。その時の２着馬が岡田繁幸氏の所有するグランパズドリームだった。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　当時オープン特別だった青葉賞２着で優先出走権を手にしたが、本番では単勝14番人気。（出るだけだろう）というのが大方の予想だった。ところが４角で内に潜り込み直線で先頭に立つ大健闘。勝ったダイナガリバーとの差は半馬身で、大金星を挙げるところだった。後に岡田氏は「あの時は勝てると思っていた」と語っていたが、（単勝14番人気の馬で、そんなに自信があったのか）と驚かされたものである。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■1993年ジャパンＣ 落胆の２着</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">　岡田氏の取材で最も印象に残っているのは1993年のＧ１ジャパンＣである。米国から参戦したコタシャーンはこの年だけでブリーダーズＣターフを含めＧ１を５勝していた。その年の米国年度代表馬、最優秀芝馬に選出されたほどの大物を、岡田氏が輸入を決めたのである。東京競馬場での調教も熱心に見つめ、日本の馬産を決定的に変えるかもしれない大物に熱い視線を送っていた。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　レースは直線で粘るレガシーワールドにコタシャーンが迫るが、鞍上のケント・デザーモ騎手が腰を浮かせてゴール手前100ｍの標識をゴール板と間違えて追うのをやめてしまい、その後、気付いて再び追い出すが、１馬身４分の１差の２着に終わった。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　この時、僕は東京競馬場で岡田氏に直接取材し、新聞にコメントを載せた。「前残りの展開に負けたということ。あのミスがなかったとしても勝てなかったと思うし、もし勝ったとしてもきわどい勝利。僕は３、４馬身突き抜ける脚を持った馬だと思っていたんですけどね」。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　この時44歳だった岡田氏は「日本の馬とは次元が違う強さを見せると思っていたのに…」と、繰り返しボヤいており、負けたことよりも力の違いがそれほどなかったことにショックを受けていた様子。分かりやすく言えば、（こんなものだったのか…）という落胆ぶりであった。取材をしている側としては（正直な人だな）という印象を強く抱いたのを覚えている。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■相馬眼の天才の苦い経験コタシャーン</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">　当時、外国馬の取材をしていた僕は、コタシャーンについて欧州の関係者がかなり辛辣な声を寄せていたことを聞いていた。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　「あの馬はベン・ジョンソンだ」。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　彼らは筋肉が隆々とした馬体は、薬物によるものというイメージを持っていたようである。フランスでデビューし、欧州ではＧ３を１勝しただけの馬が、米国では一変してＧ１を５クラ含む重賞６勝。米国では利尿剤のラシックス（フロセミド）使用馬は筋肉増強剤を使用しているのではないかと囁かれており、コタシャーンはその恩恵を受けていたと見る向きも存在した。そこで、ソウル五輪で薬物使用がバレて金メダルを剥奪された陸上短距離選手になぞらえて語られていたのである。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　岡田氏の落胆は現実のものになる。コタシャーンは1994年に日本で種牡馬になったものの、これといった活躍馬を出すことができず、2000年にアイルランドに輸出されてしまった。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　相馬眼の天才・岡田氏にすれば、コタシャーンは苦い経験になったに違いない。もちろん、種牡馬事業というものは非常にリスクが高く、失敗するのが当たり前で、岡田氏とて百発百中とはいかないのは多くの人がご存知であろう。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■埋まらなかったダイナガリバーとの半馬身差</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">　岡田氏はダービー制覇に心血を注いでおり、「脚が折れてもダービーを勝てと馬には言いたい」と雑誌などで語っていたのが印象に残る。1990年代、岡部幸雄騎手らが「馬優先主義」を公言する中、勝負へのこだわりを見せる姿は清々しかった。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　結局、ダイナガリバーとの半馬身差を埋めることなく、71歳で旅立つことになったが、それも人生というものかもしれない。偉大なホースマン・岡田繁幸氏のご冥福をお祈りしたい。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000;">合掌</span></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://reiwa-kawaraban.com/sports/20210321/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>2</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
