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	<title>上尾高校 | 令和電子瓦版</title>
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	<description>政治、社会、運動、芸能など、様々なジャンルのニュース＆オピニオンサイトです</description>
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	<title>上尾高校 | 令和電子瓦版</title>
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		<title>埼玉・川口駅停車に潜む&#8221;県北の愛憎&#8221;</title>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 27 Apr 2025 05:15:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[社会]]></category>
		<category><![CDATA[熊谷]]></category>
		<category><![CDATA[上尾高校]]></category>
		<category><![CDATA[松田聖子]]></category>
		<category><![CDATA[熊谷市]]></category>
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					<description><![CDATA[　上野東京ラインの川口駅停車に関する基本協定が24日、川口市とＪＲ東日本の間で締結された。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　上野東京ラインの川口駅停車に関する基本協定が24日、川口市とＪＲ東日本の間で締結された。停車が始まるのは2037年度以降になるが、これにより京浜東北線を利用しての川口ー東京間より、約10分短縮となるという。川口駅利用者の利便性が高まるのはいいことだが、このニュースの裏には、沿線に住む県民でなければ分からない複雑な思いがあるように感じられる。埼玉県北部で生まれ育った筆者がその事情を分析・推理する。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />県北在住者には負の効果大</span></strong></span></p>
<div id="attachment_19956" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/top.jpeg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19956" class="wp-image-19956" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/top-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/top-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/top.jpeg 680w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-19956" class="wp-caption-text">写真はイメージ</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　川口駅は京浜東北線だけが停車しているが、長年、上野東京ラインの停車をＪＲ東日本に働きかけていた。今回の基本協定締結で、約431億円をかけて新たに停車ホームや駅舎などを整備する。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　同駅の１日あたりの乗客数（2023年度）は約７万4000人で、それら全てが京浜東北線に集中するため、混雑の要因になっていた。それが上野東京ラインの停車で多少なりとも解消が期待できる上、東京駅までの所要時間が現在の約40分から約30分に、10分程度短縮が見込まれる（以上、讀賣新聞オンライン・<a href="https://www.yomiuri.co.jp/national/20250425-OYT1T50050/">川口駅に「悲願」の上野東京ライン停車へ、市とＪＲが協定…東京や品川まで10分短縮</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　さらに、「JR東日本が2031年度を目標に整備を進める羽田空港アクセス線（仮称）東山手ルートを通じて羽田空港に乗り換えなしで結ばれることが期待されます。」（日テレNEWS・<a href="https://news.ntv.co.jp/category/society/37755a9bb8e04ac5ab01787df3f2e1d3">JR川口駅に「上野東京ライン」停車決定　ホーム新設などJR東と川口市が合意</a>）と、川口駅を利用する人々にとっては利便性の上では非常に大きな協定締結と言える。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　多くのメディアで報じられたこのニュースではあるが、上野東京ラインの川口以北、特に大宮より北に住む人々の反応は伝えられていない。筆者はその大宮より北の熊谷市で生まれ育ったが（参照・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/others/20230411/">昭和深イイ話 背筋伸ばした駄菓子屋のジイさん</a>、<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20250325/">相島一之さんを応援する理由『べらぼう』出演中</a>）、その経験からして、県北部に住む人々はこのニュースに対し、「川口に停まる必要なんてない」という思いを抱く人が多いのではないか。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　現在、熊谷ー東京間は在来線で75分かかる。これに川口駅が停車するようになると２、３分のロスが見込まれ78分程度になる。川口駅から大量に乗客が乗り込んでくれば、混雑がさらに激しくなり、通勤・通学の負担が増加すると予想される。一方で、職場や学校は都内の人が多く、川口駅で降りる通勤・通学客はそれほどいないと思われる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　大宮より北の通勤・通学客にすれば、川口駅停車は東京まで時間がかかるようになり、しかも混雑が増すという負の効果しか生み出さない。口には出さないまでも（上野東京ラインを使いたければ、京浜東北線で赤羽まで出ろよ。１駅３分だろうが！）と思っている人は少なくないのではないか。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　一方、川口駅利用者が上野東京ラインに乗る時には（田舎の方から来る電車に乗るのはカッコ悪いけど、便利になるから急ぐ時は乗っていくか）程度に思うかもしれない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />埼玉県の”南北問題”</span></strong></span></p>
<div id="attachment_19960" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61.jpeg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19960" class="wp-image-19960" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61-1024x614.jpeg 1024w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61-768x461.jpeg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61.jpeg 1134w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-19960" class="wp-caption-text">筆者が感じた1980年代の埼玉を含むヒエラルキー（作成・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　上記の埼玉県民の思いは筆者の想像に過ぎないが、そういった発想が浮かぶのは県北と県南の人々の意識の乖離に原因が求められるように思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　高崎線沿線の大宮より北と大宮以南の人々は基本的に仲が良くないように思う。両者の意識の構図は、理解を助けるために極端な表現をすると、大宮以南の人々が北部の人間を（東京から離れた文化的に低い地域の人々）と見下し、北部の人間は（県南も同じ埼玉だろ）というもの。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　今はどうか分からないが、筆者が東京の大学に通っていた1980年代、松田聖子さんがアイドルとして活躍していた時期（参照・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20210506/">気がつけば松田聖子がそこにいた</a>）</span><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">、埼玉県民は都内や横浜在住の学生から「ダさいたま」のように”イジられる”ことが少なくなかった。筆者は笑って受け流していたが、中には我慢できない人もいる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　大宮・浦和近辺から通う学生の中から「埼玉でも熊谷あたりになると、もう地の果て。俺たち、東京に近いから埼玉都民」といった感じで埼玉県民同士の内ゲバのようなものを仕掛けてくる者が出てくる。これに群馬県高崎市あたりの出身者が都内に住んで通学していることを背景に都民と同じ位置に立って「ダさいたま」とマウントを取ってくることもあった。そのあたりの構図は<a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61.jpeg">イラスト</a>で示したので参考にしていただきたい。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　この辺りの都民を頂点とするヒエラルキーのようなものが、1980年代には形成されていたのを肌で感じていた。ピラミッドの頂点に立つ都民は埼玉も群馬も「東京以外の田舎」とひとまとめで見下し、「横浜には一目置く」という意識。もっとも都民でも23区と多摩地区では上下関係が存在し、23区内でも港・千代田・世田谷・新宿などと、北部や下町の方では明確な差異が存在した。そうした事情は概ね、現在の地価に反映されているように思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />歴史的な南北対立の構図</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうした埼玉県内の県南と県北の意識の差は、歴史的に存在した。そもそも埼玉県が誕生した1871年（明治４）には埼玉県庁を浦和（現さいたま市）に置くか、熊谷に置くかで争いがあり、最終的に浦和に落ち着いた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　さらに鉄道でも東北線と高崎線の分岐を大宮駅にするか、熊谷駅にするかで議論があったが、現在の大宮駅で落ち着いたという経緯がある。明治の頃から、政治的、経済的にも県南部と北部で対立していたのは間違いない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　その後、浦和・大宮の県南部は東京に近いという点もあって発展を続け、熊谷の現在を見ると、その発展から完全に取り残されている。筆者は月に１度は熊谷に帰るが、街全体は1980年代とほとんど変わっていない。それどころか、かつては賑やかだった鎌倉町商店街などは令和の今はほぼシャッター街になっており、1980年代より寂れているのではないかと感じるほどである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　県南部に対する忸怩たる思いが、熊谷を中心とした県北部にはあるように思う。そうした中での川口駅停車決定であるから、大宮より北の沿線に住む人にとっては「余計な事しやがって」と感じる人が少なくないように、あくまでも筆者の勝手な想像にすぎないが、考えている。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />熊谷から新幹線通勤のススメ</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　東京に移り住んで40年の筆者にすれば、川口駅停車決定は他人事でしかない。とはいえ、生まれ育った埼玉県への思いは決して弱くないのも事実（参照・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/sports/20190823-02/">蘇る上尾高校４強の感激、昭和50年夏の甲子園 今太vs原辰徳</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　上野東京ラインが川口駅停車で時間がかかるようになるのは軽い話ではないが、川口駅利用者のことを思えば仕方のないことではある。それによって負担が増える分、熊谷から都内に通うために新幹線通勤・通学を促進すればいいのではないか。新幹線であれば熊谷ー東京間は38分。６年前のデータであるが、新幹線通勤をしている者は約2000人いるという（テレ東プラス・<a href="https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2019/019612.html">ナゼ？ 埼玉県・熊谷人がこぞって新幹線通勤を選ぶ理由</a>）。</span></p>
<div id="attachment_19958" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/dcb75c7dbfb18498316d8c7f6aaacd92.jpeg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19958" class="wp-image-19958" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/dcb75c7dbfb18498316d8c7f6aaacd92-300x200.jpeg" alt="" width="220" height="147" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/dcb75c7dbfb18498316d8c7f6aaacd92-300x200.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/dcb75c7dbfb18498316d8c7f6aaacd92.jpeg 709w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-19958" class="wp-caption-text">熊谷市役所（撮影・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　熊谷ー東京間の通勤定期は１か月で３万1180円、新幹線通勤定期（FREX・自由席）では７万1260円。これに対して熊谷市では30歳までの新幹線通勤定期利用者に対し、月額で約１万9000円（見込み）を補助している（熊谷市・<a href="https://www.city.kumagaya.lg.jp/about/soshiki/sogo/kikaku/oshirase/daisuki_sinkansen.html">大好き熊谷！新幹線らく賃通勤補助金（令和7年度）</a>）。こうした制度を利用し、さらに行政が新幹線の停車本数を増やすよう、ＪＲに働きかけをすべき。県北部も住みやすく通勤しやすい環境を整えるように官民挙げて環境作りをすべきと思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　少子高齢化が進む一方で、東京一極集中化も進む社会で、この先、埼玉県の立ち位置がどのようになるかを想像するのは簡単ではない。ただ、リモートワークの発展、一般化などで県北部が住む場所として見直される時代が来るかもしれない。川口駅に停まる、停まらないを論ずるより、さらに高いレベルの議論、住みやすさ・暮らしやすさを追求していくことが重要なのかもしれない。</span></p>
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		<title>蘇る上尾高校４強の感激、昭和50年夏の甲子園 今太vs原辰徳</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/sports/20190823-02/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 23 Aug 2019 06:21:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[運動]]></category>
		<category><![CDATA[甲子園]]></category>
		<category><![CDATA[今太]]></category>
		<category><![CDATA[上尾高校]]></category>
		<category><![CDATA[原辰徳]]></category>
		<category><![CDATA[熊谷]]></category>
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					<description><![CDATA[　1975年（昭和50）の夏の甲子園で上尾高校がベスト４に進出し、当時、中学３年だった僕を含め埼玉県民が熱狂してから44年の月日が流れた。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #000000;">　1975年（昭和50）の夏の甲子園で上尾高校がベスト４に進出し、当時、中学３年だった僕を含め埼玉県民が熱狂してから44年の月日が流れた。今日８月23日、埼玉の実家に戻って上尾高校の快進撃を伝えるスポーツ新聞を取り出した。見出しは忘れもしない「逆転”金星”上尾マーチ」。セピア色に変色したスポーツニッポン（スポニチ）を読んでいると、半世紀近い昔の興奮が蘇ってくる。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■優勝候補筆頭の東海大相模 vs ノーマークの伏兵上尾</span></strong></span></p>
<div id="attachment_3452" style="width: 260px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/08/5e1c865d541f9246f7f99e9a65625481.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-3452" class="wp-image-3452" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/08/5e1c865d541f9246f7f99e9a65625481-300x233.jpg" alt="" width="250" height="194" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/08/5e1c865d541f9246f7f99e9a65625481-300x233.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/08/5e1c865d541f9246f7f99e9a65625481-768x596.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/08/5e1c865d541f9246f7f99e9a65625481-1024x795.jpg 1024w" sizes="auto, (max-width: 250px) 100vw, 250px" /></a><p id="caption-attachment-3452" class="wp-caption-text">万歳する上尾・岩崎と今（右）</p></div>
<p><span style="color: #000000;">　昭和50年８月20日、夏の甲子園10日目、準々決勝第２試合は東海大相模（神奈川）対上尾（埼玉）。原辰徳（現巨人軍監督）擁する東海大相模は優勝候補筆頭、対する上尾は全国的には全くの無名校である。戦う前に上尾高校が勝つと考えていた人間が一体、何人いたか。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　しかし、試合は５－４で上尾高校が逆転勝ち。試合結果を伝えるスポニチの１面の写真が出色である。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　ゲームセットの瞬間、笑顔で走る上尾・今太（こん・ふとし）投手と万歳する上尾・岩崎三塁手、その横で天を仰ぐ二塁ランナーの東海大相模・綱島。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　勝者と敗者の明暗がくっきりと分かれた瞬間を見事に捉えている。スポニチのカメラマンがいい仕事をしているではないか。</span></p>
<p><strong><span style="color: #000000;">第57回全国高校野球10日目（昭和50年８月20日）準々決勝第２試合</span></strong></p>
<p><span style="color: #000000;">上　　　尾 １０１　０００　０３０｜５</span></p>
<p><span style="color: #000000;">東海大相模 ００２　２００　０００｜４</span></p>
<p><span style="color: #000000;">（投手）回　打者　安打　三振　四死　失点　自責</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　今　　９　43<span class="Apple-converted-space">      </span>11　　１　　６　　４　　４</span></p>
<p><span style="color: #000000;">村　中　９　38<span class="Apple-converted-space">      </span>９　 　４　　５　　５　　３</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■４の４原辰徳に真っ向勝負、優勝したかのような騒ぎ</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">　僕はこの試合を自宅で観戦していた。テレビの前に正座して１つのプレー毎に「よぉぉぉし！」「あーーーー！」みたいな声を出していたのを思い出す。４回までに４失点、原辰徳に４打席連続安打（２打点）され、ヨレヨレになりながらも踏ん張る今太投手。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　上尾が８回表に３点を入れて逆転し、５－４と１点リードで迎えた８回裏、二死一塁の場面でこの日、５打席目の原辰徳。（敬遠した方が…）と僕は思っていたような記憶がある。しかし、４打数４安打と打ち込まれている相手に真っ向勝負、２ボールから内角高めの球でキャッチャーファウルフライに打ち取った。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　事実上、勝負を決めたこのシーンを、スポニチはこう書いている。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　<strong><span style="color: #0000ff;">まるで優勝でもしたかのように大騒ぎする三塁側、上尾応援団の歓声を聞きながら、原はバットをたたきつけた。</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">　僕もテレビの前で「よーーーし！、今（こん）、よくやったぁ！！！」みたいな、声をあげていたと思う。ちなみに僕は今太投手とは面識はない。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■東海大相模佐藤主将「負けるなんて思いもしなかった」</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">　５回以降、東海大相模打線を０点に抑えた今太投手のコメントが掲載されていた。「確かに迫力のある打線だったが、追加点を許したら、もうおしまいだと思って必死に投げた」。これが昭和の夏の甲子園。当時の高校生は人生を賭けて、地元の期待を一身に背負って戦っていた…と思う。少なくとも「甲子園を楽しんできます」なんて、ナメたようなセリフを口にするヤツなんていなかった。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　東海大相模の佐藤功主将は「負けるなんて思いもしなかった。しかも逆転されるなんて…。逆転を食ったのは今年に入って記憶がない」と放心状態で語ったとされている。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■時は流れ、人は変わるが、甲子園のドラマは終わることを知らない</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">　こうして文章を書いていると中学３年の時の興奮が蘇ってくる。この新聞が出た昭和50年８月21日、僕は愛知県の親戚の家に遊びに行くため、熊谷駅でスポニチを買った。あれから半世紀近い月日が流れ、こうして、その新聞を見ながら文章を書いているのが不思議である。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　電車の中で新聞記事を何度も何度も読み返した。その時に印象に残ったフレーズがこれ。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　「<strong><span style="color: #0000ff;">時は流れ、人は変わるが、甲子園のドラマは終わることを知らない、三十八校、いや二千七百九十八校はもう四校になってしまった</span></strong>」。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　今、読んでもいい文章じゃないか。</span></p>
<p><span style="color: #000000;"><strong>上尾高校</strong>　　打数　安打　打点　三振　四死　失策　通算打安</span></p>
<p><span style="color: #000000;">（二）筑　井　４　　１　　０　　２　　１　　０　11ー５</span></p>
<p><span style="color: #000000;">（中）新　井　４　　１　　０　　０　　０　　０　14ー４</span></p>
<p><span style="color: #000000;">（遊）岩　城　３　　１　　１　　０　　１　　０　11ー３</span></p>
<p><span style="color: #000000;">（捕）中　村　４　　１　　３　　１　　０　　０　13－４</span></p>
<p><span style="color: #000000;">（一）塚　原　２　　１　　０　　１　　２　　０　10－２</span></p>
<p><span style="color: #000000;">（左）川　島　３　　２　　０　　０　　１　　０　10－４</span></p>
<p><span style="color: #000000;">（右）樋　口　４　　２　　１　　０　　０　　０　10－４</span></p>
<p><span style="color: #000000;">（三）岩　崎　４　　０　　０　　０　　０　　０　12－２</span></p>
<p><span style="color: #000000;">（投）　今　　４　　０　　０　　０　　０　　０　11－２</span></p>
<p><span style="color: #000000;">※スポニチ紙面を元に作成。塚原（２年）以外はすべて３年</span></p>
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		<title>「逆転 金星 上尾マーチ！」上尾高校の今太（こん・ふとし）さんじゃないか！</title>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 29 Jun 2019 15:31:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[運動]]></category>
		<category><![CDATA[熊谷高校]]></category>
		<category><![CDATA[甲子園]]></category>
		<category><![CDATA[今太]]></category>
		<category><![CDATA[上尾高校]]></category>
		<category><![CDATA[東海大相模]]></category>
		<category><![CDATA[原辰徳]]></category>
		<category><![CDATA[石川孝雄]]></category>
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					<description><![CDATA[　高校野球の地方予選が沖縄で始まっているが、この季節になると思い出すのが昭和50年（1975）の上尾高校の夏の大会の４強進出である。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #000000;">　高校野球の地方予選が沖縄で始まっているが、この季節になると思い出すのが昭和50年（1975）の上尾高校の夏の大会の４強進出である。その時のエースの今太投手が昨年５月の朝日新聞で取材に応えているのを、先日、たまたま目にした。その年の上尾高校の甲子園での戦いは、すべて１点差の息詰まる熱戦ばかりだった。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">２回戦　５－４小倉南</span></p>
<p><span style="color: #000000;">３回戦　４－３土　佐</span></p>
<p><span style="color: #000000;">準々決勝５－４東海大相模</span></p>
<p><span style="color: #000000;">準決勝　５－６新居浜商</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　当時、僕は中学３年生。その頃の僕たちのイメージでは埼玉県は何をやってもダメな県で、劣等感の塊のような県民だったように思う。甲子園も山梨県と代表の座をかけて争い負けることが多く、本大会は他県の戦いを客観的な第三者として見ることの方が多かった。</span></p>
<div id="attachment_2951" style="width: 200px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/06/db511d1ba90df466e94c49e0ce16eeb5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-2951" class="wp-image-2951" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/06/db511d1ba90df466e94c49e0ce16eeb5-300x300.jpg" alt="" width="190" height="190" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/06/db511d1ba90df466e94c49e0ce16eeb5-300x300.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/06/db511d1ba90df466e94c49e0ce16eeb5-150x150.jpg 150w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/06/db511d1ba90df466e94c49e0ce16eeb5-200x200.jpg 200w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/06/db511d1ba90df466e94c49e0ce16eeb5.jpg 751w" sizes="auto, (max-width: 190px) 100vw, 190px" /></a><p id="caption-attachment-2951" class="wp-caption-text">思い出の今太投手</p></div>
<p><span style="color: #000000;">　昭和50年、埼玉大会が独立して最初の大会で甲子園に出場したのが上尾高校。２回戦からの登場で小倉南に０－４で負けていた試合をひっくり返して勝つと、野球王国の１つだった</span><span style="color: #000000;">高知県の土佐高校を破り、さらに準々決勝では原辰徳擁する東海大相模に勝って準決勝に進出したのである。負けるのがデフォルトの埼玉代表があれよあれよと勝ち進んでベスト４。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　「埼玉の高校でも、こんなに勝てるんだ！」</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　当時の上尾高校はそんな思いを我々に伝えてくれた。</span><span style="color: #000000;">僕は小倉南の試合からテレビの前に釘付けで、土佐、東海大相模の試合はテレビの前で正座をして応援していた。当時のメンバーは今太に中村、塚原、岩崎…今でも名前が結構出てくる。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　準々決勝まで自宅のテレビで見て、東海大相模に勝った翌日</span><span style="color: #000000;">、愛知にある親戚の家に１人で旅行に行き織田信長関連の城巡りをした。出発の日、駅でスポニチを勝ったら上尾高校が１面。その時の見出し「逆転　金星　上尾マーチ」は今でも忘れられない。翌日、準決勝で新居浜商に負けて甲子園を去り、本当に悔しい思いをした。というか、今でも悔しい。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　あの時の上尾高校は多くの埼玉県民に夢と希望を与えた。大会終了後、中学の同級生がアサヒグラフの甲子園特集号を買ってきて、学校で見せてくれた。上尾ー東海大相模の試合は原辰徳の写真ばかりで、上尾高校の写真はほんのわずか。「負けた方ばかり扱うって、何なんだよ朝日新聞！」と、友人と文句を言ったものである。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　その時の今太さんが昨年５月に朝日新聞の記事に出ていた。人の良さそうなおじさんになっていた。笑顔でボールを持つ姿に（きっといい人生を送ってきたのだろうな）と感じさせられる。少年だった僕の心をアツくしてくれたヒーローが、今でも元気に取材に応えている姿はうれしいもの。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　実は僕の母校・熊谷高校は甲子園に３回出場し、昭和26年（1951）</span><span style="color: #000000;">に準優勝している。昭和57年（1982）には僕の担任をしてくださった石川孝雄先生が監督としてチームを率いて３度目の出場を果たし、大学生だった僕は甲子園に応援に駆けつけた。</span><span style="color: #000000;">当時の甲子園は僕にとって今とは比べものにならないほど、アツい戦いを繰り広げていたのである。そのような時代にあっても、僕が一番熱くなったのは昭和50年の上尾高校であるのは間違いない。「上尾高校」という名前を聞くだけで気分は中学生最後の夏休みに戻ってしまう。</span></p>
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