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	<title>大日本帝国 | 令和電子瓦版</title>
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		<title>「日本語上手は差別」在日＆中日新聞の主張</title>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 Aug 2021 13:45:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[政治]]></category>
		<category><![CDATA[差別]]></category>
		<category><![CDATA[大日本帝国]]></category>
		<category><![CDATA[在日コリアン]]></category>
		<category><![CDATA[中日新聞]]></category>
		<category><![CDATA[大野孝志]]></category>
		<category><![CDATA[多文化共生]]></category>
		<category><![CDATA[日韓併合]]></category>
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					<description><![CDATA[　在日コリアン四世が「日本語、上手ですね」と言われることは差別とするコラムが18日、中日新聞電子版に掲載された。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　在日コリアン四世が「日本語、上手ですね」と言われることは差別とするコラムが18日、中日新聞電子版の「目耳録」に掲載された。なぜ、差別になるのか理解に苦しむが、執筆した記者は理解を示している。これに賛同する読者がいるのか疑問に思う。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■何げない言葉が無意識に差別に</span></strong></span></p>
<div id="attachment_11643" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/08/sibuya.jpg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-11643" class="wp-image-11643" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/08/sibuya-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/08/sibuya-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/08/sibuya.jpg 709w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-11643" class="wp-caption-text">写真はイメージ</p></div>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　問題のコラムは18日16時に公開された「<a href="https://www.chunichi.co.jp/article/313424">＜目耳録＞無意識</a>」というコラムで、大野孝志記者の署名がある。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　内容を簡単に紹介しよう。広島県福山市の在日コリアン四世の尹李英愛（ユンリヨンエ）氏（37）は職場で「日本語、上手ですね」と言われる。上司からは外国人の名前だから、言う方には悪気はないと言われるという。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　仕事の関係で１日の半分は韓国語を話していることも影響しているのかもしれないと考える尹李さんだが、「アメリカで暮らす黒人に向かって、白人が『英語がうまいですね』と言うのと同じでは？」と疑問を感じ、「社員の二割が外国人で、民族差別はあり得ないと思っていた」とする。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　多くの同胞が差別や偏見を恐れて通名を使用する中、尹李氏は本名を使用する。今の若い日本人は近現代史を知らないから、在日の存在に気づかないのかもしれないと考えている。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうした尹李さんの話を聞き、大野記者は「何げない言葉が無意識に差別になり、言われた人の心をザラつかせる。」とまとめている。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■的外れなアフリカンアメリカンの例示</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　大野記者が一体、何が言いたいのか分かる人がどれだけいるだろうか。多くの人は外国人の名前で仕事をする人が自在に日本語を操る姿に驚き、「日本語、上手ですね」と言っているのであろう。それを考えて上司が悪気はないと説明しているのであろうし、おそらく「褒め言葉だよ」という趣旨の話をしているものと思われる。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　それだけの話。それがどうして「民族差別」とか「言われた人の心をザラつかせる」となるのか、読者も首を捻ってしまうのではないか。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　しかも、米国のアフリカンアメリカンに「英語が上手ですね」と言ったらどうなるかという例示も的外れ。米国にはアフリカンアメリカンは存在することを知らない米国人などいないであろうし、白人からすれば一目で民族的なルーツが異なることは理解できる上、彼らを外国人だと思っている米国人もほとんどいないと思われる（カナダ人や英国人と考えるかもしれないが、英語を話すことには変わりはない）。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　最近ではスペイン語しか話せない米国人も増えているとは聞くが、アフリカンアメリカンに「英語が上手ですね」と言う米国人がいたら、常識では考えられないほどの無知無学か、アフリカンアメリカンを米国人と認めたくない政治的な思惑を持ち、挑発目的で発言する場合のいずれかであろう。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　一方、アジア系、特に日本の近隣諸国の人々は見た目だけで日本人と見分けることが困難であり、その点でアフリカンアメリカンの場合と前提が異なる。そのような人々が、明らかに日本には従来存在しない外国人の名前を使用していれば（日本語ネイティブではない近隣諸国からやってきた外国人）と判断することに、一定の合理性が認められる。そうなると、外国人相手に「日本語、上手ですね」と褒め言葉を言って、円滑なコミュニケーションを取ろうとするのはごく平均的な日本人の手法である。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　上司が「悪気はない」と言っているのはそうした意味を含めているのは想像に難くない。言われた尹李さんも「私、生まれも育ちも日本だから」と笑って答えれば、お互いの距離も近くなるはず。それを「差別だ」と言い出して上司に解決を求めるような人間は国籍どうこうではなく、人間として付き合いたくないと思う人がほとんどだと思う。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　それをあたかも誉め言葉を言った人々を悪者にするかのように「何げない言葉が無意識に差別になり、言われた人の心をザラつかせる。」と締める大野記者の思考回路が理解できない。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■考えて主張するのは自由だが…</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　尹李氏が差別だと感じるのはなぜかよく分からないが、想像するに「特に若い人は近現代史を知らないから、在日の存在に気付かないのかも…」という部分にあるように思う。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　在日コリアンも三世、四世になれば、母国の言葉よりも日本語の方が使いやすくなっているのであろう。日本人と変わらないどころか、日本人以上に日本語を巧みに操る人もいると思う。在日コリアンは日本語がネイティブではない外国人とは異なり、日本語のネイティブである場合が多い。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そして、そのようになったのは、大日本帝国が日韓併合で朝鮮半島を事実上植民地化したことに遠因がある。それを知らずに在日という他の外国人と違う人々が存在することを知らないことは、私たちを軽んじていると言いたいのではないか。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そう考え、主張するのは自由であるが、この考えを突き詰めていけば、以下のようなことを主張しているように思える。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ーー日本人は日本語が巧みな在日コリアンという存在を生み出したことを反省しろ、日本語が巧みなのは、お前たちの先祖の間違った国策のせいで、私は被害者だ。ーー</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■多文化共生は片務的な努力ではいけない</span></strong></span></p>
<div id="attachment_10658" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/IMG_0226.jpg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-10658" class="wp-image-10658" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/IMG_0226-300x190.jpg" alt="" width="220" height="140" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/IMG_0226-300x190.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/IMG_0226-768x487.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/IMG_0226.jpg 850w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-10658" class="wp-caption-text">写真はイメージ</p></div>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　日本でも多文化共生の重要性が叫ばれている。この多文化共生は文化や民族、国籍の違いを理由に排除するのではなく、異なる文化を理解し、尊重し、認め合う姿勢が大事だと言われる。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　その意味では在日コリアンがなぜ、日本にいるのかという歴史を知ることは必要かもしれない。もっとも、歴史を知るなら片面的ではなく、さまざまな角度から見なければならない。例えば戦後、在日コリアンや韓国、北朝鮮が日本社会にどのように敵対し、日本社会に対して攻撃してきたかも知る必要がある。拉致問題は現在進行形のテロである。そもそも併合の歴史的評価はどうなのかも考えなくてはいけない。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　それら両方の側面から歴史を理解した上で、これからどのように共生していけるかを我々は考えていかなければならないし、それは在日コリアンの側も同様である。本件では言った方はそれらの難しい事情を超越して友好を図ろうとしているように思えるので、あえて学ぶ必要はないと思うが。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　日本における日本人と在日コリアンの共生は、日本人が在日コリアンに特権を与え、免責する片務的なものであっていいはずがない。在日コリアンも共生のための努力は必要である。歴史を学ぶべきと言うのであれば、在日コリアンも、これまで日本社会に対して負の影響を与えてきた数々の歴史を学ぶべき。まず、そこから始めないと真の共生などできるはずがない。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■中日新聞のステレオタイプの記事に辟易</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　日本人が好意を持って接しているのに「差別だ」と攻撃する姿勢が多文化共生に資する行為と思っていたら、大きな間違いである。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　大野記者は在日コリアンとの共生を望むのであれば、そうした側面から論じるべきであろう。いい加減、こうした「日本が悪い」「日本人を啓蒙する」といったステレオタイプの記事はやめたらどうかと思う。</span></p>
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		<title>天皇陛下の８・15靖国神社親拝を求めたい</title>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 14 Aug 2020 02:12:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[社会]]></category>
		<category><![CDATA[天皇陛下]]></category>
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					<description><![CDATA[　靖国神社には８月15日、多くの参拝者が訪れることであろう。個人的に天皇陛下の親拝を望んでいる。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　終戦の日から75年が経とうとしている。靖国神社は明日８月15日は多くの参拝者が訪れることであろう。首相の参拝は当然として、個人的に天皇陛下の親拝を望んでいる。理由は単純で「天皇陛下万歳」と言って亡くなった人のためである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■天皇陛下の親拝は1975年11月21日以来途絶え</span></strong></span></p>
<div id="attachment_7969" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/269d53fd64380ce2dbf2ee099ca198a7-1.jpg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-7969" class="wp-image-7969" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/269d53fd64380ce2dbf2ee099ca198a7-1-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/269d53fd64380ce2dbf2ee099ca198a7-1-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/269d53fd64380ce2dbf2ee099ca198a7-1-768x460.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/269d53fd64380ce2dbf2ee099ca198a7-1.jpg 850w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-7969" class="wp-caption-text">靖国神社内にある菊の御紋（撮影・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　昭和天皇は在位中、頻繁に靖国神社を親拝されていたが、1975年11月21日が最後となった。これは1978年10月17日の、いわゆる「A級裁判合祀」が影響していると考えるのが一般的であろうが、その前に1975年８月15日に三木武夫首相が「私人」として参拝したことが影響したのかもしれない。そのあたりはまさに昭和天皇の「おこころ」の部分であって、われわれには分からない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　靖国神社が「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社」（<a href="https://www.yasukuni.or.jp">同神社HP</a>から）であることを考えると、A級戦犯合祀はその本来の趣旨と合っているのかという素朴な疑問がないわけではない。彼らは戦地で散ったわけではなく、事後の東京裁判で死刑とされたから、通常の戦死者とは意味合いは異なるように思える。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ただ、東京裁判の裁判としての正統性は大いに疑問。よく言われるように「平和に対する罪」は事後法による裁きであり許されるものではない。「実質的適否の問題は別として、形式的には確かに事後法による処罰であって、罪刑法定主義に反するという非難があてはまる余地がある。」（現代国際法 栗林忠男 慶應義塾大学出版会 p428）と考えるのが一般的であろう。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　結局、東京裁判は司法の名を借りて政治目的を達成するための手段だったことは否めず、それであれば東京裁判での刑死者は「戦死者」に準ずるという考え方もできないわけではない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■東京裁判の問題点 罪刑法定主義に違反</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 12pt;"><span style="color: #000000;">　死刑を執行された７人のうち、広田弘毅元首相を除く６人は軍人である。その６人は戦争で負けた場合、相手に殺されるか、自害するか、覚悟はできていたと思う。それがいいというわけではない。</span><span style="color: #000000;">それが近代の戦争における日本の軍人の考え方であったと思うし、また、戦争とはそういうものである。</span></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そのため、米軍が敵将としての東條英機元首相らを殺害することは「戦争に負けるとは、そういうことだ」と思うし、軍人である元首相も、ある種、納得であろう。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　しかし、裁判で罪人として刑死させられるというのであれば、話は別。裁判というからには法を厳格に適用すべきで、罪刑法定主義に反する判決で人命が奪われることなど許されない。東京裁判の最大の問題はそこにあると思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■敗戦の責任と戦地で散った人への気持ちは別</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　結果として陸軍の暴走が大日本帝国を破滅に追いやり、多くの人々を落命させ、戦後、苦渋を舐めさせたのであるから、戦争指導者の日本国民に対する責任は重い。当サイトで石井孝明氏は「<em>多分私は神になっても靖国神社で、高級軍人、また後から祭られた東条英機元首相などの戦争指導者に対して、その無能に怒って、殴って歩くだろう。</em>」と書いた（参照：<a href="https://reiwa-kawaraban.com/politics/20200812/">「靖国」賛美への違和感-失敗を肯定するのか</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　その意見を個人的に解釈すると、要は「無謀な負ける戦争をして、国民を苦しめやがって」ということであろうし、その思いは僕も同じである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　もっとも日本国民に対する敗戦の責任と、戦地で散った人々への慰霊の気持ちは別のものであり、そこは石井孝明氏も「<em>戦没者の哀悼と、敗戦の苦しみを乗り越えた75年前の日本の先人たちに心から感謝を示したい。</em>」（同）と書いており、その点も思いは同じである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■今上陛下による親拝を</span></strong></span></p>
<div id="attachment_7920" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/yasukuni.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-7920" class="wp-image-7920" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/yasukuni-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/yasukuni-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/yasukuni-1024x614.jpg 1024w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/yasukuni-768x461.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/08/yasukuni.jpg 1134w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-7920" class="wp-caption-text">靖国神社（８月12日、撮影・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　天皇陛下の親拝を求める理由は極めて素朴。「天皇陛下万歳」「靖国で会おう」と言って散った若者たちがいたのだから、天皇陛下には靖国神社を親拝していただき慰霊をしていただきたい。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　その一点に尽きる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　信じる人のために散った命に、信じられた人が慰霊をしてほしいという単純な思いである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　昭和の天皇陛下は戦争時に在位していたため、戦争に対し思われる部分があったのかもしれない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　しかし、今上陛下は戦後のお生まれである。最後の親拝から45年、そろそろ、靖国神社に出向かれてもいいのではないかと思う。</span></p>
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