<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>松田聖子 | 令和電子瓦版</title>
	<atom:link href="https://reiwa-kawaraban.com/tag/%e6%9d%be%e7%94%b0%e8%81%96%e5%ad%90/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://reiwa-kawaraban.com</link>
	<description>政治、社会、運動、芸能など、様々なジャンルのニュース＆オピニオンサイトです</description>
	<lastBuildDate>Wed, 14 Jan 2026 04:04:31 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.8.6</generator>

<image>
	<url>https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2020/04/icon.jpg</url>
	<title>松田聖子 | 令和電子瓦版</title>
	<link>https://reiwa-kawaraban.com</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>久米宏さん元日に死去 テレビ報道を変えた81歳</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20260114/</link>
					<comments>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20260114/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 14 Jan 2026 04:04:31 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[NEWS23]]></category>
		<category><![CDATA[松田聖子]]></category>
		<category><![CDATA[久米宏]]></category>
		<category><![CDATA[ニュースステーション]]></category>
		<category><![CDATA[ザ・ベストテン]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://reiwa-kawaraban.com/?p=20643</guid>

					<description><![CDATA[　フリーアナウンサーの久米宏さんが2026年の元日に亡くなっていたことがわかった。81歳だった。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　フリーアナウンサーの久米宏さんが2026年の元日に亡くなっていたことがわかった。81歳だった。軽妙な喋りで人気を集め、報道番組をショーアップするなど特筆すべき実績を残した。一方で、リベラルな政治思想が前面に押し出されることもあり、反発を受けることもあった。良くも悪くも話題になることが多かったが、昭和から平成を代表する放送人の１人であったことは間違いない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />テレビ報道のあり方に大きな影響</span></strong></span></p>
<div id="attachment_20644" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/95ec9bdc8535d117b9fb66a8d95d66ed.jpeg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20644" class="wp-image-20644" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/95ec9bdc8535d117b9fb66a8d95d66ed-300x192.jpeg" alt="" width="220" height="141" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/95ec9bdc8535d117b9fb66a8d95d66ed-300x192.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/95ec9bdc8535d117b9fb66a8d95d66ed.jpeg 680w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20644" class="wp-caption-text">画像はイメージ（AIで生成）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　久米さんは肺がんのため、元日に死去、告別式は近親者だけで済ませたという（讀賣新聞オンライン・<a href="https://www.yomiuri.co.jp/national/20260113-GYT1T00155/">久米宏さん肺がんで死去、８１歳…「ニュースステーション」「ザ・ベストテン」</a>）。1967年（昭和42）にＴＢＳに入社し、ラジオ番組などに出演。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　78年（昭和53）開始の歌謡番組「ザ・ベストテン」で黒柳徹子さんと司会を務め、その軽妙な掛け合いで人気を博した。79年（昭和54）に退社してフリーになり、85年（昭和60）からは「ニュースステーション」（テレビ朝日系）のメインキャスターを務めた。「物言う」キャスターの先駆けとなり、お堅いイメージのニュース番組をショー的な手法で親しみやすい内容にするという革新的な手法で日本のテレビ報道のあり方に大きな影響を与えた。このことは、前例にとらわれず、タブーに挑み続ける久米さんでなければできなかったであろうと思われる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　89年（平成１）にはＴＢＳが「筑紫哲也 NEWS23」を開始。政治的には久米さん以上に過激と言っていい筑紫哲也さん（2008年没）がメインとなった。新聞記者出身の筑紫さんは自由な喋りではテレビ出身の久米さんにはかなわないが、より政治的スタンスをリベラル（ラジカルと言い得るレベル）に傾けることで一定の支持を集めた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうして平日午後10時からは久米さん、同11時からは筑紫さんと、反権力・反自民の報道番組が高視聴率をマークする構造となり、日本の政治の行方に一定の影響を与えた。93年（平成５）にはいわゆる<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/椿事件">椿事件</a>（テレビ朝日の取締役であった椿貞良氏による偏向報道が疑われた事件）が発生し、久米さんの報道姿勢にも疑問を感じる声が大きくなってきた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　現在の報道ステーション、news23はそうした流れを受けている印象が強い。YouTubeなどＳＮＳではその報道姿勢に疑問を投げかける投稿が多くなされ、久米さん・筑紫さんの時代から続く手法が21世紀の現代では通用しないことが明らかになっていると言っていい。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />久米さん これぞプロの仕事</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　筆者が久米さんを最初に意識したのは73年（昭和48）、媒体はＴＢＳラジオである。当時、筆者は中学１年であったが、この頃は朝食はテレビをつけずにラジオをかけて聞いていた。「歌のない歌謡曲」（6:45-7:00）の終盤に登校のために家を出るという生活であったように記憶しているが、その頃、久米さんは「久米宏の朝ですよ～!」という番組を担当していて、当時の記録を見ると午前５時30分から放送していたようである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　筆者にすれば登校前、朝食をとりながらのリスナーのため、ほとんど聞き流している状況であったが、そのうち、久米さんの話が面白く感じられ、熱心に聴くようになった。何が面白いと感じたのかはもはや記憶にないが、アナウンサーという中立的な立ち位置が求められながら、自分の考えを語り、シャレやジョークを交えて話す部分に魅せられたということであったように思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　78年に「ザ・ベストテン」が始まり、司会が久米さんと知った時に、既に高校生になっていた筆者は（子供の頃聴いていた、ラジオの面白いアナウンサーが担当するんだ）と思ったのをよく覚えている。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「ザ・ベストテン」は久米さんの真骨頂であったように思う。生放送で次々に起きるハプニングに的確に対応し、それを逆に視聴者へのアピールへと変えてしまう手腕。久米さんでなければ番組が成立しなかったのではないかと思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　特に印象に残るのが、松田聖子さんが出演した80年（昭和55）11月20日の放送回。この時、松田聖子さんが山本寛斎氏デザインの服装で歌うという企画で、番組内で服を選び、着替えを済ませてから歌うというもの。生放送、しかも最後の１曲でこの企画はとても今の時代ではできないものであった。案の定、松田聖子さんの着替えに時間がかかり、１秒でも早く歌わせたい場面であるが、久米さんが即席のドレッシングルームの前で「早くして」「もう、時間がない」ではなく、「できました？　ごめんなさい、焦らせているわけではないんですよ。…ゆっくりやっていいんですよ、ゆっくりね」と声をかけたのである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　当然、松田聖子さんも時間が押していることはわかっている。その場で司会が「早く！」と声をかけることなど意味はなく、逆の意味の言葉で場をもたせたのである。後日、そのシーンを見て（久米さんはプロ中のプロ）と思ったものである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ザ・ベストテンと同時期に「土曜ワイドラジオTOKYO」のキャスターも務めていた。実は筆者は大学生の頃、こちらも聴いていた。土曜日は自動車で登校する機会が多く、車中で久米さんの話を聴いていた。その時代にあっても軽妙なトークは聴取者を楽しませるには十分で、自宅から大学までの１時間以上、番組を聴いていたものである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />徐々に覚えた違和感</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうした反射神経のよさ、頭の回転の速さなどが報道番組でも活用され、ニュースステーションは革命的なものとなった。そして、人気のある局アナはフリーに転身した方がさまざまな面で恵まれるということを示したのも、久米さんの功績であったように思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　もっとも、フリー転身後は、その政治的な信条が表に出過ぎた印象で、特に自民党政権に対する批判が強く、特定の政治団体の影響を受けているのではないかと疑わせるほどの姿勢と感じられた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　1980年代でいえば、保守派の大御所である中曽根首相への攻撃は度を越しているように感じられた。中曽根氏の後援会がニュースステーションの報道は偏向しているといった理由で一切取材を受け付けず、中継先のカメラが事務所を映し出すと、そのアングルから映せないように大型のバスをカメラの前に移動させるというシーンが流れたのは視る者に強い印象を与えた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　また、前述の椿事件の際には国会議員の中からは椿氏だけではなく、久米さんも証人喚問に呼ぶべきであるという声が出た。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　筆者自身、メディアの人間となり、報道のあり方を考えさせられることが多くなると、久米さんの報じ方に（これでいいのだろうか）という疑問を覚えるようになった。上記の椿事件で果たした役割はわからないが、自分の中で（そのやり方は間違っている）という思いが支配的になっていったのは事実である。中立・公正・公平というメディアが求められる極めて重要な姿勢が、久米さんにおいては守られていないという思いである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />久米宏さん 安らかに</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　筆者と久米さんの考え方に大きな隔たりがあることは疑いない。しかし、そのことで筆者の久米さんに対する評価が一転ネガティブなものになるわけではない。</span></p>
<div id="attachment_20645" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/112dc835f468ac9f10df28c988fb1554.jpeg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20645" class="wp-image-20645" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/112dc835f468ac9f10df28c988fb1554-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/112dc835f468ac9f10df28c988fb1554-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/112dc835f468ac9f10df28c988fb1554.jpeg 709w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20645" class="wp-caption-text">画像はイメージ（AIで生成）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　筆者が中学生の頃から（アナウンサーって、ここまで聴取者、視聴者を楽しませることができるんだ）と感動させてくれたのは間違いなく久米さんであったし、自らの青春時代を通じて、その声や姿がＢＧＭのように流れていたことは事実である。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　81歳、早すぎる死は残念というしかない。最後は好きなサイダーを一気に飲み干して旅立ったそうである。それはニュースステーションの自身の最終回でビールを飲み干した時のようであったと伝えられている（ＦＮＮプライムオンライン・<a href="https://www.fnn.jp/articles/-/986561">「大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました」久米宏さん死去で妻・麗子さんがコメント「まるでニュースステーションの最終回」</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　粋な久米さんらしい最期だったように思う。政治的信条は異なっても、筆者の青春時代を楽しいものにしてくれた感謝の思いは変わらない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ありがとう、そして、さようなら。久米宏さん、どうか安らかに。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">合掌</span></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20260114/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>埼玉・川口駅停車に潜む&#8221;県北の愛憎&#8221;</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/society/20250427/</link>
					<comments>https://reiwa-kawaraban.com/society/20250427/#comments</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 27 Apr 2025 05:15:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[社会]]></category>
		<category><![CDATA[松田聖子]]></category>
		<category><![CDATA[熊谷市]]></category>
		<category><![CDATA[熊谷]]></category>
		<category><![CDATA[上尾高校]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://reiwa-kawaraban.com/?p=19954</guid>

					<description><![CDATA[　上野東京ラインの川口駅停車に関する基本協定が24日、川口市とＪＲ東日本の間で締結された。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　上野東京ラインの川口駅停車に関する基本協定が24日、川口市とＪＲ東日本の間で締結された。停車が始まるのは2037年度以降になるが、これにより京浜東北線を利用しての川口ー東京間より、約10分短縮となるという。川口駅利用者の利便性が高まるのはいいことだが、このニュースの裏には、沿線に住む県民でなければ分からない複雑な思いがあるように感じられる。埼玉県北部で生まれ育った筆者がその事情を分析・推理する。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />県北在住者には負の効果大</span></strong></span></p>
<div id="attachment_19956" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/top.jpeg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19956" class="wp-image-19956" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/top-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/top-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/top.jpeg 680w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-19956" class="wp-caption-text">写真はイメージ</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　川口駅は京浜東北線だけが停車しているが、長年、上野東京ラインの停車をＪＲ東日本に働きかけていた。今回の基本協定締結で、約431億円をかけて新たに停車ホームや駅舎などを整備する。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　同駅の１日あたりの乗客数（2023年度）は約７万4000人で、それら全てが京浜東北線に集中するため、混雑の要因になっていた。それが上野東京ラインの停車で多少なりとも解消が期待できる上、東京駅までの所要時間が現在の約40分から約30分に、10分程度短縮が見込まれる（以上、讀賣新聞オンライン・<a href="https://www.yomiuri.co.jp/national/20250425-OYT1T50050/">川口駅に「悲願」の上野東京ライン停車へ、市とＪＲが協定…東京や品川まで10分短縮</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　さらに、「JR東日本が2031年度を目標に整備を進める羽田空港アクセス線（仮称）東山手ルートを通じて羽田空港に乗り換えなしで結ばれることが期待されます。」（日テレNEWS・<a href="https://news.ntv.co.jp/category/society/37755a9bb8e04ac5ab01787df3f2e1d3">JR川口駅に「上野東京ライン」停車決定　ホーム新設などJR東と川口市が合意</a>）と、川口駅を利用する人々にとっては利便性の上では非常に大きな協定締結と言える。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　多くのメディアで報じられたこのニュースではあるが、上野東京ラインの川口以北、特に大宮より北に住む人々の反応は伝えられていない。筆者はその大宮より北の熊谷市で生まれ育ったが（参照・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/others/20230411/">昭和深イイ話 背筋伸ばした駄菓子屋のジイさん</a>、<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20250325/">相島一之さんを応援する理由『べらぼう』出演中</a>）、その経験からして、県北部に住む人々はこのニュースに対し、「川口に停まる必要なんてない」という思いを抱く人が多いのではないか。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　現在、熊谷ー東京間は在来線で75分かかる。これに川口駅が停車するようになると２、３分のロスが見込まれ78分程度になる。川口駅から大量に乗客が乗り込んでくれば、混雑がさらに激しくなり、通勤・通学の負担が増加すると予想される。一方で、職場や学校は都内の人が多く、川口駅で降りる通勤・通学客はそれほどいないと思われる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　大宮より北の通勤・通学客にすれば、川口駅停車は東京まで時間がかかるようになり、しかも混雑が増すという負の効果しか生み出さない。口には出さないまでも（上野東京ラインを使いたければ、京浜東北線で赤羽まで出ろよ。１駅３分だろうが！）と思っている人は少なくないのではないか。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　一方、川口駅利用者が上野東京ラインに乗る時には（田舎の方から来る電車に乗るのはカッコ悪いけど、便利になるから急ぐ時は乗っていくか）程度に思うかもしれない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />埼玉県の”南北問題”</span></strong></span></p>
<div id="attachment_19960" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19960" class="wp-image-19960" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61-1024x614.jpeg 1024w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61-768x461.jpeg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61.jpeg 1134w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-19960" class="wp-caption-text">筆者が感じた1980年代の埼玉を含むヒエラルキー（作成・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　上記の埼玉県民の思いは筆者の想像に過ぎないが、そういった発想が浮かぶのは県北と県南の人々の意識の乖離に原因が求められるように思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　高崎線沿線の大宮より北と大宮以南の人々は基本的に仲が良くないように思う。両者の意識の構図は、理解を助けるために極端な表現をすると、大宮以南の人々が北部の人間を（東京から離れた文化的に低い地域の人々）と見下し、北部の人間は（県南も同じ埼玉だろ）というもの。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　今はどうか分からないが、筆者が東京の大学に通っていた1980年代、松田聖子さんがアイドルとして活躍していた時期（参照・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20210506/">気がつけば松田聖子がそこにいた</a>）</span><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">、埼玉県民は都内や横浜在住の学生から「ダさいたま」のように”イジられる”ことが少なくなかった。筆者は笑って受け流していたが、中には我慢できない人もいる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　大宮・浦和近辺から通う学生の中から「埼玉でも熊谷あたりになると、もう地の果て。俺たち、東京に近いから埼玉都民」といった感じで埼玉県民同士の内ゲバのようなものを仕掛けてくる者が出てくる。これに群馬県高崎市あたりの出身者が都内に住んで通学していることを背景に都民と同じ位置に立って「ダさいたま」とマウントを取ってくることもあった。そのあたりの構図は<a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/f4e0cc019d1e6d50f1eebc4289222f61.jpeg">イラスト</a>で示したので参考にしていただきたい。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　この辺りの都民を頂点とするヒエラルキーのようなものが、1980年代には形成されていたのを肌で感じていた。ピラミッドの頂点に立つ都民は埼玉も群馬も「東京以外の田舎」とひとまとめで見下し、「横浜には一目置く」という意識。もっとも都民でも23区と多摩地区では上下関係が存在し、23区内でも港・千代田・世田谷・新宿などと、北部や下町の方では明確な差異が存在した。そうした事情は概ね、現在の地価に反映されているように思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />歴史的な南北対立の構図</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうした埼玉県内の県南と県北の意識の差は、歴史的に存在した。そもそも埼玉県が誕生した1871年（明治４）には埼玉県庁を浦和（現さいたま市）に置くか、熊谷に置くかで争いがあり、最終的に浦和に落ち着いた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　さらに鉄道でも東北線と高崎線の分岐を大宮駅にするか、熊谷駅にするかで議論があったが、現在の大宮駅で落ち着いたという経緯がある。明治の頃から、政治的、経済的にも県南部と北部で対立していたのは間違いない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　その後、浦和・大宮の県南部は東京に近いという点もあって発展を続け、熊谷の現在を見ると、その発展から完全に取り残されている。筆者は月に１度は熊谷に帰るが、街全体は1980年代とほとんど変わっていない。それどころか、かつては賑やかだった鎌倉町商店街などは令和の今はほぼシャッター街になっており、1980年代より寂れているのではないかと感じるほどである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　県南部に対する忸怩たる思いが、熊谷を中心とした県北部にはあるように思う。そうした中での川口駅停車決定であるから、大宮より北の沿線に住む人にとっては「余計な事しやがって」と感じる人が少なくないように、あくまでも筆者の勝手な想像にすぎないが、考えている。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />熊谷から新幹線通勤のススメ</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　東京に移り住んで40年の筆者にすれば、川口駅停車決定は他人事でしかない。とはいえ、生まれ育った埼玉県への思いは決して弱くないのも事実（参照・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/sports/20190823-02/">蘇る上尾高校４強の感激、昭和50年夏の甲子園 今太vs原辰徳</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　上野東京ラインが川口駅停車で時間がかかるようになるのは軽い話ではないが、川口駅利用者のことを思えば仕方のないことではある。それによって負担が増える分、熊谷から都内に通うために新幹線通勤・通学を促進すればいいのではないか。新幹線であれば熊谷ー東京間は38分。６年前のデータであるが、新幹線通勤をしている者は約2000人いるという（テレ東プラス・<a href="https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2019/019612.html">ナゼ？ 埼玉県・熊谷人がこぞって新幹線通勤を選ぶ理由</a>）。</span></p>
<div id="attachment_19958" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/dcb75c7dbfb18498316d8c7f6aaacd92.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19958" class="wp-image-19958" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/dcb75c7dbfb18498316d8c7f6aaacd92-300x200.jpeg" alt="" width="220" height="147" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/dcb75c7dbfb18498316d8c7f6aaacd92-300x200.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/04/dcb75c7dbfb18498316d8c7f6aaacd92.jpeg 709w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-19958" class="wp-caption-text">熊谷市役所（撮影・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　熊谷ー東京間の通勤定期は１か月で３万1180円、新幹線通勤定期（FREX・自由席）では７万1260円。これに対して熊谷市では30歳までの新幹線通勤定期利用者に対し、月額で約１万9000円（見込み）を補助している（熊谷市・<a href="https://www.city.kumagaya.lg.jp/about/soshiki/sogo/kikaku/oshirase/daisuki_sinkansen.html">大好き熊谷！新幹線らく賃通勤補助金（令和7年度）</a>）。こうした制度を利用し、さらに行政が新幹線の停車本数を増やすよう、ＪＲに働きかけをすべき。県北部も住みやすく通勤しやすい環境を整えるように官民挙げて環境作りをすべきと思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　少子高齢化が進む一方で、東京一極集中化も進む社会で、この先、埼玉県の立ち位置がどのようになるかを想像するのは簡単ではない。ただ、リモートワークの発展、一般化などで県北部が住む場所として見直される時代が来るかもしれない。川口駅に停まる、停まらないを論ずるより、さらに高いレベルの議論、住みやすさ・暮らしやすさを追求していくことが重要なのかもしれない。</span></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://reiwa-kawaraban.com/society/20250427/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>2</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>”恋バナ”をアツく語った森永卓郎氏 安らかに</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20250203/</link>
					<comments>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20250203/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 03 Feb 2025 11:35:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[松田聖子]]></category>
		<category><![CDATA[森永卓郎]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://reiwa-kawaraban.com/?p=19324</guid>

					<description><![CDATA[　経済アナリストで１月28日に他界した森永卓郎氏は、生前、筆者（松田隆）に”恋バナ”を語っていた。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　経済アナリストで１月28日に他界した森永卓郎氏は、生前、筆者（松田隆）に”恋バナ”を語っていた。2020年に著書の編集協力をした際に語ったものであるが、結局、日の目を見ることはなかった。森永氏の愛すべき一面を示す意味で、紹介する。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />歌手・森永卓郎にも意欲</span></strong></span></p>
<div id="attachment_19325" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/02/69361857a519695ffb008b9a97f75f68.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19325" class="wp-image-19325" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/02/69361857a519695ffb008b9a97f75f68-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/02/69361857a519695ffb008b9a97f75f68-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/02/69361857a519695ffb008b9a97f75f68.jpeg 709w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-19325" class="wp-caption-text">３日付け産経新聞紙面</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　森永氏は１月末に旅立たれたが、現在、産経新聞紙上では2024年末に取材した内容で「話の肖像画」という１か月続く自らの人生を振り返る連載が掲載されている。筆者は2020年に「<a href="https://www.amazon.co.jp/年収200万円でもたのしく暮らせます-コロナ恐慌を生き抜く経済学-PHPビジネス新書-森永-卓郎/dp/4569847269/ref=sr_1_1?crid=RBX2TBHOZAAB&amp;dib=eyJ2IjoiMSJ9.-kl8G3I-u3GiSvdg6dBwMeQmEEtmCkghuw_U9LnPR_35MRSfgHxGpbF1RAtOkFzlScsXLZNyjGci2Q-g98BIppqJTVRvloOkuwi5ssPWuCqpZxJ2OOUW14f574BHlmy2ssPw9fMF1mSS73c5IU_B6WUxVWnn2yJ0ckT_E3fsEu5OIAn3eO7Gi7Gy4Kz29SxLS4t1pTpCrr5dVpyCT1rNwlz0sNgeQEiKHIxNrSeEk6ngE43YfDndDFxsIumclSUBJ4Q04iR-oU5wLezd6THXMMaMePTvVA3bQu5wYEkgSmw.Rb9D_6GQJ9jjvd_4LhlDVinOKwj5Mnu5RiJUgTkRkic&amp;dib_tag=se&amp;keywords=年収200万円でもたのしく暮らせます&amp;qid=1736034241&amp;sprefix=年収２００%2Caps%2C157&amp;sr=8-1">年収200万円でもたのしく暮らせます コロナ恐慌を生き抜く経済学</a>」（PHP研究所）という書籍の編集協力を行い、そこで４時間以上、話をうかがった（参照・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/economy/20250106/">森永卓郎さん頑張れ かつての編集協力者エール</a><a href="https://reiwa-kawaraban.com/economy/20250106/">）。</a></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　４時間も話していると本職の経済だけではなく、こちらが聞かなくても、趣味やプライベートに関しても言及してくる。当時は筆者も音声を録音しており、それを聴くと元気な頃の森永氏の興に乗ってあれこれ話す様子が伝わってくる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　同氏は歌手としての活動も行なっていたそうで、以前、ニッポン放送のイベントで日比谷公園で500人か600人程度の聴衆を前に歌声を披露したという。他にも中野サンプラザ大ホール、増上寺のイベントでも歌ったことを明らかにした。ムード歌謡が得意らしく、デモテープをつくってレコード会社の担当者に送ったが、軒並み断られたと、笑顔で語っていた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ＮＨＫに出演するたびにディレクターに「大晦日は（スケジュール）空けています」と言っていたが、当然のように「（紅白の）審査員したいのですか？」という答えしか返ってこない。そこで「いえ、歌手（として）です」と言うとディレクターは黙り込んでしまうとか。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　この辺りの話を聞いている時は（どこまで本気なのだろう）と思っていたが、おそらく本人は大真面目で考えていたと思われる。勝手な想像であるが、多芸多才で自らが有する様々な可能性をすべて活用したいという考えであったように思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />１日のロケで”恋に落ちて”</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そんな森永氏は、共演する女性との距離を近付けようとすることが多かったらしく、以前からファンだった松田聖子さんとラジオで共演した際に「好きです」と告白し、その後、共演ＮＧにされたという（ウィキペディア・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/森永卓郎">森永卓郎</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　どこまで本当のことかわからないが、筆者が話を聞いた時には年齢を重ねても純粋な気持ちを持ち続ける森永氏の側面が垣間見える話をしてくれた。</span></p>
<div id="attachment_19326" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/02/3e82518db10b0b7ec0b3d02389c5d736.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19326" class="wp-image-19326" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/02/3e82518db10b0b7ec0b3d02389c5d736-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/02/3e82518db10b0b7ec0b3d02389c5d736-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/02/3e82518db10b0b7ec0b3d02389c5d736-768x461.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/02/3e82518db10b0b7ec0b3d02389c5d736.jpg 850w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-19326" class="wp-caption-text">写真はイメージ</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　以前にＮＨＫ Ｅテレの番組で歌人と１日、神戸を旅する番組に出演した。朝から晩まで一緒にロケをするうちに、淡い恋心が芽生えたという。「私はゼニカネの汚い世界で生きているけど、彼女は歌（短歌）の世界の中で生きている。だから宇宙人のようなんですよ。すごく心がきれいで世俗から離れた存在で何てすてきな生き方だ」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　朝からロケを開始して、昼ごはんを食べるあたりで「私はその女流歌人に恋をしてしまったんですね。もう大好きになっちゃったんですよ」と笑う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　この時、森永氏は62歳、少年時代</span><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">の気持ちそのままではないか。妻子があるのに、これはどうなのかということは、この際、措くことにする。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そこで森永氏は台本にはないことを考えつく。歌人に恋の歌を贈るという大胆なプラン。エンディングの撮影を行った夕闇迫る芦屋川の河原で恋の歌を短冊にしたため、手渡した。その歌人は、森永氏の渾身の恋の歌を目で追った後、こう語った。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「<strong>この歌は芦屋川に流しましょうね</strong>」</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ーー撃沈。森永氏は「私の恋は芦屋川に沈んでしまった」と苦笑した。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　この話を聞いた時に、テレビで見せる森永氏のどこかユーモラスな面は素顔なのであろうと感じられた。好きになった理由が、その女性の内面の美しさに惹かれたというのが同氏らしい。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　年齢を重ねても、相手を半日で好きになれるというパワーを持ち続けられる男性であることがメディアから重宝される理由の１つなのかもしれない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />最期の演技は夫人に見破られ…</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　冒頭で示した３日付けの産経新聞の「話の肖像」には、森永氏が女性について語るシーンがあった。「私は昔から全然モテない。女性からはいつも『キモい』と言われてきた。でも、妻だけは言わなかったんです。…」</span></p>
<div id="attachment_19107" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/top.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19107" class="wp-image-19107" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/top-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/top-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/top-1024x614.jpeg 1024w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/top-768x461.jpeg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/01/top.jpeg 1204w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-19107" class="wp-caption-text">森永氏公式サイトから</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ガンになった後は、夫人に対して嫌われるように行動したという。「実は病気になって、一生懸命彼女に嫌われようとしたんです。嫌いになれば、私がいなくなっても彼女は悲しまずに『せいせいした』と思ってくれるでしょう？」</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ところが、死の間際の演技は、夫人には通用しなかった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「でも、私の演技力ではだめでした。彼女だけはだませない。本当に特別な人。余人をもって替え難い存在ですね。」</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　夫人からは離婚を切り出されたこともあるというが、最期は感謝の気持ちをもって別れを告げることができたものと思われる。ある種、羨ましさを感じさせる、森永氏らしい別れなのかもしれない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ご冥福をお祈りします。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">合掌</span></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20250203/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>上田知華さんが亡くなっていたとは…</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20240108/</link>
					<comments>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20240108/#comments</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 07 Jan 2024 18:12:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[中森明菜]]></category>
		<category><![CDATA[南野陽子]]></category>
		<category><![CDATA[今井美樹]]></category>
		<category><![CDATA[上田知華]]></category>
		<category><![CDATA[上田知華＋KARYOBIN]]></category>
		<category><![CDATA[松田聖子]]></category>
		<category><![CDATA[坂本龍一]]></category>
		<category><![CDATA[ＹＭＯ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://reiwa-kawaraban.com/?p=16946</guid>

					<description><![CDATA[　1970年代後期から21世紀にかけて息の長い活躍をした歌手の上田知華さんが、2021年に64歳で亡くなっていたことを知った。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　1970年代後期から21世紀にかけて息の長い活躍をした歌手の上田知華さんが、2021年に64歳で亡くなっていたことを知った。今井美樹さんの「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=PRka5vlESV0">PIECE OF MY WISH</a>」（1991年）を作曲するなど、豊かな才能を持つアーティストだった。個人的に学生時代に上田さんの曲を聴き、好感を持っていただけにショックである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />上田知華＋KARYOBINでデビュー</span></strong></span></p>
<div id="attachment_16947" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2024/01/456b332ce16aac56944c8b78263eae4c.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16947" class="wp-image-16947" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2024/01/456b332ce16aac56944c8b78263eae4c-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2024/01/456b332ce16aac56944c8b78263eae4c-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2024/01/456b332ce16aac56944c8b78263eae4c-1024x614.jpeg 1024w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2024/01/456b332ce16aac56944c8b78263eae4c-768x461.jpeg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2024/01/456b332ce16aac56944c8b78263eae4c.jpeg 1134w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-16947" class="wp-caption-text">上田知華さんのCDジャケット</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　上田さんは本名・植田知華子、自身は爆発的なヒット曲を飛ばしたというわけではないので、世間の認知度はそれほどではないのかもしれない。実際、2021年９月17日に膵臓がんで亡くなってもすぐに報じられることはなく、朝日新聞が記事にしたのは2022年４月と半年以上も後になってからであった（朝日新聞DIGITAL・<a href="https://digital.asahi.com/articles/ASQ4V6WW5Q4VUCVL02L.html">「PIECE　OF　MY　WISH」作曲　上田知華さん死去</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　東京音大を中退して音楽活動を始めた上田さんは、「上田知華＋KARYOBIN」というユニットでデビュー。「『KARYOBIN』とはインドに住む空想上の鳥（顔が人間の形をしている）で、『迦陵頻』と書くそうだ」（naokichiオムニバス・<a href="https://naokichivla.hatenablog.com/entry/55960448">知られざる？　ピアノ五重奏ユニット｢上田知華＋ＫＡＲＹＯＢＩＮ｣のこと</a>）ということらしい。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　このグループは上田さんがピアノとボーカルで、残る４人で弦楽四重奏という構成。ボーカルが音大出身者らしいクラシカルで上品な音が特徴だった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　筆者がその存在を知ったのは1980年夏過ぎのこと。当時、予備校に通っていたが、同じく予備校生で、高校の同級生だったホンダ君の家に遊びに行き、「この曲いいよ」と紹介してもらったのが５枚目のシングルの「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=RlQZr4Agexs">パープル・モンスーン</a>」だった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　この年、ＹＭＯ（イエロー・</span><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">マジック・オーケストラ、故・坂本龍一氏ら）の「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=Yxep-gS-Btg">RYDEEN</a>」が流行し、電子音がキュンキュン鳴るテクノポップと呼ばれる音楽が人気を博していたが、それと真逆のクラシカルな音が心地よかった。ホンダ君は「昔風だろ？」みたいなことを言ったのが今でも記憶に残っている。ちなみに彼は「上田知華とKARYOBIN」と言っていたので筆者もずっとそう思っていたが、正式には「上田知華プラスKARYOBIN」であることはだいぶ後になって知った。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />暗い時代に光「パープル・モンスーン」</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　パープル・モンスーンは三洋電機のＣＭソングとして採用されたが、当時、筆者はテレビのない下宿で暮らしていたため、そのＣＭを見た記憶がない。したがってパープル・モンスーンもホンダ君が聴かせてくれたのが最初だった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　今もそうだが、女性の恋心を綴る曲が好きで、パープル・モンスーンも「曇った心の窓をあけてごらん　昨日より素敵になれるわ」というフレーズが３回出てくる、シンプルな女性の恋愛ソングである。あれこれ難しいセリフを並べるより、ストレートに気持ちを表す歌詞の方が、特に何かとストレスが溜まる予備校生には心地が良かったのかもしれない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　当時、他によく聞いていたのは尾崎亜美さんのアルバム「LITTLE FANTASY」（1979年）に収録されていた「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=gRyWo95qxyc">For you</a>」。こちらは卒業間際の女子高生が同級生への秘めた思いを告白するという、青春ど真ん中のシチュエーションであった。「偶然を待ってるだけの臆病な恋を抜け出し」というフレーズに何とも言えない甘酸っぱさを感じたものである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そうした筆者の好みに合ったパープル・モンスーンと、上田知華＋KARYOBINという変わった名前がずっと頭に残り、パープル・モンスーンを聴くと大学入学前の１年を思い出す日々が続いた。おそらく筆者の人生で一番暗かったのは10代の終わりの年である、この1980年。そんな時代に心を和ませてくれた一曲がパープル・モンスーンであった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />昭和は遠く…</span></strong></span></p>
<div id="attachment_16949" style="width: 160px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2024/01/47ff3821faade548ae6f8f61002a7d28.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16949" class="wp-image-16949" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2024/01/47ff3821faade548ae6f8f61002a7d28-300x298.jpeg" alt="" width="150" height="149" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2024/01/47ff3821faade548ae6f8f61002a7d28-300x298.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2024/01/47ff3821faade548ae6f8f61002a7d28-150x150.jpeg 150w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2024/01/47ff3821faade548ae6f8f61002a7d28.jpeg 640w" sizes="auto, (max-width: 150px) 100vw, 150px" /></a><p id="caption-attachment-16949" class="wp-caption-text">上田知華＋KARYOBINのアルバムジャケット</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　上田さんはグループを解散させた後は主に女性アイドルに楽曲を提供する音楽家としての活躍も目立つようになり、代表作が冒頭で示した今井美樹さんの「PIECE OF MY WISH」であった。それ以外にも松田聖子さん、中森明菜さん、南野陽子さんらのトップアイドルに楽曲を提供している。80年代から90年代の芸能界を陰で支えた存在と言っていい。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　その上田さんの曲を久しぶりに聴いてみようと思ってネットで検索したところ、ウイキペディアに死亡年が書いてあったことから、既に亡くなられていたことを知った。一時はその音楽で心を癒してもらった人の死、それも亡くなってから２年半も経過していたことはショックであった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　年齢を重ねるにつれ、若い頃に活躍していた有名人が亡くなることが多くなってくる。１月７日にも、中村メイコさんが亡くなっていたというニュースが流れたばかり。「昭和は遠くになりにけり」を実感させられる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　遅くなりましたが、上田知華さんのご冥福をお祈りします。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">合掌</span></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20240108/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>4</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>昭和深イイ話 背筋伸ばした駄菓子屋のジイさん</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/others/20230411/</link>
					<comments>https://reiwa-kawaraban.com/others/20230411/#comments</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 11 Apr 2023 14:39:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[雑記]]></category>
		<category><![CDATA[熊谷女子高校]]></category>
		<category><![CDATA[松田聖子]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://reiwa-kawaraban.com/?p=16104</guid>

					<description><![CDATA[　昨今はコンプライアンスの重要性が強調され、法令遵守の精神はもちろん、社会規範そのものが昭和の時代とは比べ物にならないぐらい厳格になっている。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　昨今はコンプライアンスの重要性が強調され、法令遵守の精神はもちろん、社会規範そのものが昭和の時代とは比べ物にならないぐらい厳格になっている。とはいえ、昭和の時代に生きた我々も、幼い頃に学んだことが今に生きているという部分もある。今日は筆者が体験し、今に生きるエピソードを紹介しようと思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■女子高校の前の駄菓子屋</span></strong></span></p>
<div id="attachment_16105" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/seibo.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16105" class="wp-image-16105" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/seibo-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/seibo-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/seibo-768x461.jpeg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/seibo.jpeg 850w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-16105" class="wp-caption-text">旧聖母幼稚園（現在は教会）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　僕は埼玉県熊谷市で生まれ育った。聖母幼稚園、熊谷市立東小学校で学び、どちらも埼玉県立熊谷女子高校（熊女）のすぐ近くだった。そのせいで、遊び場はもっぱら熊女の近辺であった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　昭和40年代初頭、熊女の正門のすぐ横に駄菓子屋があり、確か「タケダ」とかいう名前の店だったと思う。そこが当時の行きつけの場所で、１日20円のお小遣いで、１回５円のクジを引くのが楽しみだった。１等はプラスチックの模型が多く、たとえば鎧兜だったり、あるいは戦艦だったり、幼い男の子が見て（いいなあ）と感じるものばかりで、毎日、クジを引いては一喜一憂していた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　70歳から80歳ぐらいの腰の曲がったヨボヨボのおじいさんが一人で店番をしており、いつもラジオで浪曲のようなよく分からない音楽を流しながら、机の上で作り物をしていた。今にも壊れそうな家屋、テレビもない、多分、お風呂もない、お世辞にも豊かには見えない暮らしをしているのは子供心に分かった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そのおじいさんは子供が好きだったようで、僕が毎日のようにクジを引いて、ハズレだと「残念だったね」と、消しゴムのような小さな景品をくれて、１等や２等が出ると「おお、すごいな」「よかったな」と声をかけてプラスチックの模型を大事そうに渡してくれた。昭和のおじいさんといえば明治生まれの気難しい人が多いという印象があるが、そのおじいさんは、とても優しかった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■１本100円の洗剤を買いに行くと…</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　小学校に入るか入らないかという頃の話。ある時、僕は母に頼まれて液体の洗剤を買いに行った。消費税もない当時、その洗剤は100円で売られており、僕はきっちり100円を渡されて、近くの商店で購入した。ところが、その日は安売りをしていたのか95円で、お釣りが５円入った。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　（これはラッキー）と子供心に思った僕は、洗剤を持ったまま「タケダ」に走って行った。こういう時は、お釣りを使っても（お使いのお駄賃に）という感じでいつもニッコリと笑ってくれる優しい母だった。５円あれば１回、くじが引ける。</span><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">そう思って僕はいつものようにおじいさんに５円を渡してクジを引いた。１等を期待したが、そうそううまくいくはずもなく、おじいさんから「残念だったなぁ」と言われ、消しゴムぐらいの大きさの、確か飛行機の形をしたゴムかプラスチックでできた模型とも呼べないような景品をもらった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そのまま帰宅して、母に買ってきた洗剤を渡し、その後にズボンのポケットから、飛行機の形をした模型を取り出した。すると、母がそれを見て、僕に聞いてきた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #ff0000;">母</span></strong>：お前、それどうしたの？</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #0000ff;">僕</span></strong>：クジ引いたけど、ハズれだったんだ。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #ff0000;">母</span></strong>：クジ引いたって、お前、お金持ってなかっただろう？！</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #0000ff;">僕</span></strong>：洗剤が95円だったから、５円お釣りがあったんだ。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #ff0000;">母</span></strong>：この洗剤、100円でしょ！</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #0000ff;">僕</span></strong>：95円だったよ。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #ff0000;">母</span></strong>：…お前、その飛行機みたいの、盗んできたんじゃないよね？</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #0000ff;">僕</span></strong>：盗むわけないじゃないか！</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　母は僕がいくら言おうが聞く耳をもたない。僕があくまでも嘘を言っていると感じたのか「じゃあ、今からお店に行くから、一緒に来なさい！」と言って、僕の手から飛行機の模型を奪い取り、手を引っ張って、タケダへと向かった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■お金を払ったでしょうか？</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　タケダに着くと、母は店の奥にいるおじいさんに声をかけた。いつもは子供しか来ない店に大人が来たから、おじいさんも驚いたに違いない。そんなおじいさんに母は「さっき、ウチの子が、これを持ってきたんですけど、ちゃんとお金を払ったでしょうか？」とダイレクトに聞いた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　それを聞いた時、子供心に（ヤバい）と思った。子供の目から見て、半ばボケているおじいさん。物忘れもひどいかもしれず、そうなった時に大人同士で話を合わせ、（まあまあ、いいじゃないですか、子供のしたことですから）といった感じで僕を泥棒にして話がまとまってしまうのではないかと思ったからである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　心配顔の僕の横で、おじいさんは母が出した飛行機の模型と、僕の顔を交互に見てこう言った。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「この子は、お金を払いました」</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　（ああ、よかった）と僕はその時、思った。しかし、母はその答えに納得しなかった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #ff0000;">母</span></strong>：本当に払いましたか？</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong>おじいさん</strong>：はい。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #ff0000;">母</span></strong>：この子、お金は持ってないはずなんですけど。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong>おじいさん</strong>：いえ、ちゃんと５円、払いました。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #ff0000;">母</span></strong>：でも、持ってない…</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong>おじいさん</strong>：この子は、ちゃんとお金を払いました。それでクジを引いてハズれました。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　おじいさんは曲がった腰を真っ直ぐにしたように感じた。いつもは子供相手に優しく、少しボケた感じであるのに、この時は優しい笑顔は消え、厳しい表情ではっきりと語ってくれた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■母は泣いていたのか</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　母はお騒がせしましたなどと言って、また僕の手を引いて家に向かった。僕は「だから、お金を払ったと言ったじゃないか」と不満そうに言った記憶がある。母は謝るでもなく、黙って僕の手を引いて歩いていた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　母は一言で申せば「おっちょこちょい」で、息子が他人の物を盗んだと思い込み、動転していたのであろう。不正義はたとえ自分の息子であっても許さない、息子だからこそ許せないという性格であった。</span></p>
<div id="attachment_16106" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/84d9f3ccce5220834a7d93dcc35af862.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16106" class="wp-image-16106" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/84d9f3ccce5220834a7d93dcc35af862-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/84d9f3ccce5220834a7d93dcc35af862-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/84d9f3ccce5220834a7d93dcc35af862-768x461.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/84d9f3ccce5220834a7d93dcc35af862.jpg 780w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-16106" class="wp-caption-text">熊谷市立東小学校</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　おじいさんの話を聞いて、自分の息子は泥棒などではなかったことを喜びつつも、息子を信じてやれなかった自分が情けない、息子に申し訳ない、そんな思いだったのか。いつもは優しかった母が僕の方を見ようともせずに手を引っ張って歩き続けたのは、もしかすると、その時、涙を流していたのかもしれない。最近、そう思うようになった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そして、タケダのおじいさん。ヨボヨボのおじいさんが、この時ばかりは背筋を伸ばし、はっきりとした言葉と態度で僕の冤罪を晴らしてくれた。大人が子供の味方をしてくれた、大人同士なあなあで話をつけるのではなく、相手と摩擦を生じてでも、正しいことは正しいと主張する大人がいること、それが僕が毎日のように接している、ヨボヨボのおじいさんであったことに胸がいっぱいになった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■僕は大人になんかなりたくない</span></strong></span></p>
<div id="attachment_19639" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/0d0a8447c8d87da3b37faf95c7f8a8cc.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19639" class="wp-image-19639" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/0d0a8447c8d87da3b37faf95c7f8a8cc-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/0d0a8447c8d87da3b37faf95c7f8a8cc-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2023/04/0d0a8447c8d87da3b37faf95c7f8a8cc.jpeg 709w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-19639" class="wp-caption-text">熊谷女子高校正門（撮影・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　この出来事は、僕の後の人生に多少は影響している。大学４年の就職活動の時期に「正しいことは正しく、間違っていることは間違っている。それをはっきり言わないことが大人になるということなら、僕は大人になんかなりたくない」と、そんなことをよく口にしていた（参照・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20210506/">気がつけば松田聖子がそこにいた</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「清濁併せ吞む」みたいな大人の世界の醜さに嫌悪感を感じていた時期で、それがメディアに入ろうと思う原動力の１つになっていたのは間違いない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　令和の時代に、こうした昭和の物語はあり得ないが、昭和の時代にもいいことはあったと20世紀を生きてきた者として思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　タケダは今は取り壊されて、店舗があった場所は駐車場になっている。おそらくおじいさんはもう亡くなっていると思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そして、母は今年91歳。かなり記憶力は鈍ってきたが、身体は元気いっぱいである。先日、この話をすると「そんなことがあったかねえ。全然覚えてないよ」と他人事のように言って、ケタケタと笑った。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　本当に忘れているのか、忘れたふりをしているのか、僕には分からない。ただ、この人の息子に生まれて良かったな、という思いはした。</span></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://reiwa-kawaraban.com/others/20230411/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>3</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>神田沙也加さん急逝 松田聖子さんへの思い</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20211219/</link>
					<comments>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20211219/#comments</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 19 Dec 2021 04:08:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[松田聖子]]></category>
		<category><![CDATA[婚氏続称]]></category>
		<category><![CDATA[神田正輝]]></category>
		<category><![CDATA[黒柳徹子]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://reiwa-kawaraban.com/?p=12417</guid>

					<description><![CDATA[　女優の神田沙也加さんが18日午後９時40分、急逝した。35歳だった。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　女優の神田沙也加さんが18日午後９時40分、急逝した。35歳だった。歌手の松田聖子さんの長女である神田さんは、札幌市内のホテルの高層階から転落したと伝えられている。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■父は俳優の神田正輝さん</span></strong></span></p>
<div id="attachment_12418" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/12/sayaka.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12418" class="wp-image-12418" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/12/sayaka-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/12/sayaka-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/12/sayaka-1024x615.jpeg 1024w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/12/sayaka-768x461.jpeg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/12/sayaka-1536x922.jpeg 1536w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/12/sayaka.jpeg 1701w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-12418" class="wp-caption-text">神田沙也加さん急逝を伝えるシューイチ（日本テレビ系）画面から</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　神田さんは18日昼頃に体に血がついた状態でホテルの14階の屋外スペースで倒れていたところを発見された。意識不明のまま病院に搬送され、その後、死亡が確認された。自殺の可能性もあると報じられている（スポーツ報知電子版・<a href="https://hochi.news/articles/20211219-OHT1T51002.html?page=1">神田沙也加さん急死　札幌のホテル高層階から転落</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　まだ30代半ば、</span><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">エンターテイメントの世界で仕事を順調にこなし、これから更なる活躍が期待されるという時であった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　父は俳優の神田正輝さん、母は日本を代表するアイドル歌手だった松田聖子さんという、芸能界屈指のサラブレッド。とはいえ、活動の中心はミュージカルなど舞台で、また、映画「アナと雪の女王」ではアナ役の日本語吹き替えを担当するなど、偉大な母とは異なる方向での活躍が目立っていた。来年４月からのミュージカル「銀河鉄道９９９」でもヒロインのメーテル役が決まっていたという（同記事から）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■1985年12月「子供がほしい」</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　僕は松田聖子さんと同世代で、大学生の頃はまさに彼女のアイドルとしての活動期と重なっている（参照・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20210506/">気がつけば松田聖子がそこにいた</a>）。リアルタイムで「赤いスイートピー」や「夏の扉」を聴いていた世代だけに、亡くなった神田さんを悼む思いはもちろん、娘を亡くした母親に対する思いも強い。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　1985年（昭和60）12月26日、ザ・ベストテン豪華版（ＴＢＳ系）に結婚で芸能活動を中断していた松田聖子さんが電話で出演。司会の黒柳徹子さんの（来年、したいことは？）という問いに「プライベートな面では、やっぱり子供がほしいなぁと思っています」と答えた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　当時、社会人１年生だった僕は（今年の初めまでアイドルで活躍していた人が、母親になろうとしている）という事実に、時の流れを感じさせられたものである。そして、自分も学生から会社員になったように、その流れは等しく及んでいること、そして、もう楽しかった学生時代は遠い昔の出来事になったこと、さまざまな思いが去来したのを覚えている。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　それからおよそ９か月後の1986年10月１日に神田沙也加さんが誕生した。1997年１月に松田聖子さんが神田正輝さんと離婚。その際には婚氏続称（民法767条２項、戸籍法77条の２）によって、夫の姓の「神田」を選択したようである。これは神田沙也加さんが小学生だったため、途中で苗字が変わることを避けるためだったと言われている。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　2011年には26歳になっていた娘とＮＨＫ紅白歌合戦で共演し、オールドファンを含め多くの人々を喜ばせた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　神田さんは一時期「ALICE」というペンネームを使っていたことはよく知られている。母親のヒット曲「時間の国のアリス」にちなむものだったという。僕にとっても思い入れが深い同曲（前出・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20210506/">気がつけば松田聖子がそこにいた</a>）に由来するペンネームを使っていたことを知った時に、何か嬉しく感じたことを覚えている。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■還暦直前での悲報</span></strong></span></p>
<div id="attachment_10376" style="width: 190px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/92572.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-10376" class="wp-image-10376" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/92572-300x300.jpg" alt="" width="180" height="180" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/92572-300x300.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/92572-150x150.jpg 150w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/92572.jpg 614w" sizes="auto, (max-width: 180px) 100vw, 180px" /></a><p id="caption-attachment-10376" class="wp-caption-text">松田聖子さんのアルバム「Canary」のジャケットから</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　松田聖子さんの所属事務所「felicia club」は19日、「松田は、未（いま）だこの現実を受け止めることができない状態です」と説明している（スポーツ報知電子版・<a href="https://hochi.news/articles/20211219-OHT1T51060.html?page=1">松田聖子「この現実を受け止めることができない状態」、神田沙也加さん死去に所属事務所がコメント</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　59歳で35歳の一人娘を失う辛さはいかばかりかと感じる。これまでの報道によると、母娘で対立があったとされているが、その絆は強固なものであるはず。同世代のアイドルの人生をテレビ画面などメディアを通じて見てきた者としては、かける言葉もない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　この思いをどう表現していいのか分からないが、学生時代にほのかに憧れ、今も遠くからとはいえ、その活躍を目にする女性には幸せになってほしいと願うであろう。その女性が還暦直前に一人娘に先立たれたらと聞いたら、胸が締め付けられるような思いになる。同世代の人間でそんな思いをする人は少なくないと思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　人生も終盤にさしかかった世代にとって、さまざまな活動のモチベーションは家族、特に後に続く世代の存在による部分が大きい。「親より先に死ぬのは一番の親不孝」という言葉が現実味を帯びて考えることができるようになる年代でもある。僕が松田聖子さんと同じ立場になれば、（もう、人生、どうでもいいや）と投げやりな気持ちになってしまうかもしれない。それぐらい家族、特に子供の存在は大きい。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　松田聖子さんには、彼女の歌声が流れる時代に青春時代を過ごしたものとして、心よりお悔やみを申し上げたいと思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■神田沙也加さんに合掌</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　神田さんにすれば、母親が日本でも屈指のアイドルだったという事実は、人生にとってプラスにもマイナスにも働いた可能性はある。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　辛いこともあったかもしれないが、今は安らかにおやすみいただくことを願うのみ。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ご冥福をお祈りいたします。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">合掌</span></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20211219/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>3</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>気がつけば松田聖子がそこにいた</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20210506/</link>
					<comments>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20210506/#comments</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 05 May 2021 18:02:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[松田聖子]]></category>
		<category><![CDATA[時間の国のアリス]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://reiwa-kawaraban.com/?p=10373</guid>

					<description><![CDATA[　松田聖子さんが４月に「青い珊瑚礁」のデジタルバージョンの配信を開始、合わせてダンスバージョンを公開し話題になった。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　歌手の松田聖子さん（59）が４月に「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=jShcyMDxwSg">青い珊瑚礁</a>」のデジタルバージョンの配信を開始、合わせて<a href="https://www.youtube.com/watch?v=ujEaceOJZXs">ダンスバージョン</a>を公開し、話題になった。６月からは40周年記念ツアーを再開するようで、還暦を前に元気いっぱいである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■大学の４年間と重なったアイドルの時期</span></strong></span></p>
<div id="attachment_10374" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/2690490190a5ba5f5f46436d9c1c16a0.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-10374" class="wp-image-10374" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/2690490190a5ba5f5f46436d9c1c16a0-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/2690490190a5ba5f5f46436d9c1c16a0-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/2690490190a5ba5f5f46436d9c1c16a0-1024x614.jpeg 1024w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/2690490190a5ba5f5f46436d9c1c16a0-768x461.jpeg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/2690490190a5ba5f5f46436d9c1c16a0-1536x922.jpeg 1536w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/2690490190a5ba5f5f46436d9c1c16a0-2048x1229.jpeg 2048w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-10374" class="wp-caption-text">ザ・ベストテン出演時の松田聖子さん（YouTube：<a href="https://www.youtube.com/watch?v=sgDOQepeQxU">HEART BEAT707</a>から）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　松田聖子さんは1980年４月に「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=PqHtMhVC_OE">裸足の季節</a>」でデビューし、1985年に俳優の神田正輝さんと結婚して一時的にアイドルから引退した。このアイドルの時期が僕の大学生時代とピッタリと重なっている。在学中の４年間、さまざまな思い出があるが、気がつけば松田聖子さんの歌声がＢＧＭのように脳裏に流れる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　デビュー当時、「ぶりっこ」と呼ばれ、女性からは嫌われていたようで、僕の周囲の女子大生の友人も「何、あの子？！」みたいな否定的な反応が多かった。それが1982年１月発売のシングル「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=0G1Tpi4Hxlc">赤いスイートピー</a>」あたりから流れが変わってきた。周囲の女性の声は「松田聖子、好きじゃないけど、歌はいいよね」と認めるような発言に。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　1985年に結婚して引退する前には「何で辞めちゃうの、聖子ちゃん！」というノリになる、一連の経緯をリアルタイムで見てきた。大学を卒業して日刊スポーツで働き始め、彼女が結婚後にリリースしたアルバム「Strawberry Time」（1987年４月）を聴いて、その完成度の高さに驚かされたものである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■「時間の国のアリス」が背中を押してくれた</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　僕自身、松田聖子さんの曲で最も好きなのは「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=eQPkHES4FZY">時間の国のアリス</a>」（1984年５月）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　当時、僕は４年生で、就職活動をしていた。学生が社会人になる前の通過儀礼のようなもので、（これが大人の世界か）と感じさせられることが多い。以前にも紹介したが、就職活動解禁前に世界的な大企業のＯＢ訪問をした際、「今頃何しにきた、とっくに終わってるよ」とあしらわれるなど、傷つくことが多かった（参照：<a href="https://reiwa-kawaraban.com/society/20190907-02/">怒れ！就活生 僕も経験した大企業の舐めた態度 1984年夏</a>）。「こんなことを言われたよ」と落胆して剣道部の同期生に話すと、「お前、いい加減、大人になれよ」と言われたものである。</span></p>
<div id="attachment_19718" style="width: 230px" class="wp-caption alignright"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/2690490190a5ba5f5f46436d9c1c16a0.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19718" class="wp-image-19718" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/2690490190a5ba5f5f46436d9c1c16a0-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/2690490190a5ba5f5f46436d9c1c16a0-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/2690490190a5ba5f5f46436d9c1c16a0-768x461.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/2690490190a5ba5f5f46436d9c1c16a0.jpg 827w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-19718" class="wp-caption-text">写真はイメージ</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　社会に出る直前、悩める僕が自分自身に言い聞かせていた言葉は以下のようなものだった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">「正しいものは正しい、間違っているものは間違っている。間違っていることを正しいと思うことが大人になるということであれば、僕は大人になんかなりたくない」</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そんな時に出会ったのが「時間の国のアリス」。テレビで松田聖子さんが歌っているのを見て、歌詞の一節に引き込まれた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #ff0000; font-size: 12pt;"><strong>　♪ 誰だって大人にはなりたくないよ　永遠の少年のあなたが言うの ♫</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　松田聖子さんは僕と同じような気持ちでこの曲を歌っているのではないかと考え（今となっては笑ってしまうが）、急に身近な存在に思えた。正しいことを正しいと主張できるマスコミの世界に入りたい、自分の信じた道を貫きたいと思い、選んだ会社が日刊スポーツ新聞社。「時間の国のアリス」が、記者になりたいと願う僕の背中を押してくれた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■学生生活の終わりは「Canary」</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　入社直前、僕は埼玉県に住んでいたが、築地の日刊スポーツまで通勤するには遠いため、東京でアパート暮らしをすることにしていた。大学卒業前、僕は地元の女性と交際していた。僕の部屋で、あるいは自動車で移動中、松田聖子さんの曲をかけることも少なくなかった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　離れ離れになれば別れることになるだろうと、お互い口にすることはなかったが、暗黙のうちに分かっていたように思う。その時期に「<a href="https://www.youtube.com/watch?v=OcvH993TmVo&amp;list=PLzLdiOgGpeJ2q3PXSegLk5-6TDcTexwYp">Canary</a>」を２人で聴いた。この曲は女性が恋人と別れ、都会に出て一人暮らしを始める歌である。</span></p>
<div id="attachment_10376" style="width: 190px" class="wp-caption alignright"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/92572.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-10376" class="wp-image-10376" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/92572-300x300.jpg" alt="" width="180" height="180" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/92572-300x300.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/92572-150x150.jpg 150w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/92572.jpg 614w" sizes="auto, (max-width: 180px) 100vw, 180px" /></a><p id="caption-attachment-10376" class="wp-caption-text">アルバム「Canary」のジャケットから</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　<strong><span style="color: #0000ff;">♪ 自由に飛べばいい 夢をあきらめないで　ぼくの手のひらから 羽ばたいてゆくがいい　静かに言ってあなたは 私の背中押したの ♫</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　これを聴き終わった時に、彼女が「私たちみたいだね」とポツリと言ったのを忘れることができない。（やっぱり彼女もそう思っていたんだ）と知り、別れの時が来たことを悟ったのである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　その数日後、実家を後にした。学生生活の終わりも松田聖子さんの曲だった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■還暦迎える聖子さん これからもお元気で</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　松田聖子さんは来年還暦を迎える。その年まで現役のアーティストとして頑張っていることを同世代の人間として嬉しく思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　松田聖子さんの曲が流れる時代に学生生活を送った僕にとって、彼女は特別な存在。今、僕自身がライターとなっているのは、1984年の時間の国のアリスの延長線上にある。21世紀の今、再び彼女の曲をＢＧＭに仕事ができる幸運を思う。</span></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20210506/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>4</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>美しきホームレスの死に感じる世の不条理</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/others/20210503-02/</link>
					<comments>https://reiwa-kawaraban.com/others/20210503-02/#comments</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 03 May 2021 03:06:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[雑記]]></category>
		<category><![CDATA[松田聖子]]></category>
		<category><![CDATA[ホームレス]]></category>
		<category><![CDATA[渡邉哲哉]]></category>
		<category><![CDATA[大林三佐子]]></category>
		<category><![CDATA[石川ひとみ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://reiwa-kawaraban.com/?p=10307</guid>

					<description><![CDATA[　昨年11月、渋谷区でホームレスの女性が、路上で頭を殴られて死亡する事件があった。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #000000;">　昨年11月、渋谷区で住所不定の大林三佐子さん（64）が、路上で頭を殴られて死亡する事件があった。かつてはアナウンサーを志望し、劇団にも所属した、明るく、活発だった大林さんの生涯をＮＨＫが取材。そこから見えてきたのは他者からの施しを潔しとしない誇り高き、そして優しい女性の姿だった。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■息を呑むような美しさ 1980年代初頭の24歳</span></strong></span></p>
<div id="attachment_10308" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-10308" class="wp-image-10308" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3.jpg 675w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-10308" class="wp-caption-text">24歳の頃の大林三佐子さん（ＮＨＫ事件記者取材noteから）</p></div>
<p><span style="color: #000000;">　はっと息を呑むような美しさである。40年ほど前、1980年頃の大林さんが米国に住む叔父のもとを訪ねた際に撮影された写真。サイドにボリュームのある髪型は、松田聖子さんに代表される当時の流行を意識しているものと思われる。表情はその頃、人気のあった石川ひとみさんによく似ている。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　この美しい女性が40年後、18歳年下の男に石とペットボトルの入ったビニール袋で殴られ命を落とした。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　詳細はＮＨＫ事件記者取材noteの「<a href="https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote15/">ひとり、都会のバス停で～彼女の死が問いかけるもの</a>」に紹介されている。事件は2020年11月16日深夜に発生した。渋谷区幡ヶ谷の「幡ヶ谷原町バス停」で座っていた大林さんを酒店手伝いの吉田和人（46）が後頭部を殴って殺害。数日後、警察に出頭した吉田は「前日の未明に『お金をあげるからバス停からどいてほしい』と頼んだが、応じてもらえず腹が立った。痛い思いをさせれば、いなくなると思った」（文春オンライン：<a href="https://bunshun.jp/articles/-/41784">《渋谷ホームレス殺人》“所持金８円”被害女性の謎を解いた「名刺大メモ」と「電源の入らない携帯電話」</a>）と容疑を認めたという。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　この大林さんの生前の様子をＮＨＫの徳田隼一記者と岡崎遥記者が取材をしている。それによると彼女は広島県内の短大を卒業後、アナウンサーを目指して教室に通い、結婚式場で３年ほど司会を務めた。27歳の時に結婚し上京したが、夫のＤＶがあったらしく１年余りで離婚する。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　それ以後はコンピューター関連の仕事など職を転々とし、１人暮らしをしていたという。その後、スーパーの試食販売の仕事を始め、４年ほど前に家賃を滞納して部屋を出てからは住居不定のままネットカフェなどを寝所にしていたらしい。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　新型コロナウイルスの感染拡大で仕事が減ったようで、京王線笹塚駅近くのバス停で夜を過ごすようになり、殺害された時の所持金は８円だった。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■憧れた年上の女性が40年後にホームレス、殺害される悲劇</span></strong></span></p>
<div id="attachment_10326" style="width: 230px" class="wp-caption alignright"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/c8bf9a25c2469cb7ee565be61a5c9b85.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-10326" class="wp-image-10326" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/c8bf9a25c2469cb7ee565be61a5c9b85-300x169.jpg" alt="" width="220" height="124" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/c8bf9a25c2469cb7ee565be61a5c9b85-300x169.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/c8bf9a25c2469cb7ee565be61a5c9b85-320x180.jpg 320w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/c8bf9a25c2469cb7ee565be61a5c9b85.jpg 720w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-10326" class="wp-caption-text">大林さんが弟に送ったクリスマスカード（ＮＨＫ事件記者取材noteから）</p></div>
<p><span style="color: #000000;">　2020年11月で64歳ということは、1956年（昭和31）の生まれだろう。僕の数年上の世代。冒頭の1980年頃の写真を見ると、当時、僕が出会っていたら「何て美しい人だろう」と、憧れるような思いで見つめていたかもしれない。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　多くの男性に想像していただきたい。20歳前後の頃に憧れた年上の女性が、40年後にホームレスになり、見知らぬ男に殴られて息を引き取ることを。容姿に触れるのはおかしいのかもしれないが、そのように考えると１人のホームレスの女性が殺害されたという事実が、ニュース上の文字や記号ではなく実感をもって感じられる。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　大林さんは年金未加入か、もしくは期間が短いために受け取れても少額だったのかもしれない。自己責任と言ってしまえばそれまでだが、周囲にいた人の話としてＮＨＫ事件記者取材noteは「住まいを失ってからは、仕事を増やしてもらうよう派遣元の会社と交渉している姿を、上野さん（※筆者注：大林さんの知人）は何度も見かけていた。誰にも頼らず、自分の力でなんとか生活を立て直そうという強い意志を感じたと、当時を振り返る。」と自力で生きていこうとする思いが強かった面があったことを示す。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　そして、大林さんの人となりを示すエピソードが紹介されている。乳酸菌飲料の試食販売をしている時に、父親と一緒に来た小さな男の子が何度もおかわりをして、試食台から離れようとしない。父親が男の子を引き離すと、男の子はずっと手を振り、大林さんは、その子の姿が見えなくなるまで笑顔で手を振っていたという。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　優しく、自立心のある大林さんの実像が見えてくる。彼女が幡ヶ谷のバス停で夜を過ごしていたのは、生きる場所を探していたのであり、死に場所を求めていたのではない。「明日はもっと幸せな日にしよう、来月にはもっといい人生になっているようにしたい」。そんな思いを胸に秘めていたかもしれない彼女の人生は、見も知らぬ男の理不尽な一撃でポッキリと途中で折れてしまったのである。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■岐阜市の心優しきホームレス81歳の悲劇</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">　以前、当サイトでは岐阜市で81歳のホームレスの男性・渡邉哲哉さんが殺害された事件を扱った（参照：<a href="https://reiwa-kawaraban.com/society/20200427/">岐阜ホームレス男性殺害 19歳に極刑を望む</a>）。渡邉さんも心優しき人で、一緒に暮らしていた女性が「ゴミとして出されたアルミ缶を収集してリサイクル業者に売り、生計を立てていた。15キロ分を集めてようやく得た1000円を捨て猫たちの餌代に充て、自分には僅かな生活用品しか買わなかった。『雨の日も風の日も猫のために真面目に働いていた。私のことも守ってくれた。心優しい人だった』」と証言していた。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　２例だけを見て全体を語るのは非科学的ではあるが、少なくとも、住む家のない人の中には他者に対する愛情が強い人が存在するということは言える。そして大林さんのように安易に他者を頼らずに自立していく思いが強いことが、逆に住む場所を失う結果となってしまうのは辛い。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　1990年代の話だが、僕の友人でフリーランスで活動をする男性がいた。外部から委託されていたメインの仕事を失い、ほとんど収入が途絶えてしまった。彼が選んだ道は生活保護だった。まだ若く、かなり元気で、友人と酒を飲みに出かける生活を続けていながら生活保護を受けようという考えに至ったことが、僕には信じられなかった。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　生活保護のためには「病気が２つ以上ないといけない」と彼は言っており、それを申請して生活保護を認められた後も、友人と酒を飲んでいた。僕は「自分で稼げるだろう、まずは営業して仕事を取ってこい」と何度か忠告したが、彼はそれを疎ましく思ったのか、僕は絶交されてしまった。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■人生にとって何が正解なのか</span></strong></span></p>
<div id="attachment_10309" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/4384e963d5defe2239bbd0c7ec06f27e.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-10309" class="wp-image-10309" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/4384e963d5defe2239bbd0c7ec06f27e-300x169.jpg" alt="" width="220" height="124" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/4384e963d5defe2239bbd0c7ec06f27e-300x169.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/4384e963d5defe2239bbd0c7ec06f27e-320x180.jpg 320w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2021/05/4384e963d5defe2239bbd0c7ec06f27e.jpg 720w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-10309" class="wp-caption-text">高校生の頃の大林三佐子さん（ＮＨＫ事件記者取材noteから）</p></div>
<p><span style="color: #000000;">　自立を目指した大林さんは理由もなく殺害され64年の生涯を閉じた。彼女と面識はないが、同じ時代を生きてきた者として胸が痛む。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　自分で人生を切り拓こうとする人がこうした悲惨な目に遭い、事実かどうか分からない申請をして行政から保護を受け、人並み以上の生活をする人もいる。大林さんは自ら選んだ人生、その結果を社会システムのせいにする気はないが、人生は何と不条理なのかと思う。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　日本では古来より「清貧」が美徳の一種とされ、対価なしにゲインを得る行為を蔑む風潮がある。その思いが強すぎると、住む家を失い最低限度の生活も営めなくなってしまうこともある。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　その一方で、人生にとって最も大事なのは誇りであり、他人の施しをあくまでも拒否し、住む家を失ってもプライドを守りたいという思いを貫く人生もある。大林さんはその思いで明日を信じて生きていたのだから、本人が納得して選んだ道と言えるのかもしれない。実際、大林さんは他者からの施しの申し出を断っていたとされる。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　人生にとって何が正解なのか、僕如きに何が分かろう。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　１つだけ言えるのは、真面目に前向きに生きた人が損をするような社会であってほしくないということである。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　大林三佐子さんのご冥福をお祈りします。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000;">合掌</span></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://reiwa-kawaraban.com/others/20210503-02/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>4</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>森昌子さん引退 （中高年向け）アイドルを学年別に分類してみた</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20191226/</link>
					<comments>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20191226/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 26 Dec 2019 00:13:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[芸能人]]></category>
		<category><![CDATA[森昌子]]></category>
		<category><![CDATA[松田聖子]]></category>
		<category><![CDATA[石野真子]]></category>
		<category><![CDATA[国生さゆり]]></category>
		<category><![CDATA[おニャン子クラブ]]></category>
		<category><![CDATA[三原順子]]></category>
		<category><![CDATA[三原じゅん子]]></category>
		<category><![CDATA[小泉今日子]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://reiwa-kawaraban.com/wp/?p=4434</guid>

					<description><![CDATA[　歌手の森昌子さん（61）が12月25日、栃木県宇都宮市で「森昌子ラストコンサート」を行なった。1972年のデビューから、途中の休業期間を含め47年の芸能活動にピリオド。僕の少し上の世代のアイドル、若干の寂しさはある。そこで森昌子さんに続くアイドルを学年別に分けてみた。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #000000;">　歌手の森昌子さん（61）が12月25日、栃木県宇都宮市で「森昌子ラストコンサート」を行なった。1972年のデビューから、途中の休業期間を含め47年の芸能活動にピリオド。僕の少し上の世代のアイドル、若干の寂しさはある。そこで森昌子さんに続くアイドルを学年別に分けてみた。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■森昌子さん「残された人生を楽しみたい」</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">　森昌子さんは３月の引退会見の発表の時に「残された人生を楽しみたい」という趣旨の発言をされていた。サラリーマンも60歳定年、この言葉に（そうだよなぁ～）と感じた人は少なくないと思う。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　森昌子さんがデビューした1972年は、昭和47年。僕は小学校６年生だった。芸能界に興味のある同級生が芸能雑誌を学校に持ってきてみんなで見て「森昌子が…」という話をしているのを聞いたことがあるが、当時、僕は芸能界には全く興味がなかったので（そういうのが好きな人もいるんだ）程度の認識しかなかった。</span></p>
<p><strong><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">■森昌子さんが高３の時、松田聖子さんは中３</span></strong></p>
<div id="attachment_4435" style="width: 310px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/12/2116ccf696f867019dc745b6c56c8bb2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-4435" class="wp-image-4435" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/12/2116ccf696f867019dc745b6c56c8bb2-300x300.jpg" alt="" width="300" height="300" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/12/2116ccf696f867019dc745b6c56c8bb2-300x300.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/12/2116ccf696f867019dc745b6c56c8bb2-150x150.jpg 150w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/12/2116ccf696f867019dc745b6c56c8bb2-768x768.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/12/2116ccf696f867019dc745b6c56c8bb2-1024x1024.jpg 1024w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/12/2116ccf696f867019dc745b6c56c8bb2-200x200.jpg 200w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/12/2116ccf696f867019dc745b6c56c8bb2.jpg 1297w" sizes="auto, (max-width: 300px) 100vw, 300px" /></a><p id="caption-attachment-4435" class="wp-caption-text">森昌子さんが高３の時…</p></div>
<p><span style="color: #000000;">　森昌子さんは還暦を迎えた時に、引退を意識し始めたとのこと。そこで森昌子さんに続く世代はどんな芸能人がいるのか、年表を作ってみた。学年毎に分けて作成したので、ご参考までに。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　森昌子さんが高校３年生の時（1976年４月ー1977年３月）に、アイドルは何年生だったのかが一目で分かる。森昌子さんの１学年下の榊原郁恵さんも今年、還暦を迎えていたわけである。その世代には僕が高校時代に大ファンだった大場久美子さんも。彼女が同じ埼玉県出身というだけで嬉しかった。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　森昌子さんと同じスター誕生！出身の石野真子さんは森昌子さんの学年で２つ下。その１学年下が松田聖子さんである。僕の大学時代は松田聖子さんがアイドルとして活躍した時期に重なっており、彼女の曲を聴くと当時のことが思い出される。</span></p>
<p><strong><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">■「野党は恥を知りなさい」の方は何年生だった？</span></strong></p>
<p><span style="color: #000000;">　三原順子（現じゅん子）さんは小学６年生。アイドルとしては突き抜けなかったが、今は参議院で活躍中である。「野党の皆さんは恥を知りなさい」は迫力満点だった。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　花の1982年組は小４から小５になる。小５に小泉今日子さん、さらに小４に国生さゆりさんと、おニャン子クラブの名前が入ってくるという感じである。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　こうしてみると、あらためて、アイドルも歳をとるのだなと思い知らされる。森昌子さん、長い間、ご苦労様でした。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">※生年月日は公式プロフィールによる</span></p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20191226/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
