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	<title>NEWS23 | 令和電子瓦版</title>
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	<description>政治、社会、運動、芸能など、様々なジャンルのニュース＆オピニオンサイトです</description>
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	<title>NEWS23 | 令和電子瓦版</title>
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		<title>久米宏さん元日に死去 テレビ報道を変えた81歳</title>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 14 Jan 2026 04:04:31 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[NEWS23]]></category>
		<category><![CDATA[松田聖子]]></category>
		<category><![CDATA[久米宏]]></category>
		<category><![CDATA[ニュースステーション]]></category>
		<category><![CDATA[ザ・ベストテン]]></category>
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					<description><![CDATA[　フリーアナウンサーの久米宏さんが2026年の元日に亡くなっていたことがわかった。81歳だった。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　フリーアナウンサーの久米宏さんが2026年の元日に亡くなっていたことがわかった。81歳だった。軽妙な喋りで人気を集め、報道番組をショーアップするなど特筆すべき実績を残した。一方で、リベラルな政治思想が前面に押し出されることもあり、反発を受けることもあった。良くも悪くも話題になることが多かったが、昭和から平成を代表する放送人の１人であったことは間違いない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />テレビ報道のあり方に大きな影響</span></strong></span></p>
<div id="attachment_20644" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/95ec9bdc8535d117b9fb66a8d95d66ed.jpeg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20644" class="wp-image-20644" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/95ec9bdc8535d117b9fb66a8d95d66ed-300x192.jpeg" alt="" width="220" height="141" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/95ec9bdc8535d117b9fb66a8d95d66ed-300x192.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/95ec9bdc8535d117b9fb66a8d95d66ed.jpeg 680w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20644" class="wp-caption-text">画像はイメージ（AIで生成）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　久米さんは肺がんのため、元日に死去、告別式は近親者だけで済ませたという（讀賣新聞オンライン・<a href="https://www.yomiuri.co.jp/national/20260113-GYT1T00155/">久米宏さん肺がんで死去、８１歳…「ニュースステーション」「ザ・ベストテン」</a>）。1967年（昭和42）にＴＢＳに入社し、ラジオ番組などに出演。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　78年（昭和53）開始の歌謡番組「ザ・ベストテン」で黒柳徹子さんと司会を務め、その軽妙な掛け合いで人気を博した。79年（昭和54）に退社してフリーになり、85年（昭和60）からは「ニュースステーション」（テレビ朝日系）のメインキャスターを務めた。「物言う」キャスターの先駆けとなり、お堅いイメージのニュース番組をショー的な手法で親しみやすい内容にするという革新的な手法で日本のテレビ報道のあり方に大きな影響を与えた。このことは、前例にとらわれず、タブーに挑み続ける久米さんでなければできなかったであろうと思われる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　89年（平成１）にはＴＢＳが「筑紫哲也 NEWS23」を開始。政治的には久米さん以上に過激と言っていい筑紫哲也さん（2008年没）がメインとなった。新聞記者出身の筑紫さんは自由な喋りではテレビ出身の久米さんにはかなわないが、より政治的スタンスをリベラル（ラジカルと言い得るレベル）に傾けることで一定の支持を集めた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうして平日午後10時からは久米さん、同11時からは筑紫さんと、反権力・反自民の報道番組が高視聴率をマークする構造となり、日本の政治の行方に一定の影響を与えた。93年（平成５）にはいわゆる<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/椿事件">椿事件</a>（テレビ朝日の取締役であった椿貞良氏による偏向報道が疑われた事件）が発生し、久米さんの報道姿勢にも疑問を感じる声が大きくなってきた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　現在の報道ステーション、news23はそうした流れを受けている印象が強い。YouTubeなどＳＮＳではその報道姿勢に疑問を投げかける投稿が多くなされ、久米さん・筑紫さんの時代から続く手法が21世紀の現代では通用しないことが明らかになっていると言っていい。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />久米さん これぞプロの仕事</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　筆者が久米さんを最初に意識したのは73年（昭和48）、媒体はＴＢＳラジオである。当時、筆者は中学１年であったが、この頃は朝食はテレビをつけずにラジオをかけて聞いていた。「歌のない歌謡曲」（6:45-7:00）の終盤に登校のために家を出るという生活であったように記憶しているが、その頃、久米さんは「久米宏の朝ですよ～!」という番組を担当していて、当時の記録を見ると午前５時30分から放送していたようである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　筆者にすれば登校前、朝食をとりながらのリスナーのため、ほとんど聞き流している状況であったが、そのうち、久米さんの話が面白く感じられ、熱心に聴くようになった。何が面白いと感じたのかはもはや記憶にないが、アナウンサーという中立的な立ち位置が求められながら、自分の考えを語り、シャレやジョークを交えて話す部分に魅せられたということであったように思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　78年に「ザ・ベストテン」が始まり、司会が久米さんと知った時に、既に高校生になっていた筆者は（子供の頃聴いていた、ラジオの面白いアナウンサーが担当するんだ）と思ったのをよく覚えている。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「ザ・ベストテン」は久米さんの真骨頂であったように思う。生放送で次々に起きるハプニングに的確に対応し、それを逆に視聴者へのアピールへと変えてしまう手腕。久米さんでなければ番組が成立しなかったのではないかと思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　特に印象に残るのが、松田聖子さんが出演した80年（昭和55）11月20日の放送回。この時、松田聖子さんが山本寛斎氏デザインの服装で歌うという企画で、番組内で服を選び、着替えを済ませてから歌うというもの。生放送、しかも最後の１曲でこの企画はとても今の時代ではできないものであった。案の定、松田聖子さんの着替えに時間がかかり、１秒でも早く歌わせたい場面であるが、久米さんが即席のドレッシングルームの前で「早くして」「もう、時間がない」ではなく、「できました？　ごめんなさい、焦らせているわけではないんですよ。…ゆっくりやっていいんですよ、ゆっくりね」と声をかけたのである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　当然、松田聖子さんも時間が押していることはわかっている。その場で司会が「早く！」と声をかけることなど意味はなく、逆の意味の言葉で場をもたせたのである。後日、そのシーンを見て（久米さんはプロ中のプロ）と思ったものである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ザ・ベストテンと同時期に「土曜ワイドラジオTOKYO」のキャスターも務めていた。実は筆者は大学生の頃、こちらも聴いていた。土曜日は自動車で登校する機会が多く、車中で久米さんの話を聴いていた。その時代にあっても軽妙なトークは聴取者を楽しませるには十分で、自宅から大学までの１時間以上、番組を聴いていたものである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />徐々に覚えた違和感</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうした反射神経のよさ、頭の回転の速さなどが報道番組でも活用され、ニュースステーションは革命的なものとなった。そして、人気のある局アナはフリーに転身した方がさまざまな面で恵まれるということを示したのも、久米さんの功績であったように思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　もっとも、フリー転身後は、その政治的な信条が表に出過ぎた印象で、特に自民党政権に対する批判が強く、特定の政治団体の影響を受けているのではないかと疑わせるほどの姿勢と感じられた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　1980年代でいえば、保守派の大御所である中曽根首相への攻撃は度を越しているように感じられた。中曽根氏の後援会がニュースステーションの報道は偏向しているといった理由で一切取材を受け付けず、中継先のカメラが事務所を映し出すと、そのアングルから映せないように大型のバスをカメラの前に移動させるというシーンが流れたのは視る者に強い印象を与えた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　また、前述の椿事件の際には国会議員の中からは椿氏だけではなく、久米さんも証人喚問に呼ぶべきであるという声が出た。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　筆者自身、メディアの人間となり、報道のあり方を考えさせられることが多くなると、久米さんの報じ方に（これでいいのだろうか）という疑問を覚えるようになった。上記の椿事件で果たした役割はわからないが、自分の中で（そのやり方は間違っている）という思いが支配的になっていったのは事実である。中立・公正・公平というメディアが求められる極めて重要な姿勢が、久米さんにおいては守られていないという思いである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />久米宏さん 安らかに</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　筆者と久米さんの考え方に大きな隔たりがあることは疑いない。しかし、そのことで筆者の久米さんに対する評価が一転ネガティブなものになるわけではない。</span></p>
<div id="attachment_20645" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/112dc835f468ac9f10df28c988fb1554.jpeg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20645" class="wp-image-20645" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/112dc835f468ac9f10df28c988fb1554-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/112dc835f468ac9f10df28c988fb1554-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/01/112dc835f468ac9f10df28c988fb1554.jpeg 709w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20645" class="wp-caption-text">画像はイメージ（AIで生成）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　筆者が中学生の頃から（アナウンサーって、ここまで聴取者、視聴者を楽しませることができるんだ）と感動させてくれたのは間違いなく久米さんであったし、自らの青春時代を通じて、その声や姿がＢＧＭのように流れていたことは事実である。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　81歳、早すぎる死は残念というしかない。最後は好きなサイダーを一気に飲み干して旅立ったそうである。それはニュースステーションの自身の最終回でビールを飲み干した時のようであったと伝えられている（ＦＮＮプライムオンライン・<a href="https://www.fnn.jp/articles/-/986561">「大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました」久米宏さん死去で妻・麗子さんがコメント「まるでニュースステーションの最終回」</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　粋な久米さんらしい最期だったように思う。政治的信条は異なっても、筆者の青春時代を楽しいものにしてくれた感謝の思いは変わらない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ありがとう、そして、さようなら。久米宏さん、どうか安らかに。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">合掌</span></p>
]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>浜尾朱美さん旅立たれて１年 ドバイ土産見ると思い出す</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20190912/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 12 Sep 2019 09:50:49 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[浜尾朱美]]></category>
		<category><![CDATA[NEWS23]]></category>
		<category><![CDATA[ニュース23]]></category>
		<category><![CDATA[キャスター]]></category>
		<category><![CDATA[ドバイ]]></category>
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					<description><![CDATA[　キャスター、エッセイストの浜尾朱美さんが昨年９月14日に亡くなられてから、まもなく１年になる。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　キャスター、エッセイストの浜尾朱美さんが昨年９月14日に亡くなられてから、まもなく１年になる。僕の30代で最も思い出深い人、まだまだ頑張ってほしい人だっただけに寂しさは１年経っても変わることはない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■UAEドバイ取材の前に打ち合わせ</span></strong></span></p>
<div id="attachment_3727" style="width: 150px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/09/IMG_0921-2.jpg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-3727" class="wp-image-3727" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/09/IMG_0921-2-300x300.jpg" alt="" width="140" height="140" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/09/IMG_0921-2-300x300.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/09/IMG_0921-2-150x150.jpg 150w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/09/IMG_0921-2-200x200.jpg 200w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/09/IMG_0921-2.jpg 500w" sizes="(max-width: 140px) 100vw, 140px" /></a><p id="caption-attachment-3727" class="wp-caption-text">いただいた小物入れ</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　僕の部屋には浜尾朱美さんからいただいたUAEドバイのお土産がある。現地で売っている小物入れらしいが、作りもしっかりしており、今でも重宝して使っている。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　恐らく1999年～2001年頃、NEWS23（TBS系）のキャスターを卒業して１年か２年ぐらい後だったと思う。彼女が雑誌の取材でUAEドバイに出向くことになった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　現地の競馬についてレポートするもので、有名人で競馬に詳しいということで白羽の矢が立ったと聞く。カラー特集のため、ビジュアル的な面も考慮されたものと思う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　出発前に浜尾朱美さんから連絡をいただき、会社の近くの喫茶店か何かで話をしたと思う。競馬好きとはいえドバイの競馬はほとんど見たことがなく、基本的な情報を知りたいというのと、どういうコンセプトで書けばいいのかという相談であった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　僕もドバイには出張したことがないのでネットなどを通じて知っている限りの情報を集め、手渡すことにした。ドバイのシェイク・モハメド殿下が競馬の世界で大きな影響を持っていること、その有力馬や、ドバイワールドカップがいつ始まって、日本の馬は過去に何頭出走して、といった当たり前の情報である。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■「困ったらアッラーアクバルと言えばいいんですよ」</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　記事のコンセプトについては「感じるままに、レポートしてはいかがでしょうか。競馬担当記者ではなく、浜尾さんに書いてほしいということは、素人目線で論じるのを期待しているのだと思います。砂漠と石油しかないというイメージの中東で、こんなに競馬が盛んなんだというのも素人の方には新鮮だと思います」という話をした記憶がある。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　しかし、どうにも不安そうな浜尾さんは「大丈夫かなぁ」と言うので、「困った時はアッラーアクバル（Allahu Akbar）と言えば大丈夫ですよ」と言ったところ、彼女は何も言わずに苦笑。その直後に、日刊スポーツのコラムで「マツダ記者に相談したら、『困ったらアッラーアクバルと言えばいいんですよ』と言われた。気楽でいいわよね、まったく」みたいな書き方をされた（笑）。原稿のオチに使っていただけるのであれば、それはそれで少しはお役に立てたのかもしれないが。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;">■”勘違い系”の編集者に怒りの浜尾朱美さん</span></strong></span></p>
<div id="attachment_3728" style="width: 210px" class="wp-caption alignright"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/09/IMG_0918-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-3728" class="wp-image-3728" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/09/IMG_0918-2-300x210.jpg" alt="" width="200" height="140" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/09/IMG_0918-2-300x210.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2019/09/IMG_0918-2.jpg 400w" sizes="auto, (max-width: 200px) 100vw, 200px" /></a><p id="caption-attachment-3728" class="wp-caption-text">外観が中東っぽいのがいい</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　浜尾さんが帰国後に書いた雑誌の原稿は、担当の若い編集者がトンチンカンな要求を言ってきたらしく、浜尾さんが珍しく激怒されていた。「松田さん、どう思う？」と、出版社に出した原稿を僕に見せたのだが、悪くない原稿だった。そのまま掲載しても何の問題もないレベル。なぜ文句を言ってきたのか分からないが、”勘違い系”の編集者で、何か言わないと気が済まないタイプだったのかもしれない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「とりあえず、相手が要求している通りに、こう直したらいかがですか」と言うしかなく、浜尾さんも多少書き直したようだったが、ほとんどそのまま掲載されていた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　その時にいただいたドバイの小物入れ。あれから15年ほど経ったが、いただいた小物入れを見ると、当時のことを思い出す。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　浜尾さんに「松田さん、いい原稿書いてる？」と言われるように、これからも仕事を頑張ろうと思う。</span></p>
]]></content:encoded>
					
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		<title>浜尾朱美さん、あなたのことを忘れない</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20180916/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 16 Sep 2018 00:48:28 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[浜尾朱美]]></category>
		<category><![CDATA[NEWS23]]></category>
		<category><![CDATA[競馬]]></category>
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					<description><![CDATA[　キャスター、エッセイストの浜尾朱美さんが亡くなった。僕は昨日、そのことを新聞の訃報で知った。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #000000;">　キャスター、エッセイストの浜尾朱美さんが９月14日に亡くなった。僕は昨日（15日）、そのことを新聞の訃報で知った。</span><span style="color: #000000;">もう言葉がない。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■同学年のニュースキャスターに観戦記を依頼</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">　NEWS23（TBS系）のキャスターとして活躍されているころ、競馬好きということで日刊スポーツ紙上で競馬のコラムを書いていただくことになり、そのうち観戦記もお願いするようになった。原稿を依頼する時は当時のレース部長から電話がかかってきて「今日、浜尾さんが競馬場に行ってるから、観戦記頼んで」という、何とも大雑把な業務命令（笑）。やむなく僕が競馬場内を探し回って「浜尾さん、観戦記をお願いできませんでしょうか？」と頭を下げて書いてもらうというものだった。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　そのうち浜尾さんも僕の顔を覚えてくれて、原稿を頼みに行くと「あ、見つかっちゃった」とニッコリ笑ってくれるようになった。</span></p>
<div id="attachment_1806" style="width: 121px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2018/09/5481d859006137f8fab6782059453927.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-1806" class="wp-image-1806" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2018/09/5481d859006137f8fab6782059453927-152x300.jpg" alt="" width="111" height="220" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2018/09/5481d859006137f8fab6782059453927-152x300.jpg 152w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2018/09/5481d859006137f8fab6782059453927-518x1024.jpg 518w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2018/09/5481d859006137f8fab6782059453927.jpg 613w" sizes="auto, (max-width: 111px) 100vw, 111px" /></a><p id="caption-attachment-1806" class="wp-caption-text">さようなら浜尾朱美さん</p></div>
<p><span style="color: #000000;">　彼女とは同学年で誕生日も近い。同世代ということもあって色々と話をするようになった。当時30代に入って2、3年のころ。夢見る10代、がむしゃらに頑張る20代を過ぎて色々と考える時期でもあるし、そんな時に「人生これからですよ」みたいな話をよくしていた。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　彼女が新聞のコラム（1998年１月５日付け）で僕のことを書いてくれたことがあった。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">「ーー私には、競馬しかないのです。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　いつだったか、Ｎ刊レース部のマツダ記者に、そんなことを話した。この人と私は同い年だ。年齢ならではの葛藤（かっとう）を、よくよく理解し合える。『20歳（はたち）の頃より今の自分のほうがいい』と私が言えば、その行間にある願望や哀しさもすくい上げてくれる。」</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　その時の新聞は切り抜いて大事に保管してあり、今でも僕の宝物である。</span></p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #000000;">■1998年長野五輪ではジャンプ台を体験</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">　1998年には、僕が長野五輪の取材班に入ったため、僕の提案で彼女にコラムをお願いした。自宅に呼ばれてマネージャーさん同席の中、企画の趣旨を説明。大分迷われていたようだが「私が書けば、松田さんにとってプラスになるのね？」と聞かれ「もちろんです」と答えると、後日ＯＫの返事をいただいた。</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　思い出すのはジャンプ台に一緒に登ったこと。スキーのジャンプの選手がどれぐらい高い場所から降りるのかを体験して記事にしてもらおうというもので、浜尾さんと僕とカメラマンの３人で白馬へ。</span></p>
<p><span style="color: #000000;"><span style="color: #ff0000;"><strong>浜尾</strong></span>「間違って滑り落ちたら大怪我ね」</span></p>
<p><span style="color: #000000;"><strong><span style="color: #0000ff;">松田</span></strong>「そうですね」</span></p>
<p><span style="color: #000000;"><span style="color: #ff0000;"><strong>浜尾</strong></span>「気をつけないとね」</span></p>
<p><span style="color: #000000;"><strong><span style="color: #0000ff;">松田</span></strong>「まあ、そうなったら、僕らは労災が下りますから」</span></p>
<p><span style="color: #000000;"><span style="color: #ff0000;"><strong>浜尾</strong></span>「…」</span></p>
<p><span style="color: #000000;">　出来上がった記事を見たら「同行した松田記者は『僕らは労災が下りますから』と言っていた。タレントの私には労災は下りないのよ！」みたいなことを書かれていて、思わず苦笑。その取材が長引いて食事は夕方近くになり、ひどく空腹になったが食べる場所がホテルの喫茶ルームしかなく、会話もほとんどなしに２人で軽食を３、４人分食べたのは、今となってはいい思い出である。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><strong>■ありがとう、そして、さようなら浜尾朱美さん</strong></span></p>
<p><span style="color: #000000;">　浜尾朱美さん、色々とありがとうございました。あなたと同学年であったこと、人生の中で接点を持てたこと、そんな我が身の幸運を思います。あなたのことを決して忘れません。安らかにお眠りください。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000;">合掌</span></p>
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