東京五輪 イスラエルのテロ犠牲者の追悼を評価

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石井 孝明🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

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経済・環境ジャーナリスト。慶應義塾大学経済学部卒、時事通信社記者、経済誌フィナンシャルジャパン副編集長、アゴラ研究所の運営するエネルギー問題のサイトGEPRの編集担当を経て、ジャーナリストとエネルギー・経済問題を中心に執筆活動を行う。著書に「京都議定書は実現できるのかーC O2規制社会のゆくえ」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞社)など。
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 7月23日に東京五輪が始まった。私はそれを歓迎し、選手の活躍に感謝と期待と応援をしたい。あまり日本で知られていない、この開会式で示された政治メッセージを取り上げてみたい。

◆日本で伝えられない重要場面

イスラエルのナフタリ・ベネット首相(同首相Twitterから)

 1972年のミュンヘン大会で、パレスチナの武装勢力に殺害されたイスラエルチームのメンバーの追悼が、開会式で行われた。報道で初めて知ったが、五輪の正式なプログラムで、この悲劇が追悼されたのは初めてという。

 追悼は、俳優でダンサーである森山未來氏の演じる「記憶・追悼」をテーマにした舞踏の中で登場した。彼が倒れる場面の後で、「ミュンヘンオリンピックで失われたイスラエルの人々の記憶を保ち続ける」というアナウンスの下、1分間の黙祷が捧げられた。これは今進行する新型コロナウイルス感染症との戦いの犠牲者の追悼も兼ねたものだ。

 イスラエルでは大きく報道され、ニュースサイト、テレビ、2大紙の「エルサレム・ポスト」(中道右派系)、「ハーレツ」(中道左派系)で感謝を持って取り上げられた。このテロの遺族も東京の会場に招待されており、ロイター通信は「夫を思い、正義を思い、涙が流れた」と、その中の一人の言葉を伝えている。

在日本イスラエル大使館広報官バラク・シャイン氏のツイートから

 イスラエルのナフタリ・ベネット首相は「この重要で歴史的な瞬間を歓迎します。彼らの記憶が祝福されますように」とツイッターに書いた。

 在日本イスラエル大使館広報官バラク・シャイン氏は日本語で次のようにコメントした。

 1972年のオリンピック・ミュンヘン大会期間中に殺害された#イスラエル人選手11名が、史上初めてオリンピックの開会式で追悼されました。

 この心温まる瞬間を与えてくださいました#Tokyo2020に感謝します。お心遣いは、イスラエル一人一人の心の琴線に触れました。@BarakShine 2021年7月23日午後11時7分投稿)

 筆者は、この追悼問題を放置してきたI O C(国際五輪委員会)の対応と、それを許した国際世論のおかしさを改めて知った。I O Cの姿勢の変化と、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の対応を歓迎し、高く評価したい。そしてテロリズムや暴力への批判を改めて認識した。また日本で行われた五輪で、犠牲者の哀悼を行ったことを誇りに、そして嬉しく思う。加えて、日本とイスラエル、そしてイスラエル国民の多数を占めるユダヤ人との関係が、この動きから深まることを期待する。

◆ミュンヘンでの惨劇を振り返る

 ミュンヘン五輪テロ事件は、アラブ系テロ組織の「黒い9月」が、1972年9月5日にオリンピックの選手村を襲撃し、イスラエル選手を殺害。さらに人質にしてアラブ系テロリストの釈放を、イスラエル政府に求めた事件だ。西ドイツ当局(当時)による救出作戦は失敗し、イスラエル選手団の団員が合計11人、1人のドイツ人警官が亡くなった。5人のパレスチナ人テロリストも死んでいる。イスラエル政府はその後、テログループ幹部の報復暗殺工作「神の怒り作戦」を実行。その経緯は、スティーブン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」という悲しい映画にまとめられている。

 遺族やイスラエル政府は、事件の追悼をI O Cに求めたが、「適切でない」と、応じなかったという。イスラエルと対立するアラブ諸国の反発を恐れたのかもしれない。2013年に就任したドイツ人のトーマス・バッハ会長は遺族の要請に好意的に応じた。I O Cは2016年に、ブラジルのリオデジャネイロ大会で喪の場を作り、今回は正式なプログラムの中に入れた。

 今回の東京大会では、I O Cの思想、つまり多様性、反差別、ジェンダーフリー、平和というメッセージが色濃く出ていた。今の世界の主要国の政治的な思想の主流と同じだ。1896年の第一回アテネ大会から掲げていた理念だが、さらに強く強調されている。

 しかし、平和を掲げても、テロとの戦いは、政治的問題として五輪で忌避されていた。この背景には、見えないものの、西欧の底辺に流れる反ユダヤ主義の思想も少し残っているのかもしれない。その流れを東京五輪は変えた。日本は、中東の政治紛争から離れ、イスラエルとも、アラブ諸国とも友好関係にある。そうした中立の立場であるからこそ、東京で行えたのかもしれない。

 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が、どのようにこの決定に関与したか、踊った森山氏の心境は伝えられていない。ぜひ、準備段階での数多い失敗と共に、評価される点であるこの追悼も、内実を知りたいものだ。

◆軽薄な評価ではなく、問題を深く見つめる

開会式当日の国立競技場(撮影・松田隆)

 日本のメディアは、反イスラエルの論調で知られる。この追悼にほとんど言及していない。テロへの批判は、どのような政治的心情を持とうと、共通して持つべき課題なのに、不思議な無関心だ。

 今回、開会式に参加したある演出家が、ユダヤ人ホロコーストをからかう発言をした20年前のコントの映像を掘り出されて、オリンピック組織委員会に解任された。日本のメディアや反政府の政治活動家は、日本政府批判につながる解任騒動には熱心に言及したが、イスラエル人のテロ犠牲者の追悼はなぜか大きく伝えなかった。

 五輪などの国際的な行事には、歴史や文化が織り込まれている。日本では、そうした背景を深く考えずに、軽薄な政治に絡めた反対論や、底の浅いオリンピックの議論が、メディアの報道や評論で目立った。特に今回は、新型コロナウイルス感染症の流行に絡んで「命を守れ」という単純化した議論からの反対が、立憲民主党や日本共産党、主要メディアで繰り返された。開幕すると、そうした批判者の多くが、日本選手の活躍にはしゃいでいる。軽薄さに、悲しく、哀れみを感じてしまう。

 「ユダヤ」「イスラエル」という日本に馴染みのない視点から問題を眺めると、五輪には深く悲しい歴史が織り込まれている。鍛えられたアスリートの妙技を見ることは、得難い素晴らしい経験だ。しかし、それ以外の視点を持って眺めると、また違った印象を抱け、深く多角的に問題を見つめられるだろう。

 「道に迷わば木を伐りて年輪を見よ」という西欧の諺があるという(寺島実郎「20世紀から何を学ぶか」、あとがき、新潮社)。ここでいう「年輪」とは、その森を作った環境と歴史だ。

 この諺のように、複合的な視点は観戦に役立つだけではない。あらゆる問題で、軽薄に「賛成」、「反対」などの単純な答えを急いで叫んでも、それは解決しない。問題を取り巻く様々な情報を仕入れ思索することで、指針が見えるものだ。日本で伝えられない英文メディアからの情報を紹介するこのエッセイが、多角的に物事をみる一例となって、読者の方の思索を広げていただければ幸いだ。

"東京五輪 イスラエルのテロ犠牲者の追悼を評価"に1件のコメントがあります。

  1. くらやん より:

    井の中の蛙になるところでした!情報ありがとうございます。
    ミュンヘン、イスラエル、ユダヤ、アラブ、テロ・・・
    いくらオリンピックと関連付けてサーチしても、メディアには出てこなくて黙殺されていたんでしょうか?意図的に。
    そして知らずに、別の話題(小山田氏等の辞任など)に関心を寄せつつ、開会式を眺めてました。
    今は、選手の活躍に一喜一憂し、メディアに噛り付く。
    日本がほかの国から、どのように見られているかもそうですが、知らない事ばかりです。
    重ねての情報ありがとうございました。
    また楽しみにしています。

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