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	<title>石毛智子 | 令和電子瓦版</title>
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	<description>政治、社会、運動、芸能など、様々なジャンルのニュース＆オピニオンサイトです</description>
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	<title>石毛智子 | 令和電子瓦版</title>
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		<title>24年後もサバイバー 中島瑞果（1）PTA会長”みずっち”</title>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 08 Feb 2026 06:06:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[石毛智子]]></category>
		<category><![CDATA[サバイバー]]></category>
		<category><![CDATA[小野郷司]]></category>
		<category><![CDATA[松尾純子]]></category>
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					<description><![CDATA[　2002年放送の「サバイバー」（TBS系）出場者のその後をたどるシリーズ第三弾は中島瑞果（みずか）氏を取り上げる。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　2002年放送の「サバイバー」（TBS系）出場者のその後をたどるシリーズ第三弾は中島瑞果（みずか）氏を取り上げる。当時30歳、可憐な容姿に、大胆な水着姿で無人島を駆け回り、優勝まであと一歩の３位となった”みずっち”の活躍に、目を奪われた男性視聴者も多かったに違いない。54歳の今は３児の母として主婦業をこなす傍ら、PTA会長の重責を果たしつつ更生保護の担い手として地域に貢献している。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />３月から保護司に</span></strong></span></p>
<div id="attachment_20658" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/52701d57e15f6c7bd3ff1a9c34b97d7c.jpeg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20658" class="wp-image-20658" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/52701d57e15f6c7bd3ff1a9c34b97d7c-300x198.jpeg" alt="" width="220" height="145" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/52701d57e15f6c7bd3ff1a9c34b97d7c-300x198.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/52701d57e15f6c7bd3ff1a9c34b97d7c.jpeg 737w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20658" class="wp-caption-text">現在の中島瑞果氏（撮影・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　2025年７月18日、文部科学省で特別支援教育に携わる教員への給与の調整額削減に反対する保護者らの記者会見が行われた。同年６月に成立した「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法等の一部を改正する法律」を受けて、特別支援教育の現場で働く教員の給料の調整額が現行の給与月額に対して３％支給から、2028年には1.5％まで引き下げられることの見直しを文科省と財務省に要請したことを報告した。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　会見場には６人の保護者が並んだ。盛夏の時期、カジュアルなクールビズの服装で臨む保護者の中、ただ一人フォーマルな黒いスーツを着込んだ女性の姿があった。会見に参加した記者も、同席した保護者さえも、その女性がかつてサバイバーで３位の”みずっち”であることを知らないと思われる（以上、教育新聞「<a href="https://www.kyobun.co.jp/article/2025071804">特別支援教育の調整額削減は見直しを 保護者らが改めて要請</a>」参照）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　サバイバー出場時、「珈琲豆専門店店員」「フリーター」などと紹介された中島氏は、現在は夫の姓（丸山）となり、様々な役職をこなす。肩書きは、自身の子が通う市川市内の小学校のPTA会長（来年度で３年目）と学校運営協議会・委員、同市PTA連絡協議会・副会長、千葉県公安委員会少年指導員、千葉県警察少年補導員などを入れて７つを数える。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　2026年３月から千葉県市川浦安地区保護司、５月からは千葉県PTA連絡協議会・理事・代議員などの役職が加わる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　保護司は法務大臣が委嘱するもので、その使命は「…社会奉仕の精神をもつて、犯罪をした者及び非行のある少年の改善更生を助けるとともに、犯罪の予防のため世論の啓発に努め、もつて地域社会の浄化をはかり、個人及び公共の福祉に寄与すること」（保護司法第１条）と規定されている。保護司になる者の条件は以下のとおり。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">１　人格及び行動について、社会的信望を有すること。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">２　職務の遂行に必要な熱意及び時間的余裕を有すること。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">３　生活が安定していること。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">４　健康で活動力を有すること。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">（保護司法第３条第１項）</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　お堅い肩書きとは対照的に、カメラの前で見せてくれた笑顔はサバイバー出場時の”みずっち”の愛らしさそのままであった。そのギャップに中島氏が歩んだサバイバー後の24年の重みを感じずにはいられない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />目に飛び込んできた「日本版サバイバー募集開始」</span></strong></span></p>
<div id="attachment_20660" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/41fb2316a831563c0f461807ec37041d.jpeg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20660" class="wp-image-20660" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/41fb2316a831563c0f461807ec37041d-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/41fb2316a831563c0f461807ec37041d-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/41fb2316a831563c0f461807ec37041d-1024x614.jpeg 1024w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/41fb2316a831563c0f461807ec37041d-768x461.jpeg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/41fb2316a831563c0f461807ec37041d.jpeg 1417w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20660" class="wp-caption-text">サバイバー出演の頃の中島氏（本人提供）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　今から24年前の2002年初頭、６月に開幕する日韓共催のサッカー・ワールドカップに向けて緊張が高まっていた時期、都内の珈琲豆専門店に勤務していた当時30歳の中島氏は、レジの前で、客に見えないように手元に置いた新聞のテレビ欄を何気なく見ていた。すると、「日本版サバイバー募集開始」という小さな活字に目を奪われた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　既に日本でもTBSの深夜枠などで放送さ れていた米国版（ファーストシーズンは2001年１月から）を視聴しており、「あの世界観、映像のきれいさ、あそこに身を置いてみたい」という願いを持っていた。その憧れの番組が日本でも始まることを悟ったのである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「絶対にいつか日本でもやると思っていました。（アメリカ版は）日本だと松尾（純子、当時36＝番組での肩書き・レストランプロデューサー）さんや小野（郷司、当時32＝会社経営）さんみたいなキャラの人たちが怖そうだなとか、追放されたらどんな気持ちがするのかなとか、（ゲームでやっていた）虫を食べられるかなとか、協調性があるかどうかもわからないし、でも、行ってみたいよね～という気持ちでした。それで医師が付いていて絶対安全というのがあったので『それなら行ってもいいかな』と思いました。もう頭の中はそれでいっぱいです。」</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　高校卒業後に芸能活動をしていた中島氏にとっては、米国版サバイバーは憧れの番組でもあった。そこでテレビ欄を当時の雇用主に見せて「これ、やりたかったものです。行きたいです」と言うと、あっさりとＯＫを貰えた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうして番組に応募をすることになったが、素人参加番組に興味本位で応募するというものではなかった。前年2001年に30歳という区切りの年齢に達したこともあり、「合格しなかったら芸事を廃業しよう。18歳からここまで頑張ってきてオーディションで一般の方に負けるようなら、辞める」と、並々ならぬ決意を持って臨むことになる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　芸能活動をしていたことから、テレビ番組ではキャラクターをはっきりさせた方がいいという番組サイドの事情はわかっていた。そこで選んだのが、口の悪いセクシー系。米国版サバイバーでは１人はいるタイプで、かつ、日本のテレビ業界でも好まれるタイプになり切ろうと決めた。もっとも、「『口の悪い』というのは姐やん（松尾純子氏）が抜きん出ていたので、役をとられました」とのことで、現地では素顔の自分で臨む結果になったという。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そして、オーディションでは「めちゃくちゃバストを詰め物でボリューミーにしてタイトな服で行きました」と、セクシー系を強調する作戦に出て最終審査に駒を進めた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />出発前の秘密の同盟の相手</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　最終オーディションはTBSで行われる。こうしたオーディションでは開始１時間前に現地入りすることにしていた中島氏は、早めに現場に到着。近くのコーヒーショップに入り、ゆっくりと椅子に腰掛けた。当時は飲食店では喫煙が可能であったため、灰皿を近くに置く。注文したコーヒーの蓋を外し、手にしたコーヒーフレッシュを静かに流し込んだーー灰皿に。「落ちたら芸事廃業」の決意の下、極度の緊張状態にあったことを実感し、店内で自らの行為に大笑いしてしまった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　集合場所のTBSのロビーに行き、一人がけのソファーに座って開始を待った。そのうち、カメラクルーが現れ、オーディション参加者と思われる人の撮影を始めた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　（やだ、これ出来レース？）と不信感が募り、近くに座っていた女性と目を合わせた。相手の女性も同じことを考えていたのかもしれない。どちらともなしに話を始め、すぐに意気投合した。その女性が石毛智子氏（当時25、帰国子女）であった。その後、カメラクルーは２人のもとにもやってきて、撮影を始めた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ロビーでの撮影後、最終オーディションまで６時間ほど時間があったので、石毛氏をその頃住んでいた世田谷区喜多見の自宅に招き、おしゃべりを続けた。コーヒーフレッシュを灰皿に流し込んだ失敗談に、石毛氏は大笑いしていたという。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　連絡先を交換した２人は「もし、合格したら秘密の同盟ね」と約束した。この秘密同盟は、両者が別々のチームに所属することになり、石毛氏がチーム戦で追放されて合流を果たせなかったため実現することはなかった。石毛氏追放直後の投票免除ゲーム「ワニの生けどり」の際、相手チームに石毛氏の姿が見えなかったことについて「トモちゃん（石毛氏）が来なかったゲームの日、心から落ち込んだことは忘れていません」と語る。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　すっかり打ち解けた２人は、周囲から見ると目立つ存在であったのは間違いない。最終会場にいた若松泰恵氏（当時27＝工具店の看板娘）は「すごく綺麗な女性が２人いました。…その２人はオーディションで仲良くなったのか、よく分からないのですが、…いかにも東京の人という感じの華やかで綺麗な人だなと思いましたし、とても目立っていました」と後日語っている（参照・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20250930/">23年後のサバイバー 若松泰恵(1) 始まりは扁桃腺</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />ボディピアスを釣り針にしない約束</strong></span><span class="Apple-converted-space"> </span></span></p>
<div id="attachment_20659" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/51dc133fcdcde2d60b0ce649a07fbbdd.jpg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20659" class="wp-image-20659" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/51dc133fcdcde2d60b0ce649a07fbbdd-300x200.jpg" alt="" width="220" height="146" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/51dc133fcdcde2d60b0ce649a07fbbdd-300x200.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2026/02/51dc133fcdcde2d60b0ce649a07fbbdd.jpg 709w" sizes="(max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20659" class="wp-caption-text">番組ではバイクを押している姿が紹介された（ＡＩで生成）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうして後がない思いで臨んだオーディションを見事に勝ち抜いた。家族への報告は直前になったことで両親は激怒したというが、動き出した歯車を止めることはできない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　出発前、歯科で木の枝で歯の磨き方を尋ねたり、島で着用する水着を買ったり、忙しい時間を過ごした。TBSによる衣装チェックもあったが、用意した衣装はすべて認められた。</span><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">渋谷のOCTOPUS ARMY（オクトパスアーミー）でアルバイトしていた中島氏にすれば当たり前のことである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　また、ボディピアスの装着も認められた。ただし「釣り針に使用しないこと」という制約付きであった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうして、2002年３月にパラオの無人島・ゲメリス島に向かうことになる。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">24年後もサバイバー 中島瑞果<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20260211/">（2）生き残るために</a> に続く</span></p>
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			</item>
		<item>
		<title>23年後のサバイバー 若松泰恵(2) 独立系の苦悩</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20251014/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Oct 2025 15:04:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[サバイバー]]></category>
		<category><![CDATA[平井琢]]></category>
		<category><![CDATA[若松泰恵]]></category>
		<category><![CDATA[石毛智子]]></category>
		<category><![CDATA[佐藤徳一]]></category>
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					<description><![CDATA[　「サバイバー」（2002年、TBS系）に出場、現在はラジオのパーソナリティなどで活躍する若松泰恵氏（50）の連載の第２回をお届けする。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「サバイバー」（2002年、TBS系）に出場、現在はラジオのパーソナリティなどで活躍する若松泰恵氏（50）の連載の第２回をお届けする。16人の出場者に選ばれた若松氏は他の出場者とともに2002年３月、パラオへ向かった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />赤道直下の無人島へ<span class="Apple-converted-space"> </span></span></strong></span></p>
<div id="attachment_20438" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/ef4e8c3beb2aec7585c9f3f2e9c4f4d0.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20438" class="wp-image-20438" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/ef4e8c3beb2aec7585c9f3f2e9c4f4d0-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/ef4e8c3beb2aec7585c9f3f2e9c4f4d0-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/ef4e8c3beb2aec7585c9f3f2e9c4f4d0-768x461.jpeg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/ef4e8c3beb2aec7585c9f3f2e9c4f4d0.jpeg 850w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20438" class="wp-caption-text">パラオでの若松氏、左は平井氏（若松氏提供）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　サバイバーの舞台は、番組では「パラオの無人島」と紹介されている。TBSの社内報によると「誰にも邪魔されずに、四〇日間生活できる無人島を探してくれ」と言われたＹディレクターが「ゲメリス島という最高の環境を見つけ出してくれました」（TBS 新・調査情報2002 9-10：creator’s voice サバイバー 安田淳 p61）と記載されている。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ゲメリス島はNgemelis Islandと思われ、日本での表記はンゲメリス島、ジメリス島、ガムリス島と統一されていない。第二次大戦時の日米の激戦地であるペリリュー島（Peleliu Island）の北西、直線距離で12～15kmほどの場所に浮かぶ、おおむね南緯７度８分、東経134度13分に位置する赤道直下の無人島である。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　サバイバーは16人が8人ずつの２チームに分かれ、さまざまなゲームを行なって負けた方がメンバーの１人を投票で追放していく。総勢10人になった時に両チームが合流し、仲間内でゲームを行なって１人ずつ追放していき、最後に残った２人のうちどちらが真のサバイバーに相応しいかを、追放された３位から８位までの６人の陪審員の投票で決定するという仕組みである。米ＣＢＳの人気番組「Survivor」の日本版である。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ところが、このルールを若松氏は事前に理解できていなかった。米国版サバイバーも視聴したことはなく、「現地に行くまでルールを正確に理解していませんでした。ゲームに勝ったチームが負けたチームのメンバーについて『あの人、強そうだから落とそう』と、投票して落とすものだと思っていました。そもそも自分のチームで投票して自分のチームのメンバーを落とすという感覚がなくて、ロケが始まって他の人にルールの説明を聞いて『えっ！？』という感じでした」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　当然のように「戦略とかゼロです。何も考えていませんでした。そもそも『無人島に行ける、面白そう』という程度の考えで応募しましたから」（若松氏）と、優勝への道筋を深く考えることなく、現地に乗り込んだのである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />誰とも相談せずに投票<span class="Apple-converted-space"> </span></span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　若松氏が所属したベケウ（Bekeu=パラオ語で勇者）は、平均年齢26.0歳の若いチームで、リーダーにはリバーガイドの平井琢氏（当時26歳）が選ばれた（参照・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20250522/">”ごきげんよう” 23年後のサバイバー 平井琢（２）</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　チームの中で最初に問題を起こしたのが佐藤徳一氏（当時23歳＝無職）であった。支給されたペットボトル１本分の水を早々と飲み切ってしまい、メンバーから少しずつ分けてもらうという甘さ、無計画さが非難の対象となった。さらに、生活に必要なナタを紛失し、それが原因でメンバーと口論になり、高波邦行氏（当時23歳＝ボクサー志望）と殴り合いの喧嘩となってしまった。チーム内で孤立しているのは明らかで、追放される最有力候補と目されていた。</span></p>
<div id="attachment_20441" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/0a250334a6e99fb66074cee164633e2e.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20441" class="wp-image-20441" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/0a250334a6e99fb66074cee164633e2e-300x190.jpeg" alt="" width="220" height="139" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/0a250334a6e99fb66074cee164633e2e-300x190.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/0a250334a6e99fb66074cee164633e2e-768x486.jpeg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/0a250334a6e99fb66074cee164633e2e.jpeg 1020w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20441" class="wp-caption-text">ベケウチームの人間関係（作成・松田隆、イラストはＡＩで生成）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　幸いにも第１回の投票免除ゲームに勝って追放者は出なかったが、３日後の第２回の投票免除ゲームではデレブチームに敗れて追放者を出さなければいけなくなった。ベケウチーム８人が誰に投票し、誰を追放するのか。番組スタート当時は仲間による多数派工作もそれほど活発ではない。事実、若松氏には誰に投票するかという相談は全くなかったという。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「他の人は話をしていたのか分かりませんが、私は誰とも（第１回の投票での追放者に関して）話していませんでした。あの時はぶーちゃん（佐藤氏）に７票集まると思っていました。『他に落とす人いないでしょ』、『話し合いなどする必要はないでしょ』、と。投票免除ゲームがスポーツ系のため、ぶーちゃんがいたら勝てませんから。勝たないと人がどんどん減っていくので負ける訳にはいきません。そのため、開票時に春日（尚）さん（当時34歳＝サラリーマン）に３票集まった時は愕然としました。（何で春日さんに３票入ってるの？）って、すごく思いました」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　若松氏が愕然としたのは自身の予想と開票結果が大きく乖離していたことだけが理由ではなかった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「（ゲームの勝利を考えずに）誰かに帰って欲しいというのであれば私の中では断然、春日さんだったんです。ですから、春日さんに３票集まったのを見た時に『（事前に）言ってよ！』という感じでした。もし、その３人から『春日さんを落とそうと思うからワカも乗って』と言われれば乗ったでしょう」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><b>　</b>実際は何の相談もないまま投票した若松氏の１票が効いて、佐藤氏が４票で最初の追放者となった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />春日氏への複雑な思い</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　番組では放送されなかったが、若松氏は春日氏に対してはいい印象を抱いていなかったという。ことはパラオへの出発時に遡る。そもそも春日氏は他の15人とは別の便で遅れて現地入りした。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「関係者から、春日さんは成田空港に来る際にパスポートを忘れて飛行機に乗れなかったと聞きました。それが本当かどうか分かりませんが、当時の私はそれを信じていました。そのため、私の中では『この人、やる気あるのか』という感じで見ていたのは事実です。そもそもテレビに出るのは非日常じゃないですか。それを『ただ、フワッときて、フワっと帰るつもりなのかな』と。春日さんはいつも飄々としていたので、『いやいやいや、テレビ番組だぞ、これは』と思っていました。ぶーちゃんも『変わりたい』と言っていたので、撮影のない時間には２人（春日氏と佐藤氏）にパワー注入です。『気合いを入れていくぞ！』という感じで。私も何様なんだという話はありますけど（笑）」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　もちろん、若松氏も葛藤を抱えていたのは間違いない。最近、当時の日記を読み返したそうで「2人に『私、言い過ぎ？』って聞いたり、自分も完璧に色々こなせてもないのに、キツいこと言ってていいのかな？相手を傷つけてないか凹むこともあるけれど、言い方が加減出来ない。感情むきだし。はぁ～(ため息)』と書いてありました」と内容を説明する。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　もともと若松氏はメディアでの活躍を目指して名古屋から横浜へと出て、日々、活動の場を広げることに腐心してきた。コネとも呼べない関係を頼りに、仕事を取ろうとしてきた若松氏にすれば、積極的に番組を盛り上げようという姿勢が見えない２人にもどかしさを感じたであろうことは容易に想像がつく。出場者の間で番組への温度差が存在したことは確かなようである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　当時のことを平井氏は「不安や戸惑いから『もう帰りたい』と漏らす人も多かったですね。そんな中でも、『私は残るよ』と力強く言っていたのは、若松さんだけでした」（参照・<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20250522/">”ごきげんよう” 23年後のサバイバー 平井琢（２）</a>）と証言する。その点を受けて若松氏は以下のように説明した。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「もともとスポーツのレポーターになろうとしていましたし、業界に憧れもありました。それが鳴かず飛ばずで仕事がなく、地元に帰ってきたわけです。テレビに映るのなら長い時間映った方がいいし、よく見えるように映った方が得です。それを『売名だ』と言う人もいるかもしれませんが、『売名以外に何のメリットがあるの？』と言いたいですね。思い出作りで来ている訳ではありませんから。賞金1000万円を取りに来た人もいるでしょうし、松尾（純子）さん（当時36歳＝レストランプロデューサー）のように初代の優勝者になりたいと栄誉・称号を手に入れたい人もいました。そういう目的を持つことが正しいことだと当時の私は思っていました」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />23年後の出場者の関係</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ベケウチームは続く投票免除ゲームにも敗れ、チームとしての２人目の追放者を出さなければいけなくなった。追放審議会もチームで２度目となると、追放者を巡って多数派工作が活発化していく様子は番組から見てとれる。若松氏を除く女性３人が集まって会話を交わすシーンや、平井氏が男女間で溝ができている状況を説明するシーンも流された。極めつけは高波氏で、「戦力的には男３対女３、プラス、ワカ（若松氏）という感じで…」と話す場面が放送された。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　若松氏はこの時、はっきりと男女どちらにも与しない独立系と見られていたようである。実際、この頃のことを振り返り「私の中ではぶーちゃんの次は春日さんでした」と、他のメンバーには相談せずに春日氏に投票したことを明かす。開票の結果は春日氏４票、石毛智子氏（当時25歳＝帰国子女）が３票で、１票差で春日氏の追放が決まった。</span></p>
<div id="attachment_20439" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20439" class="wp-image-20439" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3-300x169.jpg" alt="" width="220" height="124" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3-300x169.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3-768x432.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3-320x180.jpg 320w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/10/37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3.jpg 850w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20439" class="wp-caption-text">佐藤氏（右）と一緒に（若松氏提供、2025年撮影）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　２度の投票は共に１票差、そしてどちらにも与しない若松氏の１票が勝敗を分けた。本人は意識がなかったのかもしれないが、結果だけ見れば、完全にキャスティングボートを握る存在となっていた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　投票から23年、20代・30代だったメンバーは熟年と呼ばれる世代へとなった。ゲームとはいえ、若松氏が追放した形の佐藤氏、春日氏との関係は気になるところである。筆者がそんなことをあれこれ考えていたところ、若松氏からメールが届いた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「久しぶりにサバイバーのことを思い出して懐かしくなったのと、ちょうど週末に…出張が重なりましたので、ぶーちゃんこと佐藤くんに連絡をとって、10数年ぶりに会ってきました。…懐かしい話に花が咲きました。」</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">（SNS関連投稿⇨ <a href="https://x.com/rd_kawaraban/status/1977753258203496616">X</a> ）</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">23年後のサバイバー 若松泰恵<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20251020/">(3) 薄氷踏む日々</a>へ続く<span class="Apple-converted-space"> </span></span></p>
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			</item>
		<item>
		<title>23年後のサバイバー 若松泰恵(1) 始まりは扁桃腺</title>
		<link>https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20250930/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Sep 2025 15:03:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[中島瑞果]]></category>
		<category><![CDATA[サバイバー]]></category>
		<category><![CDATA[若松泰恵]]></category>
		<category><![CDATA[石毛智子]]></category>
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					<description><![CDATA[　「サバイバー」（TBS系）の出場者のその後を辿り、彼らにとってサバイバーがどのようなもので、今にどう活かされているかを探るシリーズ第２弾・若松泰恵氏をお届けする。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「サバイバー」（TBS系）の出場者のその後を辿り、彼らにとってサバイバーがどのようなもので、今にどう活かされているかを探るシリーズ第２弾・若松泰恵氏をお届けする。”弱小”ベケウチームのメンバーとして最後まで生き残って第７位に入る見事なサバイバルぶりは、2002年の放送当時から目立つ存在であった。今も元気に地元メディアやモータースポーツの現場で活躍を続けており、第１回の今回は出場までの経緯を明らかにする。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />MCワカはFMで活躍中</span></strong></span></p>
<div id="attachment_20392" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/top-waka.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20392" class="wp-image-20392" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/top-waka-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/top-waka-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/top-waka-768x461.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/top-waka.jpg 850w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20392" class="wp-caption-text">ハートFMでMCを務める若松泰恵氏（撮影・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><span class="Apple-converted-space"> </span>　名古屋市中区にある千早交差点の一角、一際目立つ赤く塗られた壁の奥に、ガラス張りの<a href="https://heartfm.jp/">ハートFM</a>のスタジオがある。９月25日（木）午後４時、「BEAT WAVE」という番組が始まり、MCワカ（<a href="https://heartfm.jp/team/mc-waka/">WAKA</a>）の声が流れた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「今日はですね、わたくし、このBEAT WAVE Thursday（木曜日）のですね、なぜだか取材が入っておりまして。この番組全体に取材が入るのは初めてだと思うんですけども、それでわざわざ東京から取材の方が来てくださっておりまして。多分、遅れてはいけないということで４時からの番組なのに、めっちゃ早く昼ぐらいにもう名古屋に到着して（ハートFMっていうのはどういうところなのかな）っていうので…」</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　この日、取材に訪れた筆者を話の枕に振って、通常のトークへと入っていく。そのスムーズな進行と滑舌の良い話し方は、喋りのプロとしてのスキルを感じさせる。コミュニティFMとして名古屋地区の人だけでなく、インターネットを通じて全国の人に声を届けている（JCBA・<a href="https://www.jcbasimul.com/">インターネットサイマルラジオ</a> 東海地区）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　MCワカ（WAKA）は本名、若松泰恵（50）。2002年４月から始まったサバイバーファーストシーズンに27歳の時に出場、全行程39日のうち31日目まで残り、旧チームのメンバーが全員追放された後も孤軍奮闘して７位に入った。166cmのスラリとした体型に、端正な顔立ちから男性ファンが多かったことでも知られる。ネット上では「1stシリーズにおけるヒロイン的な立ち位置の人物」と紹介されている（Wikipedia・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/サバイバー_(日本のテレビ番組)">サバイバー (日本のテレビ番組)</a>）。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />中高の教員免許取得も実家に”就職”</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　若松氏は1975年、愛知県西尾市の出身。実家は工具店を営んでおり、３人きょうだいの長女で、番組出場時は実家の手伝いもしていたことから「工具店の看板娘」などと紹介されることもあった。小学校の頃、当時、人気のあったＦ１をテレビで見て、その魅力に惹かれた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><span class="Apple-converted-space"> </span>　「最初にハマったのが（アイルトン）セナ、（アラン）プロストとか、中島（悟）さん、そのあたりの時代です。その後に（ミヒャエル）シューマッハです」と言う。好きだったセナの事故死（1994年５月１日）には「ショックでしたね。シュンとなってしまって、『もう見るのやめようかな』と思うぐらい」と言いつつも、一方で「人が亡くなったのにファンが減らないスポーツって何だろうと思いました。（ドライバーが）命懸けでやっているということも（人気の理由として）あるのかな」と複雑な思いを抱いたという。その後、『バイクも面白いな』と感じて興味の範囲を広げていく。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　地元・西尾市で高校時代まで過ごして1993年に名古屋市内にある大学の文学部日本文学科に進学、近代文学を専攻した。受験科目では国語が得意で文章を書くことが好きだったこと、マスコミに入り編集やライティングをしたいという漠然とした思いがあり、４年制大学への進学を決めた。在学中には教職課程も履修、教育実習も行って中学・高校の国語の教員免許を取得した。</span></p>
<div id="attachment_20395" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/1a99daf53e8413bf5b66ecfba0d953ce.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20395" class="wp-image-20395" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/1a99daf53e8413bf5b66ecfba0d953ce-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/1a99daf53e8413bf5b66ecfba0d953ce-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/1a99daf53e8413bf5b66ecfba0d953ce-1024x614.jpg 1024w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/1a99daf53e8413bf5b66ecfba0d953ce-768x460.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/1a99daf53e8413bf5b66ecfba0d953ce.jpg 1191w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20395" class="wp-caption-text">幼い頃の若松氏（本人提供）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　大学時代は就職氷河期と呼ばれた時代、母親が体調を崩したこともあり就職活動はせずに実家の事業を手伝うことにした。こうして「工具店の看板娘」というサバイバー出場時のプロフィールの土台が出来上がることになる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　もっとも実際に家の仕事を手伝うことになると、私生活も仕事も24時間、家族と一緒に過ごすことになり、それが苦痛になった。もともとマスコミ志望、タレント事務所の研修生に合格したこともあって横浜で一人暮らしを始め、東京で仕事をこなすようになる。しかし、簡単には仕事はもらえない。「CMのエキストラなどをしましたが、（定期的な）仕事は何もなくて。『25歳にもなって、私、何をやってるんだろう』と思って」（若松氏）、2000年に愛知県に戻る。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　帰郷してすぐに自宅のPCを利用してホームページを作成、スポーツレポーターを目指し個人サイト「ワカの部屋」を開設（現在は<a href="https://mc-waka.jimdosite.com">mc_waka</a>）。スポーツの観戦記をアップしていたが、同年10月には知人の勧めもあって得意分野のモータースポーツに活動の照準を合わせた。たまたまその知人がレース関係者に知り合いがいたため、ライダーヘルパーやイベントスタッフの仕事もこなすようになる。やがてトライアルデモンストレーションのMCという、重要なポジションも経験することとなった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうして「コネとも言えないような関係」（若松氏）を必死に手繰り寄せて、モータースポーツの世界に自らの居場所を確保していった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />オーディション会場で会った個性豊かな人々</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　モータースポーツの世界で格闘していた2002年１月、たまたまテレビでサバイバーの出場者募集のＣＭを目にする。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「その頃、扁桃腺の手術をして、たまたま家にいました。普段なら絶対にテレビを見ない時間です。ＣＭを見て『無人島で生活するって面白そう』と興味を持ち、ネットで検索して応募しました。住所、氏名に志望動機を書く程度で写真も送っていないと思います。応募フォームからの応募で、（あっさりし過ぎて）自分で出したことを忘れるぐらいでした」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　名古屋地区の会場に行くと面接があり「自分はどういう性格だと思うか」「男女が混じって集団生活をすることになりますが、うまくやっていく自信がありますか」など、「当たり障りのないこと」（若松氏）を聞かれた。「その時、私は『誰とでも仲良くなれるので大丈夫だと思います』みたいなことを言った記憶があります。面接担当の方が『こういう人が来るかも』『こんな人もいるかも』みたいな変な人の例を出したのですが、私は『全然平気ですね』と言いました」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　その受け答えがよかったのか、名古屋でのオーディションに合格してＴＢＳで行われる面接に臨むことになった。指定された日にＴＢＳに行くと大きな会議室のような部屋に集められた。50人程度が集まっていたという。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　全国から集まった出場候補者を見ていると、個性豊かな人が集まっているのが感じられた。「すごく綺麗な女性が２人いました。タレントさんみたいなオーラをまとっていて。その２人はオーディションで仲良くなったのか、よく分からないのですが、私など名古屋の田舎の子ですので、その２人はいかにも東京の人という感じの華やかで綺麗な人だなと思いましたし、とても目立っていました」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　さらに自分の隣に座った男性に驚かされた。「その人、鏡を持っていたんです。自分の髪を気にしている様子で、言葉を選ばずに言えばナルシストっぽい感じでした。それでアンケート用紙が配られて『無人島に３つ持っていけるとしたら、何を持っていくか』というような質問があったのですが、その男性が『鏡』って書いているのが見えてしまって…。『この人、ヤバい』という印象を持ちました」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />集合した16人のサバイバー</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　この時の合格者の発表はＴＢＳの特番の中に組み込まれた。若松氏の自宅にＴＢＳのスタッフが合否が入った封筒を持って訪れ、封を開けてそのリアクションを撮影したいという趣旨の話を事前に伝えられた。「それを聞いた時に完全に合格したと思いました。『まさか愛知県まで来て不合格はないでしょう』『不合格を撮りに来ないでしょう』と」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　若松氏の予想通り、封筒の中には合格通知が入っており、後に番組で使用するスポーツレポーターとして選手をインタビューするシーンなどを撮影していった。</span></p>
<div id="attachment_20393" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/IMG_8487.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20393" class="wp-image-20393" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/IMG_8487-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/IMG_8487-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/09/IMG_8487.jpg 652w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20393" class="wp-caption-text">ハートFM外観（撮影・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうして2002年４月から始まる番組の出演者16人が決定し、舞台となるパラオに向かう前にＴＢＳに全員が集められた。会場に行くと「いかにも東京の人という感じの華やかで綺麗な人たち」と感じた２人の女性も合格していたことを知った。それが中島瑞果氏（当時30歳、珈琲豆専門店店員）と石毛智子氏（当時25歳、帰国子女）であった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　また、隣で鏡を見ていた”ナルシスト”の匂いがする男性の姿を見かけて、（あ、いた！）と声を出しそうになったという。それが岡部泰三氏（当時26歳、ボーイスカウト日本代表）であった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　石毛氏とはベケウチームで一緒になり、最後は追放の対象としてお互いの名前を書いて争うことになる。また、中島氏は31日目に若松氏の名前を書いて追放のための１票を投じる。もちろん、その時点で若松氏にはそんな未来は想像すらできなかった。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">（SNS関連投稿⇨ <a href="https://x.com/rd_kawaraban/status/1972679618617606388">X</a> ）</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">23年後のサバイバー 若松泰恵<a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20251014/">(2) 独立系の苦悩</a> へ続く</span></p>
]]></content:encoded>
					
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		<title>”ごきげんよう” 23年後のサバイバー 平井琢（３）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 25 May 2025 09:52:28 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[サバイバー]]></category>
		<category><![CDATA[平井琢]]></category>
		<category><![CDATA[小野郷司]]></category>
		<category><![CDATA[松尾純子]]></category>
		<category><![CDATA[石毛智子]]></category>
		<category><![CDATA[蓑島恵利]]></category>
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					<description><![CDATA[　「サバイバー」（2002年、TBS系）に出場した平井琢氏（49、当時26歳）の連載の第３回をお届けする。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「サバイバー」（2002年、TBS系）に出場した平井琢氏（49、当時26歳）の連載の第３回をお届けする。同氏が率いたチーム”ベケウ”は追放者４人を出し、残った４人で６人の”デレブ”と合流した。平井氏は持ち前の運動能力で投票免除（追放を逃れる権利を争う）ゲームを制して勝負強さを発揮する。しかし、思わぬアクシデントがきっかけとなり追放されることとなった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />戦意喪失していた？若手２人</span></strong></span></p>
<div id="attachment_20065" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/04cdbaba60b2b695ae15e771783629ab.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20065" class="wp-image-20065" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/04cdbaba60b2b695ae15e771783629ab-300x200.jpg" alt="" width="220" height="147" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/04cdbaba60b2b695ae15e771783629ab-300x200.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/04cdbaba60b2b695ae15e771783629ab.jpg 652w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20065" class="wp-caption-text">陪審員６人が集合（平井氏提供）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　合流したチームは10人で構成され、平井氏のベケウは４人という少数派であった。その少数派のリーダーで、しかも運動能力が高い平井氏はマジョリティであるデレブから警戒され、ターゲットにされる存在であった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「数の原理で言えば普通に勝てません。それと同じベケウの渋谷（美奈）さん（当時19歳、短大生）と高波（邦行）君（当時23歳、プロボクサー志望）が急に『帰りたい』と言い出して戦意を喪失しているように見えたので、『これはまずいぞ』という思いがありました。もしかすると（デレブのリーダーの）小野（郷司）さん（当時32歳、会社経営）や松尾（純子）さん（当時36歳、レストランプロデューサー）に掌握されていたのかもしれません。それなら（先に追放した）平川（和恵）さん（当時31歳、主婦）やゲッチ（石毛智子さん、当時25歳、帰国子女）を残した方が良かったのかなと思いました」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　その厳しい状況で勝ち残りを狙うには、ゲームを制して我が身の安全を確保した上で多数派の分裂を狙うしかない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「合流して個人戦になってもゲームで勝ち続ければという思いはありましたし、それしかないと思っていました」と振り返る。その上で、「合流後は相手チームも結構、内紛が始まりそうな雰囲気がありましたから、少し勝ち続けて僕を落とせない状況が続けば、風向きが変わるかなと考えました」と自分なりの戦略を明かした。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　実際、合流後に平井氏はゲームを２連勝する。戦意を喪失していたように見えた高波氏は最初の追放者となったが、追放決定後、メンバーに話しかける時には笑顔で感謝の言葉を述べた。その様子は画面越しに見た限りでは敗退を悔しがる様子はなく、言われるように戦意を喪失していたのかもしれない。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　続いて渋谷氏がドクターストップで島から離れ、デレブ６人に対してベケウは若松泰恵氏（当時27歳、自営業手伝い）との２人だけになってしまう。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />幻に終わった３人連合</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　パラオの無人島での生活から20年以上の月日が流れたが、当時の記憶は鮮明に残っているようである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「僕たち（ベケウ）がしっかりと固まって、あちらから１人引き入れていれば勝ち筋はあったと思います。でも、僕たちにはそこまでの団結力がありませんでした。若い２人（高波氏と渋谷氏）は帰りたがっていたし、若松さんは１人で戦うタイプですから」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ベケウの２人が追放されて残り８人になった時点で、デレブの吉野大輔氏（当時30歳、元僧侶）からアプローチを受けたが、平井氏は拒絶した。仮に吉野氏と手を結べば、２対６の不利な構図は３対５となり、さらに小野氏との関係があまり良くなかった松尾氏を引き込めば形勢逆転の芽も見えたが、その場にいた若松氏が吉野氏に拒否反応を示し、平井氏も同様に拒絶したことで３人の連合は幻に終わる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「そこは僕の未熟さです。実は小野さんから『吉野はもう壊れてるから、話を聞かない方がいいよ』とよく言われていました。それに洗脳されたわけではないのですが、本当に吉野さんが普通の状態ではないように見えました。そこはやはり小野さんがすごかったということなのでしょう」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />サバイバーメンバーによる撮影ボイコット</span></strong></span></p>
<div id="attachment_20066" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/IMG_8019.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20066" class="wp-image-20066" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/IMG_8019-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/IMG_8019-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/IMG_8019.jpg 652w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20066" class="wp-caption-text">長瀞の岩畳に立つ平井氏（撮影・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　平井氏の追放は思わぬ形でやってくる。きっかけは25日目、渋谷氏がドクターストップで失格したことであった。平井氏によると、以下のような経緯であった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　渋谷氏のドクターストップの原因は栄養失調による胃腸炎であり、残されたメンバーの間で不満が高まった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そもそも出演時の契約書にはヘルスチェックを受けるという項目が盛り込まれていた。しかし、実際に行われたチェックは形式的なものにすぎず契約が十分に履行されていないという思いが、メンバー間で広まっていた。各々の体調も十分ではないことから、残っていた８人は撮影ボイコットという強硬手段に出る。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　これには撮影スタッフも驚き、いったん撮影を中断してパラオ諸島の病院にメンバーを連れて行き、健康診断をすることとなった。メンバーはこの日はゲームではないのだから、食事を出してほしいと要求し、交渉の結果、一食だけ提供されることになった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「栄養士もついていませんでしたから、（栄養失調気味のメンバーに対して）いきなり（高カロリーの）中華料理が出されました。油っぽい料理をみんなで貪るように食べました。その結果、僕は胃けいれんを起こして救急車で病院に搬送されました。他の７人はヘルスチェックの翌日に島に戻ったのに、僕は搬送先で入院です。病院で太い注射を打たれ、気がついたら24時間後でした。『ああ、終わったな』と思い、『失格ですよね』とスタッフに聞きました」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />向いた追放の矛先</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　渋谷氏がドクターストップを受けた時に、テレビ画面ではルールが表示されている。それは「病気・ケガの場合、メディカルチェックを受け、12時間以内に完治しなかったり、ドクターストップになると、失格」というものであった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　発病から24時間前後経過していた平井氏が失格と思ったのも無理からぬところ。ただ、このルールもプレー続行中の病気・ケガの場合は12時間以内に戻らなくてはいけないとの考えでつくられたものと思われる。プレー以外の時間が設けられることも、まして、その時間内に病人・怪我人が出ることなど想定していなかったことは容易に想像がつく。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　健康診断実施時はゲームではなく、実際に食事が提供されている。その時点で発症した病気による一時的な離脱に、プレー中のルールを適用するのは疑問が残る。結果的に平井氏は他のメンバーから１日遅れて島に戻り、投票免除ゲームへの参加を許される。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「スタッフからは『健康診断中の出来事なので、ノーカウントにします』とは言われました。でも、島に戻ると、みんなの態度がよそよそしく何か打ち合わせができているような印象はありました。小野さんともすごく仲がよかったのですが、（矛先は）『若松さんではなく、僕だな』というのは感じました。だから（投票免除）ゲームを勝つしかないという思いは、すごく強かったです」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　その時のゲームは海上に設けられた板の上をヤシの実を持ちながら、いかに速くゴールできるかを競うものであった。そこでも平井氏は好タイムをマークして投票免除の証を手にしたかと思われたが、平井氏のタイムを２秒上回った者がいた。それが最終的な優勝者・蓑島恵利氏（当時28歳、ダイビングインストラクター）であった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />平井氏の別れの言葉</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうして平井氏は生き残りをかけたゲームで敗れ、追放されることになる。追放審議会では８票中５票、吉野氏以外のデレブの票が集中した。「何か色々決まったな」という思いは、当たっていたようである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　投票者のコメントが番組内で紹介されたが、以下のように、皆が同じ理由を挙げていた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">「ゲームが強いので、今落としておかないと」（小野）、「最大の強敵」（中島）、「ゲームに強すぎる」（松尾）、「圧倒的な強さを見せた人を選んだ」（蓑島）、「自分が生き残るためには仕方がない」（黒岩）</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　個人戦でゲーム２連勝、３度目も２秒差の２位と他者を圧倒する実力が仇となったのは皮肉としか言いようがないが、それもサバイバーの面白さの１つ。嫌われたり</span><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">、戦力にならなかったり、といったネガティブな理由ではなく、リスペクトされるあまり追放されるのは、名誉ある去り方と言える。<span class="Apple-converted-space"> </span></span></p>
<div id="attachment_20069" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/0e5a9b674ff85206789f99961fa5330f.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20069" class="wp-image-20069" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/0e5a9b674ff85206789f99961fa5330f-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/0e5a9b674ff85206789f99961fa5330f-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/0e5a9b674ff85206789f99961fa5330f-768x461.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/0e5a9b674ff85206789f99961fa5330f.jpg 850w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20069" class="wp-caption-text">サバイバーから23年、現在の平井氏（撮影・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　最後に皆に語りかけた言葉は印象的であった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「本当に楽しかったです、ここにいて。すごいみんないい人で、本当にもっとみんなと一緒にいたかったのが本音で、ホント楽しかったです。だから、いつ帰ってもいいなと思っていたんですけど、ここで帰るのはちょっと悔しいですね。僕は陪審員になりますんで、最後の一人をこの目でしっかりと見届けて、選定していきたいと思います。ありがとうございました」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　戦いが終われば、そこに敵味方はないーー中学、高校、大学とラグビーに打ち込んだ平井氏には、ノーサイドの精神が染み付いていたのであろう。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　23年前の発言に対する現在の思いを聞くと「若い頃の等身大の自分だったと思います。自分を良く見せたいというのがありつつも、自分らしさを表現していた…そんな感じですかね」と、笑顔を交えつつ振り返った。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">”ごきげんよう” 23年後のサバイバー <a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20250526/">平井琢（４）</a>へ続く</span></p>
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		<title>”ごきげんよう” 23年後のサバイバー 平井琢（１）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[松田 隆&#x1f1ef;&#x1f1f5;　＠東京 Tokyo&#x1f1ef;&#x1f1f5;]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 21 May 2025 08:24:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[芸能]]></category>
		<category><![CDATA[サバイバー]]></category>
		<category><![CDATA[平井琢]]></category>
		<category><![CDATA[若松泰恵]]></category>
		<category><![CDATA[小野郷司]]></category>
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					<description><![CDATA[　今から23年前の2002年４月、TBS系で視聴者参加のバラエティ番組「サバイバー」の放送が始まった。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　今から23年前の2002年４月、TBS系で視聴者参加のバラエティ番組「サバイバー」の放送が始まった。16人の男女が無人島などで暮らし、さまざまなゲームで体力、知力を競い、仲間内の投票で追放者を決めながら最後の１人、最強のサバイバーを決するもの。番組開始から四半世紀、出場した若者たちは、今や社会の中核を担う世代となった。番組の出場者たちのその後の人生を辿り、彼らの人生にとってサバイバーがどのようなものであったのかを探っていく。１人目はファーストシーズンで「ベケウチーム」のキャプテンを務めた平井琢氏（49）。今回はサバイバー出演までの経緯を明らかにする。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />長瀞町観光協会副会長の要職<span class="Apple-converted-space"> </span></span></strong></span></p>
<div id="attachment_20043" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/64f43923e3f0c03fd0b3b1c3c45ebc9d.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20043" class="wp-image-20043" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/64f43923e3f0c03fd0b3b1c3c45ebc9d-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/64f43923e3f0c03fd0b3b1c3c45ebc9d-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/64f43923e3f0c03fd0b3b1c3c45ebc9d-768x461.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/64f43923e3f0c03fd0b3b1c3c45ebc9d.jpg 850w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20043" class="wp-caption-text">現在の平井琢氏（撮影・松田隆）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　サバイバーは米CBSで2000年から始まった人気シリーズ。出場者は２チームに分かれて無人島などでサバイバル生活を送り、ゲームで敗れたチームが仲間内の投票によって追放者を決定する。一定の人数になると両チームは合流し、１つのチームの中で投票により追放者を決めていく。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ただし、チーム内で行われるゲームでの勝者は追放対象から免除される特権を得る。最後は残った２人から、真のサバイバーに相応しい者を投票で決定するが、その際の投票者は陪審員と呼ばれる、以前に投票で追放された者である。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　米国版は2001年から日本でもTBSチャンネルなどで放送されて一部で人気を集め、2002年４月から日本版の放送が始まった。ゴールデンタイムの放送で視聴率は決して高かったとは言えないが、インターネットの匿名掲示板では継続的にスレッドが立ち、実況しながら結末を予測したり、出場者に対する批評がされたりなどで賑わった。ネットを巻き込みつつ、融合しながら人気が高まった現代的な番組であった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　平井氏は26歳の時にリバーガイドの肩書きで第１回のシリーズ（ファーストシーズン）に出場、ベケウチームのリーダーとなった。当時のプロフィールで178cm、90kgという恵まれた体格、圧倒的な身体能力で合流後も追放免除ゲームを制するなど活躍。残り８人になった28日目（全行程39日）に追放されるも、最終的に勝者を決める『陪審員』として残った。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　50歳を目前にした今、平井氏は埼玉県秩父郡長瀞町で暮らしている。アウトドアスポーツを目的とするツアー企画、運営などを手掛ける株式会社アムスハウス（商号・<a href="https://amshouse.co.jp">アムスハウス＆フレンズ</a>）の代表取締役となっている。ラフティングやパックラフト（一人乗りのラフティング）のツアーを開催し、多くの観光客を楽しませる傍ら、<a href="https://www.nagatoro.gr.jp">長瀞町観光協会</a>副会長の要職に就き、地域社会に貢献している。ラフティング協会のマスターリバーガイド、技術安全部会長兼理事で、通算６年に渡り長瀞ラフティング業者協議会の会長を務めた。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　放送から23年、顔には深い皺が刻まれたが、人懐っこい笑顔は番組で見せたそのまま。当時と変わらぬヒゲをたくわえ、サバイバーの頃の面影を今もとどめている</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />リバーガイドとしての出発</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　平井氏は東京都品川区出身。日大二中・二高ではラグビー部に所属し、ナンバーエイトとして活躍した。日本大学商学部に入学後もプレーを続け、1998年に卒業して人材派遣業のパソナに入社した。当時、パソナは1989年の設立から９年目と若い会社で、同期入社が300人ほどいたという会社の成長期での採用であった。そこで平井氏は銀行担当となり、401K（確定拠出年金）の営業に携わることになった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　営業先に行くと打ち合わせでは自然と英語が使われ、自分だけ話から取り残されることが多くなった。普通なら落ち込むところかもしれないが、平井氏は逆にポジティブな方向にベクトルを切り替える。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「みんな大学時代に様々な経験をして英語力を身につけたんだな、と思いました。その頃は22歳か23歳だったので『今からやっても遅くないんじゃないか』と思い、何をやるかを決める前に自分自身の視野を広げたいなと、ぼんやりとですが思い始めました」。</span></p>
<div id="attachment_20047" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/raguby.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20047" class="wp-image-20047" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/raguby-300x180.jpeg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/raguby-300x180.jpeg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/raguby-768x461.jpeg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/raguby.jpeg 907w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20047" class="wp-caption-text">学生時代はラグビーで活躍した平井氏（本人提供）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうした思いを胸に2000年に退職し、海外を目指してワーキングホリデーを考え始める。ある時、”ワーホリ”のガイドブックで、ラフティングのガイドの手記が掲載されていたのを目にした。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「これ簡単そうだな、と思いました。この能力を日本で身につければ、英語が喋れなくても（英語圏で）雇ってくれるんじゃないかなと」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　そこで在籍していたパソナのラフティングの経験者に話を聞きに行くと、その人がたまたま長瀞で起業する時期であった。まさに渡りに船、事業の立ち上げに関わり、ラフティングの勉強もできるということで、そこで半年間、働くことになった。こうして後にサバイバー出場時の肩書きである「リバーガイド平井琢」が誕生する。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />タッチの差でサバイバー出場決定</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　2000年秋、平井氏は予定通り豪州へ渡り、リバーガイドの仕事を始めた。繁忙期（南半球の夏）が終わった2001年春（北半球）に日本でレスキューの講座を受講するためにいったん帰国。すぐに豪州に戻る予定をしていたが、ビザの申請に手間取り、なかなか戻れない。そうこうするうちに2001年の冬を迎える。ラフティングガイドは冬はシーズンオフのため、国内でアルバイトをする以外に働く予定が立たない。しかし、自身は海外志向が強い。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　何とか、コストをかけずに海外へ行きたいと思った時に頭に浮かんだのがフジテレビ系「あいのり」であった。７人の男女が１台のワゴン車に乗って様々な国を旅する中で恋愛模様を描くバラエティ番組に出演すれば、無償で海外へ行けると考えたのである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　すぐに応募したものの、当時のあいのりの人気は高く、面接に行くとキャラの濃い人が多かったこともあり、危機感を覚えた。そこで他のテレビ局で何かないかと探した時に、たまたまネットで目にしたのが、新番組のサバイバーの出場者募集であった。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうして豪州に戻るまでの間に「あいのり」と「サバイバー」の双方に応募した状態で、2001年から2002年にかけて過ごすことになったのである。その頃の平井氏は面接で自分のキャラを伝えることができるノウハウを身につけており、どちらも合格する自信があったという。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「どちらが本命というわけではありませんが、サバイバーの方は３回ぐらい面接して、すぐに決まりました。『今から40日間ぐらい拘束する可能性があるので、契約書にサインしてください』と言われて、サインしました。その日はTBSの近くのホテルに宿泊だったのですが、そこへフジテレビから電話がかかってきました。『来月から（あいのりの撮影に）行ってほしいんだけど』と言われて。『えーっ！　今、TBSのサバイバーって番組に出ますって、契約書にサインしちゃいました』と言うと、あちらは超人気番組ですからね。『そうですか、分かりました』ということで、そこで終わりました」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　まさにタッチの差でサバイバー出場は決定する。もし、サバイバーの決定が１日遅れていたら、平井氏はラブワゴンに乗って世界を旅していたであろう。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「僕としては長期間行きたかったので、サバイバーは短い（現地に39日滞在）こともあり、あいのりでもいいかなという気持ちはありました。超人気番組ですし、自分は根っからの目立ちたがり屋ですから。あいのりの方が早く決まれば、あいのりにしていたと思います。今となっては、サバイバーで良かったと思いますが（笑）」。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />帰国子女が好きだった？</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;"><span class="Apple-converted-space"> </span>　サバイバーの優勝賞金は1000万円。本気で優勝を狙うなら米国版を視聴し、仲間の作り方、ライバルの蹴落とし方などを学ぶのは必須であろうが、平井氏は米国版サバイバーを見たこともなく、そもそも「サバイバーが何かを知りませんでした」と言う。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「よく分からないまま（ロケ地のパラオに）行ってましたし、僕が入ったチーム（ベケウ）も、そんな人たちばかりでした。その一方で”ガチ勢”みたいなのがいました。しっかり予習してきた、（敵チームの）小野（郷司）さんや松尾（純子）さんのような」。</span></p>
<div id="attachment_20045" style="width: 230px" class="wp-caption alignleft"><a href="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/cd61bc29a50fff75304604065b99380c.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-20045" class="wp-image-20045" src="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/cd61bc29a50fff75304604065b99380c-300x180.jpg" alt="" width="220" height="132" srcset="https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/cd61bc29a50fff75304604065b99380c-300x180.jpg 300w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/cd61bc29a50fff75304604065b99380c-768x461.jpg 768w, https://reiwa-kawaraban.com/wp/wp-content/uploads/2025/05/cd61bc29a50fff75304604065b99380c.jpg 992w" sizes="auto, (max-width: 220px) 100vw, 220px" /></a><p id="caption-attachment-20045" class="wp-caption-text">パソナ入社後の平井氏（本人提供）</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　その結果、ベケウチームは少数派としての合流を余儀なくされ、１人ずつデレブチームに消されていく。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　ネットでは平井氏は同じチームの帰国子女の石毛智子さん（当時25）が好きだったという話がよく語られていた。その辺りを聞くと「そうですね。（恋愛バラエティーの）あいのりの志向でしたから、女の子と仲良くなれるかなという邪（よこしま）な気持ちもありつつ、現場がビーチだというのでビキニの女の子と戯れることができるかなと思っていました（笑）。撮影前に記者会見などがあり、その休憩時間に他の人と話ができましたが、その中では石毛さんが好みであったかな、と。彼女が帰国子女というのも（自身の海外志向からも好ましく思った理由として）あったと思います。実際、彼女は英語はうまかった記憶があります」と話した。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　「あいのり」のノリのままであった平井氏の当時の状況が垣間見られるようなエピソードである。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: 14pt;"><strong><span style="color: #000000;"><img src="https://s.w.org/images/core/emoji/16.0.1/72x72/25fe.png" alt="◾" class="wp-smiley" style="height: 1em; max-height: 1em;" />豪州に戻らずパラオへ</span></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　こうして平井氏は豪州に戻るのに手間取っているうちに、とんとん拍子に話が進み、サバイバーのロケ地であるパラオに向かうことになる。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">　次回はサバイバー撮影中の話を紹介する。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #000000; font-size: 12pt;">”ごきげんよう” 23年後のサバイバー <a href="https://reiwa-kawaraban.com/entertainment/20250522/">平井琢（２）</a>へ続く</span></p>
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