”ごきげんよう” 23年後のサバイバー 平井琢(2)

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 23年前に人気を博したバラエティ番組「サバイバー」(TBS系)に出場した平井琢氏(49)のその後を追う連載の第2回をお届けする。「あいのり」(フジテレビ系)への出演依頼を受けた平井氏であるが、タッチの差で契約書にサインしたTBS系の番組に出場することになり、舞台となるパラオに向かった。

◾️デレブとベケウ 30代vs20代の構図

サバイバー出演当時の平井氏(本人提供)

 米国版サバイバーも見たことがなかった平井氏はサバイバーがどのようなものなのか、勝利のための戦略の立て方など詳細はよく分からないまま現地入りした。

 参加した16人はデレブとベケウの8人ずつのチームに分かれ、それぞれ離れたビーチを拠点とした。デレブは最も若い岡部泰三氏(ボーイスカウト日本代表)でも26歳、最年長は黒岩敦夫氏(漁師)の56歳と平均年齢34.75歳の熟年チームであった。

 対して平井氏が属したベケウチームは最年長でも春日尚氏(会社員)の34歳、最も若い渋谷美奈氏(短大生)に至っては未成年(当時)の19歳、平均年齢26.0歳という若いチームであった。

 このあたりは制作サイドの意向が働いたものと思われる。構成メンバーを均等に割り振ると、各チームの特色が出にくいため、一方は30代を中心に人生経験豊富で人生の機微を心得たチームとし、他方は20代を中心に体力面で優れたチームとしたと推測される。

 その結果、”熟年”デレブは戦略に長けた小野郷司氏(当時32歳、会社経営)がゲームメーカーとなってチームをコントロールし、合流後もその構図は変わることはなかった。それに対して平井氏の”青年”ベケウは社会的には未成熟な20代が多いだけに各構成員がチームの重要性を理解しながらも、個性を主張する場も多く、まとまりきれない場面が目立った。分裂の火種を残したまま合流した結果、相手を切り崩せずに1人1人追放されていくマイノリティの悲哀を味わうことになった。

 平井氏自身26歳、そうしたベケウの若さによる脆弱さを感じていたという。

 「高波(邦行)くん(当時23歳、プロボクサー志望)もそうですが、みんな若くて、どこか落ち着かない雰囲気がありました。現地では日が沈むとやることが限られてしまい、夜は自然と焚き火を囲んで話す時間になります。そんな中で、不安や戸惑いから『もう帰りたい』と漏らす人も多かったですね。そんな中でも、『私は残るよ』と力強く言っていたのは、若松(泰恵)さん(当時27歳、自営業手伝い)だけでした」。

 その若松氏がベケウチームの構成員として最後まで残った(第7位)のは偶然ではないのかもしれない。「若松さんは野心家ですね。サバイバーをきっかけに、その後の活躍を目指していたと思います」と、平井氏は言う。実際に若松氏は出場時には実家の工務店の経理事務と並行してスポーツレポーターとしての活動も行っており、モチベーションの部分で他のメンバーとは異なる次元にあったのかもしれない。

 そんな若松氏とは今でも交流が続いている。「2年前(2023年)にいきなり、ここ(長瀞町)に来てくれました。海外に行くとかで『その前に会いたかったんだ』とやってきて、他愛のない話をしました」。

 かつてのサバイバーたちが今でも交流を続けているのは、番組を視聴していた者としては何か嬉しさを感じる部分ではある。

◾️平井氏と主婦・平川氏との関係

長瀞町の観光名所”岩畳”に立つ平井氏(撮影・松田隆)

  ベケウチームの若さという弱点を感じていた平井氏は、本来なら集団を引っ張るべき30代の春日尚氏、平川和恵氏(当時31歳、主婦)が十分にリーダーシップを発揮しなかったことを残念に思っている。

 「(30代の2人は)何をしにきたのだろうと思いました。テレビの番組なのに、テレビに対してアピールすることが全くなくて『これじゃあ、番組にならないな』と。特に平川さんはキャラクターもいいのにカメラの前でアピールしないので、もったいないと思っていました。彼女は僕より年齢が上でしたから、彼女がリーダーをやるべきだったと思うのですが、あまりやりたがりませんでした」。

 30代が”控え”のポジションに回ったことでベケウチームが若さを前面に押し出す形になり、それがウイークポイントになってしまったのかもしれない。もっとも、平井氏は平川氏に対して悪いイメージは持っていない。

 「彼女とは裏(カメラが回っていない場所)でよく話しました。番組では僕と対立しているように描かれていましたが、途中まですごく仲が良かったです。僕の悪口も放送されましたが、それは面と向かって言われていたことですから」。

◾️演出と現実の狭間

 平井氏がリーダーとして苦悩する部分は番組内でも大きなトピックとして扱われた。デレブチームの小野氏がカリスマ性をもってメンバーを把握しているのに対して、自身はリーダーシップを発揮できていないというものである。

 物資調達チャレンジ(ゲームで買ったチームが物資を手にできる)で、ベケウチームがバーベキューをする権利を勝ち取った際に、デレブチームの誰か1人を呼ぶことができることになった。その時にベケウチームの選択は、相手のリーダーの小野氏であった。普通であれば、チームで浮いていそうな人を選び、合流後に仲間に引き入れられるように考えそうなものであるが、なぜか多数意見は小野氏であった。

 「思った以上に、みんなが『小野さん、小野さん』と持ち上げていたので、正直(みんな、ちょっと単純だな…)と思いつつも、『みんながそう決めたなら、まあ呼んでもいいかな』という気持ちでした。今振り返ると、僕以外には何かしらの演出が入っていたのかもしれません。小野さんを含めて、『平井くんをちょっと…』と仕掛けたくなるような雰囲気のディレクターたちだったので(笑)」。

 その後、ベケウチームが家の修復を巡って意見が対立し、平井氏が激怒して椰子の葉のような大きな枝でできた雨よけを壊し、涙を流す姿が放送された。若干、演出めいた感じのシーンであるが、平井氏はその事情についても語った。

 「あれは演出だったと思います。実は『サバイバー』は途中で演出担当が変わっているんです。前半を手がけていたのは、今では考えられないような大胆な演出をする方で、非常に勢いのある方でした。ただ、その演出が物議を醸し、途中で交代となりました。僕が家を壊した場面も、その方の演出の一環だった気がします。生活中にスタッフと面談して色々と聞かれますが、その時に『チームがだらけているから喝を入れてくれ』と言われました。そこで石毛さんと『どうすればいいかな』と話して、『女性陣はムダ毛ばかり抜いている、という話からしようか』という話をしていました」。

写真はイメージ

 もっとも、平井氏は台本のある場面を演じるような100%の演出ではないとする。自分の心の中のものが引き出されたもので、演出をもちかけられたのは、そのきっかけと考えられるからである。

 「あれは演出かもしれませんが、半分は本当です。確かに打ち合わせはしましたけど、途中から僕も感情が溢れてきて、涙が出てきてしまいました。ある意味、アツくなってしまったというか。けしかけられはしたけど、そう思っていなかったわけではなく、小野さんの件も僕が全く気にしていなかったわけではありません」。

 サバイバーはバラエティ番組であり、制作サイドの思惑をどこまで番組に反映させるかは、報道やドキュメンタリーとは自ずと異なる。誰を追放するかなど、番組の主軸の部分が演出によっていたのであれば倫理上の問題は発生するかもしれないが、そうではない部分では視聴者もある程度割り切って見ていた部分はあるように思う。

◾️合流前に苦戦を予感

  こうして26歳の平井氏は仲間たちと苦労を重ねながら南の島の生活を続けた。結局、ベケウチームはゲームで敗れて4人を追放し、残った4人で、6人のデレブと合流することになる。

 数的に劣る状況は、単純な投票での決着となれば勝ち目がないのは明らかで、全員が追放のリスクを背負い込む形での合流となった。相手チームの”浮き駒”を引きずり込む多数派工作に活路を見出すしかないが、合流前の時点で平井氏は勝ち目が薄いことを感じていた。

 詳細は次回へ。

”ごきげんよう” 23年後のサバイバー 平井琢(3)へ続く

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