”ごきげんよう” 23年後のサバイバー 平井琢(1)

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 今から23年前の2002年4月、TBS系で視聴者参加のバラエティ番組「サバイバー」の放送が始まった。16人の男女が無人島などで暮らし、さまざまなゲームで体力、知力を競い、仲間内の投票で追放者を決めながら最後の1人、最強のサバイバーを決するもの。番組開始から四半世紀、出場した若者たちは、今や社会の中核を担う世代となった。番組の出場者たちのその後の人生を辿り、彼らの人生にとってサバイバーがどのようなものであったのかを探っていく。1人目はファーストシーズンで「ベケウチーム」のキャプテンを務めた平井琢氏(49)。今回はサバイバー出演までの経緯を明らかにする。

◾️長瀞町観光協会副会長の要職 

現在の平井琢氏(撮影・松田隆)

 サバイバーは米CBSで2000年から始まった人気シリーズ。出場者は2チームに分かれて無人島などでサバイバル生活を送り、ゲームで敗れたチームが仲間内の投票によって追放者を決定する。一定の人数になると両チームは合流し、1つのチームの中で投票により追放者を決めていく。

 ただし、チーム内で行われるゲームでの勝者は追放対象から免除される特権を得る。最後は残った2人から、真のサバイバーに相応しい者を投票で決定するが、その際の投票者は陪審員と呼ばれる、以前に投票で追放された者である。

 米国版は2001年から日本でもTBSチャンネルなどで放送されて一部で人気を集め、2002年4月から日本版の放送が始まった。ゴールデンタイムの放送で視聴率は決して高かったとは言えないが、インターネットの匿名掲示板では継続的にスレッドが立ち、実況しながら結末を予測したり、出場者に対する批評がされたりなどで賑わった。ネットを巻き込みつつ、融合しながら人気が高まった現代的な番組であった。

 平井氏は26歳の時にリバーガイドの肩書きで第1回のシリーズ(ファーストシーズン)に出場、ベケウチームのリーダーとなった。当時のプロフィールで178cm、90kgという恵まれた体格、圧倒的な身体能力で合流後も追放免除ゲームを制するなど活躍。残り8人になった28日目(全行程39日)に追放されるも、最終的に勝者を決める『陪審員』として残った。

 50歳を目前にした今、平井氏は埼玉県秩父郡長瀞町で暮らしている。アウトドアスポーツを目的とするツアー企画、運営などを手掛ける株式会社アムスハウス(商号・アムスハウス&フレンズ)の代表取締役となっている。ラフティングやパックラフト(一人乗りのラフティング)のツアーを開催し、多くの観光客を楽しませる傍ら、長瀞町観光協会副会長の要職に就き、地域社会に貢献している。ラフティング協会のマスターリバーガイド、技術安全部会長兼理事で、通算6年に渡り長瀞ラフティング業者協議会の会長を務めた。

 放送から23年、顔には深い皺が刻まれたが、人懐っこい笑顔は番組で見せたそのまま。当時と変わらぬヒゲをたくわえ、サバイバーの頃の面影を今もとどめている

◾️リバーガイドとしての出発

 平井氏は東京都品川区出身。日大二中・二高ではラグビー部に所属し、ナンバーエイトとして活躍した。日本大学商学部に入学後もプレーを続け、1998年に卒業して人材派遣業のパソナに入社した。当時、パソナは1989年の設立から9年目と若い会社で、同期入社が300人ほどいたという会社の成長期での採用であった。そこで平井氏は銀行担当となり、401K(確定拠出年金)の営業に携わることになった。

 営業先に行くと打ち合わせでは自然と英語が使われ、自分だけ話から取り残されることが多くなった。普通なら落ち込むところかもしれないが、平井氏は逆にポジティブな方向にベクトルを切り替える。

 「みんな大学時代に様々な経験をして英語力を身につけたんだな、と思いました。その頃は22歳か23歳だったので『今からやっても遅くないんじゃないか』と思い、何をやるかを決める前に自分自身の視野を広げたいなと、ぼんやりとですが思い始めました」。

学生時代はラグビーで活躍した平井氏(本人提供)

 こうした思いを胸に2000年に退職し、海外を目指してワーキングホリデーを考え始める。ある時、”ワーホリ”のガイドブックで、ラフティングのガイドの手記が掲載されていたのを目にした。

 「これ簡単そうだな、と思いました。この能力を日本で身につければ、英語が喋れなくても(英語圏で)雇ってくれるんじゃないかなと」。

 そこで在籍していたパソナのラフティングの経験者に話を聞きに行くと、その人がたまたま長瀞で起業する時期であった。まさに渡りに船、事業の立ち上げに関わり、ラフティングの勉強もできるということで、そこで半年間、働くことになった。こうして後にサバイバー出場時の肩書きである「リバーガイド平井琢」が誕生する。

◾️タッチの差でサバイバー出場決定

 2000年秋、平井氏は予定通り豪州へ渡り、リバーガイドの仕事を始めた。繁忙期(南半球の夏)が終わった2001年春(北半球)に日本でレスキューの講座を受講するためにいったん帰国。すぐに豪州に戻る予定をしていたが、ビザの申請に手間取り、なかなか戻れない。そうこうするうちに2001年の冬を迎える。ラフティングガイドは冬はシーズンオフのため、国内でアルバイトをする以外に働く予定が立たない。しかし、自身は海外志向が強い。

 何とか、コストをかけずに海外へ行きたいと思った時に頭に浮かんだのがフジテレビ系「あいのり」であった。7人の男女が1台のワゴン車に乗って様々な国を旅する中で恋愛模様を描くバラエティ番組に出演すれば、無償で海外へ行けると考えたのである。

 すぐに応募したものの、当時のあいのりの人気は高く、面接に行くとキャラの濃い人が多かったこともあり、危機感を覚えた。そこで他のテレビ局で何かないかと探した時に、たまたまネットで目にしたのが、新番組のサバイバーの出場者募集であった。

 こうして豪州に戻るまでの間に「あいのり」と「サバイバー」の双方に応募した状態で、2001年から2002年にかけて過ごすことになったのである。その頃の平井氏は面接で自分のキャラを伝えることができるノウハウを身につけており、どちらも合格する自信があったという。

 「どちらが本命というわけではありませんが、サバイバーの方は3回ぐらい面接して、すぐに決まりました。『今から40日間ぐらい拘束する可能性があるので、契約書にサインしてください』と言われて、サインしました。その日はTBSの近くのホテルに宿泊だったのですが、そこへフジテレビから電話がかかってきました。『来月から(あいのりの撮影に)行ってほしいんだけど』と言われて。『えーっ! 今、TBSのサバイバーって番組に出ますって、契約書にサインしちゃいました』と言うと、あちらは超人気番組ですからね。『そうですか、分かりました』ということで、そこで終わりました」。

 まさにタッチの差でサバイバー出場は決定する。もし、サバイバーの決定が1日遅れていたら、平井氏はラブワゴンに乗って世界を旅していたであろう。

 「僕としては長期間行きたかったので、サバイバーは短い(現地に39日滞在)こともあり、あいのりでもいいかなという気持ちはありました。超人気番組ですし、自分は根っからの目立ちたがり屋ですから。あいのりの方が早く決まれば、あいのりにしていたと思います。今となっては、サバイバーで良かったと思いますが(笑)」。

◾️帰国子女が好きだった?

  サバイバーの優勝賞金は1000万円。本気で優勝を狙うなら米国版を視聴し、仲間の作り方、ライバルの蹴落とし方などを学ぶのは必須であろうが、平井氏は米国版サバイバーを見たこともなく、そもそも「サバイバーが何かを知りませんでした」と言う。

 「よく分からないまま(ロケ地のパラオに)行ってましたし、僕が入ったチーム(ベケウ)も、そんな人たちばかりでした。その一方で”ガチ勢”みたいなのがいました。しっかり予習してきた、(敵チームの)小野(郷司)さんや松尾(純子)さんのような」。

パソナ入社後の平井氏(本人提供)

 その結果、ベケウチームは少数派としての合流を余儀なくされ、1人ずつデレブチームに消されていく。

 ネットでは平井氏は同じチームの帰国子女の石毛智子さん(当時25)が好きだったという話がよく語られていた。その辺りを聞くと「そうですね。(恋愛バラエティーの)あいのりの志向でしたから、女の子と仲良くなれるかなという邪(よこしま)な気持ちもありつつ、現場がビーチだというのでビキニの女の子と戯れることができるかなと思っていました(笑)。撮影前に記者会見などがあり、その休憩時間に他の人と話ができましたが、その中では石毛さんが好みであったかな、と。彼女が帰国子女というのも(自身の海外志向からも好ましく思った理由として)あったと思います。実際、彼女は英語はうまかった記憶があります」と話した。

 「あいのり」のノリのままであった平井氏の当時の状況が垣間見られるようなエピソードである。

◾️豪州に戻らずパラオへ

 こうして平井氏は豪州に戻るのに手間取っているうちに、とんとん拍子に話が進み、サバイバーのロケ地であるパラオに向かうことになる。

 次回はサバイバー撮影中の話を紹介する。

”ごきげんよう” 23年後のサバイバー 平井琢(2)へ続く

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