福原直英アナ独立と29年前の出来事
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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フジテレビの福原直英アナ(54)が3月31日で退社することになったと報じられた。同局の早期退職制度に応募したもので、他に境鶴丸氏、佐藤里佳氏ら一時代を築いたアナウンサーも退職とされている。
■福原アナ以外にも佐藤里佳氏ら退職
早期退職制度に応募し、同局を去ることになったのは、福原直英アナ以外にも境鶴丸氏、佐藤里佳氏、塩原恒夫氏、田代尚子氏、長坂哲夫氏、野島卓氏らの名前が出ている(東スポWeb・フジ早期退職に応募したアナウンサー男女7人実名 福原直英アナの名前も)。
福原氏は1992年入社で、1994年から「スーパー競馬」のメイン司会となった。その後も競馬との関わりを持ち続け、現在もBSスーパーKEIBAや武豊TV!Ⅱなどで活躍している。退職後は武豊騎手の個人事務所「テイク」と業務提携し、幅広い形で競馬全般の仕事に関わっていくとされている(サンスポ電子版・フジテレビ・福原直英アナ独立~武豊事務所と業務提携へ)。
僕の記憶では福原氏は入社してまもなく競馬の現場に出るようになり、その風貌もあってかなり目立つ存在であった。当時、僕も競馬担当で、知人から「競馬中継に携わりたくてフジテレビに入ったらしい」と聞き、イケメンでジャンルを問わず売れっ子アナになれそうなのに、随分と変わった理由でテレビ局に入ったんだなと思ったものである。
その後も何度か取材現場で見かけたが、その福原アナが54歳で新しい人生をスタートさせるという。視聴率もふるわず、バブル期の勢いがなくなったフジテレビの現状も退職を後押ししたのかもしれない。
■1993年有馬記念で審議
僕は福原氏とは一度だけ直接の接点がある。1993年の有馬記念の時だったと思う。
トウカイテイオーがビワハヤヒデ以下を下して優勝も、ゴール直後に審議の青ランプが点された。対象はトウカイテイオーだったように記憶しているが、降着はなく入線順位の通り確定。最終レース終了後、裁決委員が審議に関して取材に応じることになった。
日刊スポーツでは僕が取材することになり、他社の記者とともに裁決室前に出向いた。その時に、同僚のカメラマンが声をかけてきた。JRAでは審議になったシーンの写真撮影を認めない意向であり、僕にJRAに掛け合って写真を撮らせてもらえるようにしてくれないかという内容。今でこそパトロールフィルムは公開されているが、30年ほど前にはそのような制度はなく、問題が起きた時には最終レース終了後にメディアにのみ公開されるという方法をとっていた。
トウカイテイオーが審議対象になったとしたら、それなりに紙面でも扱わなければならず、その際には問題のシーンの写真はほしいというのはカメラマンとして当然のことであるし、新聞社としてもそこは必要になるため、件のカメラマンには「分かりました、聞いてみます」と言って、他の記者とともに裁決室に入っていった。
裁決室では審議になったシーンの説明があり、パトロールフィルムも公開された。映像を見る限り降着になるような妨害ではなく、(妥当な判断であろう)と思わされるものであった。一通り説明が終わった後、記者が質問し裁決委員が答える時間が設けられ、質問も尽きたと思われるタイミングでJRA広報室の職員が「もう、よろしいでしょうか?」と取材を終了するための声がけを行った。そこで僕はこのタイミングと思い、挙手して質問した。
松田:パトロールフィルムについては、写真撮影は認められないのでしょうか
裁決委員:それは申し訳ありませんが、認められません。
松田:理由を教えていただけませんでしょうか
裁決委員:我々はレースの一連の流れを見て、審議対象となった騎手に制裁を加えるべきか、加えるとしてどの程度の制裁なのかを決めています。それをスチール写真で一部だけを切り取って報じられると、読者に誤ったメッセージとして伝わる可能性があると考えたからです。
他の記者も納得している様子であったのでやめようかと思ったが、やはり新聞としては問題のシーンの写真はほしいところ。
松田:撮影を認めるか、認めないかはJRAの判断ですから、何も言うことはありません。こちらとしては、今、パトロールフィルムで見た状況と、いただいた説明をそのまま記事にするだけです。写真がない点については「JRAは『一部だけ切り取る形で報じられるとファンに誤解を与えかねない』という理由で、写真撮影は認められなかった」と書くしかありません。そうなると読者は(よほど見せたくないようなシーンが映っていたのだろう)と考えると思います。審議の内容に関する裁決委員の説明は、少なくとも僕は納得できるものでした。ですから、写真撮影を認めずにファンの不信感を募らせるより、撮影を認めて(こういう判断で裁決を行った)と全て情報を公開した方がファンにも、JRAにとってもいいのではないでしょうか
こう言うと3人の裁決委員はお互いに顔を見合わせ、「協議します。しばらく待ってください」と言い、記者は一旦、退室した。しばらくしてJRA広報室の職員がやって来て「松田さん、多分、OKになりますよ。カメラマンがすぐに来られるようにした方がいいと思います」と言ってきた。その後、その職員が外で待機する記者とカメラマンに「写真撮影を認めますから、お入りください」と声をかけた。
■若き日の福原氏が声をかけてきて…
こうして写真撮影が認められることになり、裁決室に向かおうとした時である。長身の男性が僕に声をかけてきた。若き日の福原氏であった。
福原:あの、すみません
松田:はい、何でしょう。
福原:フジテレビなんですが、僕も入って大丈夫でしょうか
松田:JRAに聞いた方がいいと思いますが、大丈夫だと思いますよ。メディアに対して公開して撮影を許可するということですから、テレビはダメなんて言わないと思います。
福原:そうですか、ありがとうございます。
その時は(何で僕に聞くのかな)と不思議に思った。僕が東京競馬記者クラブ員の立場で質問し、スチール写真を使う新聞社に対して撮影が許可されたと解釈できるため、テレビとラジオの記者クラブである民放競馬記者クラブの福原氏がその恩恵に預かっていいのかと考えたのかもしれない。
そうすると、東京競馬記者クラブから「民放記者クラブは関係ないだろう」と現場でクレームがつく可能性がないわけではなく、それはそれで合理的な思考である。
そのあたりは本人に聞かないと分からない。ただ、少なくとも撮影が許されるきっかけとなった質問をした僕に対するポジティブな思いを感じさせる聞き方であったという事情もあり、(外見の華やかさとは対照的に、しっかりと通すべき筋を通す人)という、非常に肯定的な印象を持ったのを覚えている。
話には続きがある。僕は1998年に中央競馬担当を離れてサッカー担当になり、競馬とは全く縁のない生活となった。2002年か2003年、夏休みをとってハワイに旅行した時、ホテルでテレビをつけると、フジテレビが米国在住日本人向けの番組をやっていた。そこに登場したのが福原氏であった。
彼も競馬担当を離れてニューヨーク支局に異動となり、現地邦人向けの番組に出ていたのである。僕は10年ほど前の有馬記念での出来事を思い出し、(福原さん、アメリカで頑張ってるんだ)という思いがして嬉しくなった。
■人生の次のステージ
僕は暇な時にYouTubeにアップされている「武豊TV!」を見るようにしている。この番組は武豊騎手のクレバーさが感じられる内容であるが、それを引き出しているのは福原氏の手腕であると思う。競馬に関する深い知識、確かな見識でファンが聞きたいところを聞き、それを武豊騎手にうまく喋らせている。武豊騎手からの信頼も感じられ、見ていて気持ちがあたたかくなるような番組に仕上がっている。福原氏であるからこそ成り立っている番組であると思う。
その福原氏は54歳でフジテレビを去る。僕は53歳で同じ早期退職制度を利用して日刊スポーツを去った。有名なアナウンサーと僕ごときを比較するのもおこがましい話であるが、もしかすると、彼も僕と同じように(60歳を前に新しい人生をスタートするんだ)という思いなのかもしれない。
29年前のほんの短い会話など覚えていないと思うが、一瞬だけ接点を持った人間として、人生の次のステージでも頑張っていただきたいと願うのみである。
》》ジャーナリスト松田様
福原さんの競馬についての知識と愛情は、彼が担当する競馬番組を観れば分かりました。松田さんの記事を読んで、「なるほどね」とその感覚が納得出来ました。福原アナは毎週日曜日のBSフジの「BSスーパーKEIBA」の司会を務められています。競馬初心者の小島アナとのコンビで、競馬のビギナーから小生のようなコテコテの馬券親父まで楽しめる、見事な構成・内容だと思います。特にテンポ良く競走馬や関係牧場等の秀逸な情報をコメントで彩る才能は本当に素晴らしく、馬券を外してささくれだった邪気さえも温かく包んでしまうように感じます。
ユタカちゃんとの関係は知りませんでした。また年齢もまだ40代だとばかり思っていました。
競馬をこよなく愛する福原さんの第二の人生は、きっと素晴らしいレース展開になると信じて疑いません。
「これは強い!直線でさらに後続を突き放しての圧巻のゴール!」
>>MR.CB様
コメントをありがとうございます。福原さんは武豊TVではいい質問をしており、(競馬を分かってるな)と感じさせられます。同じように鈴木淑子氏、合田直弘氏ら、競馬の世界の報道で残っている人たちはそれなりに秀でたものをお持ちだと感じます。
僕は人事異動で競馬の世界を離れることになった時、当時の東スポ本紙の渡辺薫さんに「良かったな。お前、競馬好きじゃないもんな」とシビアな言葉をかけられた記者ですから(笑)、福原氏らの競馬への愛情、情熱も尊敬しています。