平和宣言「核抑止論の破綻」英語では意味変更
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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広島への原子爆弾の投下から78年経った6日、松井一実市長は平和記念式典で平和宣言を訴えた。核抑止論の破綻を直視し、そこからの脱却を促すことの重要性を訴えた。ところがこの宣言文の英訳では「破綻」という言葉は用いられておらず、「愚行、愚案」を意味する「folly」が用いられている。世界に向けて訴える宣言文をなぜ正確に英訳しないのか、「だから反核平和主義者は信用できない」という声も出そうである。
◾️各メディアが報じた「核抑止論の破綻」
今年の平和宣言は、広島市のホームページで閲覧することができる。松井市長は、各国の為政者に対して核抑止論からの脱却を呼びかける内容となっている。
5月のG7広島サミットでまとめられた広島ビジョンで、究極の目標が核兵器のない世界であるとしつつも、「我々の安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、並びに戦争及び威圧を防止すべきとの理解に基づいている」といった考え方が示されたことに対応したものと言える(参照・核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン仮訳)。
これはG7とその周辺国の安全保障は核抑止力をベースにしていることを明らかにしたもの。抑止力としての核兵器の存在を肯定的に捉えたとの判断が可能で、これに対して、松井市長は異を唱えたものと受け止められている。実際には以下のように書かれている。
「しかし、核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか。」(広島市・平和宣言【令和5年(2023年)】)
この核抑止論は破綻という部分は、多くのメディアがメインの見出しにして触れている。
★【平和宣言全文】「核抑止論の破綻、世界の指導者は直視を」広島市長(朝日新聞DIGITAL)
★「核抑止論は破綻」「核禁止条約批准を」広島で平和式典 長崎の式典は台風で縮小(テレ朝news)
★広島は「原爆の日」 市長が平和宣言で「核抑止は破綻、脱却を」(東京新聞 TOKYO Web)
宣言の流れからすると、ロシアのプーチン大統領を念頭に「核による威嚇を行う為政者」の存在が、核抑止論の破綻を意味すると考えているようである。
これは明らかにおかしな話で、西側の核兵器による抑止がなければプーチン大統領はウクライナに対して核兵器を使用しているかもしれない。少なくとも、攻撃を思いとどまる積極的な理由はない。また、NATO(北大西洋条約機構)のウクライナ支援を武器供与にとどめ、軍事介入をしないのは第三次大戦、すなわち核攻撃に繋がる全面戦争に発展する可能性があるからというのはロシアの侵攻当初から米バイデン大統領が明らかにしていた。
◾️核抑止論の「破綻」と「愚案」の違い
このように核抑止論は破綻するどころか、ロシアとウクライナの全面衝突の中でも核兵器の使用を躊躇わせるものとして機能していると考えるのが通常の思考で、破綻しているのは松井市長の「核抑止論は破綻」という見解であろう。
この明らかにおかしな「核抑止論は破綻」であるが、広島市が発表した平和宣言の英訳では以下のように表現されている。
However, leaders around the world must confront the reality that nuclear threats now being voiced by certain policymakers reveal the folly of nuclear deterrence theory. (The City of Hiroshima・PEACE DECLARATION)
問題は破綻に相当する部分を「folly」と英訳していることである。
folly:1、愚かさ、愚劣、狂気 2 a 愚行、愚案、愚挙、狂気のさた (bとcは略) 3(古)邪悪、猥褻なふるまい(リーダーズ英和辞典 松田徳一郎監修 研究社 p840)
このように英和辞典では、follyに「破綻」という意味は掲載されていない。もし、核抑止論を愚案とするなら、日本語の宣言文は以下のようになる。
「しかし、核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は愚案であることを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか。」
実際の宣言では「核抑止論は破綻」と客観的な事実の指摘となる。ところが、英文では「核抑止論は愚案」という市長の主観的な評価にとどまる。全く意味合いが異なることを、伝えるメディアはどれほど意識しているのであろうか。
◾️広島市とのやり取り
以上を踏まえて、広島市に電話で以下の2点について聞きたいと申し入れた。
問1:平和宣言の英訳の責任者は誰か
問2:「核抑止論は破綻している」という部分を「the folly of nuclear deterrence theory」、つまり「核抑止論は愚案」としているのは正確な英訳と考えているのか
これに対して、同市平和推進課が対応してくれた。まず、問1に関しては平和推進課が英訳し、最終的に市長の承認を得ているそうで、その意味で責任者は市長と言える。問題は問2である。
広島市平和推進課職員(以下、職員):follyという単語を使っていて、意味が違うというお話ですが、ここだけではなくてですね、この平和宣言は毎年、日本語の直訳にはなっていません。それはわざとですね、英語で伝わるようにということで、市長の方とも意味を確認しているのが平和推進課なので、その上でこういった意味になる、ということで今回、この単語を使っているということです。
ーー日本語と英語の意味は違うというのは意識されて…
職員:意訳をしています。この部分だけでなく、他の部分も意訳になっています。そのまま日本語を一語一語置き換える訳にはなっていません。
ーー日本語で「核抑止論は破綻」とすると、客観的事実として論理的に成り立たないという指摘になりますよね?
職員:はい。
ーー英語だと愚策、愚案、愚行とかになりますよね。そうなると核抑止論は愚かな考え方だと言うのであれば、それは広島市長の主観ですよね?
職員:主観というかですね、成り立たない、つまり、破綻しているので成り立たないので愚行というかですね、こういった論理は成立しないということを示しているという理論で書いています。
ーー日本語では客観的に成立しませんよと言って、英語では愚案だと市長の考えを言ってますよね
職員:破綻しているのが客観的な事実かどうかというところもですね、破綻していないと言う人もいらっしゃいます。ウチの市長としてはこう考えているということが書いてあるということです。
ーー日本語の宣言を読むと、核抑止論が破綻しているという客観的事実を直視しなさいよという趣旨で言ってますし、そのような強烈な表現をしているから、各メディアがここを引用していると思いますが
職員:平和宣言は市長の考えがそこに書かれています。それが客観的事実かと言われると、市長はこう考えている、全て考えになりますので…。
ーー核抑止論は客観的に破綻していると、市長は主観的に思っているということですか?
職員:そういうふうに補えば、ですね。これ(核抑止論が破綻)が客観的に全ての人が認める事実だとは言えないと思っています。
ーーそれは(日本語では)そのように読めませんよね
職員:客観的事実とは書いていないと思います。
ーー「核抑止論は破綻しているということを直視し」と書いてあります、つまり、破綻しているから、それを見なさいと市長はおっしゃってるわけで、それを客観的に破綻しているかどうかまで言及していませんと言うのはおかしくありませんか
職員:…
ーーところが英語を見ると、市長の主観に置き換えられているわけです
職員:置き換えているわけではないのですが…
ーー意訳ではなく、異なるという漢字の「異訳」ですよ
職員:英語に関しては最終的に市長がこれでいい、と言ってます。それを(日英で意味が)違うと言われるのであれば、それは私たちはそうは思っていません。
ーーfollyには破綻の意味はない、ということはお分かりだと思います、破綻という言葉にあてるなら、fall apartが最も適切だと思います
職員:直訳であればそうなると思います。
ーーそれをfollyにしているのは、あえて意味を変えているとしか思えません
職員:意味を変えているということではありません。英語のネイティヴの方に思いが届くように訳しています。
◾️政治的判断で日英で意味を変更か
こういうやりとりを「糠に釘」などと表現するのかもしれない。英訳をしたのは平和推進課であり、市長が一語一語、チェックしているとは思えない。最終的な責任は市長が取るのであるから、平和推進課も、ある意味、気楽に英訳していることは想像がつく。
しかし、世界の首脳やメディアが目にするのは英語の方である。広島市長の核抑止論に対する主観に基づき政策を提案するものであり、それはそれで市長の政治的な信条を披瀝したものと解釈できる。
ところが、日本語を直訳すれば、「広島市長は事実の認識において、合理性を欠く判断をしている」と評価されかねない。一方、日本語であれば、たとえば、ひろゆき氏が「それはあなたの思い込みですよね?」とツッコむことはあっても、大手メディアは広島市長の言葉として、政府の政策を批判する材料として、何の疑いもなくそのまま報じることが想像される。
そうしたことから政治的判断の上で日英で意味が異なる宣言にしているのではないか。被爆者の方々の辛さ、無念さを理解しないわけではないが、政治家なら合理的な話をしたらどうかと言いたいのは筆者だけではないと思う。
>核(兵器)による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻している
前段の“為政者”とは、ウラジミール•プーチン氏や金 正恩氏を指すものと思われる。
彼らが「我が国を攻撃すれば、仕返しに核兵器を撃ち込むぞ!」と“威嚇”し、その威嚇が効力を“発揮”している=彼らの国家、ロシアと北朝鮮が攻撃を受けていない、という事は、
※核兵器による“抑止”は、破綻どころか「ちゃんと“機能”している」という事であろう。
“破綻”している(=言葉の前段と後段が矛盾)のは、松井 一實(まつい かずみ)市長の方である。
●「あなたは責任を負えますか」 知事ら核抑止論に異議 広島原爆の日
朝日新聞社 デジタル 8・8・2023
《私は核抑止論者に問いたい》《あなたは、全人類の命、地球上の全ての生命に対し、責任を負えるのですか。核戦争が起こったら、こんなことが起こるとは思わなかったと肩をすくめるだけなのでしょうか》
平和記念式典でそう問いかけたのは、湯崎英彦知事だった。
↓↓
核抑止力の中で守られて来た又現在も守られている湯崎知事はいい気な者と言うより卑劣なる人物である。
軍事による国防は国家成立、存続の必須条件である。
軍事の中で核をことさらに問題とすることは偽善である。
それが人類を滅亡させるに至るSF的世界をもたらす兵器だからということか・
北朝鮮の核開発の目的をどう理解する。
こ奴等を平和主義者と一応呼ぶ、誰が呼ぶのか? 吾輩がである。
ソエト連邦の崩壊を予測した社会学者、故小室直樹氏の著書に同じく、平和主義者が戦争を起こす(新戦争論)がある。(その論理の概要は割愛)
勝海舟の皆(国家)敵が良い。→のである。
相手を明確に敵と位置付けることで従って上手く行く、というほどのことだろう。
こ奴等平和主義者が画策している戦争(破壊)は軍事によるものではない。
そして破壊しようとしているものは人類共通の普遍的価値観である。
それは近代国家、自由社会を形成するに至った価値観である。
自由社会を兵主義の仮面を被ったファシスト、ファシズムから何としても守らねばならない。
ご返信は不要です。
私も、広島県知事の核抑止論者に責任は負えますかと言っていた言葉に、違和感を覚えました。
アメリカの核抑止の傘に守られていながら何を言っているのかと。
確かに、被爆され方々のことを思えば、核が無くなることが一番であるのは理想として理解できます。
しかし、現実に核を使った恫喝や威嚇をする国(為政者)がいる以上、それに対抗する手段がなければ、相手に好き勝手にされてしまうのは自明の理ではないですか。
広島の知事は、日本がウクライナのように攻められたときに、それこそ責任が負えるのでしょうかと問いたいです。
広島の県知事・市長及び広島から出た総理大臣、いずれも現実から認識がずれておりそれぞれが県政・市政・国政において数多くのやらかしをしていることは甚だ遺憾。
これらを広島の恥と言わずして何と言ってよいやら。地元民として恥ずかしい限りです。
湯崎や松井に限らず、広島の首長は毎年8/6だけ神妙な顔をしながら尤もらしいことさえ喋っていれば務まると思っているに違いない。
必死に誤魔化してるけど、広島メディアふくめて、
例の碑の「日本が悪かった論」というトンデモサベツ原爆の責任転嫁問題も含めて、
こういう風に、アメリカ原爆民主党の罪を日本になすりつけてきたのが、
広島の行政です。
原爆バービー騒動の時も批判どころか、同じワーナーの共産主義スパイ疑惑でパージされたオッペンハイマーを美化するような映画の宣伝をするためにアメリカまでいってるところもありました。
で、バービーとワーナー批判をそこまでしてした局はゼロ!
ずっと原爆開き直りながら日本を貶める広島を貶めることをこういう役所やマスコミはやってきたわけです。
トップの暴走だけじゃなくくて、役所の職員もこういうことしてるのですから。