迷惑カメラマン鈴木達朗氏に警告 「いい気になってると、手が後ろに回りますよ」
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
最新記事 by 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 (全て見る)
- 見えてこない導入の必要性 分娩費用の保険適用化 - 2024年11月18日
- 検討会で弁護士暴論「産科医は医療安全に前のめり」 - 2024年11月16日
- ズレてる安藤優子氏 窓際指定席を外国人に「どうぞ」 - 2024年11月12日
富士フイルムのコンパクトデジタルカメラ『FUJIFILM X100V』の公式プロモーション動画に登場したカメラマン鈴木達朗氏が街中で勝手に人を撮影するシーンが問題になっているが、もう一つ問題となっている写真がある。ツイッターにアップしたもので(現在はアカウントを削除)、公衆トイレと思われる場所で鏡に向かって自らを撮影、その背後に男性が放尿しているところが写っているもの。これは犯罪になる可能性があると思う。
■公衆トイレでの写真撮影は「グレーゾーン」
鈴木達朗氏の撮影方法について2月7日に警視庁に架電し、生活安全特別捜査隊の方に東京都迷惑防止条例に関して話を伺ったが、富士フイルムの公式プロモーション動画に関しては条例違反には至らないであろうというのが結論であった。(参照:富士フイルムさんどうなってるの? 街で勝手に人を撮影する暴走カメラマン)
これは僕も納得できる部分ではある。モラルとして許されないが、法令に違反するかと言われればそれは難しい。
ところが、鈴木氏が自身のツイッターにアップした公衆トイレで撮影したと思われる写真はかなり際どい。警視庁でもその写真の存在は認識していた。担当者に聞くと「これがまさに陰茎が写っているというのであれば、ですが、放尿している姿だけというと…。自分を撮ってその後ろに写っている姿があるということですよね。グレーゾーンってところですかね」とのことであった。
■建造物侵入罪成立の可能性
写真を見る限りはペニスそのものがはっきりとは写っていないので(影のように先端部分が写っているように見える)、直ちに検挙されることはないと思われるが、担当者はあくまでも東京都迷惑防止条例について「グレーゾーン」と言っただけである。
迷惑防止条例ではなく、刑法で考えるとどうか。撮影場所は公衆トイレであろう。そうなると管理するのは都や市区と思われる。公衆トイレは撮影するための場所ではない。排泄行為中の他人が写り込むことを前提とした写真を撮影する目的で立ち入ることは管理権者の意思に反するのは明らかであり、建造物侵入罪(刑法130条前段)が成立する可能性は十分にある。
更衣室に盗撮用のカメラを仕掛けたり、銀行のカードの暗証番号を盗撮するためにATM設置場所に入ったりした者に、同罪が適用された例は少なくない。
この際だから、鈴木達朗氏に警告しておこう。
警視庁は既にあなたの公衆トイレで撮影した写真を見ている。芸術の名の下なら、何をしても許されると思ったら大間違いだということを知るべき。あまりいい気になっていると、手が後ろに回る可能性があるから気をつけた方がいい。
こんばんは
虚構は虚構であるが故に、現実に隠されている実相を浮かび上がらせることができるとか、
江戸の魚屋、一心太助は腕に一心白道の入れ墨をし、その潔白、義侠心に富んだ生き様は虚構の要素大なれど、何が価値あることなのか、人々に思い起こさせる江戸風物の物語として語り継がれて来たのだ。
兄さん、江戸っ子なんだってね、おう、神田の生まれよ! そうかい、まあ、寿司食いねえ、酒飲みねえ、で、己が人物評価を聞き出そうとする森の石松三十石船のくだり。
江戸っ子がもつ江戸っ子たる資質を理解し、その言葉を聞きたがる石松、で、結果は、、
(石松三十石船、これ故藤圭子さんが歌っていたとは知りませんた)
自らを今風に、東京ネイティブと顕示するカメラマン、一心太助がその行状を知ったならぶん殴られるだろう、一発のみならず。
神田の生まれの江戸っ子は、
なに~あれが江戸っ子だとぉ~ ありゃとんでもねぇ外道だぜ!
かと、
元ヤクザであった作家の故安部譲二氏は、やくざは人を見抜いて何ぼの商売だと、
富士フィルムが何故このカメラマンを評価し今回の動画を公開したのか分かりませんね。
御返信は不要です。
>>野崎様
鈴木達朗氏が常識のないカメラマンだということははっきり分かりましたが、やはり謎は富士フイルムほどの会社がなぜ、という部分です。会社のHPからは鈴木氏のプロフィールも削除しています。
責任者は処罰を免れないでしょうね。
富士フイルムに出した質問に回答があればいいのですが、あまり期待せずに待つことにします。
今、誰もがカメラ(携帯、スマホ)を持っています。私は公人では無いので写されても、問題は無いでしょうが、この写真の後ろの人、当人だったら文句は言うでしょうね!
>>山口様
コメントをありがとうございます。
警視庁の担当者はこの写真は「ギリギリのグレーゾーン」と言ってました。民事上の請求なら、公開させないようにすること、損害賠償などは通るように思います。
ネット上の情報ですが、鈴木達朗カメラマンは早稲田大学法学部出身らしいですが、事実なら、自分のしていることは分かりそうなものですが、一体何を考えていたのか…。
鈴木さんには被写体への配慮をちゃんと改善して、作品作りを続けてほしいです。
>>尾崎様
コメントをありがとうございます。
全くその通りだと思います。決められた枠内で優れた芸術を見せてこそ、芸術家だと思います。
今話題になっているkouichi morimotoさん(@kou_1com)の写真を見てきました。違う時代の息遣いを垣間見れたからか、正直心が震えました。同じことをしていて叩かれる人とメディアにも好意的に取り上げられる人がいて、結局叩きたい人たちの好き嫌いなだけなのか、疑問を感じてます。
>>須崎様
コメントをありがとうございます。kouichi morimoto氏の写真、サラッと見ましたが、モノクロの存在感がいいですね。これは時代を写しているもののように感じます。彼がどういう写真の撮り方をしたのかわかりませんが、カメラ目線のものもあるから不意打ちのようなものはしていないのかなと思います。
もしかしたら、鈴木氏と同じ類なのかもしれませんが、それは撮影風景がないので分かりません。
鈴木氏が叩かれるのは、撮影方法が明らかになっているからでしょう。人の好き嫌いで叩いているわけではありませんし、もし、kouichi morimoto氏が同じような手法でやっていたとしたら、それは大いに問題でしょう。それが分からない状況であれば、出てきた作品で判断するしかないのは当然のことだと思います。
昔のカットはフィルムでピントもマニュアルでしょうから、金銭的にも無駄撃ちできない分当然ファインダーを覗いて撮られていると思いますが、少しまえの投稿のデジタルで撮られている写真は向かって歩いてくる女性に真正面から腰位置くらいから隠し撮りしているようなカットも多々ありますし、電車で向かいの席などから撮ったかなり際どいものもたくさんあります。
人混みならまだしも夜の人気の無さそうな道で女性一人を撮っているものもありますし、こちらのほうが恐怖を与えるに十分な気がしますが。非難の矛先にはならず。
誰も文句言いに馳せてもいらっしゃらないですし、GIGAZINEなどのメディアも好意的にまとめる始末。
ご本人もツイッターでは、沢山のシーンで法を犯して撮ってるし、法を犯してるシーンも写ってると仰ってます。
この方とどこが境界線なのか正直わかりません。
結局皆さんの好き嫌いなんですよね?
世の中に先にバレるかどうかの差ですか?
>>須崎様
コメントをありがとうございます。
芸術家と称する人たちは、芸術なら何をしても許されると思っている節があります。街で写真をいきなり撮影され、それを作品として公開されたら、被写体とされた人はたまったものではありません。芸術のために、一般人が犠牲にならなければならない理由なありません。
早稲田の法学部を出たという鈴木氏、なぜ、そこが分からないのか、不思議でなりません。
法で裁けないから社会的制裁を与えようという大きな流れなのでしょうか。
僕も当然迷惑な撮影法だとは思っていますが、逆に法学部を出られた方が捕まらないのでしたら、何ら問題はないということではないのでしょうか?
元より撮られた相手が訴えるリスクも承知の顔出しですよね。もっと隠れて同じような写真撮られている方々が大勢いらっしゃる現状で。
なぜその他大勢の隠し撮りは許容されて鈴木さんだけが叩かれているのか全く理解できずにいます。
>>須崎様
社会的制裁を与える気などありません。許し難い撮影方法だと批判をしているだけです。
>>逆に法学部を出られた方が捕まらないのでしたら、何ら問題はないということではないのでしょうか?
街中での撮影について、刑事上の責任を問うのは難しいというのは書いたとおりです。ただ、公衆トイレの中での撮影は建造物侵入罪の可能性はあるというのが僕の見解です。
>>元より撮られた相手が訴えるリスクも承知の顔出しですよね。
街中を歩く時は、他者に顔を見られるのは誰しもが覚悟しているでしょう。しかし、勝手に自分の顔を撮影されることを容認している人は少ないと思います。「訴えられるのを覚悟の上で撮影しているから、社会的に撮影が許される」という議論は成り立たないと思います。
>>なぜその他大勢の隠し撮りは許容されて鈴木さんだけが叩かれているのか全く理解できずにいます。
その他大勢の隠し撮りを誰が許容しているのですか? 撮影したことがわからないから文句を言えないわけで、分かったら文句を言う人はいるでしょうし、社会的に叩かれるでしょうね。鈴木氏は自分のやっている行為を動画に撮らせて、富士フイルムが公開している、まさに反社会的な行為をしているのを晒しているわけで、叩かれるのは当然でしょう。
みんな盗撮しているから、鈴木氏は免罪されるのでしょうか? 僕はそれには納得できません。
そうなんですか?必要以上に叩かれ、社会的な制裁を受けているようにしか感じませんが、それは受け取り手次第なんでしょうね。
要するに富士が動画で公開するといった派手な活動をして世間の目に晒されたから批判されているのであって、世間に晒されていないこれまでの活動では世界的に評価されてしまう。歪んだ世界ですね。
何かしらの罪を着せようと思えば、外を歩いているだけで全ての法を遵守する事が非常に困難なため、とうあっても捕まえることが出来ると聞いたことがあります。要するに難癖つければなんとでもって事ですね。
自分は世間になびいて批判しかできない人たちがとにかく理解できません。確かに迷惑です。が、芸術や文化として評価もされています。調子に乗ってると捕まるよ。と、ただただ燃えている炎に油を注ぐだけでなく、どうすればその文化や芸術をより良いものにするかを議論してほしいです。
批判はいいと思います。が、よってたかって集団リンチだけして、助けようとしない大人は見飽きました。そしてこの先もっとネットが発達する上でそういう大人こそ不必要です。自分たちの世代には害悪にしかなりません。
記事は言葉の暴力になっていつまでもずっと救うことなく襲いかかり続けます。
次の作品を出しても、ずっとこの内容で襲いかかります。そんなのが正しい事なんでしょうか。法ではなんら裁かれない暴力でしょう。内容も正論中の正論です。
が、物を書く人間として正しいというだけで一人の人間のこの先の人生をずっと同じ内容で襲い続ける責任も、もっと考えてください。
>>須崎様
須崎様はまだお若いようですね。
鈴木達朗氏がまだ20代なら、僕も違った書き方をしたかもしれません。しかし、鈴木達朗氏は45歳ですか。45歳であの行為をやって批判されたら一切沈黙し、反省した様子も見せないのであれば、(またやるだろうな)(新たな犠牲者が出るな)と考えるのが普通です。
誰かが言わないと、鈴木氏はあの卑劣な行為を社会が容認していると考えて続けるでしょう。だから言うことに意義があると僕は考えます。
僕は正しいと思うことを言いますし、自らが信じることを書きます。それで鈴木氏が傷つくかもしれませんが、それは本人の責任です。45歳になってそれが理解できないであれば、いずれ手が後ろに回ると思います。
はい。高校生です。
僕はそこまで鈴木氏が迷惑行為で止まらないのなら、手が後ろに回ればいいと思います。法治国家ですので。
赤の他人からの批判もあると思います。が、インスタグラムのコメントなどみましたか?こういう記事を見て、よく分からないけど今叩いても自分の一手が軽いと見るや、叩きまくる人たちで溢れかえってます。内容も酷いです。あることない事罵詈雑言の嵐です。
ジャーナリストならそういう方々にも一石投じてほしいです。
あれが正しい世の中のあり方だとは全く思えません。
>>須崎様
別の人が何を言っているのか、僕は今の時点で興味はありません。鈴木氏のインスタグラムに罵詈雑言を書き込むことは、また、別の問題です。そこで新たな人権侵害があれば、それはそれで問題でしょう。脅迫に当たるような書き込みがあれば、法的な措置が必要になると思います。
ただ、そのような犯罪に当たらない書き込みは、まさに鈴木氏が行なっていた迷惑行為と同じです。違法ではないが甚だ迷惑であるという意味で。自分が行なった数々の迷惑行為を棚に上げて、それに起因する自分が被害を受けている迷惑行為をアピールしても須崎様以外の世間の人々は(自業自得)と言うだけでしょう。僕なら(自分がやられて嫌な行為を、他者にやっていたことについてどう思う?)と鈴木氏に聞くでしょうね。そこで彼が自分の行為の卑劣さに気づけば、少しは事態は良くなると思います。
なるほど。自業自得が成立すればもはや個人がどれだけ必要以上に追い込まれようが知ったことではないというお考えなんですね。
カズ・ヒロ氏がオスカーを取られた際、日本の文化が嫌になった。日本では夢が叶えられないからこちらに住んでいるとおっしゃった意味がなんとなく分かってきたような気がします。
正当化して自分は悪くないと言い張る大人たち。
自業自得だから必要以上に叩かれようが知ったことではないという大人。
迷惑一点張りで芸術活動に寛容になれない大人。
閉鎖的でプライバシーに異常なまでの潔癖を謳う大人。
仕事はまだしたことは無いですが、そんな大人に囲まれて自由な発想を求められても嫌になりますね。
>>須崎様
だいぶ誤読されているようですが、どう解釈されるかはそちらの自由ですから、これ以上申しません。
>>カズ・ヒロ氏がオスカーを取られた際、日本の文化が嫌になった。日本では夢が叶えられないからこちらに住んでいるとおっしゃった意味がなんとなく分かってきたような気がします。
そうですか。それは良かったですね。
>>仕事はまだしたことは無いですが、そんな大人に囲まれて自由な発想を求められても嫌になりますね。
決められた枠組みの中で、自由な発想を求める企業は多いと思います。それこそが人間の発想の豊かさが問われるからです。
もし枠組みなしなら、例えば「人気女優の家の前で待ち構えて1週間、望遠レンズで写真を撮り、どんな生活をしているかを明らかにする」なんて企画も通るでしょうね。
就職されたら「枠組みなしで自由に発想させてください」と頼んでみたらいいでしょう。その時に「街を歩いている人を、いきなり写真を撮って、それを展示する展覧会を開く」などの案を出してみてください。それが何故ダメなのか、上司は説明してくれるかもしれません。そしてそれに絶望して「日本では夢が叶えられない」と言ってアメリカに行ってみてはいかがでしょう。
そしてアメリカの街角でいきなり写真を撮る。多分、米国は日本のように寛容ではないと思います。プライバシーの概念も日本より遥かに強いと思いますから。
個人が個人へかけている迷惑行為と、大勢の赤の他人が正義の傘のもと制御できない大きな力で与え続ける迷惑が同等とおっしゃるのですか。。ジャーナリストというのは凄いお考えの持ち主のようで。。すみません、若さ故か学の無さか、そのどちらもか、頭で理解しようとしても心が追いつきません。
色々な炎上を目にしますが、おそらく鈴木さんがこの先、心から謝罪しようが別の仕事をしようが何をしても叩かれるので、気の毒でなりません。45歳、間違いを犯すのに年齢は問題ですか?叩いている人達は再起不能に追い込まれる芸術家はどう生きるのかニヤニヤしながら見るのでしょうか。
暴走した正義に殺されたり、見えない暴力に耐えかねて自殺されても自業自得で済ますのでしょうか。たまに見聞きします。そういう大人の会話。
>>須崎様
>>暴走した正義に殺されたり、見えない暴力に耐えかねて自殺されても自業自得で済ますのでしょうか。
僕はこのようなことは言っていません。違法性のある行為は法的に対処すべきと書いています。反論としては的外れですね。
matsudaさま。色々とご無礼、失礼しました。
昨晩、この春より師事を仰ぐカメラマンの先生に話を聞くことができて、自分が大きく間違ったことをしていると強く叱られました。反省と復習も兼ねて列記しておきます。
写真に限らず芸術活動というのは昔から批判や非難は当たり前。
悪い言い方をすれば、賛辞を送ってくれる人は金づる、批判をしてくれる人は広告塔。今鈴木さんは考えうる最大の宣伝をしている。今まで100人の目にしか触れなかったものが、何十何百万という人の目に触れている。ほとんどの写真家にとってこんな事は一生に一度も無いと思う。これだけの人の目に触れさせようと思うとどれほど莫大な広告費がかかるか想像もできない。それを無料でできた鈴木さんは羨ましい。ただそれだけ。
富士にとっては誤算だったかも知れない。鈴木さんの宣伝は想像をはるかに超えたものだったが、肝心の新製品の宣伝が霞むどころか全く見えなくなってしまった。
鈴木さん自身、この状況をものすごくありがたいと思っているに違いない。
元より批判や非難を受ける撮り方をしているのは百も承知なはず。
何も言葉を発しないのは、発する必要がないから。
当然迷惑をかけた被写体には、いつも申し訳ないと思っていると思うが、それ以上は無いと思う。
謝罪や説明しろとの声は批判を超えた的外れ。謝罪は被写体にはするかもしれないが、世間への説明の必要はない。芸術家がいちいち自分の作品を解ってもらうために事細かに説明しているところなんて見たことないだろう?
君のやっていることは、わざわざ自分たちの時間を使い、無料で宣伝して回ってくれている行為を止めようとしている。鈴木さんにとっては君の行為こそ、金も産まなければ宣伝もしてくれない。妨害しているだけで、辞めて欲しいもの。
集団リンチではない。集団で最も効果的に広告してくれているありがたい行為だ。
罵詈雑言もない。写真は見たままだ。感じるものがあるかないか。ただそれだけでいいし、言葉はいらない。写真家はいちいちコメントを間には受けないし、コメントすることもない。
再起不能なんて以ての外、真逆。今最高にノッていると思う。
そして鈴木さんは自身のスタイルを変えないと思う。むしろ変えてはいけない。せっかく今最高に売れているんだから。
今批判している人たちは、宣伝が終われば身を引いていく。そして鈴木さんの評価は見る人が増え、ファンも増え、これまでよりただ高まるだけだと思う。
これからも一定の嫌悪感を示す人はいるだろうが、それは今までも同じ。何も変わらないままファンが増えただけ。羨ましい限りだ。
アマチュアのカメラマンだって自分が見ても上手いなと思う人はいる。でも写真で飯を食うというのはそんなに簡単なことじゃない。上手ければ売れるわけでもないし、下手だから喰っていけないというわけでもない。写真で飯を食う、それができている時点で、それだけで凄い。
強く言うが、写真家を舐めないほうが良い。そんな普通の考えではこの先写真家は務まらない。
といった内容です。
ありがとうございました。
良くも悪くも大人の意見、ありがとうございました。
そこまでいうなら〜してみればいい。とか、勝手にすればいい。と、大人に突き放された事を思い出しました。
結局自分の考えを押し付け、押し付けられないとみれば見限り、突き放すのは大人の特徴なんですね。就職して枠組みで〜とおっしゃいますが、自分は写真家に弟子入りするので、一般の会社の事はわかりません。
枠にはまらない人間は捨てられるだけ。勝手にすればいいという排他的なお考えがジャーナリストなのだとしたら、なかなか素晴らしいご職業でいらっしゃると思います。
手のひらをコロコロと返す人の特徴がジャーナリストと重なってしかたがありません。
大人への失望を超えてよくわからない感情にしてくださいましてありがとうございました。
>>須崎様
皮肉のようにも読めますが、素直に受け取っておきます。
>>結局自分の考えを押し付け、押し付けられないとみれば見限り、突き放すのは大人の特徴なんですね。
ここはそう受け取るのではなく、前向きに受け取ってほしいですね。自分の人生をどう生きるか、最後に決めるのは自分自身です。「こうした方がいいよ」というアドバイスに対して、明確に拒否して自分の信じる道を進む決意をしている人に対しては「それなら自分で信じる道を進んでください。それによって起きる全てのことに責任を負うのは自分です。栄誉を掴むのも、責任を負わされるのも自分ですから、他人である私はそれ以上、言っても意味がありませんし、言いません」ということです。突き放されたと感じるかもしれませんが、それは相手が一人の大人であることへの尊重です。
春から写真家の方に弟子入りとのこと。新しい人生を頑張ってください。
別に個人的には鈴木氏を擁護する気はないです。ただ、一連の騒動をみていて何気に思ってしまったのが、
誤って警官が銃で子供を射殺してしまったのを知って、今度は周りの赤の他人がその警官を集団リンチして殺してしまうのを、端から見ている自分は誰をどう見て良いのか善悪の基準がよくわからなくなってしまう。みたいな感覚を覚えました。
本来法で裁くべきものを、正義の裁きという大義名分のもと、関係ない人をリンチして殺してしまう大人を見て、大人に片足を突っ込んだ高校生の自分はどう思えば良いのかわからないのです。
鈴木さん。めちゃめちゃ尊敬してるし大好きな写真家ですよ。写真は一人では取れません
必ず対象物があって、時には摩擦を生じるかのしれません。多数の方が不快に思われるのも
分かります。それでも写真家は撮るべきなんです。
その資産は必ず、後世の人たちの幸せをよびます
>>Yottariamさま
コメントをありがとうございます。
写真家が写真を撮るのは自由ですが、他人の権利を侵害して撮影する権利はないと思います。
芸術は犯罪の免罪符ではありません。
将来の仮説を前提として、現時点での問題を不問とするのは論理として成立しない。
なぜならば、ある表現者の将来得られるであろうとする価値は、得られない場合があるからである。
その場合の責任をどうとるのか。
そして、その価値は、ほぼ得られないであろうことは、類似した過去の事例に敷衍すれば明確である。
又将来得られるかもしれない、その価値に普遍性はなく、現時点で生じた問題こそが普遍的価値を棄損したのである。
遅かりしとはいえ、それを理解したからこそ富士フィルムは動画を削除したのである。
一個人の表現者の問題行為と写真表現そのもの、その対象である人々、社会との関係性のことが混同されている。
プライバシーを侵害してもスクープ写真に価値がある場合がある、との論理だろう。
だが同じ事だ。
守らねばならない価値が前提であり、その価値が形成する社会があってこそ現代の写真表現、狭義の芸術行為は可能なのだ。
そして現代の狭義の(職業とする)芸術表現は純粋行為ではない。
そこには地位名声又富を希求する要素が内包されているからである。
それを求めるために社会通念上、許容範囲を超えた負とされる行為は容認されない。
特に現代の情報化時代においてはさらなる問題が生じており新たなモラルが必要とされているのである。
御返信は不要です。
難しすぎて何書いてあるか全然わかんない。
何かを伝えようとする意思がこんなに汲み取れない自分勝手な文章を久しぶりに見た。
頭が良いふりをしたくてたまらない人が書いたのだろうなぁ。
頭が良い人は言葉少なくても伝わるもんね。
鈴木さんは、芸術の名の下なら、何をしても許されると思ってるやってるわけじゃないと思う。
相手が嫌がっていることを分かった上で、予定調和でない写真を撮りたいんだと思います。
違法行為でないから大丈夫だと思って調子のってる的な批判は的外れなのではないでしょうか?
そんな危ない写真家をCMに使った富士フィルムが企業としてどうかと思いますけど。
鈴木さんがtwitterにUPした写真は、鈴木さんの作品なわけだから、それを勝手に引用してブログで否定するのはOKなのでしょうか。
>>ヨシムラ様
>>相手が嫌がっていることを分かった上で、予定調和でない写真を撮りたいんだと思います。
他者の迷惑、他人の犠牲の上にしか成り立たない作品を作るのであれば、それ相応の社会的な責任を求められると思います。
>>違法行為でないから大丈夫だと思って調子のってる的な批判は的外れなのではないでしょうか?
そう感じられるなら、それはヨシムラ様の自由なので結構ですが、僕は鈴木氏は許し難いと感じます。
>>鈴木さんがtwitterにUPした写真は、鈴木さんの作品なわけだから、それを勝手に引用してブログで否定するのはOKなのでしょうか。
ブログで公開しているものについて、それを社会的に問題があると引用して報じるのは報道の範囲であると考えます。彼が何らかの訴訟をしてくるなら、受けて立ちます。それぐらいの覚悟を持ってHPを運営しています。
もうね、そんなに何でもかんでも許しがたいのだったら、NHKしか流れないようなガチガチの世界で生きていけばいいと思います。
ジャーナリストだから世間がNOを突きつけた相手にそれっぽい内容で乗っかっておきたい気持ちもわからないでもないですが、叩かれ過ぎでいる相手にさらに追い打ちをかける行為はダサすぎて見ていられません。仕事かもしれませんが人道外れているのはどつち?と思ってしまいます。
僕は迷惑でも世界に通じる芸術なら許容したいですし、そうあれる世の中であってほしいです。無断とはいえ世界的な写真家に無料で撮影して貰って、目くじら立てて、しかも赤の他人が怒り狂うほど、具体的にどんな迷惑がかかるのか全く持ってわかりませんが、morimotoさんの昔の写真に写る人たちのように、何十年後かに自分が写ってる!と、撮った写真家と繋がって笑顔で話してみたいです。
写真に写った程度で迷惑を感じる世界なら、普段の生活において精神的な苦痛は計り知れないですね。
>>須崎様
>>もうね、そんなに何でもかんでも許しがたいのだったら、NHKしか流れないようなガチガチの世界で生きていけばいいと思います。
どこでどう生きるかは私の勝手です。人間は自由に生きることができます。それをダサすぎると感じるのも、そちらの自由です。芸術も自由ですが、芸術に限らず、他者の権利を害する自由などありません。
須崎様が鈴木氏の行為を許容するのは勝手ですが、僕は許容しません。そうした多様な価値観を容認するのが自由の本質です。そして、日本社会で無制約な自由は内心の自由ぐらいでしょう。通常、自由には責任が伴います。鈴木氏は責任を負わずに自由を享受しようとしていると言っていいでしょう。
おはようございます。
読者同士のバトル(コメントをアップするか否かコントロールされているのは松田さんですが)
いいのでは?と、 でも矛盾した思いですが直接的に挑むような表現は避け、解りにくい、何んのまねやらの紋切り型の表現で、しかし案の定反応があり、でも理解できなかったとのことで、まあこれでよかったと、
読者の方との応答を見てやはり避けるべきだな、と思いました。
でも、松田さんは、そうは行かない場合もありますね。
情報を発信しているサイドとしては避けては通れない場合もあり、さりとて、ここ数日間話題の望月記者の様に、フェイクニュースを流したことを問われガン無視という資質の松田さんではなく、己の信ずるところを主張すればよいと思います。
要は鈴木氏というカメラマンの犯罪的行為が問題とされているのであり
鈴木氏と同じ事、もしくはそれ以上の事をしているカメラマン、その違法性も公言しているにも関わらず不問であるのは不公平だ。
そして必要以上に罵詈雑言をあびせられている。
それが現実、世の中というものですね。
年齢に関係なく解る者はわかっている。
作家の林真理子氏が、人に見られる商売、仕事をして、何か問題を起こしたらただでは済まないと、それが世の中だということですね。
逆に、必要以上に罵詈雑言を浴びせる大衆の理不尽さは熱狂的フアンという形で現れる場合もあり、その対象者に様々な恩恵をもたらす、富名声というやつ。
つまり鈴木氏の犯罪的行為を緩く見て鈴木氏を支持することは罵詈雑言を浴びせることの裏返しともいえる。
可愛さあまって憎さ百倍ということばもあった。
欲目というのもあった。
この問題は富士フィルムが鈴木氏を起用したことにあり、それも相まっての批判の高まりがあるのでしょう。
富士フィルムに質問状を送った松田さんは問題を正確に把握していらっしゃる。
つまり一カメラマンの問題のみならず、著作権、肖像権、個人情報等、より問題とされる現状における問題でしょう。
肖像権に関し、トイレでの画像を無断使用して問題はないのか?
うん? 犯罪行為と認識して、その証拠写真としての使用であり、文句があるなら受けて立つ、は読み取れるはず、リテラシーの高い人間ならば。
告発の為の写真として使用してもいい画像だ。
ここでフェミニストに登場してもらいたい、女性の写真なら問答無用でアウトでしょ!
男なら無断撮影、公開されていいんですか~っと。
最近イスラムに興味をもち飯山陽女史のツィッターを見ています。
猛攻撃の中、論理的に端的に論破して行く様は見事、飯山女史に関しては新星あらわるの評価がネットで見られ、さもありなんの思いです。
★情報発信は戦い也!
御返信は不要です。
少し難解ですが、なんだか内容、面白いです。
高校生?の質問に今はそれに興味がない。で返す松田氏、爽快っす。
ジャーナリストの魂を見た気がする。笑
こういう難解な問題にジャーナリストのカガミ、池上彰さんならどう切り返すのか聞いてみたいすなぁ。
>>スナッパー様
コメントをありがとうございます。
鈴木達朗氏の場合、炎上は自分自身の行為に問題があるわけですから、脅迫などの違法な書き込み以外はご自身の責任において処理すべき問題ということで興味がないと申し上げました。
おそらく多数の方が、そう感じるのではないかと思います。
須崎さん
はじめまして。
高校生でいらっしゃるとのこと、お若いですね、私はいわゆる団塊の世代、時の流れは早いです、何だか、ついこの間まで高校生だったような そんな気もする時が、、
>少し難解ですが
コミニュケーションにおいて、受け手が理解できない場合,送り手の伝え方に問題があるとの主張がありますが、その通りだと思います。
つまり私の問題!
これよりの人生を生きるにおいて(実社会に出て)このような認識も大切かと。
今回の問題に矛盾を感じ、これでいいのか、との疑問が湧く。
若い、そして素直な感性を感じ取れます。
須崎さんのコメントに軽く目を通しただけですが、感じていらっしゃること、解るというか、私なりの解釈ですが、
いわゆる芸術行為、表現者が表現するとき社会秩序、規範を多少とも逸脱しても、それを許容する寛容さが社会にあってもよいのでは、、だからこそ生み出されるものがあり、それにより生み出されたものは時として人に様々なものを与え、それは人が生きる上で有形無形の価値をもたらす。
ほぼ同じコメントをされている方がいらっしゃいました。
しかし違います又ことはそう単純ではない。
いわゆる芸術行為、表現には一応分けるとして、無償の行為、純粋行為としてのもの、
野心、自己にとり有益な何らかのものを得ようとの目的、その思いが内包されているもの、
に分けられると思います、有益なものとは主に、富、名声、社会的地位でしょう、女は後からついて来る。
今回の問題は上記、有益なものを得るための、
鈴木氏の売名行為、今でいう炎上商法が問題とされているのであり。
批判の矛先は撮影方法に集中してはいるが批判者の思いはそれだけではないでしょう。
動画は写真家としての鈴木氏の作品ではなく自己宣伝ですね。
どうだ、俺はこういう犯罪性のある撮影方法をしているのだ、相手の迷惑、権利など関係ない、文句があるか! という社会に対する挑戦メッセージを感じる者は感じます。
そして、俺はもっと有名になりたいのだ!という欲望も、欲望ではなく軽く望みにしておきましょうか、
鈴木氏は批判、炎上は想定済みでしょう、どういう反応が起こるか解らない訳がない。
問題のある撮影方法を披歴すれば、当然にして、それは問題だととの反応があるでしょう。
問題なのですから、問題としないのはフアンくらいなものでしょう。
炎上、それが目的だった、ともいえるでしょうね。
企業の最大目的は利潤追求に在り、その為には宣伝は不可欠です。
つまり鈴木氏、富士フィルムとも自己の為に問題のある宣伝を行った。
だから当然にして問題となった。
公平性の問題ではないでしょう。
社会、社会現象に対する理解、認識ですが過つ場合があります。
私も若い頃と今とでは当然違います。海千山千というやつですね。
偉そうに申し訳ありません。
失礼しました。
追伸
前に宮島茂樹氏のことをコメントしました、正確な記憶ではありません。
報道写真家として、人命が危うい状況において、助けるか、それとも撮るか、の質問に対し。
躊躇なく撮る、と答えていた。
この質問は鈴木氏の問題にも敷衍できますがまったく違うと思います。
あくまで原則を明確にするための質問であり、実際には宮島氏も状況に応じ助けるでしょう。
宮島氏も、俺は他人が死のうと、怪我をしようと関係ない、スクープ写真をものにして、金と名声を手にいれるのだ、できれば女も、という質のものとは異なると考えます。
失礼しました。
野崎さま
こんな自分にご丁寧にありがとうございます!
写真を生業にしたいと思うあまり、一時の感情で熱くなりすぎました。
どこかに書かれていました。なぜブルースギルデンはよくて鈴木氏は駄目なのか。
頭のどこかで、ここがずっと引っかかっていました。
同じ事をして(ブルースギルデンの方がよっぽど暴力的ですが)なぜ称賛される人間と、集中砲火を浴びる人間がいるのか。不公平ではないか。
そういう思いが熱くなるうちに、批判を批判してしまう事になってしまいました。
批判をされて当たり前と自身も分かっている写真家が、それをさらに炎上商法という事につなげてしまったことが火を大きくしたんですね。
色々と勉強になることがあったので、首を突っ込んだことには後悔していません。
また、様々な大人の意見や、見習うべき背中、軽蔑すべき背中も見せてもらいました。
貴重なお時間を割いていただいて、心より感謝します!
鈴木達朗氏はインスタグラムに、何も言わず、何も変えずに戻ってこられました。
社会がNOを突きつけても、どれだけ的はずれな批判をされても、これが自分だというスタイルを貫けることは単純に凄いです。
結局、燃やすことを楽しんでいた馬鹿共は鳴りを潜め、純粋にファンが増えただけですね。
この恥ずべき日本人達の熱しやすく冷めやすい炎上文化に、ジャーナリストとして何を思いますか?
その時時の炎上に乗っかり記事を流すだけの単純なお仕事では無いことを祈ります。
>>写真家様
>>鈴木達朗氏はインスタグラムに、何も言わず、何も変えずに戻ってこられました。
鈴木氏が世間から批判されているときは逃げ隠れして、ほとぼりが冷めた頃にまた出てくる、自分で何の責任も果たさない人間だということはよくわかりました。
>>この恥ずべき日本人達の熱しやすく冷めやすい炎上文化に、ジャーナリストとして何を思いますか?
あなたが物事の分析能力がなく、社会通念による物事の判断ができない人間だということがよく分かりましたし、そのような人間が日本社会にも一定数存在するということが残念でなりません。その一方で、世の中のある種の人はこのレベルなんだなということが分かったのは収穫でもあります。
ゲージュツ家ってのは昔から基地外なんだよ。
基地外だからゲージュツを生み出すことができるのよ。
ゲージュツ家に道徳求めるほど偏狭じゃありませんね。
少なくとも僕は。
>>基地外
通常の人が持つ社会通念が通用しない、そうした枠外にある人たちという意味と解釈しました。
公開できるギリギリであることは認識してください。
自称芸術家のはた迷惑な変人が世の中に一定数存在するにしても、
これをコマーシャルとして使おうと考えたフジの人、商売としちゃまずいなと考えなかったのかな?企業人として失格だなあ。常識的に考えられないのですが。
インパクトの強い炎上商法で名を広めるって言ったって、
商品のネガティブキャンペーンにしかなってないし。
この企画に判子を押した人、出世のラインから外れたんだろうなあ。
余談ですが
「なぜブルースギルデンはよくて鈴木氏は駄目なのか」なんて質問に関して
そんなヤツ、信者は称賛するけれど、信者以外は誰も知らないから、批判できない。
が答えです。(笑)
>>MRCP様
コメントをありがとうございます。
富士フイルムに質問を出したら、無視されました。もともと誠意のない会社なのかもしれません。
あれだけの大企業がモラルに欠けた行為を大々的に取り上げる、信じられません。
今回の件とは関係ないですが、数年前に都内でシリアルキラー展というものが開催された際に思ったことです。
犯罪史上でも稀にみる凶悪な連続殺人鬼たちが描いた絵画作品を有料で一般公開するというものでしたが、展覧会は大変な反響を呼び(ネットニュースでも取り上げられた記憶があります)、連日多くの観客が足を運んだこともあり、シリーズものとして複数回に渡って開催されました。
今も尚、絶望の淵で苦しむ被害者がいるというモラルの観点で言えば、殺人鬼が描いた絵で収益を上げるという主催側の行為は決して褒められたものではないと感じましたが、世間からの評価は批判どころか好意的な意見ばかりが目立っていました。
実際、普段の日常でも通販やオークションなどで殺人鬼をプリントしたTシャツやその他グッズが売られたりしていますが、そういった類のものを規制する動きは全くないどころか、寧ろ好意的に捉える層が多くおり、高値で取引されたりもしています。
鈴木さんの撮影方法もモラルの問題で炎上しましたが、時と場合によってはモラルの解釈も色々と変わってくるのだなと感じた次第です。
纏まりのない文面になってしまいましたが、率直に言って人間は身勝手だなというのが私の意見です。
>>アトム様
コメントをありがとうございます。
殺人実行者、死刑囚等の写真をプリントしたTシャツは被害者感情等から結構、批判が集まった記憶があります。ただ、彼らが芸術的なものを披露するのは、表現の自由の発露であり、モラルの面でも、自らの行為と芸術表現は別のものであるから、それほど責められないのは通常の思考法によるものなのかなと、個人的には思います。
被害者感情という点では若干、気になる部分はあります。例えば強制性交殺人の犯人が女性の絵を描いたら、遺族の気持ちはどうなのかなという場合などです。そういった条件でなければ、モラルの面では許容範囲内のような気がします。