マスメディア沈黙の事情 分娩費用の保険適用化

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 厚労省の検討会で議論が続く分娩費用の保険適用化問題について、マスメディアが沈黙を続けている。11日に第6回の妊娠・出産・産後における妊産婦等の支援策等に関する検討会が開催され、同日夕には日本産婦人科医会主催の記者懇談会で分娩費用の保険適用化問題が扱われたが、マスメディア、特に新聞各紙はともにこの日の動きを黙殺。各紙が沈黙を続けるのは、制度導入に賛成する報道・社説が先行したものの、ここに来て先行きが不透明になっていることが関係していると思われる。

◾️毎日から産經まで制度導入に賛成

懇談会で挨拶する石渡会長(撮影・松田隆)

 日本産婦人科医会主催の記者懇談会は原則毎月第2水曜日に、日本プレスセンタービル(日本記者クラブの会見場)で行われている。開催1週前にメールでお知らせが届き、そこで議題が示される。今回はタイムリーな保険適用化が議題とあったためか「今年最高の22人が集まった」(石渡勇会長)とのことで、それだけマスメディアの注目度も高かったということになる。

 ところが、記者懇談会も、その前に行われた検討会も、その内容を各メディアが報じることはなかった。当サイトが報じたように、関係者の話から2026年度からの保険適用化は既に見送られることとなっている(参照・分娩費用の保険適用化 26年度導入見送りへ)。その点は同様の情報を掴んでいる媒体はあるかと思うが、当サイト以外は報じていない。

 このようなマスメディアの沈黙はメディアのあり方として問題があると思われるが、おそらく各担当者が当初の想定にはなかった方向に事態が進んでおり、それまでの報道をひっくり返すような報道は明確に示されるまでは黙っておいた方がいいという考えが働いているのであろう。

 そもそも分娩費用の保険適用化の問題は、岸田政権下で2023年12月22日に閣議決定された「こども未来戦略」で2026年度を目処に導入という方向で検討するとされていた。この案に対して、各メディアは比較的好意的であった。

 毎日新聞は「医療サービスは本来、全国どこでも同じ価格、同じ水準で提供されることが望ましい。出産もその形に近付くことになる。…(出産育児)一時金は段階的に引き上げられてきたが、それに合わせ医療機関側も値上げするという『いたちごっこ』が起きてきた。保険適用によって、そうした問題はなくなる。」(同紙2024年7月17日付け社説・出産の保険適用 妊婦が安心できる制度に)とした。

 産經新聞は「保険を適用することで費用を標準化し、全国で均質な産科医療を提供できれば、若い夫婦に安心感をもたらすだろう。出産・子育てにまつわる経済的な不安払拭につなげたい。」(同紙2024年7月11日社説・<主張>出産の保険適用 経済的な不安払拭したい)としている。

 リベラルな毎日、保守的傾向の強い産經の両紙が足並みを揃えて導入に賛成したのは異例の事態と言っていい。このような事態になったのは、保険適用化を目指すことは閣議決定されただけでなく、社民党が総選挙の公約に入れるなど推進勢力が与野党を横断する形に広がっているため、このような保革相乗りのような状況が生まれるのかもしれない。

◾️読売の失態と慎重姿勢の朝日

 今年8月には読売新聞が「政府は、出産費用への公的医療保険の適用を巡り、医療機関に支払われる診療報酬を原則として「50万円以内」とする方向で検討に入った。」と、制度導入が事実上決まったかのような記事を掲載した(讀賣新聞オンライン・出産診療報酬「50万円以内」、妊婦は自己負担ゼロ・現行一時金との差額支給も…政府検討)。

イラストはイメージ

 この報道に対しては、直後の第3回の検討会(8月21日)で厚労省の鹿沼保険局長が「今の段階で役所のほうで何か物事が決まっているというようなことはあり得ない話」と強く否定。その後、読売新聞は検証タイプの記事を掲載して当該記事を事実上修正している(参照・妊産婦の支援策検討会 新政権下で13日再開)。

 このように読売・毎日・産經が保険適用化に対して肯定的なのに対し、対照的に朝日新聞は慎重な姿勢をとっている。「厚生労働省は正常分娩について、2026年度の保険適用導入を視野に、医療者や有識者、妊産婦に近い立場の人でつくる検討会で議論する。ただ、影響を慎重に見極める必要がありそうだ。…出産を取り巻く医療状況は地域格差や医師不足など課題も多い。適用のあり方次第では、産科医療の体制に大きな影響が出る可能性もある。さまざまな論点を抱えるなか、調整は難航しそうだ。」(朝日新聞DIGITAL・出産費用の保険適用、2026年度導入視野 産科医療に大きな影響も)と報じている。

 この記事は第1回検討会の直後の7月2日付けで、厚労省が導入を視野に入れながらも「影響を慎重に見極める必要」があるとし、その時点で調整が難航することを予測している。結果として一般紙4紙のうち、朝日だけが現在の状況において自由に記事を書ける状況となっている。

◾️動きにくい3つの新聞

 最も動きにくいのは読売新聞であろう。一度、制度導入が事実上決定したという誤報を打っているだけに、その後、「2026年度の導入は見送られた」と真逆の記事で勝負を賭けるのはリスクが大きすぎる。もし、それも誤報になれば1つの事実に対して2度、賛成・反対の立場で誤報を打つことになり、読者や会社の上層部からの信頼を決定的に失ってしまう。

 毎日、産經も似たような状況。両紙とも制度導入の前提で紙面上で賛意を示したことから、導入が白紙にされれば当然、批判的に扱わざるを得ない。しかし、保険適用化によって多くの診療機関が閉鎖に追い込まれる可能性があり、それが安全・安心な出産を阻害するという事情から保険適用化を見送ることとなれば、見送りを批判できず、その場合は(そんなことも分からなかったのか)という読者からの批判は覚悟しなければならない。そうなると、見送り報道は正式決定がされて発表があってからでいいだろうという考えに至ることは想像に難くない。

 このような事情からか、11日の懇談会では毎日新聞から「保険適用になると医療機関側の収入が減るという話があったが、保険適用でどの程度の点数がつくかという議論は検討会では全くしていない。その時点で、こういうこと(収入が減る)が言い切れるのかどうか。(検討会で)丁寧な議論をして(保険)点数をつけていただくのも、考え方としてあり得るのではないか」という質問がなされた。

 前述のように同紙は社説で「(出産育児)一時金は段階的に引き上げられてきたが、それに合わせ医療機関側も値上げするという『いたちごっこ』が起きてきた。保険適用によって、そうした問題はなくなる。」と、産婦人科の診療機関があたかも”便乗値上げ”をしているかのような書き方で批判していた。仮に保険適用化が見送りになれば、その正当性を説明する場合には、かつての自社の説明を覆すことになるため、読者を納得させるだけの理由を書かなければならず、そうしたことを考えると、この質問の意図が見えてくる。

 これに対して産婦人科医会では、数人の幹部が次々と保険適用化が招く診療機関への危険を説明して理解を求めた。

◾️スクープなら朝日新聞か

朝日新聞東京本社(撮影・松田隆)

 このように考えると、各新聞が検討会も懇談会も報じずに沈黙した理由は見えてくる。

 それはメディアとして正しい態度なのかと言われると疑問が残るが、新聞報道が他紙との絡み、あるいは過去の自紙との関係などを総合的に考慮して行われる、ある種、相対的な面もあるのは否めず、止むを得ないものと言えるのかもしれない。

 そのような視点から現場を見る限りでは「2026年度導入は見送り(延期)」の一報を打ってくる可能性が最も高いのは朝日新聞と言える。そして、その日はそれほど遠くないと思われる。

 いずれにせよ、(報道がないから、動きはない)と考えるのは早計と言えることは間違いない。

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