核なき世界の前に「核攻撃させない」だろう

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 8月6日、広島市の原爆忌である。亡くなられた方のご冥福を祈り、後遺症に苦しむ方には適切な支援があることを望むが、広島市長の話には毎年、違和感を覚える。世界から核兵器をなくす前に、日本に核兵器を使用させないことこそが大事ではないのか。

■核兵器を持たなければ核攻撃を受けないとでも?

広島市の松井一実市長(NHKのホームページから)

 広島市で行われた平和記念式典で松井一実市長は平和宣言の中で、以下のように語った。

「日本政府には…被爆者の思いを誠実に受け止めて核兵器禁止条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し、『連帯』するよう訴えてもらいたい」(NHKホームページから)

 原爆の死没者名簿には30万人を超える名前が収められているという。人類史上に残る残虐な兵器の使用は二度と許してはいけない。とはいえ、その慰霊の日に特定の主義主張に基づく政治的要求を政府に行うことに違和感を覚えずにはいられない。

 核兵器禁止条約は核兵器の全廃と根絶を目的とした条約であるが、多くの方がご存知のように全ての核保有国が批准しておらず、また、批准した国が50か国になった時に発効するが、未だ50か国に到達していない。

 核兵器を持たない日本が核兵器全廃と根絶を目的とした条約を批准するということは、将来に渡って核兵器を持たないことを内外に宣言した上で、自らの手を縛る行為に等しい。ということは、核保有国が日本に対して「核攻撃するぞ」と脅してきた時に、日本は「核による報復を行う」という選択肢を放棄することになる。核兵器への抑止力としての核保有を放棄する日本に対して、再び核攻撃が行われる可能性は高まる。

■核兵器禁止条約批准で北朝鮮を喜ばせたいのか

 広島は核兵器を使用したのではなく、核攻撃を受けた都市である。核兵器禁止条約を批准すべきはすべての核保有国であり、非核三原則を掲げる国が批准しても、核攻撃のリスクは全く減じない。子供が考えても分かりそうな理屈をなぜ、広島市長は理解しないのであろうか。

 被害を受けた都市の市長が言うべきは、まずは「二度と広島に核兵器を使わせない」であろう。もちろん、理論的には世界から核兵器がなくなれば、核攻撃を受ける可能性はゼロになる。

 しかし、北朝鮮は核兵器を絶対に手放さないと公言し、核使用をも辞さないことを明言している。ミサイルが飛んでくるような距離に、核兵器とクレイジーな指導者を持つ国がある状況下で、広島市長は何を的外れなことを言っているのか。国際社会をムーミン谷にようにとらえているのであろうか。

■米国の核の傘で守られた平和

 戦後、日本が平和を守れたのは日米安保条約の存在、米軍の圧倒的な軍事力による抑止力が効いたことであるのは疑いない。現実には米軍の核の傘で日本の平和が守られている中、「アメリカは核を捨てよ」という愚かな主張をいつまで続けるのか。

 原爆投下から75年、広島市長も市民も冷徹な国際政治の現実に目を向けるべき。原爆ドームの前で「平和」だの「核廃絶」だのと叫んで核攻撃から国や町を守れるなら、僕は1年中そうするよ。

 

    "核なき世界の前に「核攻撃させない」だろう"に3件のコメントがあります

    1. 匿名 より:

      ‪(戦争)唯一の被爆国という表現はよく使われがちですが、日本が最初の被爆国というなら腑に落ちます。
      ‪世界の恒久的な核廃絶を訴えるなら、他国の被爆国も視野に入るはずです。
      日本だけを被爆国だと強調して核廃絶を訴えるのは違和感を感じるんです。‬
      ‪広島市長が流行病の例えとして用いたスペイン風邪も、当時の各国の連帯不足による流行病だからこそ、今武漢肺炎は世界との「連帯」が必要だと強調していました。
      「連帯」という言葉は近年世界的に多発している抗議活動でよく聞くので、平和式典での市長の言葉のニュアンスに少し戸惑いました。
      ‪御霊を哀悼をする式典の日に、主張めいた印象は正直受けました。‬

    2. 野崎 より:

      こんにちは

      核は通常兵器とは次元の異なる兵器であるから廃絶しよう、との発想、その論理は狂っている。
      その延長線上に、全ての兵器の廃絶がある、は詭弁だ。

      他の兵器は事実上問題にはしていない。
      原爆投下の悲惨と東京大空襲の悲惨との相違は何なのか。

      人は理性的な生き物ではなく、それを認識している者達の様々な思惑、画策がこの問題にも入り混じり、あるエートスを作り出そうとする意図を感じる。

      以下、脈絡無く飛躍、、

      学生時代の友人が多数、東京狛江市におり、(共産党市長当時) 多摩川で(タマゾン川と称された時期があったが現在は?)自衛隊を招いての企画をたてたところ、反対意見が多数あり(想定済み)

      何故、今、自衛隊なのか? という聞いたような問いかけがあったので、

      関係していた私が、軍事による国防は国家成立の必須条件であり、それを若い世代に認識させ左翼の洗脳を解くためです! と回答したら激怒してました。

      核問題と合わせて軍事による国防ということをはっきり問えばよい。

      以前から核に対する左翼のダブスタは卑劣を通り越し笑わせます。

      飛躍、、

      70年代当時、ベトナム戦争に対しては、アメリカのベトナムに対する帝国主義的侵略、で左翼の主張は一致していた。

      爆撃機は沖縄から発進し日本は侵略に加担していると、

      ならば韓国は加担どころか直接侵略した。

      何ら問題にせず、過去、韓国を侵略し植民地とした日本は許せないと、、

      失礼しました。

      御返信は不要です。

    3. 野崎 より:

      追伸

      結局、自衛隊のイベントは中止、、

      JALの子会社が提供する、小さなプラスティックのアヒルの人形を大量に多摩川に流す企画に変更、、

      流れにはのらずブカブカ浮いているだけの何とも言えぬ光景が、、

      資金はどこからのものであったか覚えてません、大多数のNPOはビジネスだと思っています。

      御返信は不要です。

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