女に狙われた女性 恐怖と怒りの記憶 (終)

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 ボランティアを主宰する女性Vさんが同性愛の女性に付け狙われた顛末をお伝えする連載、最終回をお届けする。恐怖に怯えた日々から数年経ち、当時を振り返るとともに、ラブリさんの問題、こうした被害とLGBTとの共生との関係について語っていただいた。

■次のアプローチがあれば法的措置を

多文化共生社会においてLGBTはどうあるべきかは大きな問題(写真はイメージ、撮影・松田隆)

 Aさんからのしつこいアプローチに苦しんだVさんは警察関係の友人、弁護士に相談した。「被害届は出せるレベル」とされたものの、直ちに何らかの対処ができるかと言えば難しいとの答だった。ただし、Aさんが次のアクション(名誉毀損、家の周りにやってくる、付きまとい等)を起こした場合には、直ちに法的措置に踏み切ることと決めていたという。

 この点はAさんがストーカー規制法が禁じる「見張り」をしているわけではなく、たまたま会った、見かけた時のことをブログに書いているだけなので違法性がないことや、愛情の告白であれば、たとえ相手を特定できても名誉毀損には問えないなどの事情が関係しているのは間違いない。専門家の判断としては、違法性までは認められないが一歩間違えれば直ちに違法な行為となる危険を孕んでいるというものであったと思われる。

 アプローチは2016年2月のブログが確認できる限りで最後となり、その後は目立ったアプローチはなくなった。「いつ終わりが来るのだろう」と不安に苛まれていた日々から5年、Vさんはようやく落ち着きを取り戻しつつある。今、この事件を振り返ると、個人が迷惑を受けたという問題とは別に、LGBTとの共生やその中で派生してきた新たな問題にどう対処すべきかが問われる、極めて社会性の大きな問題であると感じているという。以下、Vさんの独白である。

■周囲に信じてもらえない同性からの性的アプローチ

 女性からのアプローチがあるという事実は、周囲になかなか信じてもらえません。私も何人かの友人からは「好かれているならいいじゃないか、上手く使え」、別の友人からは「Aさんに味方してもらえばいいじゃないか」などと言われて、がっかりしたことがあります。

 また、防御も難しいと思います。異性(男性)からのアプローチであれば、これ以上入られたらまずいと思えば、警戒して距離を取ります。しかし、相手が同性だと自分も気を抜いて普通に話してしまいますし、女性同士だとボディータッチは男性よりは多いと思いますが、それを露骨に拒否すれば自意識過剰な人と言われかねず、普通に受け入れます。そうした時に「今度、泊まりに来てくださいよ」などと一気に距離を詰められてしまいます。

 生物学的に同性であることを利用して接近し、十分に近づいたところで隠していた本性である異性の部分を出してくるわけです。Aさんのアプローチを見ていると、まさにそうした女性の心の隙間に入ってくるようでした。

 先日、モデルのラブリさんの事件が週刊文春で報じられました。両者の言い分は対立しており真実は分かりません。もし、伝えられることが真実であれば、そのやり方は卑劣だと思います。

 セクシャルな目的を持っている人が当たり前のように同じ部屋に泊まって、相手の女性は同じ部屋にいて犯されるなどとは思っていないわけですから。まさに同性であることを利用して距離を詰め、密室で本性を出して襲う例だと思いました。もちろん、報道が事実であればという話です。

■LGBTと多文化共生社会の関係

写真はイメージ

 私自身はLGBTに対して否定的な考えはもっていません。むしろ、多様性を積極的に認める立場です。私の知り合いでお子さんが悩んだ末、手術を受けて性別を変更したということがありました。ご両親も子供が自分らしく生きる方がいいという考えから、それを受け入れています。とても勇気ある決断であると思い、その話を聞いた時は大変、感動しました。

 今の時代、しきりに多文化共生が言われますが、性の世界も他の人との違いを認め、尊重することは重要だと思います。異なるものを異なるという理由だけで排除することなど許されません。ですから性的マジョリティは性的マイノリティであるLGBTを理解し、尊重し、そのことで共生していくことが大事だと思っています。

 しかし、それは片務的であってはいけません。共生の仕組みはマイノリティだから何もかもが許されるというものではなく、マイノリティの側もマジョリティ側に対して理解し、尊重しなければならないのです。

 以前、LGBTの権利を認めるように運動をしている人に「お風呂場で同性愛者に性欲の対象として裸を見られるのは嫌です。どうすればいいのでしょうか」と聞いたことがあります。見事にスルーされました。

 それまで社会で虐げられてきたLGBTの権利を守るのは大事ですが、そのLGBTに権利を侵害されている者は誰を頼ればいいのでしょう。弱者は守るべき対象だから、弱者から被害を受けた者は黙っていろという社会であってはいけません。そんな当たり前のことを誰一人として言ってくれていないことは大問題だと思います。そこに声を上げていかなければ、今後、LGBTをめぐる状況は何も良くなっていかないでしょう。

 もし、Aさんが最初から「私はレズビアンです」と言ってくれたら、彼女とはもう少しいい関係が築けたかと思います。「私はそれは全く興味がないので、恋愛関係になることはありません」とはっきりと断って、そうした関係を除いた部分で同じ目的(ボランティア)を持つ者としての関係にはなれたと感じています。

■LGBTへの理解・尊重と性的アプローチ

 私はLGBTを理解し、尊重しますが、そのことは個人的にLGBTからの性的アプローチを無制約に受け止めることとは異なります。LGBTの方にはそこをよく分かっていただきたいと思います。

 LGBTとの共生は、興味のない同性愛にも応じなければならない義務を負うものではありません。他者の生き方を理解し、尊重することと、望まない同性愛の性欲の対象となることを甘受することと同義であることなど決してないのです。同性愛者がずっとアプローチを続ければ、その気がない人もいつか同じ性癖になってくれると考えること自体が乱暴なことであるという認識を持っていただきたいと思います。

 この連載の中で、私は彼女からのアプローチを「気持ち悪い」と表現しました。それはLGBTに対する差別であると感じた人もいるかもしれません。

 理解していただきたいのは、私は同性愛者同士の愛情表現を「気持ち悪い」と言ったのではないということです。愛し合う行為であれば、基本的には美しいものだと思います。ですが、全く興味がない同性愛、それも断っているのに何度もアプローチを受け、性欲の対象とされた人間として、その感想、印象が「気持ち悪い」というのは当たり前の感覚ではないでしょうか。

 それを差別だと言うのであれば、マジョリティはマイノリティに対して何も言うことを許されない逆差別を認めることになるのと同じです。LGBTの人も全く興味がない異性の人から性的対象として見られ、しつこくアプローチされた時、「気持ち悪い」と感じるのではないでしょうか。

■悩んでいても始まらない 声をあげよう

 今、私のように同性愛者からのアプローチやストーキング、あるいは乱暴されたということで悩んでいる人もいると思います。そうした人に言いたいのは、周囲はほとんど信じてくれないと思った方がいいということです。まず、状況を詳細に説明して信じてもらうことが最初で、その上で然るべき人に法的措置を含めた対策を考えてもらうことが大事だと思います。

 何より、恥ずかしがらずに言うことです。たとえば「女性に犯された」というのは女性として言い難いでしょうが、勇気をもって言わなければ何も始まりません。そして、それを聞いてくれるような行政などのサポートもあって然るべきです。

 LGBTへの理解が進む中、LGBTからの被害者への思いは置き去りになっています。私は悩める女性たちに言いたいです。

 「一人で悩んでいるだけでは何も解決しません。勇気を持って声を上げることから始めましょう」。

 私が今回、この取材を受け、独白をしているのも、そうした社会に一石を投じたいからという思いであることを理解していただければ幸いです。

(おわり)

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    "女に狙われた女性 恐怖と怒りの記憶 (終)"に6件のコメントがあります

    1. 野崎 より:

      こんにちは

      先に同性愛者から異性愛者(同性)への性被害に関しコメントしました。
      LGBT問題が語られる時、大前提である性ということ、同性愛者の性欲の発露に関して無視されている、あえて無視している、 このことが問題です。

      問題を起こすのは同性愛者の一部である、は詭弁です、異性愛者の性問題に置き換えれば明確です、誰しも問題を起こす可能性はあるからです。

      レズからノーマル女性に対してとは異なりますがバイセクシュアルの女性がノーマル女性へ
      性的関係を欲していた事例は個人的に確認しています。
      女性においても問題は発生している訳です。

      同性愛者との関係をいかに? 何事も完全無欠なものはありませんが、
      日本では同性愛に対しある理解があり割と上手くその関係、社会的位置づけが成されて来たと考えます。
      同性愛のタレントを素直に受け入れる素地がありました。

      しかし今その様な状況ではありません。
      同性愛者側から社会を変えろ、との要求、同性愛者から戦いを挑んできている状況です。
      左翼勢力と一体となって。
      (全ての同性愛者ではありません、同性愛者から左翼が同性愛を利用しているとの主張もあります。)

      彼らの目指すものは何か? (私見又種々の見解がありますが割愛します。)
      まずその前段階として規制秩序の破壊が目的でしょう。
       性差別反対 夫婦別姓 同性婚へ 多様性を認める社会へ、異文化共生へ、あらゆる差別反対、移民賛成 全てリンクしています。

      彼らの論理に対して同性愛者の異性愛者に対する性攻撃、性犯罪を問題とする論理で対抗する必要があります。(必要があるとは私においてであり、それは米国大統領選の戦いの意味に同じくであり又日本も同じであると考えるからです、私はトランプ氏支持者です。)

      LGとBTはその区分けが異なるものですがあえてLGBTと一つにしているのは左派の戦略である、とLGBT問題研究者や他の識者の見解があります。
      一括りにして性差別は否定されるべき、それは多様性を認めよ、異文化共生へと連なる。

      LGとBTを分けると別な論理が発生し彼らの戦略に矛盾が生じるからでしょう。
      現に米国においてTの女性トイレ使用及び女性スポーツ競技への参加容認でフェミニストとの間に亀裂が生じ始めているとの情報があります。
      多様性を認めよ、異文化共生が同性愛を否定するイスラムとはどう折り合いをつけるのか、に同じです。
      左翼に乗っ取られた日本のキリスト教界も天皇、靖国参拝を問題にするも同性愛問題を曖昧にしており、
      これらは攻撃ポイントであると認識し私なりに戦う所存です。

      私にとり今般の松田さんの一連の記事は、よくぞ取り上げてくださったの思いです。

      御返信は不要です。

    2. 野崎 より:

      追伸

      LGBT問題を研究しているという女性と話したことがあります。
      彼女曰く、同性愛ということで偏見の目で見られることがない社会をつくりたいと、

      偏見とはどういうことか?と同性愛者の異性愛者に対する性被害を話し、危険性を感じる事、そも同性愛に生理的に嫌悪感を持つことは非難されるべきではない、差別ではないと、日本は同性愛と上手い関係性がある社会だったと、

      素直な女性で納得されていたことには驚きました。

      さらに
      罰則規定がある渋谷区のパートナーシップ条例は実は別の目的があると、

      その証左として、
      条例に賛同する者にほぼ共通することは、
      反安部、反原発、憲法改正反対 天皇の否定 慰安婦に謝罪せよ、
      あなたもそうでしょ、というと、素直に、ホント、そうですね、と、
      プラス、その時点で、社民党の保坂氏が区長の世田谷区は渋谷区に必ず呼応するよと、
      実際そうなりました。

      彼らを論破することは不可能(正論でも認めない)と認識していますが意外な経験でした。
      このようなこともありましたが、
      プロパガンダにはカウンタープロパガンダを放っていくのみと考えています。

      御返信は不要です。

    3. 月の桂 より:

      まずは、思い出すのも辛いであろう体験をお話下さったことに、敬意を表します。

      我が身に置き換えれば、恐怖以外の何物でもありません。このようなことは、自己防衛のしようもなく、貰い事故のようなものです。

      同性間の性暴力の実態を広く伝え、明日は我が身だと実感して貰うことが大切だと思いました。多くの方に読んで頂きたい記事です。

      個人的な考えですが、性同一性障害の方をLGBTに含めるのは如何なものでしょう。
      性同一性障害の方以外は、自らの性を受け入れています。自身の性を肯定し、同性を恋愛対象にする人と自分の性を受け入れられない人を同じ括りにするのは違和感を覚えます。

      女性の心を持ちながらも、男性として生きることは辛いと思いますし、男性の心を持った人も同様でしょう。特に(心の中での)異性と一緒にトイレを使うのは苦痛だと思います。
      性別に関係なく利用出来るトイレもありますが、やはり、心の性の専用を使いたいのではないでしょうか。
      ただ、性同一性障害の自己申告だけで利用を認めるのは危険だと思います。自己申告を悪用し、成りすましによる性犯罪の不安もあります。性転換手術や戸籍関係での証が必要なのは、現状では致し方ない気もします。
      女子トイレやジムの女子更衣室利用で提訴した方もいらっしゃいましたね…。

      らぶりさんの事件も、マスコミは、報道=タブーだと考えているのか、静かですね。
      被害に遭われた方が、お気の毒です。

    4. 名無しの異性愛女性 より:

      Vさんは、「私はLGBTを理解し、尊重します」と言いますが、
      言うほどLやB女性を理解していないと思います。
      理解してたら「LGBTの方にはそこをよく分かっていただきたい」なんていう言い方はしません。
      LやB女性の性的欲求への理解も全然足りません。
      理解してないのになぜ、「私はLGBTを理解~します」と断言できるのでしょうか?

      異性愛女性やVさんのような女性にとって危険なのは、L・Bではなく、L・Bのうち非常識な人です。
      AはL・B からも非常識だとみなされる人物でしょう。
      Aの行動は、常識的なL・Bの行動とは違うと思いますよ。

      ちなみに私自身は異性愛の女性です。
      Vさんは口先では「多様性を積極的に認める立場」と言ったりしてLGBTに親和的ですが、
      L・Bへの見方はまだまだ、それらを「集団」として見てるんですよ。
      しかし集団を構成しているのは個人ですから。
      Aは飽くまでAという個人です。

      全く、Vさんみたいな人を見ると、LGBTへの理解度は、普段口先で何を言ってるかとは全然関係ないとわかりますね。

      1. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

        >>名無しの異性愛女性様

         僕はVさんは理解し、尊重していると思います。

        >>LやB女性の性的欲求への理解も全然足りません。

         主観で相手をこうだと決めつける態度は合理的ではありません。

        >>異性愛女性やVさんのような女性にとって危険なのは、L・Bではなく、L・Bのうち非常識な人です。

         当然、その前提です。言うまでもありません。

        >>全く、Vさんみたいな人を見ると、LGBTへの理解度は、普段口先で何を言ってるかとは全然関係ないとわかりますね。

         主観で決めつけて、レッテル貼りするような議論はやめた方がいいと思います。もう少し合理的、論理的なコメントをした方がいいでしょう。名無しの異性愛女性さんの話は、決めつけ、情緒的、非論理的であり、納得する人は少ないと思います。

         そう考える人もいるのだな、ということでお話はうかがっておきますが。

    5. 野崎 より:

      名無しの異性愛女性様

      >Aの行動は、常識的なL・Bの行動とは違うと思いますよ。
      >Vさんみたいな人を見ると、LGBTへの理解度は、普段口先で何を言ってるかとは全然関係ないとわかりますね。

      上記コメントの意味は、非常識なL・Bと常識的L・Bを混同している、VさんのLGBTへの理解の程度がわかる。と解釈できます。

      ⇑⇑⇑
      まずGを割愛してLGBT問題は語れない。
      (あえてGを割愛したのでしょうけれど、ならばVさんはL・Bへの理解がたりない、とすべき)
      又異性愛者が真にL・B(G)の心理、性の発露を理解できるのでしょうか? 
      よって名無しの異性愛女性様はLGBTを語れないし又理解できていないと読み取れます。

      まずGに関して、つまり男、以下の認識は、名無しの異性愛女性様もおありなのだと思います、それだからGを割愛したのだと考えます。

      男の女性に対する性欲の発露は常識人、非常識な人物で線引きできません。
      大多数の男はレイプ、痴漢などしない常識人だ、非常識な男がするのだ。は認識を誤っています。
      (この論理において、レイプ、痴漢に関する広義、狭義の概念が問われます。)

      私のママが言いました、男はみんなオオカミよ、だから外(おもて)では知らぬと人お口をきいてはいけませんよ! という歌がありますね、時代は変わり、女性の行動も変わり、この歌もすたれたかも、

      今ならさしずめセクハラですか、つまり性における非常識的なものを発露し行動に移す危険性を男は内在させているのです。ですから男性全般にセクハラが問われているのです。

      米国のキャンパスレイプ(性犯罪が米大学内で横行「キャンパスレイプ)や慶大性の集団レイプなどもその現れです。
      ですからフェミ(左派)から同意の必要性が主張されているのですね、

      男性がその危険性を内在させていることは箱入り娘でもない限り、現代において女性の通念ではないでしょうか
      伊藤詩織氏の酩酊を女性が批判するのはこれ故です。

      もう一つ歌を、

      いきなり唇奪われて、私の何か、壊れたわ、、、男の怖さを知らないで、、、という歌詞、
      男が内在させているものを表して又男女の関係性、性の働きかけ、女性の心を表して見事と感じます。
      男は女性に積極的に働きかけるのです。

      ●つまり男性であるGの同性愛者は異性愛者を襲う、誘う、その危険性を持っている、常識人、非常識人で線引きなどできない。

      最近ではこの事件がよくマスコミで取り上げられます。氷山の一角でしょう。

      メイルレイプ(男が男をレイプする)という概念は米国にて確立しているといってよいでしょう。
      思うに、日本人と異なり体力、性力もはるかに強い為と考えます。
      メイルレイプをあつかったハリウッド映画はいくつもあります。
      これは同性愛者の異性愛者に対するレイプのことです。

      ではL・Bはどうなのか?
      私はL・Bのガールフレンドがいました、今でいうSFでした。
      異性愛者の女性を狙います。優しい言い方をすれば仲良くなりたい、との思いを持ちます。
      数名にその欲求を見たので共通する要素だと認識しています。
      又具体的に行動、働きかけもしていました。その結果は、私も巻き込んで(喜んで)でした。
      女性は男性と異なり能動的な要素は無い? とはいえないです。
      L/Bではなく異性愛者の女性達もです。
      その証左はいくつも持っています。

      VさんのLGBTに対する理解が浅いとはいえないと考えます。それは以下に同じくです。

      記事の読み方ですが、非常識なL・Bの特異な事件として読む人もいるでしょうし。
      理解力、洞察力のある読者はL・Bに内在する問題、広義の問題ととらえるでしょう。
      一を聞いて十を知る、リテラシーの有無ということです。
      Vさんにはそれがおありと読み取れます。
      経験のあるものはなおさらです。

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