今でもふっと思い出す浜尾朱美さん、旅立たれて9か月

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 ニュースキャスター、エッセイストの浜尾朱美さん(TBS系ニュース23元サブキャスター)が亡くなってから9か月が経った。日刊スポーツ在籍時に仕事で大変お世話になり、僕の30代で最も思い出深い女性である。

 昨年9月14日に浜尾さんが息を引き取られたことを新聞報道で知った僕は、告別式に参列させていただいた。あれから1年近い月日が流れた。今でもふっと、彼女のことを思い出すことがある。最近では長野五輪のジャンプ団体の金メダルについて当時を振り返る番組をやっている時に(あのジャンプ台に登って、あれこれ言いながらレポートしていただいたな)と、しばし1998年に想いを馳せた。

浜尾朱美さん、安らかに

 その時に撮影した写真が家のどこかにあるはずで、何とか見つけてご遺族に渡せればいいのだが…。

 最近、スマートフォンをいじっていたら、葬儀の時に撮った写真が目に入った。浜尾朱美さんが使用していたノートが公開されていて思わず写真に収めたものだが、見覚えのある丸い文字が懐かしい。原稿をファックスで送っていただいて、それを僕がパソコンで打って出稿していた時のことを思い出した。

 競馬が大好きだった浜尾さん、1993年の菊花賞でビワハヤヒデが勝った直後に原稿を書くために京都競馬場でお話をうかがった。芦毛のビワハヤヒデが最後の直線でスイスイと抜け出す様子を、少し前に流行った映画「ネバーエンディング・ストーリー」に出てきた白いドラゴンのキャラクターを引き合いに出し「まるでフッフールのようだった」と評して、(うまいことを言うなあ)と感心したのを思い出す。その浜尾朱美さんが今週のJRAの大失態(156頭が競走除外)をどう評するか、聞いてみたかった。

 同世代で誕生日も近い浜尾朱美さんが旅立ち、僕は生き残って日々、働いている。こうした年齢になると(なぜ、僕は生きているのだろう)と思うことも少なくないが、とりあえず生きていられることに感謝して、明日からの仕事も頑張ろうと思う。

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