青木理氏が人種差別 ナチスとの親和性明確に
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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ジャーナリストの青木理氏(58)が、YouTubeチャンネルで「劣等民族」と人種差別発言をしたことが問題となっている。以前から多様性の必要性に言及していることと矛盾する発言であるだけでなく、それ以前に人種差別発言したことに批判が集まっている。その主張はナチスドイツの考え方と近く、道義的、倫理的に許されるものではない。
◾️「劣等民族だから」で呵呵大笑
青木氏は9月12日、津田大介氏がメインキャスターを務めるポリタスTVの番組である報道ヨミトキFRIDAYにゲスト出演した。オープニングでイベント「津田大介さんに聞く『人々はなぜ自民党に入れ続けるのか?』」の告知をした後で以下のやり取りがあった。
青木:すごいね、よくこんなテーマで。一言で終わりそうじゃない。
津田:何ですか?
青木:劣等民族だから。
両氏は声をあげて笑った。
津田:みんなね、みんな、だから、結局、お金とか地域社会とかね、そういうもののしがらみ、しがらみで自民党に入れてるっていうのを描いた香川1区っていう大島新さんの素晴らしい映画があるんで、それを見れば分かるかなとは思いますけれども、ただ、そんな単純な話ではなくて、もうちょっといろいろあるんじゃないかって、まあね、ありますので…
(以上、ポリタスTV・報道ヨミトキFRIDAY#170 ※現在はメンバー限定コンテンツで一般の視聴不可)
この青木氏の発言は、日本人のマジョリティである大和民族は自民党に延々と投票を続けており、その理由は他の民族に比べて劣る民族であるからというものである。ここで覚えておかなければいけないことは、青木氏は民族間には優劣があると考えていることである。
◾️民族による特性の違い
民族によって様々な特性がある。顕著なのは外見で、肌や毛髪、瞳の色は民族によって異なる。これは一目で分かるもので、差異の存在は客観的事実である。また、運動における適性も、おそらく民族によって異なる。
2024年に行われたパリ五輪の陸上100m決勝、男子は優勝したN.ライルズ(米)から8位のO.セビリア(ジャマイカ)まで、女子も優勝したJ.アルフレッド(セントルシア)から8位のM.タルー(コートジボワール)まで全員が黒い肌の選手であった。
民族は同一ではないと思われるが、一般的に褐色の肌を持つ人々は短距離走において速く走る特性を備えていると言えるように思われる。極めて抽象的な表現をすれば「黒人の身体能力の高さは我々アジアの人間を上回る」といったもので、その点に納得できる人は少なくないはず。
大事なことは民族による差異が存在しても、その差異に優劣など存在しないことである。差異はその民族の多くの人に備わった特性の違いであり、優劣は人間が勝手な価値観で設定した尺度による評価に過ぎない。そして、その勝手な評価である優劣によって個人や特定の集団に附与される権利、尊厳の尊重が変わることなどあり得ず、また、あってはならない。
こうした考えは最近は多文化共生というキーワードで語られることが多い。多文化共生とは「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと。」(総務省2006年3月・多文化共生の推進に関する研究会報告書~地域における多文化共生の推進に向けて)である。
多様性の尊重、異文化理解なども同じコンテキストで語られる。青木氏もさすがにこのあたりは分かっているようで、かつて毎日新聞で書いていた「理の目」というコラムの中で、産経新聞の記事について「社会の多様性を失わせ、少数者の権利と尊厳を毀損する。」という趣旨の文章を公開している(元記事は既に削除、参照・青木理氏の産経攻撃に違和感「少数者側に立つべき」って何だ?)。
◾️特性の違いと優劣
昨今、民族の間には優劣が存在すると断じる主張を見ることはほとんどないが、それを明らかにしていたのが国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)である。アドルフ・ヒトラーの我が闘争(Mein Kampf)ではユダヤ人に対する強烈な憎悪を示し、劣等な人種とする思想を詳細に述べられている。
1930年代後半からナチスは「Untermensch(ウンターメンシュ=劣等人種)」という用語で民族間の優劣の存在を喧伝した。ここで劣等な人種とされたのはユダヤ人や東欧やソ連のスラブ系であり、結果、ユダヤ人の大量虐殺や独ソ戦へと繋がっている。確認するが、優劣とは時の権力者などが特に基準もなく、恣意的な評価に基づき決定するものであり、主観的・恣意的・非合理的な評価にすぎない。
以上のことから、民族間の特性の違いの存在と、その優劣は全く異なる考えであることが分かる。
★民族の特性に違い→客観的な事実で、その違いについて互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築き、地域における共生を実現すべきとの方向性で語られることが多い
★民族による優劣→民族間に客観的な事実としての優劣など存在しない。その思想から劣る民族はこの世から抹殺しても構わない、抹殺すべきという危険な行動が実行されかねない
端的に言えばこういうことである。
◾️思想の自由市場から退場を
青木氏はその後、電話取材に対して「取材は受けつけていません」と説明を拒んだとされる(Smart FLASH・「劣等民族」発言で大炎上『サンモニ』出演のジャーナリスト・青木理氏に“真意”を尋ねるべく直電)。
政治家などに対してしきりに説明責任を求めるジャーナリストが、自分のことになるとその説明を拒む姿勢に不信感を募らせる人は多いに違いない。
民族間に優劣が存在するというナチスと同じ思想を持つこと、それを表現活動の中で表現すること、いずれも違法性を帯びるわけではない。日本では思想・良心の自由、表現の自由は保障されている。その自由に守られて青木氏はこれまで表現活動を続けてきた。
もっともさまざまな表現活動がなされ、「すべての思想が市場に登場することを認めれば、思想の自由競争の結果、人格の実現や民主主義過程の維持保全にとってよい結果が達成されうる」(基本講義 憲法 市川正人 新世社 p138)という、いわゆる思想の自由市場論で、青木氏のような常軌を逸した思想や表現は市場の機能で淘汰されていくはずであり、そうでなければならない。
はっきり言ってクレイジーな思想を披瀝した上で、この先、言論市場、特にマスメディアで活動が続けられるようであれば、日本の思想の自由市場はまともに機能しないことになる。
本日、9月22日のサンデーモーニング(TBS系)に、青木氏は出演しなかった。今回の発言が原因なのか明確ではないが、さすがにTBSもナチス同様の主張をした青木氏をそのまま出演させるわけにはいかないと判断したのかもしれない。
口が滑ったとか、ジョークであったと済ませられる話ではない。これを機に青木氏が表舞台から追放されることを願うのみである。それを実現することが日本のメディアが果たすべき責務である。
だがしかし、
●状況は我々に有利に展開している。
↑
70年代極左達がよく使用した言葉である(その意味、使用目的は割愛)
今現在、社会状況は奴バラ、ファシスト(極左はその構成員)に確実に有利に展開している。(その具体は割愛)
構成員の一名である青木はその仮面がうかつにも取れてしまいホントの顔が露呈した。
仮面がはずれても青木の様に批判されぬファシストも多数いる。
差別は許されない、それは差別だ、レイシズムだ、と主張する者達。
その本質は破壊、普遍的価値観の破壊、近代国家を構成するに至った価値観、自由社会を形成する価値観を破壊せんとする価値観の者達、すなわちファシストだ。(学術的定義とは異なる)
奴バラが主張する多様性(コスモポリタニズムを覆い隠す抽象的表現)、多様性といいつつ自分達とは異なる価値観を決して認めない。二重規範と言う表現は当たらない、規範ではない破壊だ。
差別は許されない、異文(多文化)化共生、皆(みんな)仲良く共存を、は仮面であり人を騙せる便利な言葉なのだ。
その実態は既成秩序の破壊が目的であり、そしてそれは殺人をも辞さない、ファシストは自分達と相反する価値を持つ者の死を願い、喜ぶ。(本当に殺す、殺してきた。殺して何が悪い、これからも殺してやる、は中核の残党爺い共の言葉だと以前コメントした)
青木は、オット、つい面がずり落ちてしまったが(逃亡中?)
仮面を自ら外して、
衆人環視の前で、オイ安倍、お前疑惑を晴らしてから死ねよ!(殺されろ)と公言した落合恵子は
拍手喝采か(それはまずいから、仲間達は心の内でほくそ笑むか)
朝日の川柳で喜び嘲笑するのが上手い手か、
ファシストは自分達と相反する者の死を喜び又願う。
石丸伸二をファシストと表したが、その証左が現れたので以下に記す。
●70歳に近い者達は皆もうすぐ死んでしまう! 自分たちの勝ちだ(左記、ほぼ正確、動画又記事あり)
大笑、嘲笑(嘲笑は私の主観、又石丸はその死を望んでいると解釈する)
●少子化対策に、一夫多妻制も考慮(パートナーシップ条例も考慮すべきと発言していたかと、ソースは今不明)
●移民の賛否を問われ、あいまいにすりかえ(都議選中)おそらく賛成と推測
石丸伸二を山本太郎とは異なるニュータイプ、ファシストトリックスターと表したが、
ハメルーンの笛吹に例えた人を他のサイトで見たが慧眼である。
ハメルーンの笛吹に誘われ付いていく者は子供達である、それも寝ぼけている。
石丸伸二が評価する上野千鶴子は命を賭けて市街戦を戦ったと述べている。
自ら火炎瓶を投げたかどうかは知らぬが仲間達は機動隊員を殺している。
広義にそういうことだ。
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この部分、”まさにこれ!”と思いました。
>>多様性といいつつ自分達とは異なる価値観を決して認めない。
これが青木理氏の周辺にいる人々の特徴と思いました。蓮舫氏などもそうした人たちの仲間という気がします。多様性を叫びつつ、自分の価値観が至上・至高であって、目的達成のためには手段を選ばない。昔、連合赤軍の本を結構読んだのですが、そんな連中ばかりで(しょうもないな、この人たち)と呆れたのを思い出します。まだ僕が大学生だった頃です。
多文化共生が叫ばれる時代に真っ先に排除されなければいけないのは、実は多文化共生や多様性を叫びつつ政府批判をする人たちであるということなのでしょう。