トリエンナーレ津田大介氏の弁明の空虚さ 要は「月給泥棒でした」?
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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「表現の不自由展・その後」が開始から3日後に中止になった件で、あいちトリエンナーレの2019の芸術監督・津田大介氏がネット上にお詫びと報告の文章をアップした。冒頭にお詫びをしているので責任を感じているようにも見えるが、よくよく読むと一社会人として情けなくなる内容である。
■津田大介氏には展示品の決定権がなかった!?
津田大介氏の文章で、僕が最も重要と考えたのは以下の部分。
津田大介氏:「表現の不自由展・その後」にどの作品を展示し、どの作品を展示しないかは、最終的に「表現の不自由展・その後」の出展者である不自由展実行委が決定権を持っていました。
驚くことに「表現の不自由展・その後」の出展物の決定権は、出展に協力する団体にあったというのである。主催はあいちトリエンナーレ実行委員会で、事実上、愛知県であろう。その展覧会で一協力団体が決定権を持っていたとは…。
しかし、大村秀章知事は会見で「芸術監督はキャプテンなんで、芸術の中身等々については監督が全責任をもっておられる」と明言している。実際に津田氏は愛知県から報酬をもらっていたはずであり、それはその責務を果たすことに対する報酬であろう。それなのに展示品の決定という重要な責務を行使しない、あるいはできない状況になっていたというのである。
決定権がない理由としては、津田氏は少女像の展示をめぐって議論になった時に不自由展実行委側が「展示の根幹に関わるという理由で『少女像を展示できないのならば、その状況こそが検閲であり、この企画はやる意味がない』と断固拒否されました。」という事情から、「展示しなければ、協力しない」と事実上、圧力をかけられたことを明らかにしている。
その上で、展示作品を自分の判断で出展取りやめにするという状況に陥った際に「芸術監督として現場のリスクを減らす判断をするか、“作家(不自由展実行委)”の表現の自由を守るかという難しい二択を迫られた自分は、不自由展実行委と議論する過程で後者を判断しました。」と説明した。そのことを後日、「自分のジャーナリストとしてのエゴだったのではないか」と語ったという。
■ジャーナリストとしてのエゴを貫くなら、その時点で辞職
ジャーナリストとしてのエゴという言葉を聞くと、作家の表現の自由を守るのがジャーナリストの務めであると考える人もいるかもしれないし、難しい決断をした津田大介氏にジャーナリストとしての誇りを感じる人もいるかもしれない。
津田大介氏には芸術監督とジャーナリストという2つの肩書きがあるのは確か。展示作品の決定については、そのことで報酬を貰っている芸術監督としての仕事である。ジャーナリストとしての津田大介氏は、あいちトリエンナーレ2019には何の関係もない。そして展示作品の決定という場面で、芸術監督と(彼自身が考える)ジャーナリストとしての立場が相反するものになっていたということである。
そうなると、ジャーナリストとしての立場を優先させることは芸術監督の責務を放棄するということに他ならず、職を辞するのは当然である。責務を果たすなら不自由展実行委に「決定権はこちらにある。展示は認めない。それを理由に企画全体に協力しないというのであれば、それで結構だ」と言うことが求められる。それを辞職せずに、つまり責務を果たさないまま報酬だけはもらい続けているのでは、税金を払っている国民(愛知県民)が怒るのは当然と言えよう。
■責任は果たさないが報酬をもらい続ける姿勢
結局、津田大介氏の文書を読むと、彼の一連の行為は「責任を果たさないで報酬だけもらっていた」ということであり、言葉は悪いが「月給泥棒」である。それを「ジャーナリストとしてのエゴ」と言い換えているに過ぎないと僕は思う。