酒を”呑む” ネット記事の国語破壊
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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酒を”のむ”場合に「飲む」ではなく「呑む」と表記する媒体がある。「呑む」だと楽しみながら口に入れるというニュアンスがあり、ただ単に「飲む」場合と分けて使用することを可能とする。しかし、辞書などで調べてみてもそうした意味は出てこない。正しい日本語の使用が、ネットを中心とした媒体に破壊される現場を見るかのようである。
◾️酒を”呑む”サイト
最近、ある媒体の人間と出稿について話した際に、当該メディアではアルコールを飲む際には「呑む」を、非アルコールを飲む際には「飲む」を使用することにしていると聞かされた。そのため、筆者が提出した原稿にある「酒を飲む」を「酒を呑む」に変更すると通達してきた。
「それはダメです」と断るも媒体の決まりということで押し通されそうになったので、さまざまな資料を提出して説得し、「酒を飲む」で掲載されることになった。
筆者は1985年に日刊スポーツ新聞社に入社し、フリーに転じた後も含め40年近く文章を書いているが「酒は”呑む”ものでソフトドリンクは”飲む”もの」という使い分けは聞いたことがない。固有名詞になるが「酒呑童子」というのはあるが、それは後述するとして、一体、そのような区別を誰が主張しているのか調べてみると、ネットでは複数ヒットした。
1つは日本酒を宅配する業者のサイトである。
★日常会話では「飲む」が一般的に使われますが、「呑む」は酒を飲む際に使われることが多いです。
★一般的な飲み物を飲む場合には「飲む」を使います。「呑む」は、酒を飲む際に「酒を呑む」のように使うことができますが、日常会話ではあまり使われません。…文学的な表現や、比喩的な意味で使うことが多いです。
★日本酒を楽しむ際に使われる「呑む」という言葉には、ただ単に酒を飲むという意味以上の、ゆったりとした時間を過ごすというニュアンスが含まれています。「呑む」と表現することで、日本酒の風味をじっくりと味わいながら、心地よいひとときを楽しむ様子が伝わります。
(Sakeai Box・日本酒を楽しむ「飲む」と「呑む」の違いとは?)
もう1つの例は大手人材・広告会社のサイトである。
★「お酒をのむ」では、「呑む」を使うとお酒を楽しんでいる様子を表現できます。お酒の飲み方としては水やジュースなどと変わらず、液体として喉に流し込みますが、「呑む」を使って豪快に流し込むさまを表現します。酒をじっくりと味わいながらのむ場合でも、「酒」とセットになると「呑む」を使うケースが多いです。
(マイナビニュース・「飲む」と「呑む」の意味と違い、お酒をのむはどっち?使い分け方を解説)
前者は筆者に関する情報はなく、後者はBranding Engineerの署名がある。
◾️広辞苑で調べてみると…
両者の主張・説明には出典が示されていない。前者は「『呑む』には『ゆったりとした時間を過ごすというニュアンスが含まれています』」という根拠が、後者は「『呑む』を使って豪快に流し込むさまを表現』「酒をじっくりと味わいながらのむ場合でも、『酒』とセットになると『呑む』を使うケースが多い」とする根拠がともに示されていない。
公知の事実であれば出典を示す必要はないが、そうでない場合、出典を示さなければ、通常は「筆者の単なる思い込み」と評価される。それを堂々と自社サイトに掲載しているのであるから、書く方も書く方であるが、それを通す責任者にも呆れるしかない。
ここで「飲む」と「呑む」の違いについて簡単に紹介する。一般的には口に入れる対象物によって区別されている。「飲む」は液体で、「呑む」は固体や気体、あるいは形のない観念的なものの場合に使用されると言っていい。このことは漢字そのものを調べるとイメージを掴みやすい。
「飲」…水や酒などを口から腹へ入れる。
「呑」…のみ下す、まる飲みにする。ふくみかくす。あわせつつむ。
※新漢語林第2版(大修館書店)
次に辞書で関連する語句の意味を調べる。
のむ【飲む・呑む】①口に入れて噛まずに食道の方に送る。喉に流し入れる。特に、酒を飲む。
飲む、打つ、買う 大酒を飲む、ばくちを打つ、女を買う。男の代表的な放蕩とされるもの。
さけ【酒】②アルコール分を含む、飲むと酔う飲料の総称。
酒が酒を飲む 酒飲みは酔いがまわるに従ってますます大酒を飲む。
酒に呑まれる 酒を飲んで本心を失う。
※広辞苑第7版(岩波書店)
このように、飲料としての酒を口に入れる場合は「飲む」を使用、逆に酒が主語になり、のまれるものが正常な精神状態などである場合には「呑む」となっている。
こうしたこともあるせいか、メディアでは液体は飲む、それ以外は呑むと使い分けており、「呑」は常用漢字ではないためにひらがなにしている。
のむ=飲む[主に液体]お茶・酒・水を飲む、がぶ飲み…酒飲み…飲み明かす…飲んだくれ…
=(呑む)→のむ[主に気体・固形物…]あくび・息をのむ、うのみにする、固唾をのむ、声をのむ、清濁合わせのむ、濁流にのまれる…
※記者ハンドブック第13版(共同通信)
要は「呑む」はまるごと口に入れるイメージ。固形物の場合に使用されるのはもちろん、他国を一方的に自国に併合する「併呑(へいどん)」のような使われ方もする。
◾️固有名詞と動詞の違い
このように「呑」には前出の「Sakeai Box」も「マイナビニュース」の主張するような意味合いは確認できない。両者には「呑む」について、なぜ、そのように特別な意味があると考えたのかを説明していただきたい。「呑む」には固形物などを丸々飲み込むという意味があるため(前出の新漢語林第2版)、「呑む」を使用すれば酒をグイグイとのみ下すといった風情が醸し出せると勝手に思い込んだのかもしれない。
前出の「酒呑童子」は、酒好きであったためについた異名とされる。鬼の頭領、盗賊の頭目とされていることから、日本酒をゆっくりと味わいながら胃に入れるのではなく、あたかもまるごと飲み込むように豪快に胃に流し込むイメージを出すために「呑」を使った(命名された)ものと思われる。何より「酒飲童子」ではただの”悪ガキ”であり、鬼や盗賊のイメージのために「呑」を使用したものと思われる。そのあたりは酒呑童子の絵を見ていただければ理解いただけると思う(文化遺産オンライン・大江山酒呑童子図)。
そもそも酒呑童子は固有名詞。一般的な事情を表現する動詞の場合に勝手に「酒を呑む」とするのは誤用と言っていい。もう少し分析すると、たとえば、女性に酒が飲めるかを聞く場合、昭和の時代にはこういうやり取りが少なくなかった。( )内はその真意である。
「(お酒は)いけるクチですか?」(よく飲みますか?)
「いえいえ」(それほど飲みません)
「全く?」(1滴も飲めないのですか?)
「嗜む程度です」(多少は飲めますが、たくさんは飲めない/飲まない)
聞かれた女性は、酒呑童子のように、酒を胃にグイグイと流し込むような飲(呑)み方はしないが、料理と一緒に1、2杯程度なら飲めますよというニュアンスで語っていると思えば分かりやすい。さらに言えば、(あなたと食事に行ってもいいですけど、正体を失うほどは飲みません)ということであり、その背後には(あなたにそんなみっともない姿を見せるまでは飲みません、そこまであなたに心を許していません、まだお会いしたばかりでしょ)というニュアンスを含む場合が少なくない。
このように、酒の飲み方に多少なりとも違いがあり、現代の文章の書き手が勝手に解釈して、酒は「呑む」、アルコール分のない飲料は「飲む」と根拠のないまま使い分けているのが実情のように思う。飲み方の違いがあるから、漢字に勝手に自分が思うイメージを与えるのは学術的な側面からすれば考えられない行為であり、子供の言葉遊びならともかく、大の大人がサイトでそれが真実であるかのように伝えるとしたら、それは国語に対する冒瀆である。
◾️1文字から見えてくる人生観
筆者は日刊スポーツをやめて、今はフリーランスでライターをしているが、新聞記者でもフリーライターでも、国語を大切にする気持ちは変わらない。当然、「ら抜き言葉」や、「⚪︎⚪︎するのは違う」などの表現は絶対にしない。
それが文章を書く者としての使命であると考えている。そうした文章、表現をすることで書き手は知性のレベルを疑われて淘汰されていくと思うし、また、そうあるべきと思う。
たかが漢字1文字であるが、その1文字で書き手の背後にある人生観のようなものが見えてくることもある。筆者はそこに重きを置いていることを理解してもらえれば幸いである。
松田さん、こんにちは
>たかが漢字1文字であるが、その1文字で書き手の背後にある人生観のようなものが見えてくることもある。筆者はそこに重きを置いていることを理解してもらえれば幸いである。
又々もう一つ又をプラスして故邱永漢氏ですが、
PCを使えないと揶揄されて、
私は愛用のペンで書き漢字の持つ世界を楽しんでいます、と。
氏は書斎のみならず時を得ればいかなる場所でも執筆したとか、
日本語の衰退と相まって漢字の誤用、誤読、自分自身もしかり、なのですが、
諦観、、、そうなっていくのだろうと、
だが意図しての誤使用は許せん!
諦観といいつつも、いちじるいっさい、にくじる! はその場で注意しようかと、結局しない、相手のプライド、、
漢字はパターン認識として書けなくとも読める、漢字が持つデザイン性から外国人は何かを感じ壁に装飾品として又Tシャツなどにも、
日本人はさらにその読み方と相まって深みを感じ取る、それ故育まれる感性、、
魑魅魍魎など、まさに暗闇に潜むおどろおどろしい妖怪を、髑髏など、されこうべ、しゃれこうべ、も、
語彙が増えるとIQが上がるとか、何の根拠もない事ですが何となくわかる気もする、、
言葉は言霊とか、漢字もその世界がある。
語彙が増えれば見るもの聞くことに対し思考が深まる、自己の抽象的発想も言語化できる。
こんな意味合いかと、、
漢字のデサイン性、書、日本人でなければわからない、同じ女と言う字でも水茎のあとも麗しく小筆で又ひらがなで、書体、書き手の表わし方により、終筆のかすれ具合など墨絵に通じるものがある、、は大げさか、
漢字一文字に価値を置く松田さんのお人柄、それは大げさではなく生き方、
人生とは何をどう見るか、何を思うか、である! 爺さんの断言。
でも真に見るべきものを価値を置くべきものを人は見えないのだと先達は言う、、
★生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し
空海
★まだ目が見たことの無いもの、まだ耳が聞いたことの無いもの、人の心に思い浮かんだことのない もの
第一コリント2章9節
神を信じれば与えられると、
大江山酒呑童子は映画としてリメイクすれば、(もちろんその完成度!)ヒットするのではと(世界的にも)時代錯誤かな?
先ごろ話題の侍タイムスリッパ―はSF作家小松左京のパクリとまではいかないが影響を受けたのではと、類似した作品があります。
御返信は不要です。
手持ちの辞典で調べてみました。
大辞林2版,新潮現代国語辞典では特に区別がないようでしたが、類語辞典系だと区別されてました。
「飲む」は液体にたいして、「呑む」は固体にたいして使うというのが大雑把な使い分けみたいです。
明鏡国語辞典でも区別されてるんですが、「丸のみにする、ぐいぐいのむ意味合いで」と書かれている中に、「大酒を呑む」という表現も例として出てました。
なので、酒を飲むことに関して「呑む」の表現が出てきたのは、この辺のことも関係あるかもしれません。
酒呑童子の例もそれに近いのかもしれません。酒を味わいながら飲むというより、味わう間もなく丸ごと流し込むみたいなイメージで大酒の時に使う感じでしょうか。