出所の重信房子元幹部 徹底した監視を

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

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青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。
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 日本赤軍の重信房子元最高幹部(76)が28日、懲役20年の刑期を終えて出所した。出所に際し、手記「再出発にあたって」を公表。被害を受けた人々へ謝罪をするとともに、今後については、できることは能力的にも肉体的にもないとして違法な活動には関わらない考えを示した。しかし、直近の活動や出所前日に刊行された著書「戦士たちの記録 パレスチナに生きる」を読む限り、出所後の反省の弁は信用できない。捜査関係者は重信元幹部の監視を続ける見込みで、社会の安全のためには当然のことと言える。

■出所後に謝罪の真意

重信房子元最高幹部(重信房子氏FBから)

 重信元幹部は1974年のいわゆるハーグ事件に関与したとして、殺人未遂などで懲役20年の判決を受けて服役していた。出所後に囲み取材に応じ「自分達の戦闘を第一にしたことによって、見ず知らずの無辜の人たちに対しても、被害を与えたことがありました。古い時代とはいえ、この機会にお詫びします」などと語った。

 また、報道陣からの事前の質問に対して文書で回答しており、その中には以下のような文言がある。

「私は、他人の旅券を不正に取得・使用したことについては、自分の活動のためにと、他人を踏みつけにしてしまったこと、人間としても恥ずべき行為であり、被害者に謝罪してきました。許して下さった方も、そうでない方もおりました。このことは、これからの再出発に、いつも心に刻んでいたいと思っています。」(産経新聞電子版・「自分が『テロリスト』と考えたことない」重信元最高幹部の質問回答全文

 70年代の政治的状況を知る人からすれば、「かつて”魔女”と呼ばれた女性も、20年の刑務所暮らしで牙を抜かれたか」「彼女も人間だったか」といった感想を持つかもしれない。あるいは服役中に癌が発見され、治療を行なっていたこともあり弱気になったのかと思われるかもしれない。

 しかし、重信元幹部の表面的な反省の言葉はそのまま受け取るべきではない。取材で語った謝罪は被害を与えた人々に対して向けたもので、反社会的な行為で社会全体にかけた迷惑に対して反省を述べたものではない。しかも、この類の反省は、既に公判段階で述べている。

「武装闘争が盛んに戦われていた時代…『人質作戦』などの形態をとって闘いました。こうした闘いで直接当事者でない人々を戦闘に巻き込み、精神的肉体的苦痛を与えてしまいましたことを謝罪します。」(2001年4月、日本赤軍の解散時の発表、著書・戦士たちの記録 パレスチナに生きる 第2章ナクバの記憶 11 それから より抜粋)

「(旅券不正使用に関して)手配されていた自分の活動の自由を確保するために、他人の名前・戸籍を盗用して旅券取得を行いました。弱者の方々の名義を使用したことは、反社会的のみならず人として恥ずべき行為であったと反省しています」(第1審最終意見陳述2005年10月31日から、同書同章より抜粋)

 ①についてはハーグ事件などで大使館員等を人質にとって命の危険に晒したことなどについて謝罪したもの。②は旅券法違反に関するもので、盗用した相手に対して謝罪するもので、しかも社会的弱者の名義を盗用したことを謝罪するものでしかない。社会的弱者ではない者からの盗用であれば、謝罪する必要はないと考えている可能性はある。

■26人の犠牲者の事件を美化

 このように重信元幹部が囲み取材で明らかにした謝罪は、公判段階で述べていた謝罪の域を超えるものではない。矯正施設に入る前の段階での謝罪を、刑期を終了した段階でも超えることがなかったことは、矯正施設にいた20年間で然るべき矯正ができなかったことを意味する。

 もともと、重信元幹部はハーグ事件について無罪を主張しており、矯正施設に入っても反省などしないことは予想がついた。実際、出所前日の27日に刊行された前出の著書「戦士たちの記録 パレスチナに生きる」(幻冬舎)を読むと、1972年に赤軍派の3名によるテルアビブ空港乱射事件について、26人の犠牲が出た凄惨な事件に関わらず、それを美化する記述をし、射殺などで落命した2人のテロリスト(奥平剛士、安田安之)に関して以下のように記述している。

 「どんな逆境でも理想を持ち続ける限り、もっと良い人間の世界を開くから。地獄でもまた、革命をやろう、待っている…。リッダ闘争を闘い抜いた戦士たちの声が今も聞こえる。」(戦士たちの記録 パレスチナに生きる 第2章ナクバの記憶 11 それから より)

 リッダ闘争とはテルアビブ空港乱射事件について、日本赤軍などの関係者が用いる用語で、テルアビブ・ロッド空港の「ロッド」の現地読みである「リッダ」での闘争という意味とされる。

 また、公安調査庁のHPでは、重信元幹部が服役中も同志に対してメッセージを発し続けていたことが明らかにされている。

「2015年(平成27年)以降も,「リッダ闘争」を記念する集会が都内で開催されており,同集会では,重信房子が,テルアビブ空港乱射事件の実行犯である日本赤軍メンバーをたたえる声明を寄せている…」

「重信は,2020年(令和2年)3月,国内で服役中の日本赤軍メンバー・泉水博が刑務所で死去したことを受け,支援団体の機関紙に追悼メッセージを寄稿した。このように,日本赤軍は,最高幹部・重信らがテルアビブ空港乱射事件を正当化し続けていること,組織として武装闘争を放棄したことを示す事実もみられない…」(ともに公安調査庁・赤軍派(7)最近の主な活動状況

 このような事実を見る限り、76歳の老テロリストは20年の服役でも全く改心していないと言って差し支えない。

■不思議なカリスマ性

出所した重信房子元幹部(ANN news CH画面から)

 重信元幹部がその容姿も加味されてカリスマ性があったのは事実。その出所にあたっては「これを伝えるメディア報道には、奇妙な期待や興奮が滲み出ていた。」(産経新聞電子版・重信房子氏の出所に興奮…メディアの奇妙さ 飯山陽)とする声があるのは、そうしたカリスマ性の一端を示すものであろう。

 個人的な話をすれば、僕は高校時代に左翼運動に興味を持ち、当時の資料を読む中で重信房子元幹部の存在を知った。当時の雑誌や新聞で見た写真の第一印象は「綺麗な人だな」「どうしてこんな綺麗な人が、こんなバカなことをしているのか」というものであった。おそらく大方の人がそう感じるであろう。

 そうした思いは、2000年11月に重信元幹部が逮捕された際に吹き飛んだ。写真で見る”美人革命家”とは似ても似つかない55歳の中年女性が手錠で繋がれた両手を高く掲げ「戦う!」と叫ぶのを見て、思わず失笑させられた人は少なくないと思われる。(この歳になっても、まだ、そんなことを言ってるのか)(55歳で中2病か)といったところであろう。

 それから22年、さらに年齢を重ねて70代も半ばとなり、その姿は20代の頃からは想像もつかないものとなったが、頭の中身は70年代から変わっていない。それが美しかった頃の写真と結び付けられ、前出のカリスマ性に繋がっているのかもしれない。

■動向を注視し警戒を

 重信元幹部は、今でも社会に危険を与える可能性があるテロリスト予備軍と考えられる。出所後は「まずもって、(癌の)治療と、リハビリに専念する中で、世界・日本の現実を学び「新しい生活様式」を身につけたいと思っています。」(産経新聞電子版・「武装斗争路線間違っていた」重信元最高幹部の手記全文)としているが、素直に受け取ることはできない。

 報道陣からの質問への回答では「きちんと罪を償った以上、公安警察や、関連の者たちに、私のこれからの新しい生活の邪魔をしてほしくありません。尾行したり、マスコミを煽るような『危険視』は許されて良い筈がありません」(産経新聞電子版・「自分が『テロリスト』と考えたことない」重信元最高幹部の質問回答全文)としており、それは尾行されるような行為に及ぶ可能性を示唆しているように思える。

 こうした事情からか、重信元幹部の出所の際には捜査関係者の姿があり、警視庁などは今後の動向などを注視し警戒を続けるという(NHK・日本赤軍の重信房子元最高幹部 20年の刑期を終えて出所)。

 至極当然のことである。

"出所の重信房子元幹部 徹底した監視を"に5件のコメントがあります

  1. 野崎 より:

    重信等、ファシストに見る共通した異形

    >どんな逆境でも理想を持ち続ける限り、もっと良い人間の世界を開くから。地獄でもまた、革命をやろう、待っている…

    上記、その異形が如実に現れた同じ資質を有する仲間への呼びかけだ。

    理想、もっと良い人間の世界、それを目指し人類は近代国家を築き上げた。
    血の歴史をもって、
    善と悪とが内在する人の心、その善的なる人類共通の普遍的価値観、人を殺してはならない。盗んではならない。偽証してはならない等。この価値感により近代国家、自由社会は形成された。

    この自由社会を暴力(殺人)をもって転覆せんとするファシストの価値感。
    それは善的なる普遍的価値観を否定する価値感であり、よって奴バラは殺人をいとわない。
    重信が言う理想、もっと良い人間の世界とは自らを頂点とする全体主義を現出させることだ。

    そして地獄とは現世における自らが招いた自らを取り巻く状況のことだろう、逆境とも表現している。そもこの自由社会は奴バラファシストにとり否定すべき社会、地獄なのだ。
    自分たちは虐げられ圧政の元に居るとの認識なのだ。よって転覆させるのだ暴力を持ってして。

    重信房子に対し団塊の世代として大森勝久が思い浮かぶ。

    ●大森勝久 左翼テロリスト、北海道庁爆破事件の犯人とされ死刑確定。収監中

    大森も重信と同じく狂人である。だがその覚醒は同世代として、あの時代を共にした者として殴りつけてやりたい、それも怒りではない思いが湧いた。
    そしてその覚醒は目覚めとはいえず単なる逆転、裏返しに過ぎないとも思える虚しさがある、、

    大森は言う、重信と何と違うことよ、、

    ●自分は冤罪であるが逮捕収監されてよかった、日本社会の為に良かった、自分の為にもよかったと、
    そして自分が否定して来た相手、倒そうとした相手の手に墜ちたのだから、その相手の世界での自己保全の要求は矛盾だと。 

    まな板の鯉、煮て食おうと焼いて食おうとご自由に、ということだ。
    ただテロリストとして実行していないことは実行していない、それは冤罪である、と。

    重信の要求
    刑をまっとうしたのだから
    >私のこれからの新しい生活の邪魔をしてほしくありません。尾行したり、マスコミを煽るような『危険視』は許されて良い筈がありません。

    ↑↑重信よ、お前が倒そうとした相手の手に墜ちたのだ。
    その相手に何事かを要求するは矛盾だ、大森の爪の垢でも煎じて飲め (私の世代に使われた表現)

    大森勝久 http://homepage3.nifty.com/omorisaiban/index.htm
    第7回 私はかつての違法な逮捕・起訴・確定裁判を恨んではいません
    より抜粋引用

    しかし、逮捕するための証拠がありませんでした。北海道警察は「このような危険人物をみすみす逃してしまうことは許されることではない」と考えて、数々の証拠を捏造していくことになったのだと思います。

     (4)これをどう考えるかです。確かに、刑事訴訟法に違反する逮捕と起訴と確定裁判(一審、二審、三審)でした。しかしそれがあったからこそ、私の近い将来の爆弾テロの被害から日本社会を守ることができました。私自身も、人を殺傷する罪を犯すこと、それを積み重ねていくことを阻止してもらったことになります。左翼時代の私は、これらを激しく糾弾していましたが、保守主義に転向してからの私は、この逮捕・起訴と確定裁判を恨む気持ちはまったく無くなっています。日本社会にとっても、私にとっても、良いことでした。

    私が左翼思想の誤りに気付くことができて、転生していけたのも、獄中で一人で考えつづけることができたためでした。刑の確定は1994年の9月ですが、私の左翼からの転向は97年から98年頃でした。

     (5)左翼時代の私は、日本の法体系を否定し、日本国自体も否定しながら、一方では、でっち上げ粉砕を主張して、裁判闘争を行っていました。典型的なダブルスタンダードでした。日本の法体系を否定・破壊する立場に立つ私に、「法を守って、公正な裁判をしろ!」と要求する資格はまったくありませんでした。

     (6)現在の私は、2002年から再審請求を求めて裁判を行っています。もちろん、日本の法体系を守る立場で行っています。

    引用ここまで

    団塊の世代、それも昭和24年生まれ、学園紛争最盛期を経験したものとして、
    大森勝久死刑因が思い浮かび重信との相違に、、、情緒的なコメントですが、、

    重信房子の今後、そのあなどれない存在、影響に関しては機会を見て。

    ご返信は不要です。

  2. 通りすがり より:

    重信の出所を見つめ感極まった様子が見受けられた金平茂紀と青木理には、改めて警戒すべきだと痛感した。

    1. 昭島市民 より:

      二人にとっては取材ではなく、出所祝いか、それとも憧れの女性に会いに行く、という感覚なのだろうと思った。

  3. ZS より:

    金平茂紀と青木理、サンモニで盛大に出所パーティーでもやればいいのにね。
    サプラーイズで元ヌエ議員と現ヌエ議員も出演させれば20%取れるぞTBS。

  4. まいまい より:

    週刊金曜日あたりも、お祝い記事の1本や2本、書きそうですね。

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