金子達仁氏は妄想で記事を書いているのか 文春の劣化にも絶望感
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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スポーツライターの金子達仁氏の文章を久しぶりに読んだ。Number Webで10月5日に公開された「ラグビーW杯を、日本を楽しむ外国人。2002年と2019年で変わったものーー。」という記事。僕ごときがどうこう言うのは憚れるが「ナンバーって、このレベルの文章を掲載するのか」とびっくりさせられた。思い込みを根拠に事実を断定する、論理性を無視した悪文と言うしかない。
■主張の根拠は2002年の自身の経験
金子氏の文章を要約すると以下のようなものである。2002年のサッカーW杯のボランティアは全く融通がきかず不評だったが、ラグビーW杯におけるボランティアは素晴らしい。これは「コイクリ効果」と言える。コイクリには国民栄誉賞を与えていいのでは。
17年の時を経て、日本のボランティアの意識が大きく変わったということであれば、題材としては悪くない。だが、そのような意識の変化を合理的に裏付ける調査など一介のライターにできるものではない。
そこで金子氏は根拠として2002年W杯での出来事を挙げる。記者席から写真を撮影しようとした、おそらくブラジルからの女性記者をボランティアが「ここは撮影禁止場所です。すぐにやめてください!」と止めて大騒ぎになったことを紹介。これ以外にも海外の記者から「(日本のボランティアは)融通が利かない、高圧的、不親切」という不満を聞かされたという。
そして「あの頃のボランティアにとって、まず大切だったのは自分の責任を果たすことであり、決められたルールを厳守することだった」と結論付けている。
自分の責任を果たし、決められたルールを厳守するのは今も同じ。ルール違反をする記者や観客を見て見ぬふりをする人はボランティアとしての責務を放棄しているのであるから、活動に参加してはいけない。自分の責任を果たしルールを厳守することがボランティアの役割であるのは17年前も今も変わらない。ここからして読んでいる方は、頭の中にいくつもの疑問符が湧き出てくる。
■論ずる価値もない言葉遊び
金子氏は2019年10月3日、ノエビアスタジアム神戸(神戸市御崎公園競技場)で入口が分からず迷っていたら、若い女性のボランティアが「わかりにくいので近くまでご案内します」と言って、一緒についてきてくれたエピソードを紹介(ラグビーW杯A組:アイルランドvsロシア戦の取材であろう)。
「こんなこと、17年前は一度もなかった。しかも、今大会ではこれが初めてのことではないし、わたしに限ったことでも、対日本人に限ったことでもない。」として、今回のボランティアはルールより大事にしているものがあると断定する。そして、2002年にはあまりないが今回はいたるところにあるもの、それは「お・も・て・な・し」であるとする。
そのような「お・も・て・な・し」は滝川クリステル氏に由来するものであるから、「コイクリ効果」と命名している。滝クリの愛称で知られている同氏が結婚して「小泉」に名字が変わったため、「コイクリ」としたようである。少しでも読者の興味を惹こうとしたのであろう、論ずる価値もない言葉遊びである。
■根拠とするには不適当な事例で結論を導く手法
この部分で決定的なのは、ボランティアの意識の変化を自身の経験のみで断定しており、そこに何の合理性もないことである。しかも詳細に紹介された具体例が、「お・も・て・な・し」を発揮すべき場所での出来事であり、そのボランティアの女性が、記者がルール違反をしている場面に遭遇したらどうなったかは分からない。そのような根拠とするには不適当な事例を挙げて、ボランティアの意識の変化があったと結論付けている時点で合理性を欠く非科学的な文章と評価されても仕方がない。
さらに、もし、問題の女性の行為がボランティアの意識の違いによるものであることが証明されたとしても、そのことと滝川クリステル氏の「お・も・て・な・し」との因果関係の説明がなければ、「コイクリ効果」なるものの存在は証明できない。その点に全く触れることがないまま、滝川クリステル氏に「国民栄誉賞を…」と書いている。最後に自身の推論を掲げる。
「ボランティアを統括する人たちが意識の徹底を図ったのかもしれない。外国人と接する経験値が飛躍的にあがったという点もあるだろう。あの震災を経験したことで、ボランティアというものに対する日本人の考え方が変わったのかもしれない。」
この推論は一定の合理性はありそうだが、その直後に「東京オリンピック招致活動における滝川クリステルさんの言葉がなかったら、日本人が、かくもおもてなしの精神を意識することはなかったのではないか──そう強く実感している。」と加えている。(だから、その因果関係、理由を示せ)と読者は思っているのに、最後まで自分の妄想から離れられない。
■『28年目のハーフタイム』は楽しく読んだが…
僕自身、サッカーが好きなので以前は金子達仁氏の文章は良く読んだ。アトランタ五輪のサッカー日本代表を取材した『28年目のハーフタイム』はレベルの高い読み物であると思う。あれから23年、金子氏はここまで劣化してしまったのかと残念に感じる。また、このレベルの原稿を掲載する文芸春秋社の劣化にも心が痛む。
金子氏が23年前のような輝きを取り戻すことを期待している。