杉原千畝氏「命のビザ」が繋ぐデリバティブの父との縁

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石井 孝明🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

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経済・環境ジャーナリスト。慶應義塾大学経済学部卒、時事通信社記者、経済誌フィナンシャルジャパン副編集長、アゴラ研究所の運営するエネルギー問題のサイトGEPRの編集担当を経て、ジャーナリストとエネルギー・経済問題を中心に執筆活動を行う。著書に「京都議定書は実現できるのかーC O2規制社会のゆくえ」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞社)など。
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 リトアニアのオーレリウス・ジーカス大使のTwitterを見ていると、うれしい書き込みがあった。1940年にリトアニアのカウナスで、外交官の杉原千畝(ちうね)氏(1900-1986)の「命のビザ」で救われたユダヤ人男性が今も存命で、しかも訪日しているという。(元記事はwith ENERGY今も日本を助ける杉原千畝氏とユダヤ人脈

◆杉原千畝氏の行為が今に生きる 

レーガン大統領(左)とレオ・メラメド氏(同氏公式サイトから)

 1940年にリトアニアのカウナス領事代理だった杉原氏は、ナチスの迫害を逃れてきた約6000人のポーランド人に日本政府の意向に反して通過ビザを発給し、脱出を支援した。

杉原氏の行為は今でも日本に影響を与えている。

 2014年の夏、一人のユダヤ人男性の訪日が世界のメディアに取り上げられた。シカゴ・マーカンタイル取引所(CME)の名誉理事長であるレオ・メラメド(Leo Melamed)氏だ。「デリバティブの父」と国際金融界で呼ばれる。当時安倍晋三首相などを表敬訪問し、福井県敦賀市の港を訪れた。

 後に「命のビザ」と呼ばれるようになる杉原領事代理が発給したビザで救われた人の1人が、当時8歳だったユダヤ人のメラメド氏だった。

◆「デリバティブの父」と日本の縁

 命のビザに関する経緯は「エスケープ・トゥ・ザ・フューチャーズ」というメラメド氏の回顧録に詳しい。メラメド氏は、リトアニアからシベリア鉄道を経てウラジオストクから福井県敦賀市に入港した。神戸を経て、ユダヤ人団体の助けを借りて、アメリカに脱出した。

 メラメド氏は米国に渡った後で商品ブローカーとなった。1970年代に商品市場だったCMEで世界に先駆け、ミルトン・フリードマンなどのシカゴ大学の経済学者たちのアイデアを参考にして、為替先物取引市場を開設。シカゴをデリバティブ取引の重要な市場に育て上げた。

 逃避行の経験はメラメド氏の心に、深い傷を残したようだ。

 「どんなにうまく物事が行っても、心の声がささやく。『用心しろ。その通りの角を曲がったところに、災難が待ち構えているかもしれないぞ』と」。

 この意識はストレスになる半面、慎重に人生に向き合う態度をつくり、そして成功につながったのかもしれない。

 メラメド氏を知る金融マンに聞いたところ、彼はアメリカのエリートによくあるように、仕事では細かく、報酬はしっかり取る厳しい人という。しかし日本企業が支援を求めたり、日系メディアが取材を申し込んだりすると、すぐ面会し可能な限りの便宜を図るという。そして日本と杉原氏への感謝を、必ず言う。

 大阪証券取引所(現日本取引所グループ)は、デリバティブ市場の整備を1990年代に進めた。その際に、メラメド氏はアドバイザーとして支援しており、来阪した時に私はインタビューした。取材時間が限られていたので過去の話は詳しく聞けなかったが、杉原氏と日本への感謝を繰り返していた。

 近代的なデリバティブ市場の先駆けは、日本の大坂(江戸時代までの表記)に1730年に作られた堂島米会所とされる。会員による合議運営、決済の失敗を担保する制度(現代ではクリアリングハウスと呼ばれる)、立ち会いの公表、先物決済などの米会所の制度は19世紀から各国で研究されており、メラメド氏はCMEの為替市場づくりでも参考にしたそうだ。日本への関心があったためという。

 メラメド氏と日本、そして堂島米会所について私が「不思議な縁がありますね」と聞くと、にこやかに笑いながら「ユダヤの歌に『めぐりめぐって故郷に帰る』という一節があります。デリバティブは、ふるさとに帰ったんですね」と、気の利いた答えをしてくれた。

 メラメド氏は、エネルギー問題にも関わる。東京工業商品取引所(現在の東京商品取引所、日本取引所グループ)が2004年に原油先物を上場する際にもメラメド氏はシカゴで要人の紹介、市場設計のアドバイスなどのサポートをしてくれたという。

 安倍政権の2017年に日本政府はメラメド氏に対して、日本への支援への功績を称え、勲二等旭日大綬章を贈った。また安倍氏は2018年に、リトアニアを訪問した時に、杉原千畝氏の足跡を訪ねた。ユダヤ人人脈への配慮という安倍氏の外交センスの良さに感銘を受ける。安倍氏の暗殺に怒りを、そしてその才能が消えたことに、改めて悲しみを覚える。

◆杉原氏の行動は人道目的だけではなかった

 杉原氏は、戦後の人員整理の中で、外務省を依願退職扱いで去った。訓令に違反しユダヤ人を助けたたことを問題視され、外務公務員の上級職(キャリア)ではなかったために、整理の対象になったようだ。また杉原氏は陸軍の情報士官と行動を共にした優秀なインテリジェンスのプロだった。これも、戦後に反軍感情の高まった外務省省内の反感を買ったらしい。

杉原氏は外務省を追われるように去った

 しかし、今では、その人道的行為は高く評価され、日本政府は顕彰している。 杉原氏の行為は、正義と人道のためではあるものの国益という目的もあった。1940年段階で、ナチス・ドイツの異常さは知られていたが、東欧でユダヤ人を数百万人単位で虐殺する犯罪行為はまだ始まっていなかったし、予想もされていなかった。杉原氏は助けないという選択肢もあった。

 しかしポーランドの亡命政権と同国陸軍の情報部が日本陸軍、さらに協力者の杉原氏に強く要請した結果、救出が行われたらしい。(参考「消えたヤルタ密約緊急電―情報士官・小野寺信の孤独な戦い」新潮選書)

 ポーランドからの情報は、当時の日本のためにもなった。杉原氏と協力関係にあった、スウェーデン駐在の小野寺信陸軍少将は、亡命ポーランド政府情報を使い、「ヤルタ会談」「ソ連対日参戦」「ドイツ敗北」を的確に予想した。

 残念ながら、それは日本の政策決定に活かされなかったようだ。そうした利益の目的があったとしても、6000人の人々が命を救われ、新しい人生を切り開き、社会を良い方向に変えたことは確かだ。そして次の世代にさまざまな影響を与えている。「バタフライエフェクト」という、予測不能の広がりを考える言葉を思い出す。

◆私たちの行動は、過去と未来の双方につながる

 杉原氏とメラメド氏のエピソードを見て思うのは日本の過去の人々の思想、行動が、私たち現代の人に影響を与え、そして未来の人々にも影響を与えていくということだ。歴史は読むだけのものではなく、今、私たちがつくっている。

 「国家とは過去の祖先と未来の子孫と現在の国民が、同一の歴史と伝統を共有することによって生じる精神の共同社会(Spiritual Unity)である」

 保守派の論客の筑波大学の中川八洋名誉教授は著書「正統の憲法 バークの哲学」(中央公論新社)で、英国の思想家エドマンド・バークを参考に、このように国家を定義する。中川氏は過激な言辞が多く戸惑うが、これは素晴らしい本だ。

 この見解に私は同意する。私たちは過去の歴史を良いことも悪いことも、現代の問題として引き受けなければならない。そして私たちの行動が次の世代の人々の人生に影響を与えていくことを自覚しなければならない。

 残念ながら、日常の中で私たちはそうした歴史を感じることは少ない。日本では今を生きる人の利益、政治主張がなぜか受け入れられやく、民意に左右される「今だけ良ければ良い」という軽薄で刹那的な民主主義体制が営まれている。 しかし、杉原氏の6000人を救った行動は気づきをもたらす。

 「陰徳」という言葉がある。私たちの今の適切な行動は隠れているように見えたとしても、必ず自分、そして子孫やコミュニティの未来をよくすることにつながる。逆も真なりで、私たちの恥ずかしい行動は、未来の人々に悪影響を与える。「今」の行動には、重い責任が伴っているのだ。

 杉原氏に日本人の子孫の一人として感謝しながら、そして6000人の人々の命の尊さを感じながら、このエピソードの意味を考えてみたい。

※元記事は石井孝明氏のサイト「with ENERGY」で公開された「今も日本を助ける杉原千畝氏とユダヤ人脈」 タイトルをはじめ、一部表現を改めた部分があります。

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