改憲の好機 自衛隊を「国民の財産」に

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石井 孝明🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

経済・環境ジャーナリスト。慶應義塾大学経済学部卒、時事通信社記者、経済誌フィナンシャルジャパン副編集長、アゴラ研究所の運営するエネルギー問題のサイトGEPRの編集担当を経て、ジャーナリストとエネルギー・経済問題を中心に執筆活動を行う。著書に「京都議定書は実現できるのかーC O2規制社会のゆくえ」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞社)など。

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 日本をめぐる安全保障の脅威が強まる中で、「国民を守る軍隊を作る」「公共財、国民の財産として使いこなす」ことを私たちは考えるべきではないか。8月15日の終戦(本当は敗戦)の日に考えたい。

◆「軍隊は国民を守らない」のか?

自衛隊の位置付けは曖昧なまま(写真は防衛省)

 「軍隊は国民を守らない」。戦争を語る際に、これは今でもよく使われる文章だ。一例だが、沖縄県知事だった大田昌秀氏(1925~2017)がこれを用いて、沖縄の米軍基地の存在や日本の軍事力の整備を批判した。大田氏はアジア・太平洋戦争での沖縄戦で軍属として動員され、幸運にも生き残った。その体験には深い同情を持つが、このように軍隊を批判ばかりして、意味があるのだろうか。そしてこの言葉には、軍隊は国民と関係のない別の組織であり、安全保障を「他人ごと」としてみる意識があるように思える。

 確かに、日本帝国陸海軍は国民保護に熱心ではなかった。筆者は、戦史の分析が趣味で、古今東西の最前線にいた兵士から将校などの軍人、指導的立場にあった将軍や提督、政治家などの回想録、歴史書をよく読む。日本の当時の指導者たちは回顧録で、民間人保護に無策だったことに沈黙しているか、その犠牲に苦悩したということをわずかに言及するのみだ。

 地上戦の起きた場所での日本の民間人の犠牲は凄まじい。沖縄戦では県民約30万人のうち約10万人、満州(中国東北部)では日本の民間人150万人のうち20万人が亡くなった。そこに侵攻した米軍、ソ連軍が無差別攻撃をしたことが主な理由だ。しかし日本軍が民間人の保護に配慮しなかったために犠牲が広がった。

 この点で、第二次世界大戦でのドイツの政治指導者、軍人らの回想録は対照的に「自分達は国民を守ために戦った」と強調している。ヒトラーの後継者になったドイツ海軍司令長官デーニッツは回想録で、ソ連軍が侵攻した東部地域からドイツ海軍が300万人の民間人を救い出した最後の戦いと、それを指揮した自分の功績を述べている。軍需大臣シュペーアも回想録で「敵が侵攻した場所の軍需施設、工場、公共施設を全て破壊せよ」というヒトラーの焦土化の命令を無視して、敗戦を見越して産業やインフラを守ったことを記している。

 ナチス・ドイツは、ユダヤ人の大量虐殺や、東部戦線で住民の奴隷化を計画的に行った。日本と違い、政権の存在そのものが戦後に犯罪視された。そのために高官は政治家や戦後に自分がナチスと無関係である、もしくは罪が少ないと揃って弁解した。そのために、「ドイツ国民を守った」という事実が強調された面がある。それでも、帝国陸海軍より、民間人保護に配慮していたと評価できる。旧軍の個々の軍人で国民を守ろうとした人はいるであろうが、全体で見ると誇らしい話よりも「軍人が逃げた」「住民を守らなかった」「住民をスパイ扱いし殺害した」などの悲惨な話ばかりが目立つ。

◆「国民保護」が日独の再軍備に影響

 日本も西ドイツも敗戦後に軍隊が解体された後に再軍備をした。両国ともに、社会の拒否感で大変だった。しかし西ドイツでは、基本法(憲法)に軍の存在が明記され、徴兵制度によって連邦軍が運営された。軍の社会的地位は戦後回復した。一方で日本では憲法上で軍の存在が曖昧にされ、自衛隊は軍隊ではないという奇妙な議論が今でも続いている。一部の人の自衛隊への敵視は今も根強くある。

 この違いの理由の一つは、両国の軍への信頼の差があったためだろう。第二次大戦で、ドイツ国防軍は(建前では)国民を守る国土防衛戦を行った。日本帝国陸海軍は沖縄で、満州で、外地で、国民保護を積極的に行わなかった。

 軍隊では、軍人に他人のために、そして国のために命を捨てることを命令する。これは大変難しいことだ。今起きているウクライナ戦争でも、侵略側のロシア軍の規律の乱れ、士気の低迷が伝えられている。近代の国民徴兵制度がフランス革命で始まってから、各国はその工夫に苦慮してきた。

 戦前の日本も軍人をどのように戦わせるのか、さまざまな工夫をした。帝国陸海軍は、「天皇の軍隊」と自己規定し、自分達を特別な存在と軍人たちに認識させた。それは軍のまとまりや忠誠心を作った正の効果があった。しかし、軍を社会から遊離させ、その崩壊の際に国民保護という重要な問題を考えないおかしな組織にした負の面も作ったように思える。(もちろん旧軍の体質の問題と国民保護意識の欠如の関係は、さまざまな論点があるが、今回は省略する。)

◆国民のひどい仕打ちを前に自衛隊員は戦えるのか?

 旧軍の問題とそれに対する国民の不信が影響して、自衛隊の存在は今でも曖昧なままだ。憲法9条2項での「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という規定のため、日本に軍隊は存在しない。自衛隊は軍隊ではないという奇妙な形のまま、今に至っている。

 幸運なことに日本は1945年の敗戦以降、本格的な戦争に巻き込まれなかった。しかし、東アジア情勢の緊迫化を見ると、それは長続きしそうになく、自衛隊が戦う日は近日中にありそうだ。自衛隊はその存在意義を試され、国民はそれに安全を依存する。

 自衛隊員たちは、その場合に国民を守る義務を果たすことを、私は期待している。自衛官はその服務宣誓で「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め」と誓う。しかし、現実に何が起こるかはわからない。隊員が本当に命をかけて、日本のために戦ってくれるのだろうか。

 日本国民は有事の際に頼らざるを得ない自衛隊に対して、存在意味を曖昧にし、一部の人は攻撃するひどい扱いをしてきた。「憲法違反だ」「(軍事力整備を妨害し)平和のために防衛力整備はいらない」という議論を、いまだに左派勢力が堂々と唱えている。大切にしてこなかった自衛隊の隊員に対して日本国民が「危機の際に命をかけろ」というのは、あまりにも身勝手すぎる。

◆高まった改憲機運を使い、「国民を守る軍隊を」

2015年、自衛隊の観艦式に臨んだ当時の安倍首相(同氏フェイスブックから)

 安倍晋三元首相が、凶弾に倒れて7月に亡くなった。ご冥福を祈る。安倍氏は、自衛隊の存在根拠の曖昧さの危険、そしてその活用の重要性を理解していた。そして9条の改憲によって解決しようとしていた。問題から逃げる日本の政治家の中では珍しく、立派な行為だ。彼は「自衛隊の違憲論争に終止符を打つ」「自衛官に申し訳ない」という趣旨の発言を繰り返していた。

 私も自衛官に申し訳なく思う。軍隊は存在の目的が明確でなければ、その活動にさまざまな弊害が出る。士気の維持の問題に加え、滅亡直前の帝国陸海軍が最も大切な国民保護という目的を忘れてしまったように、根本的な存在意味がはっきりしないと、有事の際におかしな方向に転がりかねない。曖昧さは命をかける自衛隊員にも失礼だ。それを日本は全体で放置してきた。

 安倍氏が亡くなったことで、その持論である改憲が注目され、岸田文雄首相もそれを真剣に行うことを明言している。また岸田首相は防衛力強化の方針も打ち出した。帝国陸海軍への憎しみを気の毒なことに背負ってしまった自衛隊は、1954年の創設以来、隊員たちの努力で、国民の理解と支持は着実に広がっている。これは好機だ。

 軍隊は、国民の生命と生活を侵略や天災などの有事の際に守るための組織であり、「公共財」として大切にして、効率的に活用する。これが各国と日本の安全保障政策で貫かれている原則だ。ところが戦後の日本の安全保障の議論では、軍隊の批判を繰り返し、そこで思考を停止する人たちがいた。それは、有事の際にその批判者を含めた日本人全体を危機に落としかねない。

 そうした無駄な議論から脱却し、「天皇の軍隊」でも「自衛隊」でもない、「国民を守る軍隊」を作る機会がようやく訪れた。「軍隊は国民を守らない」などの、感情的な批判は意味がない。軍事力を憲法に明記する機会が訪れている。そして希望を言えば、その議論を「軍隊をどのように効果的に活用し、侵略や天災などの有事に国民全体が備えるべきか」と深めていきたい。感情的な軍事への反発や「他人ごと」ではなく、「公共財、国民の財産としての軍隊を国民の手でつくる」という「自分ごと」として安全保障問題に関わる時が来たのだ。

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