東京中日スポーツと夕刊フジ 最期の日

The following two tabs change content below.
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

最新記事 by 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 (全て見る)

 東京中日スポーツと夕刊フジが1月31日発行分で新聞としての歴史を閉じた。トーチュウは堂本光一さんのラッピングという派手な演出で最終号を飾ったが、肝心の一般版はわずか16ページという薄さ。夕刊フジは巨人・岡本選手の「夕刊フジ買収計画」という自虐的な記事で幕引きとした。両紙とも消えるべくして消える理由を最終号で示して我々の視界から消えていった。

◾️煽るだけ煽って明日から紙面なし

1月31日限りで消滅した2紙とトーチュウのラッピング紙面

 2紙が消える2025年1月31日、まず朝刊のトーチュウがコンビニなどの新聞スタンドに並んだ。特別版は堂本光一さんの写真で新聞本体を包む、いわゆるラッピングと呼ばれるもので、中に特別寄稿が掲載されている。堂本さんは2007年4月から2019年10月まで同紙で「光速CORNER」というF1のコラムを掲載していた縁で、最終号の特別版への登場となったようである。モータースポーツを売りにしていた同紙だけに、最後はそこに頼って引き際を派手に演出したかったのかもしれない。

 特別版を除く一般版は16ページ建て。1面は中日ドラゴンズの井上監督が2月1日から始まる沖縄でのキャンプを「P・Bバトル」と命名したという記事で、P・Bとは「ポジティブ・バトル」の意味であるという。過去3年の若手積極起用から方針を変更して横一線スタートとするらしく、川本光憲記者のクレジットがある記事は「一カ月間、沖縄でバトルを繰り広げる。」で締められている。

 読者にすれば、「そうか、中日ドラゴンズの1か月のバトルがこれから始まるのか、さあ、明日からトーチュウでそのバトルをじっくり読もう」と思っても、翌日からトーチュウという新聞は存在しない。電子版で読んでくれということなのかもしれないが、「乞うご期待!」と煽るだけ煽って翌日から新聞なしという状況は、悲劇というより喜劇的である。

 以前から東京中日スポーツの記者は常識から外れた行為へのストッパーがかからない部分がある。同紙が契約したカメラマンが、旧ジャニーズ事務所のタレントを取材した際に撮影した写真をネットで販売するという考えられない事件も発生している(参照・スポーツ新聞カメラマン 常軌を逸した嵐の写真販売)。

 1面の広告は通販の3段もので単価は相当安いと思われる。2面がゼロ段で、3面は半5段のギャンブル広告(競輪)に案内の半2段、残る半3段は自社もの。休刊報道が出た昨年9月にも同紙を購入したが、その際も3面に半3段の案内広告が掲出されており、その頃からほとんど広告営業は成り立っていないことがうかがわれる(参照・トーチュウ休刊へ ”金欠紙面”断末魔の呻き声)。

◾️櫻井よしこ氏の”弔辞”

 午後には56年の歴史にピリオドを打つ夕刊フジ最終版が店頭に並んだ。1面トップの見出しの上に「56年間ありがとうございました!!」というオレンジの文字が並び、さらにその左上、題字の横には「最終号」の文字。トーチュウがラッピングで最終号であることが一見しただけでは分からないのとは対照的に、今日が最後であることを強調するものとなっている。

夕刊フジ最終号

 トップ記事は櫻井よしこ氏のインタビュー。言論界の保守派の大物に夕刊フジの思い出や、半世紀以上の歴史の中で果たした役割などを語ってもらっている。「電車で通勤する人たちが記事を読んで『なるほど、そうなんだ!』と思ってくだされば、それは世論を変える一つの要素になります。その意味では夕刊フジは国家に貢献したと思います」(同紙1月31日発行1面)。

 櫻井氏に弔辞を述べていただいたようなもので、編集部の方もさぞかし光栄に感じたことであろう。とはいえ、その言葉の中に夕刊フジの使命を終えた理由が見えてくるのは皮肉としか言いようがない。

 通勤途中のサラリーマンが夕刊フジを読んで賛同し、世論形成の1つになったという指摘は、通勤途中に新聞を買って読む人などいない今の時代には夕刊フジも不必要になったということを裏側から論じているに等しい。発行元の産経新聞社トップは(事実上の廃刊となる前にどうにかならなかったのか)という言葉として受け取るべきであろう。

 1面には「岡本夕刊フジ買収計画」という裏1面の記事の見出しも掲げられている。プロ野球の一選手がメディアを買収する計画があるとしたら大ニュースであるが、裏1面の見出しは「夕刊フジが休刊? 買収したる!! 6000万円なら…」とトーンダウン。本文は「買収すれば」という記者の質問に「…いくらで買えるんやろ? 何千万とかやったらよかったけど。6000万とかなら、ちょっと考えるわ」と答えているだけのもの。

 このやりとりが「岡本夕刊フジ買収計画」の見出しになっている。東京スポーツ的手法なのかもしれないが、半世紀以上の歴史を閉じる号でこの記事を掲載すれば「実態を反映しない見出しで50年以上読者を欺き続けた結果、事実上の廃刊に追い込まれた」と後の世の歴史家の格好の攻撃材料となりかねない。そう考えると「もう終わりだから、思い切りやってやれ」的な開き直りを感じる記事(見出し)であるし、「国家に貢献」と最大の褒め言葉を贈ってくれた櫻井氏の言葉を自ら否定しているようなものであることに気付かない編集部に絶望的なセンスの欠乏を感じる。

 トーチュウも、夕刊フジも、消える新聞には消えるべき理由があることを思わせる最終号である。

◾️サラリーマンが新聞を買った時代は遠く…

 2025年1月末に即売(自宅に届ける宅配ではなく、店頭で売るスタイル)が中心の2紙が事実上の廃刊となった事実は、新聞という媒体が消滅する時代に入ったことを如実に示している。

 以前から団塊の世代(1947年から49年に生まれた世代)全員が75歳以上になり、国民のおよそ5分の1が後期高齢者となる2025年には医療や介護など社会保障制度が行き詰まるのではないかという2025年問題が真剣に議論されていた(NHK・ことし約5人に1人が後期高齢者に 医療や介護の体制拡大が課題)。

 櫻井氏が夕刊フジ最終号で述べた「電車で通勤する人たちが記事を読んで…」の通勤する人たちはほぼ75歳以上となり、もはや彼らのほとんどは通勤することはなく、そもそも新聞を売っていた駅のホームにあった売店そのものが消滅している。こうした状況から当サイトでは2025年から即売への依存度が高いスポーツ新聞の本格的な廃刊ラッシュが始まると予想した(参照・スポーツ新聞廃刊ラッシュ 2025年から?)。年明け早々に2紙が長い歴史に幕を下ろした。

写真はイメージ

 スポーツ新聞の市場は縮小の一途で、2017年からの7年で発行部数は5割以下になっている(日本新聞協会・新聞の発行部数と世帯数の推移)。2000年を100とすれば、2024年には26.6と4分の1近くにシュリンクした(参照・スポーツ紙過去最大の12.4%減 廃刊ラッシュ間近)。

 関東圏の朝刊スポーツ紙は残るは5紙。来年1月末までには1紙か2紙はトーチュウと夕刊フジと同じ道を歩むのではないか。それはスポーツ紙だけでなく、経営基盤が脆弱な一部の一般紙も同様である。

 我々は今、劇的なメディアの変革期に直面している。その時期にあることを目で見える形で示したのが、今回の2紙の消滅であると言える。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です