”恋バナ”をアツく語った森永卓郎氏 安らかに

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 経済アナリストで1月28日に他界した森永卓郎氏は、生前、筆者(松田隆)に”恋バナ”を語っていた。2020年に著書の編集協力をした際に語ったものであるが、結局、日の目を見ることはなかった。森永氏の愛すべき一面を示す意味で、紹介する。

◾️歌手・森永卓郎にも意欲

3日付け産経新聞紙面

 森永氏は1月末に旅立たれたが、現在、産経新聞紙上では2024年末に取材した内容で「話の肖像画」という1か月続く自らの人生を振り返る連載が掲載されている。筆者は2020年に「年収200万円でもたのしく暮らせます コロナ恐慌を生き抜く経済学」(PHP研究所)という書籍の編集協力を行い、そこで4時間以上、話をうかがった(参照・森永卓郎さん頑張れ かつての編集協力者エール)。

 4時間も話していると本職の経済だけではなく、こちらが聞かなくても、趣味やプライベートに関しても言及してくる。当時は筆者も音声を録音しており、それを聴くと元気な頃の森永氏の興に乗ってあれこれ話す様子が伝わってくる。

 同氏は歌手としての活動も行なっていたそうで、以前、ニッポン放送のイベントで日比谷公園で500人か600人程度の聴衆を前に歌声を披露したという。他にも中野サンプラザ大ホール、増上寺のイベントでも歌ったことを明らかにした。ムード歌謡が得意らしく、デモテープをつくってレコード会社の担当者に送ったが、軒並み断られたと、笑顔で語っていた。

 NHKに出演するたびにディレクターに「大晦日は(スケジュール)空けています」と言っていたが、当然のように「(紅白の)審査員したいのですか?」という答えしか返ってこない。そこで「いえ、歌手(として)です」と言うとディレクターは黙り込んでしまうとか。

 この辺りの話を聞いている時は(どこまで本気なのだろう)と思っていたが、おそらく本人は大真面目で考えていたと思われる。勝手な想像であるが、多芸多才で自らが有する様々な可能性をすべて活用したいという考えであったように思う。

◾️1日のロケで”恋に落ちて”

 そんな森永氏は、共演する女性との距離を近付けようとすることが多かったらしく、以前からファンだった松田聖子さんとラジオで共演した際に「好きです」と告白し、その後、共演NGにされたという(ウィキペディア・森永卓郎)。

 どこまで本当のことかわからないが、筆者が話を聞いた時には年齢を重ねても純粋な気持ちを持ち続ける森永氏の側面が垣間見える話をしてくれた。

写真はイメージ

 以前にNHK Eテレの番組で歌人と1日、神戸を旅する番組に出演した。朝から晩まで一緒にロケをするうちに、淡い恋心が芽生えたという。「私はゼニカネの汚い世界で生きているけど、彼女は歌(短歌)の世界の中で生きている。だから宇宙人のようなんですよ。すごく心がきれいで世俗から離れた存在で何てすてきな生き方だ」。

 朝からロケを開始して、昼ごはんを食べるあたりで「私はその女流歌人に恋をしてしまったんですね。もう大好きになっちゃったんですよ」と笑う。

 この時、森永氏は62歳、少年時代の気持ちそのままではないか。妻子があるのに、これはどうなのかということは、この際、措くことにする。

 そこで森永氏は台本にはないことを考えつく。歌人に恋の歌を贈るという大胆なプラン。エンディングの撮影を行った夕闇迫る芦屋川の河原で恋の歌を短冊にしたため、手渡した。その歌人は、森永氏の渾身の恋の歌を目で追った後、こう語った。

 「この歌は芦屋川に流しましょうね

 ーー撃沈。森永氏は「私の恋は芦屋川に沈んでしまった」と苦笑した。

 この話を聞いた時に、テレビで見せる森永氏のどこかユーモラスな面は素顔なのであろうと感じられた。好きになった理由が、その女性の内面の美しさに惹かれたというのが同氏らしい。

 年齢を重ねても、相手を半日で好きになれるというパワーを持ち続けられる男性であることがメディアから重宝される理由の1つなのかもしれない。

◾️最期の演技は夫人に見破られ…

 冒頭で示した3日付けの産経新聞の「話の肖像」には、森永氏が女性について語るシーンがあった。「私は昔から全然モテない。女性からはいつも『キモい』と言われてきた。でも、妻だけは言わなかったんです。…」

森永氏公式サイトから

 ガンになった後は、夫人に対して嫌われるように行動したという。「実は病気になって、一生懸命彼女に嫌われようとしたんです。嫌いになれば、私がいなくなっても彼女は悲しまずに『せいせいした』と思ってくれるでしょう?」

 ところが、死の間際の演技は、夫人には通用しなかった。

 「でも、私の演技力ではだめでした。彼女だけはだませない。本当に特別な人。余人をもって替え難い存在ですね。」

 夫人からは離婚を切り出されたこともあるというが、最期は感謝の気持ちをもって別れを告げることができたものと思われる。ある種、羨ましさを感じさせる、森永氏らしい別れなのかもしれない。

 ご冥福をお祈りします。

合掌

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