24年後もサバイバー 中島瑞果(3)それぞれの同盟

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 サバイバー日本版(TBS系)に参加した中島(現姓・丸山)瑞果氏は「目立たない、敵を作らない」プランを忠実に実行し、デレブの中で早期に安定した地位を築くことに成功した。誰からも追放の投票をされることなく、生き残りのための戦いを優位に進める。しかし、ただ1人、信頼関係を築けなかったメンバーがいた。

◾️日記に出てきた『同盟』 

24年前の事情を語った中島氏(撮影・松田隆)

 日本版に限らず、サバイバーでは出場者間の同盟は不可欠である。追放者を投票で選ぶ以上、多数派を形成する必要があり、そのためには利害関係が一致する、あるいは心情的に共感できる者と同盟を結ぶことが生き残りのために必要となる。

 番組では進行役のネプチューンがボードを使ってデレブチームの人間関係を説明しており、そこでは中島氏(当時30歳)、小野郷司氏(当時32歳=会社経営)、松尾純子氏(当時36歳=レストランプロデューサー)、吉野大輔氏(当時30歳=僧侶)の4人が同盟を結び、黒岩敦夫氏(当時56歳=漁師)と蓑島恵利氏(当時28歳=ダイビングインストラクター)が中立的立場という扱いをすることが多かった。

 中島氏は最終オーディションで打ち解けた石毛智子氏(当時25歳=帰国子女)と秘密の同盟を約束したが、現地では別チームになったために機能することはなかった(参照・24年後もサバイバー 中島瑞果(1)PTA会長”みずっち”)。そのため、デレブ内での同盟を組んで生き残りを図ることになり、結果、小野氏を中心としたグループに加わることになった経緯のようである。

 この点を「(自身がつけていた)日記によれば『同盟』という言葉が出てくるのは生活が始まって9日目です」(中島氏、以下、断りなき限り同氏)と説明する。番組で9日目とされるのは、チームの羊羹(ようかん)が何者かにかじられて、それが原因で岡部泰三氏(当時26歳=ボーイスカウト日本代表)と吉野氏が怒鳴り合った日である。無人島生活が始まり1週間が過ぎ、見知らぬメンバー同士が24時間ともに過ごし、徐々に人間関係の濃淡が出てくる頃なのであろう。対立関係が生まれれば、対立する相手を投票で追放しようと共通の利害関係を持つ者同士で手を結ぶ機会は増えてくる。

 中島氏は「目立たない、敵を作らない」を心掛けていたため直接的に対立する人はおらず、特に4人の同盟という意識は希薄であったようで「きっと誰の同盟にも属していたのではないかな」と言う。それでも中島・小野・松尾・吉野の4人の同盟が番組で扱われていたのは「私以外の3人が番組上『おいしい』ので、その4人の同盟がフィーチャーされたのではないかと思います」と振り返る。

◾️同盟の萌芽

帰国後の左から松尾氏、中島氏、小野氏、進行役の戸北宗寛氏(中島氏提供)

 もっとも出場者の間では、収録前から同盟に関する話は出ていたという。これは現地入りする時点に話を戻す必要がある。 

 関係者の話を総合すると、出場した16人は現地入りする前にいったん8人ずつに分けられていた。これは移動のためのやむを得ない手段であったと思われる。日本からパラオに行くためには通常、成田空港からグアム島を経由し、そこから飛行機を乗り継いでパラオの玄関であるロマン・トメトゥチェル国際空港(現パラオ国際空港、バベルダオブ島)に向かう。

 ところが、グアムーパラオ間は2002年当時も現在も、大型機の運航は確認できない。現在、就航しているユナイテッド航空は主にボーイング737-800、または最新の737 MAX 8を使用しており(参照・Fly Team・グアム→パラオ時刻表)、座席数はともに166。そうなると出場者と撮影スタッフなど全員を1つの便に乗せるだけのチケットの確保は難しい。結果、2便に分けて現地入りせざるを得ない。なお、春日尚氏(当時34歳=サラリーマン)はパスポートを忘れたとされ、1日遅れての合流となった(参照・23年後のサバイバー 若松泰恵(2) 独立系の苦悩)。

 ロマン・トメトゥチェル国際空港があるバベルダオブ島からコロール島へは2002年1月11日に開通式が行われたばかりの日本・パラオ友好の橋(Japan-Palau Friendship Bridge)を通って陸路での移動が可能。コロール島からサバイバーの舞台となるゲメリス島へはボートでの移動となる。先発組はコロール島で1泊して、後発組の到着を待ち、そこからゲメリス島へ向かったようである。宿泊の間は「見知らぬ男女16人が無人島で生活を始める」という番組のコンセプトのため、ADが部屋のドアを開けて、参加者が他の参加者の部屋に行って交流しないように監視していた。

 「私は先発組で、他にはタイゾー(岡部泰三氏)、ママ(桑野京美氏)、ぶーちゃん(佐藤徳一氏)、それとワカ(若松泰恵氏)とミナ(渋谷美奈氏)もいたのかな。よっしー(吉野氏)とエリちゃん(蓑島氏)、おのっち(小野氏)はいなかったと思います。収録が始まるまで私語禁止だったのですが、タイゾーが『(見張り役の)ADが寝ている』とみんなに伝えて『集まって飲もうぜ』と言い出しました。それで誰かの部屋に集まってみんなで部屋の冷蔵庫の中の飲み物を飲んでいました。その時に『同盟どうする?』『残ろうね』と、同盟の話をしていました。」

 出場者の間では生き残りのために同盟は必須であり、そこに注目していた人は多かったのは間違いない。

◾️蓑島恵利氏との関係

 中島氏は皆と仲が良かったとされるが、出場16人は個性が強い人の集まりで、他者との繋がりには自ずと強弱が生じる。当時、蓑島氏については「独立独歩が許される空気があった」とのことで、実際、番組では進行役のネプチューンがボードを使って蓑島氏を「独立系」と評していた。中島氏はその蓑島氏とも良好な関係を築いていた。

 「エリちゃんは無人島生活もスポーツとしてのゲームも目一杯楽しんでいました。私のくだらない冗談にも大声で笑ってくれて、一緒に生活していて楽しかったです。『みずっち』『エリちゃん』という仲でした」と、利害関係よりも生活において波長が合うという関係であったとする。そうした思いは、撮影に関して生じる問題を通じて強くなっていった。

 「撮影スタッフから『そろそろ、これ、しない?』とか『声かけてみない?』などと声をかけられることが、結構ありました。スタッフも番組を成立させるためには撮影をしなければいけないのでしょうが、それがあからさまで、こちらとしては生活に集中できないというのはあります。そういう状況だったので、(『無人島生活を楽しみたい』と言って参加した)エリちゃんと思いが通ずる部分があり、仲良くなっていったというのはあったように思います。」

◾️不仲の参加者との関係『蟻の一穴』

 逆にどうしても仲良くなれない相手もいた。吉野大輔氏(当時30歳=僧侶)である。

 「正直に言うと、最初から好きになれませんでした。私たちがうんざりしていた撮影の誘導にノリノリでしたし、普段の生活では返す言葉が一言多く、相手に媚びるような態度も見えて、日本で生活していたら、関わりたくないタイプ、関わることはないタイプの人でした」と、厳しい評価を口にする。

 敵をつくらないという作戦を遂行していた中島氏にとって、吉野氏の存在、その関係性は作戦の遂行上、大きな障害となるのは明らか。優勝を目指すなら割り切って考える手もあったとは思うが、それができない中島氏なりの理由があった。

 「実は当時、私の付き合っていた人が僧侶だったんです。私も彼の実家でちょっとですが、おかみさん修行をしました。それがあって、よっしーにはどうしても我慢できない部分がありました。鶏を殺せば殺生ということで念仏を唱えましたが、貝ごはんを炊いた時は念仏はなく、魚も銛で突いて取っていました。そのうち、撮影の時しか念仏を唱えなくなりました。私が交際していた人は普段は僧侶の様子を微塵も見せません。ただ、袈裟をまとい、僧侶となった時は絶対に殺生はせず、蚊もつぶしません。そうしたことがあったので、よっしーの矛盾した言動には辟易としていました。」

追放審議会での中島氏(イメージ画像、AIで生成)

  当然のように、吉野氏には期間を通じて投票の働きかけをすることは一度もなかった。「彼の票はいらない」と、その思いは強かった。ただ、このような事情を他のメンバーに話すと、吉野氏へ特別な敵意を抱いていることを知られることになり、それが吉野氏に伝われば、中島瑞果落としの動きへ繋がりかねない。そこでこの話は小野氏にだけ話して他のメンバーには一切、明かすことはなかったという。

 結局、中島氏は残り3人になった時に、吉野氏から追放票を投じられ、全期間を通じて投じられた、唯一の追放票によってファイナル進出を阻まれる。「敵を作らない」作戦でトップ3に進出したが、最終ステージに進めなかったのは、どうしても嫌悪感を拭い去れなかった相手からの投票というのは何とも皮肉である。吉野氏との関係は、ミッションを完璧にこなしていた中島氏の「蟻の一穴」となってしまったということであろう。

24年後もサバイバー 中島瑞果(4)へ続く

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