「表現の不自由展・その後」の中止は、表現の自由の不当な制約ではない
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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愛知県内で開催されている「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が開始から3日目の8月3日に展示が中止とされた。展示の中止について反対する人たちのコメントを見ると、「表現の自由は、いかなる場合でも保障されなければならない」と考えているようである。しかし、それは大きな間違い。今回の愛知県知事の決定は何の違法性もないと、僕は考えている。過去に同様の事例の裁判例もあることは忘れてはならない。
■表現の自由は無制約で認められるものなのか
「表現の不自由展・その後」は慰安婦を表現した少女像など、各地の美術館から撤去されるなどした作品を展示されている。その内容に対して抗議の電話が殺到。河村たかし名古屋市長が大村秀章愛知県知事に抗議文を提出し、同知事は「表現の不自由展・その後」の中止を発表したという経緯がある。
また、報道ではあまり出ていないが、昭和天皇の御真影を焼いて踏みにじる動画も展示されており、SNSなどではこれに対する反発の方が少女像よりも強いように見受けられる。
言うまでもないが、表現の自由は日本国憲法21条1項で保障されており、芸術家が自分の作品を発表する自由も、それに含まれる。それに対する制約は、公共の福祉に反するような場合を除いては認められないのが通常である。
芸術監督を務めた津田大介氏は8月2日の記者会見で「表現の自由が相当制限されてきた公共施設で、行政と作家が協議し、自己規制や検閲なしに展示できる実例を示したかった」と話している(8月3日付け朝日新聞電子版)。
■芸術家が「自分の作品を展示しろ」という権利
しかし、逆に芸術家が自分の作品を公権力に対して展覧することを求める権利までは有しない。つまり、自分の家や民間の美術館で自分の作品を展示することを公権力は止められないが、同時に公権力は芸術家から展示を求められる謂われはないということである。この点、いわゆる「天皇コラージュ事件」で名古屋高裁金沢支部平成12年2月16日判決はこう判示している。
「芸術家が作品を製作して発表することについて公権力がこれを妨げることは許されないが、公権力に対して、芸術家が自己の製作した作品を発表するための作為、たとえば、展覧会での展示、美術館による購入等を求める憲法上の権利を有するものではない」。
この判決は最高裁でも維持されているので、確定した判例と言っていい。「あいちトリエンナーレ2019」はあいちトリエンナーレ実行委員会が主催し会長は大村秀章知事であるから、愛知県が主催と言っていい。愛知県が芸術家の作品の展示を中止したこの事案で、「作品を展示させないから表現の自由の侵害」と主張するのは、この判例の考え方からしても無理があると思う。
■作品展示に公の施設の利用を認めない理由
とはいえ、いったんは認めた展示を勝手に中止すること、つまり公の施設の利用制限をすることについて表現の自由に対する制約ではないかという考えもあろう。中止が決まった後、「女たちの戦争と平和資料館」(東京都新宿区)の渡辺美奈館長は「展示に税金を使っていたとしても、行政は展示内容に口出しをすべきでない」とし、「多様な価値観を表現する場所を確保していく必要がある。作品を見て感じたいと思っている人もたくさんいる状況で、展示の中止はその権利を奪うことになるのではないでしょうか」と答えている(8月3日、BuzzFeed News)。
この点、大村知事は「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」など、京都アニメーション事件の凄惨な事件を想起させるような脅迫があったことなどを中止の理由とした。「芸術祭を、安全安心で楽しんでいただきたいという思いで、一番いい方策は何かということで、今回こういう判断にさせていただいた」(8月3日、HUFFPOST)としている。
■公の施設の利用制限について「正当な理由」
実は前述の判例は、このような点についても触れている。展示が中止になった作品の特別観覧を認める申し出を公権力(富山県)が拒否した点についての判断である。「県立美術館の管理運営上の支障を生じる蓋然性が客観的に認められる場合には、管理者において…公の施設の利用の制限についての地方自治法244条2項の『正当な理由』があるものとして許されるというべきである」。
この判例には「この作品の展示をするな」ということではなく「ここでは展示するな」ということであり、「どこか別の場所でやれ」という意味を含むという考えがベースにあると思われる。それは表現を全面的に禁止するものではなく、この場所、時間でやるのは不測の事態が起きかねないから、やめてくれという性質であるから認められるということと考えていい。別の言い方をすれば、公の施設の円滑な運営と個人の表現の自由とのせめぎ合いについての合理的な調整と言っていい。
以上の点を考えれば、今回の愛知県が決定した「表現の不自由展・その後」の中止は、全く違法性はないと考えるべきであろう。一部識者の言う「表現の自由の侵害である」という主張には理由がない。