浜尾朱美さん、あなたのことを忘れない
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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キャスター、エッセイストの浜尾朱美さんが9月14日に亡くなった。僕は昨日(15日)、そのことを新聞の訃報で知った。もう言葉がない。
■同学年のニュースキャスターに観戦記を依頼
NEWS23(TBS系)のキャスターとして活躍されているころ、競馬好きということで日刊スポーツ紙上で競馬のコラムを書いていただくことになり、そのうち観戦記もお願いするようになった。原稿を依頼する時は当時のレース部長から電話がかかってきて「今日、浜尾さんが競馬場に行ってるから、観戦記頼んで」という、何とも大雑把な業務命令(笑)。やむなく僕が競馬場内を探し回って「浜尾さん、観戦記をお願いできませんでしょうか?」と頭を下げて書いてもらうというものだった。
そのうち浜尾さんも僕の顔を覚えてくれて、原稿を頼みに行くと「あ、見つかっちゃった」とニッコリ笑ってくれるようになった。
彼女とは同学年で誕生日も近い。同世代ということもあって色々と話をするようになった。当時30代に入って2、3年のころ。夢見る10代、がむしゃらに頑張る20代を過ぎて色々と考える時期でもあるし、そんな時に「人生これからですよ」みたいな話をよくしていた。
彼女が新聞のコラム(1998年1月5日付け)で僕のことを書いてくれたことがあった。
「ーー私には、競馬しかないのです。
いつだったか、N刊レース部のマツダ記者に、そんなことを話した。この人と私は同い年だ。年齢ならではの葛藤(かっとう)を、よくよく理解し合える。『20歳(はたち)の頃より今の自分のほうがいい』と私が言えば、その行間にある願望や哀しさもすくい上げてくれる。」
その時の新聞は切り抜いて大事に保管してあり、今でも僕の宝物である。
■1998年長野五輪ではジャンプ台を体験
1998年には、僕が長野五輪の取材班に入ったため、僕の提案で彼女にコラムをお願いした。自宅に呼ばれてマネージャーさん同席の中、企画の趣旨を説明。大分迷われていたようだが「私が書けば、松田さんにとってプラスになるのね?」と聞かれ「もちろんです」と答えると、後日OKの返事をいただいた。
思い出すのはジャンプ台に一緒に登ったこと。スキーのジャンプの選手がどれぐらい高い場所から降りるのかを体験して記事にしてもらおうというもので、浜尾さんと僕とカメラマンの3人で白馬へ。
浜尾「間違って滑り落ちたら大怪我ね」
松田「そうですね」
浜尾「気をつけないとね」
松田「まあ、そうなったら、僕らは労災が下りますから」
浜尾「…」
出来上がった記事を見たら「同行した松田記者は『僕らは労災が下りますから』と言っていた。タレントの私には労災は下りないのよ!」みたいなことを書かれていて、思わず苦笑。その取材が長引いて食事は夕方近くになり、ひどく空腹になったが食べる場所がホテルの喫茶ルームしかなく、会話もほとんどなしに2人で軽食を3、4人分食べたのは、今となってはいい思い出である。
■ありがとう、そして、さようなら浜尾朱美さん
浜尾朱美さん、色々とありがとうございました。あなたと同学年であったこと、人生の中で接点を持てたこと、そんな我が身の幸運を思います。あなたのことを決して忘れません。安らかにお眠りください。
合掌