免職の元教師法廷へ「絶対に納得できない」(前)
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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全く身に覚えのない行為を理由に免職された元教諭が提起した札幌市に処分の取り消しを求める訴訟の第1回口頭弁論が11月17日、札幌地裁805号法廷で行われた。2021年1月の免職から3年近い月日が経過、その間、元教師の復職と名誉回復に向けた戦いを追い続けた当サイトが、その思いをあらためて当人に聞き、同時に裁判の見通しについて2度に分けてお伝えする。前編の今回は、提訴に至った経緯と、元教師の思いを紹介する。(事件の詳細は連載・免職教師の叫び全39回を参照)
◾️メディアは記者1人 傍聴は2人
第1回の口頭弁論は提出された書類と今後の予定について確認が行われただけで、わずか15分で終了。来年1月半ば頃までに証拠の提出を行い、その後、本格的な審理に入ることとなった。出廷した元教師の鈴木浩氏(59=仮名)によると、報道陣は北海道新聞の記者1名で、傍聴席には鈴木氏を応援する夫婦1組がいただけだったという。
「書類の提出が終わってから審理に入るわけですが、裁判長が『証人尋問が…』と言っていましたから、(僕の話を聞いてくれるのかな)と思いました」と鈴木氏。
1993年3月、当時15歳だった女子生徒、現在は写真家の石田郁子氏を自宅に招いて部屋でキスをするなどし、石田氏が高校生になってからもそうした行為が続いたとして免職された。28年前の行為を理由に免職という異例の展開に、メディアは大々的に報じた(朝日新聞DIGITAL・28年前のわいせつ行為認定、教諭を免職に 札幌市教委 など)。
こうした石田氏の言い分を全くの虚偽であるとする鈴木氏にとっては免職は受け入れられないのは当然で、直ちに札幌市人事委員会に審査請求をしたが、今年3月7日に棄却裁決がなされた。復職と名誉回復の最後の望みが司法への救済の申立てという状況である。
出訴期限は裁決の翌日から6か月以内。それまで担当していた弁護士が辞任し、新たな弁護士探しから始めて訴状を提出まで持っていくのは容易ではない。札幌では有名な弁護士でも審査請求で棄却裁決となった案件を引き受けようという弁護士は少なく、そこでかなりの時間を費やすことになった(参照・”冤罪”元教員の戦い ワイセツ行為してない)。
結局、東京に事務所を構える弁護士が依頼を引き受けてくれることになり、出訴期限の9月7日のほぼ1週間前の8月30日付で札幌地裁に訴状を提出。その2か月半後の11月17日に第1回口頭弁論が開かれたという経緯である。
◾️「迷いはありました」
鈴木氏の場合、処分の理由が地方公務員法に反したということのため、いきなり処分の取消を求める訴訟は提起できず、処分が不服の場合、まず、審査請求をしなければならない(地方公務員法49条1項、51条の2)。処分から3年近くが経過して訴訟が始まるのは審査請求前置主義という制度のためで、被処分者にすれば針の筵(むしろ)に座らせ続けられるような居心地の悪さを覚えるものと言っていい。真実を明らかにする時がやってきたという思いがあるのか、ようやくスタートラインに立った鈴木氏の声は明るい。
「気持ちの中でモヤモヤしていたものが、すっきりした思いです。泣き寝入りしたくないという気持ちがありますので、提訴してよかったなという気持ちです。多くの方に支えていただいているのが実感としてあるので、これからの戦いを頑張っていきたいという、そういった様々な気持ちが自分の中で交錯しています」。
しかし、鈴木氏にも迷いが生じていたのは事実。取材を続けている中で、今年3月に裁決が出た後は気持ちが揺れ動いているように見えた。その点について聞いた。
「それ(迷い)は確かにありました。裁決が出た時にはショックでした。できる限りの戦いをしてきたけれども、出てきた裁決書を見ると『何じゃ、これは』と。『こんなことだと裁判をやってもダメなんじゃないかな』という気持ちは3月の時点ではありました。『ここでやめれば楽なのかな』とか、『お金もかかるしな』とか、葛藤はありました。」
筆者も取材を続ける中、(鈴木氏はもしかしたら提訴しないのではないか)と感じる時はあった。裁決が出て1、2週間後だったと思うが、そうした様子が見てとれたので電話で「僕がホームページで連載をやっているから戦いをやめにくい、やめるにやめられない、迷いの原因になっているというのであれば、全く気にすることはありません。ご自身の考える通りに生きてください」と率直に伝えた。その時、鈴木氏は「わかりました」とだけ答えたが、その後、弁護士選びを始め、提訴に向けて動き出したという経緯がある。
◾️正面からぶつかっていく
鈴木氏も今年で59歳。人生の折り返し点は過ぎ、ある程度、先が見えてくる年齢でもある。勝てるかどうか分からない戦いを続けるよりも、別のことに生きがいを見出す方がいいという現実的な計算をしても不思議はない。半世紀以上生きていれば、辛いことがあっても、そこから目を背け『自分はこのことをもう乗り越えたんだ』と自分に言い聞かせる術はほとんどの人が身につけているはず。そうした方が鈴木氏にとっても楽だったかもしれない。しかし、その道は選ばなかった。
「多くの弁護士さんがおっしゃってましたけど、途中でやめる人が多いらしいです。圧倒的とは言わないけれども、途中でやめる人の方が多いとか。お金の問題もありますし、裁判は気持ちと体力が必要ですから」と言いつつも、「別の道で成功して世間を見返してやるというよりも、正面からぶつかっていくしかありません」と、司法の場に臨むことを決めた経緯を口にする。
「61歳、62歳まで続けた時に『僕は何をやっているんだろう』と途中で思ってしまったら、僕の負けです。始めるなら絶対に勝つぞ、という思いです。やってもいないことを、世間から『いや、お前はやってる』と決めつけられた状態のままというのは絶対に納得できません。そして、62歳、63歳になった時に『間違いをたださなくても、僕は次の人生を歩むんだ』と思えるかと言われたらどうでしょうか。悪い病気になったけど、もう治ったからいいや、とはなりません。」
◾️決着までに2、3年か
こうして鈴木氏は提訴に踏み切った。一審で勝訴しても札幌市が控訴してくる事態は考えられ、一般的に考えて決着までに2、3年はかかることになりそう。長い戦いの第2章は今、始まったところである。
その裁判のポイントについては後編で詳細に。
(後編に続く)