免職の元教師法廷へ「絶対に納得できない」(後)

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 2021年に身に覚えのない性的加害を理由に免職された札幌市の元教師の処分取消しの訴えに関する連載の後編をお伝えする。この裁判のポイントは、教え子だった当時の中学生が本当に性的被害を受けたか否かという点に尽きる。札幌市人事委員会に申し立てた審査請求は行政手続きの適否にポイントが置かれたのとは異なり、裁判では事件は元生徒の申し立ての真実性が最大の争点となる。(事件の詳細は連載・免職教師の叫び全39回を参照)

◾️実体と手続きの関係 

筆者とともに実地調査で訪れた塩谷丸山頂上付近に立つ鈴木浩氏(撮影・松田隆)

 免職された鈴木浩氏(59=仮名)が処分の取消しを求めた審査請求も、今回の処分の取消しを求める訴訟も、免職処分が違法・不当なものであるから取り消しなさいという趣旨という点では共通している。しかし、争点の中心は異なる。

 審査請求とは「行政庁の処分・不作為について、審査庁…に対してする不服申し立て」(行政法第5版 櫻井敬子 橋本博之 弘文堂 p234)のこと。鈴木氏側の主張の中心は、免職処分をした札幌市教育委員会の行政上の手続きに瑕疵があるという点に力点が置かれていた。具体的な争点は5つ。

(1)わいせつな行為はあったのか

(2)処分の手続きは適切か

(3)処分は信義則に違反しないか

(4)懲戒処分制度の趣旨と異なる目的や動機、意図で科されたか

(5)処分量定は妥当か

 (1)は本当にわいせつ行為が行われたか否かが問題となるが、裁決は司法ではなく、札幌市人事委員会という行政機関が実施するから、司法の場で出された結論が判決理由中の判断でも、それを間違いと踏み込むことは考えにくい。そもそも審査請求は「裁判所若しくは裁判官の裁判により、又は裁判の執行としてされる処分」は適用除外とされている(行政不服審査法7条1項2号)。

 司法で出された結論をひっくり返すことはせずに、あくまでも司法の結論に基づく処分の適否を判断するという性質の制度と思っていい。実際、居酒屋で被害を訴えていた写真家の石田郁子氏と面談した時に鈴木氏が相手の話に積極的に合わせていることなどから真実と推認できると簡単に退けられてしまったのは、上述の事情とは無関係とは思えない。

 (2)~(5)が行政庁の手続きの問題であるが、裁決書を読む限り、審査請求ではこちらが中心に争われたように見える。この点は手続きに瑕疵はないという結論で棄却裁決となった。

 今回、司法の場では(1)が争われる。請求原因事実の一部を紹介する。

 「真実に反した全く虚偽の行為を原告が行ったとする旨の原処分を取り消さなければ、教諭の職を回復できないし重大な人格的利益侵害の回復もない。」

 「上記『わいせつ行為』は被害者と称する者(筆者註・石田郁子氏)の作り話であって、その実体(わいせつ行為の存在)がない。原処分(免職)が実体のない虚偽事実をあたかも存在するとして原処分を行ったことが違法であることは明らかである。」

 当サイトはこれまで、39回の連載を公開し、裁決が出された後も鈴木浩氏の戦いを追ってきたが、その中心は(1)の石田郁子氏のいうわいせつ行為が存在したのか否かである。これまで明らかにした数々の事実から、当サイトではそのようなわいせつ行為を直接証明する客観的な証拠は存在せず、逆に存在が証明できないわいせつ行為をあったとするために、虚偽の証拠が作出されている事実が存在するという結論を出している(参考・免職教師の叫び(38)もはや茶番「山頂の口淫」ほか)。

◾️審査請求の”まどろっこしさ”

 審査請求で処分の不当性・違法性を主張し続けた鈴木氏は、審査請求の制度そのものに不信感を抱いているようである。石田氏の狂言で免職されたという主張をしている鈴木氏にすれば、行政手続きの瑕疵をあれこれ審査するよりも、「そもそも、そんなこと、やってませんから」と言いたくなるのは当然であろう。その点について聞いてみた。

ーー審査請求は少しまどろっこしいなと感じませんでしたか

鈴木:確かにまどろっこしいですし、時間はかかるし、なおかつ、同じ内輪の人々によって裁決が決まります。市教委と人事委員会では、人事異動で行き来があります。しょせんは、どちらも札幌市という行政の一機関です。

ーー審査請求の時は隔靴掻痒の部分があったのではないでしょうか、私自身、そちら(鈴木氏側)の主張からすれば「相手の女が嘘を言ってるんでしょ?」という状況なのに、札幌市はそれに基づく処分の手続きの適正さについてばかり議論しているので、(何か本線からズレてるよなぁ)という印象を持っていました

鈴木:さまざまな法律や条例に照らし合わせると市教委のやってることは問題はないと、こちらからすれば狐につままれるような不思議な論理で裁決がなされました。(人事委員会は)いろいろなことから逃げていた印象です。たとえば、オコタンペ湖で撮影されたとする写真は合成されたものだと主張しましたが(参照・免職教師の叫び(19)影なき闇の不在証明)、そのことはまるでなかったかのように裁決では触れられていません。市教委の判断に不都合なものには全く触れず、市教委が主張するものは全部認めています。

ーーオコタンペ湖の写真が撮影された日は全道が終日曇りか雨だったことも分かり、それだけでも写真の真実性はないはずですが

鈴木:オコタンペ湖の写真はおかしいとか、そんな写真をもとに処分を決めたのは間違いだとか、そういったことは何もないですから。こちらから主張したことは全部無視しています。こういう結果になると人事委員会も行政機関の1つであるということを思わずにはいられません。全国的に見れば審査請求で免職処分が取り消された例もありますから、日本全国の人事委員会が不当だとは思いません。ただ、札幌市の人事委員会(の今回の裁決)は不当です。

 オコタンペ湖の写真が合成されたものであることに関しては当サイトが最初に指摘し、審査請求の中でその点は請求人の側から主張されることとなった。人事委員会としては(仮に写真が合成されたものであったとしても、そのことが直ちにわいせつな行為がなかったことの証明となるわけではない)という判断であったと思われる。

 行政上の処分は刑事事件とは異なる。「疑わしきは罰せず」の原則は刑事事件ほど厳格には守られない。そこに鈴木氏のいう「冤罪」の余地が生じる。

◾️正しいことが正しいと認められる世の中

オコタンペ湖で撮影したとされる写真と、それを再現した3D画像(上はフジテレビ画面から、下は松田隆制作)

  本件の審査請求に関していえば、もう1つ大きな問題があった。人事委員会が免職処分を取消した場合でも、鈴木氏の名誉は回復されない可能性があったことである。つまり、「わいせつな行為はあったが、処分する際の手続きに問題があったから免職処分を取消す」という裁決がなされた場合、鈴木氏は「ワイセツ教員」の汚名が着せられたまま、(あれこれ文句をつけて、また職場に戻ってきた)という評価が定着してしまう。まさに”試合に勝って勝負に負ける”パターン。

 この点は鈴木氏も「仮に勝つとしても、勝ち方が問題です。ワイセツな行為をしたけど、復職を認めるという裁決では納得できません」という趣旨の話は繰り返ししていた。

 求めるのはあくまでも「ワイセツな行為はしていない」「人様に後ろ指を指されるようなことはしていないから、免職される覚えはない」という事実の認定に基づく処分の取消しである。それを正面から争えるのが法廷である。

 ネットではワイセツ教員と非難され、経済的にも楽ではない。免職以後、人生が暗転してしまった鈴木氏ではあるが、厳しい状況の中でも応援を続けてくれる友人は少なくない。ある友人はこう言ったという。

 「正しいことが正しいと認められる世の中でなければいけないよね。」

 こうした言葉が今の鈴木氏には力になっているという。

(おわり)

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