1972年浅間山荘事件が原点、高2の夏の思い出
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
最新記事 by 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 (全て見る)
- 教育長”失脚”で訴訟離脱 免職された教師の思い - 2024年9月4日
- トーチュウ休刊へ ”金欠紙面”断末魔の呻き声 - 2024年9月2日
- 難航する分娩費用の保険化 第3回検討会 - 2024年8月25日
特に趣味のない僕だが、あえて言えば「昔の事件現場に行くこと」だろうか。…われながら情けない趣味だと思うが。
このブログでも三億円事件の現場に行ったことを書いたが、そういう場所に行くと当事者が何を考えていたのかなとか、当時はどんな感じだったのだろうと思いにふけるのが楽しい。
こんな趣味を本格的に始めたのが高校2年の時。当時、浅間山荘事件(1972年、普通はあさま山荘とするようだが、朝日新聞の当時の表記が僕にはしっくりくる)から数年後のことで、まだ記憶に新しい時期だった。
自分が小学生の時にテレビで見ていた大事件を新聞の縮刷版などで調べているうちに、どうにも行きたくなり、高2の夏休みに軽井沢まで出かけていった。
当時はまだ人質になった女性のだんなさんが管理人で、アポなしで訪れた僕に「ウチは見世物じゃないから」と冷たい一言。当然だろうね(笑)。僕も最初からそうなるとだろうと思っていたし「分かりました」と言って、外観写真を撮らせてもらって帰ろうとすると「君はウチを見るために埼玉から来たのか?」と聞かれた。「はい、そうです」と答えると、「しょうがないなあ。じゃあ、犯人が最後に隠れていた部屋だけ見せてやるよ」と言って中に入れてくれた。
うれしかったなあ。犯人が顔を出したバルコニーも入れてもらった。そのうち、写真をアップします。
管理人さん、今もお元気かな。翌年、年賀状を出したら返事をいただいて、無茶苦茶嬉しかったのを覚えている。怖そうに見えるけど、優しい方だった。
管理人さんのおかげで今の僕があるような…。あらためて「あの時はありがとうございました」と申し上げます。