薄給ライターの生きる道 活字版YouTuber
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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新聞・雑誌など紙媒体の衰退に伴い、ライターという仕事も存続が難しくなっている。活躍の場であった媒体が勢いをなくし、新興のネット媒体には”ライターのような人たち”が跋扈し、従来からのライターは出番を失っている状態。これからの時代、生きていく道はあるかを探ってみた。
■ライターだけで食べていけるのか
先日、ライター仲間からメールをいただいたが、その中に(これからの時代、ライターだけで食べていくのは難しい)という趣旨の話があった。僕にとっても切実な問題であるし、実感として分かる。
ライター業が難しくなっている最大の原因の1つに、紙媒体の衰退がある。ライターが糧を得ようとすれば、まず、新聞や雑誌に売り込む。そこで名前を売り、専門とするテーマに関して出版し、プロフィールに著書を書いて社会から認知され、さらに媒体での露出を増やすというのが典型的な成功パターン。
ところが、売り込むべき紙媒体の売り上げが年々落ち、ライターの活躍の場も徐々に減っている。数少ない場は従来の名前のあるライターや文化人が占め、新参者はよほどのプラスαがない限り、食い込むのは難しい。
月刊Hanadaや月刊Willなどの保守系のオピニオン雑誌を見れば分かるが、表紙には大々的に執筆者の名前が出されている。これはライターの名前で読者を誘引する手段と見ていい。無名のライターばかり起用していては雑誌は売れないという編集部の判断が根底にあるのは間違いない。
■紙媒体とネットの原稿料
こうして紙媒体へのハードルが高くなる中、インターネットではライターの書く場が多く提供されている。それなら、ライターは活躍の場をネットに変えればいいではないかという考えも成立しそうである。
しかし、ことはそれほど単純ではない。ネットは新聞や雑誌に比較すれば初期投資が少なくて済むが、その分、収益をあげるのは難しい。ネット広告に頼るしかないのが現状で、課金制にしたらよほど魅力のあるライター以外は見向きもされない。
そのため、ライターに支払われる原稿料は極端に低くなる。僕が新聞記者の頃、雑誌に寄稿していた時期(1990年代)があったが、原稿用紙1枚(400字)5,000円が相場であった。自分の名前で読者を呼び込める大御所以外、今でもその程度である。
これがネットになると2,000文字書いて1万円(原稿用紙1枚あたり2,500円)あたりは珍しくなく、2万円貰えれば「高いな」と感じるレベルである。仕事がないよりはマシと考えて書いてもいいのだが「それより安い値段でもいいから書きます」というライターが出てくる。サイト運営者にすれば、原稿の質よりも時事に敏感で、話題になっているネタに素早く反応して書いてくれる人の方が結果的にアクセスが稼げるために利用価値が高い。しかも安い原稿料でも請け負ってくれるから、費用対効果でも従来のライターを遥かに上回る。その結果、”ライターのような人たち”と言うしかない、基本的な知識すらもたないライターが幅を利かせることになる。
例として出すのは申し訳ないが、伊藤詩織氏の訴訟に関して犯罪の構成要件についての基本的な知識がないまま記事を書いたと思われるライターなどは、紙媒体だけの時代には存在することは難しかったと思う(参照・伊藤詩織氏擁護派の「無知の極み」記事)。
■ネットの言論空間の不条理さ
ネットの言論空間は不条理な世界である。記事のクオリティより出稿のタイミング、常識的な主張より極端な主張、論理より感情を優先するよライターが重宝される。僕は自分を良貨と自称する気など毛頭ないが、現実は「Bad money drives out good.」の世界である。
もちろん、それを批判するつもりなどない。サイト運営者が求める原稿を出す”ライターのような人たち”が時宜にかなっているということであり、その結果、サイト運営に支障をきたしたら、それはサイト運営者が責任を取るだけの話である。
新聞や雑誌を発行するコストは高い。さらに、読者がお金を払って買い求め、じっくり読まれるという媒体の特質から”ライターのような人たち”を起用し、頓珍漢なことを書かれたら媒体そのものの信頼性が大きく揺らいでしまうため、名前のある実績あるライター起用にベクトルが向く。
一方、ネットは基本無料で、サッとでも読んでもらえれば広告料が稼げる。無名のライターでも印象の強いタイトルを出せる内容の記事を書いてくれれば、内容が空虚でもアクセスが期待でき、アクセスがあれば利益は出る。
■活字版YouTuberの未来
以上の点から、僕の友人が(これからの時代、ライターだけで食べていくのは難しい)と書いてきたことは、業界の持つ構造上の問題であることが分かっていただけると思う。
それでは、これからの時代、ライターはどうすればいいのか。一つの方法はライターが自分で媒体を持つことである。原稿料は入らないが広告料は直接、自分の収益となる。中身のない記事を書いていれば見向きもされなくなるリスクは負うが、内容に自信があれば読者を増やすことができる。活字版YouTuberのようなものである。
ここまで書けばお分かりであろうが、令和電子瓦版はそういう趣旨で始めた。書きたいことを書く、自分の主張を世に広める、そして新しいライターとしての存在の仕方を求めるということである。
今年、月刊Hanadaの花田紀凱編集長と話をする機会に恵まれた。花田氏は紙媒体の難しさについて「あるライターは、『これからはネットでしか書かない』と宣言した。そういう時代なのかと思った」という趣旨の話をされた。その上で、真意なのか分からないが「松田さん、紙にも書いてくださいよ」と言われた。
もちろん、依頼があれば書く気はあるが、自分で媒体を持っていると他の媒体で書こうという意欲は薄れる。雑誌からの原稿の依頼があれば、それはそれで光栄であるが、「自分の媒体を世間に知らしめるきっかけになれば」という思いも少なくない。花田編集長は、そうした点を無名のライターの話の中から感じ取ったのかもしれない。さすが日本でも最も有名な編集者、紙媒体としての危機感をもって仕事をされているとの思いを強く印象づけられた。
■媒体にとっての革命
素人だけでなく、芸能人やスポーツ選手なども続々とYouTuberとなって、自己表現をしている。既存の媒体はそれらと戦っていかなければならないわけで、従来からの媒体の未来は決して明るいものではなく、社会における存在感の重要性は低下していくことが予想される。
これは媒体にとって革命であり、ライターの世界でもこのYouTuber方式は広まっていくと考えている。当サイトがその先駆けとなれればという思いで、来年以降も運営していく。
来年1年も頑張って皆様に多くの記事をお届けしていこうと思う。
1年間、お世話になりました。
皆様、よい年をお迎えください。
こうした動画サイトが。YouTube一強というのも、、アルファベット社(Google LLCなどを保有する、いわゆるGAFA の一角「G」)によるメディア独占のおそれをかんじます。電子決済が、現状クレジットカードなど信販企業のネットワークに多くを依存せねばならない現状も、むしろ寡占企業への富の集中をもたらす現状で、やや不安でもあります。ともあれ、ウェブサイトウェブブログや動画サイトや発信される内容自体は、それこそ発信者の数だけ多様に富むものとなってきており、多くの学びが得られやすくなっています。
〉月刊Hanadaの花田紀凱編集長と話をする機会に恵まれた。ーー真意なのか分からないが「松田さん、紙にも書いてくださいよ」と言われた。
私もお願いしたいです。
Hanadaの表紙に松田さんのお名前が出るのを心待ちにしています。Hanadaは伊藤詩織事件の情報を得る為、数回読んだだけですが、執筆者は同じ人ばかりのような気がします。
仰るように、執筆者の名前が呼び込みになるのでしょうね。私は、松田隆のお名前も強力な呼び込みに繋がると思っています。
紙もそうですが、テレビの討論番組等々への出演を想像すると更にワクワクします。
私は、八代なんとかという国際弁護士の方が気に入っているのですが、松田さんも八代弁護士のようにキレッキレッの回答するんだろうな~とこれまたワクワクしてしまいます。
実現するかは別としても、想像するのは楽しいですね。夢は見るためにあるんですもの。
25日には、伊藤事件の判決も出ます。
この事件についての松田さんの記事も高く評価されるはずです。
ご苦労が報われますね。
記事の更新を楽しみにしております。
かしこ。