月刊Hanadaとは「もう関わりたくない」

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 保守系の雑誌である月刊Hanadaの花田紀凱氏が、ジャーナリストの山口敬之氏と原稿の掲載をめぐってネット上で意見をぶつけ合っている。同誌3月号に掲載予定だった山口氏の連載を掲載しなかったこと、その経緯を巡って両者の意見が対立。実は筆者(松田隆)も月刊Hanadaとは一悶着あって原稿を引き上げたことがあり、今回のようなことは十分に発生し得ると思っていた。

◾️山口敬之氏の連載が未掲載

花田紀凱氏(同氏のYouTubeチャンネル画面から)

 ジャーナリストの山口敬之氏は月刊Hanadaの常連のライターであり、安倍晋三元首相の暗殺に関して連載を続けている。ところが3月号に掲載予定だった第7回の掲載がなく、山口氏は自身のニコ生の番組の中で、その経緯を説明していた。

 これに対して月刊Hanadaの花田紀凱氏は「山口敬之さんは自らの番組その他であれこれ発言していますが、事実と異なる点が多々あるので、以下、経過を説明します。」(月刊Hanada プラス・山口敬之さんの連載『安倍暗殺の謎 第7回』を3月号に掲載しなかった理由を説明します|花田紀凱)として、長文を掲載している。

 同氏は連載を掲載しなかった理由を「引用が非常に多い」「その引用も精密さを欠く」としている。山口氏としては月刊誌の連載が掲載されないということはライターとしての信頼に関わるだけに避けたいのは当然のこと。両者の言い分を外部から聞いただけでは真相はどうで、どちらにより負うべき責任があるのかは一概に言えない。

 ただ、花田氏の言い分を読むと疑問に感じる部分は少なくない。

 まず、山口氏から出稿があり、すぐに「ゲラ」を作って山口氏に送りOKをとっている。ゲラというのは新聞社でも用いるが、実際の誌(紙)面を事前に刷るもので、ライターから受け取った原稿を雑誌(新聞)の体裁に組んだものを指す。ゲラは誤字・脱字等を修正する程度で、ほとんどの場合そのまま誌(紙)面となる。

 ライターがゲラにOKを出したということは、通常、(これで掲載して結構です)という承諾を与えたことを意味する。編集部としては(これで掲載していいですか?)という前提でライターに聞いていると、おそらくほとんどの書き手は判断する。

 それをゲラが出来てから「引用が多い」などと言って、内容についてライターと話をする手順は明らかにおかしい。締切直前であっても、ゲラにする前に指摘してリライトしてもらうのが筋で入稿当日にゲラが刷り上がっているのであるから時間的余裕はあったはず。

 そもそも入稿時点で引用が多いことは編集者なら花田氏でなくても理解できる。「本文350行中、直接引用は132行、引用解説は107行」(同)というのが気に入らないのであれば、引用を大幅に削ってリライトすることになり、ほとんど全面書き直しである。それをゲラを刷る前に指摘しても再入稿は間に合わないと判断し、その時点で掲載しないことを決め、とりあえずゲラを刷ることで編集部に掲載意思があるというアリバイ作りをしたのではないか。花田氏の説明を読むと、そう感じるライターは少なくないと思う。

◾️筆者と月刊Hanadaとの関わり

 こうした月刊Hanadaのやり方は、ライターとすればどの時点で掲載が正式に決まるのか分からないから非常に困る。これがライター1人で完結している場合ならまだしも、取材対象がいた場合には、その相手にもいつ掲載になるか説明できずライターとしての信頼に関わる。

 そうしたことを月刊Hanadaの編集部はほとんど考慮していないようであり、筆者も非常に痛い目に遭っている。

 筆者と月刊Hanadaとの関わりは3年前に遡る。2021年2月6、7日に「伊藤詩織さんへ強姦致傷被害者から」という2回の連載を当サイト上で行った。それが編集者の目に留まったのか、それをそのまま掲載したいという申し出があった。こちらとしては原稿を使い回しできるのであるから、ありがたい話ではある。ただし、当サイトの読者は、雑誌に全く同じ原稿が出ているのを見るとがっかりするであろうから、そこは2本の連載をまとめて大幅に書き換えて提出した。

 3月30日に原稿を提出したが掲載されないまま時が流れ、5月25日になって「原稿ですが、掲載はまだ先になりそうです。」という返信を最後に、結局、掲載されずに終わった。正直、(月刊Hanadaってこういう仕事の仕方をするの?)とがっかりしたのを覚えている。

◾️元防衛大臣に取材

防衛省(撮影・松田隆)

 次に接点があったのが2022年11月20日。この時は筆者から同じ担当者に企画を持ち込んだ。非核三原則についての記事で、現行の三原則の遵守が本当に日本の国防上いいことなのかを問う内容。元防衛大臣に取材してコメントを入れ、記事に厚みを出すというものであった。

 企画書を出すなど何度か連絡をとり、11月25日に「12月2日までに8000文字で提出を」というメールを受け取った。元防衛大臣の取材が12月7日に設定されたので、12月3日に元防衛大臣のコメントを空白にした原稿を提出。7日に取材し、8日に空白の部分を取材の中から埋め、元防衛大臣にコメントのチェックをしていただき、8日夕に最終原稿を提出した。

 この時点で最新号への掲載は難しいと思っていたが、案の定、11日になって最新号への掲載は見合わせるという連絡が入った。掲載できないのは記事のバランスの関係で、内容は悪くなかったという。どういった理由にせよ掲載されなくなったため、筆者から元防衛大臣に「申し訳ありませんが、今号での掲載は見送られました」と伝え、謝罪した。元防衛大臣も忙しい中、こちらの締切日程を考慮してコメントのチェックに協力していただいたので、ライターとしては非常に申し訳ない思いであった。

 年が明けてからは「早くゲラを送ってください」というメールを出したが、「原稿を再度、編集長が読む段取りになっている」とのことで、なかなか送ってこない。そもそも前年末には「ゲラは年明けになります」と言っていたので、いつの間にか後退している点に不信感を抱かずにはいられなかった。

 年明けの2023年1月17日、ゲラが送られないまま編集者から台割りが決まり、次号への掲載が見送られたというメールが届いた。謝罪の言葉とともに、弊誌が多くの著者に迷惑をかけているという趣旨の内容であった。また、新たに、ウェブであれば早めに掲載できるという提案がされていた。要は誌面ではもう掲載する気がないということに読めるし、実際、そうなのであろう。

 こちらとしては、もう一度、元防衛大臣に連絡して「すみませんが、掲載が見送られました」と報告して、謝罪しないといけない。そして、「ウェブなら掲載しますと言っていますが」と新たな提案をすることになる。

 ーーそんなことができるはずない。掲載すると言って何度も直前でひっくり返されてきたのであるから、今回も「やっぱりウェブでの掲載も見送らせていただきます」と言われる可能性は否定できない。合計3回「今回は掲載されませんでした」と取材対象に言うライターを誰が信じてくれるというのか。

◾️迷惑をかけている認識があるなら

 こちらとしてはウェブなら絶対に掲載すると確約が取れたら、元防衛大臣に話をするというところがギリギリの譲歩、着地点である。その確約も編集担当ではなく、責任者の確約でないとまたひっくり返されかねない。その点を聞くと「お約束してWEBで配信しなかったことはございません。」という返事。過去の配信実績ではなく、編集長が今回、必ず配信しますという確約を求めているのに、この返答である。

 やむなく、ほぼ最後通牒と言っていい内容を伝えた。

 「私に希望(筆者註・ウェブでの掲載を望むか)を聞くということであれば、まず、今回は必ず雑誌に掲載する、もしくはwebで公開するという言質を、責任者(筆者註・花田紀凱氏)の言葉として与えてください。交渉はその後です。もし、それができないなら、原稿を引き上げます。私の希望を聞かないと編集長と相談できないということであるなら、相談はご無用です。原稿を引き上げます。」

 これに対して、編集者からの回答は「必ずウェブで配信することは約束できる」というものであったが、あくまでも編集者からの回答で、こちらが求めた責任者の担保は得られなかった。この時点で交渉を打ち切り、原稿を引き上げたというのが経緯である。

 多少なりとも関わりのあった編集者だけに、最後に社会人の先輩としてあえて苦言を呈した。憎まれ役になっても、編集者が何か思うところがあれば今後の彼の人生に役立つのではないかと思ったからである。

 「○○様(編集者)もおっしゃったように『多くの著者にご迷惑をおかけしております』という状況であれば、迷惑をかけないようなやり方をされたらいかがでしょうか。非常に厳しい言い方になりますが、他人への迷惑や他人の犠牲の上に成り立つビジネスはいずれ、破綻すると思います。失礼なことを書き連ねましたが、厳しいことを申し上げるのも、ここまでお世話になったことへのせめてものお礼と思っていただければ幸いです。」

◾️起こるべくして起きた

写真はイメージ

 この後、花田編集長にメールを出し、原稿を引き上げたことを伝えた。ライターが出版社から原稿を引き上げるということは、もうその会社とは二度と縁がなくなることを意味する。フリーのライターとしては避けたいことではあるが、正直、もう月刊Hanadaとは関わりたくないという気持ちであった。それは今でも変わらない。

 同業他社の人と話をしたが、業界内でも月刊Hanadaのやり方には批判の声が強いという。「出版する2倍、3倍の量の原稿を集め、その中から気に入ったものをピックアップしていく。雑誌が勢いのあった昔ならともかく、今はそんなやり方が通用する時代ではない。」と半ば呆れたように話していた。

 おそらく、月刊Hanadaでは筆者のような問題は数多く発生しているのであろう。いずれ、おおごとになるのではないかと思っていたら、同誌のエース格の山口氏との騒動である。「起こるべくして起きた」というのが正直な感想である。花田氏が変わらなければ、同じ問題は発生すると思う。

 最後に筆者が原稿を引き上げた後、花田氏に送ったメールの一部を示す。

 「花田様をはじめ、皆様には大変お世話になりましたが、その間、一度も貴誌の力になれなかった私自身の力量不足、そして、皆様に余分な負荷をおかけしてしまったことを心苦しく思っております。その点、お詫び申し上げます。これまでのご厚情に感謝申し上げるとともに、今後の貴誌のますますのご発展をお祈りいたします。」

 花田編集長から返事はなかった。

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