川崎市ヘイト禁止条例 表現の自由の危機

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 川崎市で7月12日に、政治団体による街頭宣伝があり、市職員が違法な発言をないかを監視したと、産経新聞電子版が伝えている。日本で初めてヘイトスピーチに刑事罰を科す条例を制定したが、行政が政治活動をする人々の発言を監視することに、川崎市民は違和感を覚えないのか不思議に思う。

■川崎市条例と治安警察法 何が違うのか

NHKの画面等から

 報道によると日本第一党の関係者らでつくる団体の約20人がJR川崎駅前で約2時間にわたって交代で演説。警察が鉄柵で囲い、その外側から抗議する団体が声をあげ、複数の市職員がメモを取りながら監視したという(産経新聞電子版:条例違反ヘイトを監視 川崎市、施行後初の街宣から)。

 「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」が7月1日から施行されたことに伴い、ヘイトスピーチがあれば同条例の14条1項による市長による同一理由差別的言動を行わない旨の命令、それに従わなければ23条の罰金という手続きに進むのであろう。

 ヘイトスピーチが許されざるものであることには異論はないが、政治的信条に従って発言する人々の声を行政がチェックし、発言内容が違法であれば罰金を科すというのは、戦前の言論統制を思わされる。

【治安警察法第10条】

集会ニ於ケル講談論議ニシテ前条ノ規定ニ違背シ其ノ他安寧秩序ヲ紊シ若ハ風俗ヲ害スルノ虞アリト認ムル場合ニ於テハ警察官ハ其ノ人ノ講談論議ヲ中止スルコトヲ得

 川崎市の条例では市職員が発言を中止させることはできないが、罰則規定を設けているのであるから、強制的に発言内容を制限できるのに等しい。

■ヘイトスピーチは表現の自由の保護の範囲外

 もちろん、表現の自由にも自ずと制約がある。他者の名誉を傷つける表現は認められるわけがないし、一方的な外国人排斥の発言が表現の自由の範囲内かと言われると、それは範囲外と判断すべきであろう。

 それならば、在日外国人による「日本人を殺せ」「日本人をたたき出せ」といスピーチも表現の自由として保護の範囲外なのは当然であろう。川崎市の条例が、外国人による日本人に対するヘイトスピーチを罰則の対象としないのは論理的に整合性が取れない。

 川崎市の条例が外国人による日本人のヘイトスピーチを罰則の対象としなかった理由は簡単である。ヘイトスピーチ解消法の枠からはみ出すと、違憲の可能性があるから。条例は法律の趣旨とする部分を超えて規制をすることができない。徳島市公安条例事件の判決(最高裁昭和50年9月10日)では、条例が国の法令に違反するかどうかは「両者の対象事項と規定文言を対比するのみでなく、それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較し、両者の間に矛盾抵触があるかどうか」によって決しなければならないとされている。

 ヘイトスピーチ解消法が「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消が喫緊の課題であることに鑑み、その解消に向けた取組について、基本理念を定め」たもの(同法1条)であるため、その逆の場合も条例が規制の対象とするのは法の趣旨、目的からはみ出てしまうと、川崎市は考えたのであろう。

■川崎市の条例・表現の自由の危機

 本来、ヘイトスピーチ解消法がそこまで踏み込んで規制をすれば話は簡単だったのだが、表現の自由への制約となることをおそれ、通常のヘイトスピーチだけを規制したものと思われる。

 先日の都知事選では後藤輝樹候補が政見放送で男性器・女性器の名を叫び、そのまま放送されている。これは公職選挙法150条3項の「日本放送協会…は、その政見を録音し又は録画し、これをそのまま放送しなければならない。」という規定によるものである。

 表現の自由を考えた時に、川崎市の職員の行為と、後藤輝樹候補の政見放送の2つの事情を合理的に説明できるかと言われると、僕は自信はない。

 発言をいちいちチェックしている川崎市の職員に表現の自由についてどう考えているのか、是非とも聞いてみたい。法の趣旨からはみ出た条例が制定できない以上、事実上日本人だけを罰則の対象とする片務的な規定は即刻廃止すべきであろう。これは表現の自由の危機であると思う。

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