三浦瑠麗氏へ「国際政治は損得ではない」
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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2022年冬季五輪北京大会への外交ボイコットが広がっている。新疆ウイグル自治区でのジェノサイド、人権侵害を理由に米国が12月6日(日本時間7日)に公式使節団を派遣しないことを発表。これに豪州・英国・カナダが続いた。一方、日本は様子見を決め込んでおり、国際政治学者の三浦瑠麗氏が米国の行動を批判するなど、官民そろって腰の引けた対応や考えが目立つ。
■米に続き豪・英・加も外交ボイコット
米国に続いて豪・英・加が8日に外交ボイコットを表明。ニュージーランドはその1日前に主な理由は新型コロナウイルスとしながらも閣僚を派遣しないことを明らかにしている。
外交ボイコットについてホワイトハウスのジェン・サキ報道官は「中国が新疆でひどい人権侵害と残虐行為を実施しているのに、アメリカの外交や政府の代表は何事もなかったかのように今度の大会に対応するなど」、「そんなことは決してできない」と理由を説明した(BBC・アメリカ、北京五輪を外交ボイコット 政府代表団は送らず)。
このように自由主義陣営の中で外交ボイコットが広がる中、日本は旗幟を鮮明にしていない。米国の発表後の7日、岸田首相は「オリンピックの意義ですとか、わが国の外交にとっての意義等を総合的に勘案し、国益の観点から自ら判断していきたいと思っています。これがわが国の基本的な姿勢であります。」と述べた(FNNプライムオンライン・【速報】日本の対応「国益の観点から自ら判断」 米の外交的ボイコット)。
■総理の言う「国益」とは
総理の話の中でよく分からないのは「国益の観点から」判断すると話したことである。一般的に「国益」という言葉は政治的・経済的、特に経済的な側面を主張する際に使用されることが多い。
総理の話を普通に解釈すれば、外交ボイコットをすれば、中国が対抗措置を取る可能性があり、それによって国民生活に悪影響が及びかねないことを心配し、そのような点を重視して決めるというようなものであろう。
国益を重視するのは政治家として当然のこととはいえ、国益のために人権という普遍的な価値が毀損されていることに対して目を瞑っていていいのかという疑問は残る。
日本が外交ボイコットをしたことで、中国が対抗措置として中国の日本企業に対する締め付けを行ったり、中国国民の間で日本製品ボイコットが始まったり、日本企業の活動が停滞することも考えられる。
そのことで日本経済にも影響があるかもしれない。そうならないように米国の外交ボイコットには追随せず、日本は閣僚を派遣し、中国の人権状況について口を閉ざし、上記の狭い意味での国益は守るという考えを岸田首相がしているとしたら残念と言うしかない。
■踏み絵を迫られる日本
米英豪加が外交ボイコットを表明した今、損得ではなく、自由や人権という普遍的な価値観を守る覚悟があるのか、日本は踏み絵を迫られている状況と言っていい。筋を通すことが求められており、筋の通し方は以下の2点のいずれかであろう。
(1)五輪に政治を持ち込むべきではないとして、外交ボイコットはしない。
(2)中国の人権状況に抗議する意味で外交ボイコットをする。
国家としての理念が問われる状況で、狭い意味での国益が優先されることがあってはならない。その中で、五輪への政治介入はあってはならないとして(1)を選択する考えもあるかもしれない。
しかし、今回は1980年の夏季モスクワ大会の時のように選手を派遣しないという、政治がスポーツを直接縛るパターンではなく、あくまでも外交ボイコットにすぎない。
IOCのトーマス・バッハ会長も今回の件で「われわれは選手の五輪参加に関心があり、選手が参加して各国政府から支援を受けることを歓迎する。あとは政治の問題だ」(JIJI.COM・外交ボイコットは「政治の問題」 IOCバッハ会長、選手の参加を歓迎―北京五輪)と中立的な立場を強調している。総理の言う「オリンピックの意義」が、外交ボイコットによって踏み躙られるということはない。
そうなると、とるべき道は(2)しかない。中国と仲良くした方が何かと得だから新疆ウイグル自治区の状況には目を瞑って閣僚を派遣するということは、中国に対して誤ったメッセージを送ることになりかねない。安倍晋三元首相や自民党の高市早苗政調会長の主張は、まさにそこを意識したものと思われる。
■国際政治を損得だけで語るな
日本は普遍的な価値を重視する国であることを内外に示すことが国益に叶う。総理の言う国益に、その点も含まれていると信じたい。
国際政治学者の三浦瑠麗氏は7日、「めざまし8」(フジテレビ系)に出演し、中国政府は外交ボイコットによって考えを変えることはなく、外交ボイコットは効果的な策ではないとした(中日スポーツ・米国の北京五輪”外交ボイコット”を非難…三浦瑠麗さん「日本は米国に追随しないこと 自分の頭で考えて」)。
まさに狭い国益を考えての発言と思われるが、中国が外交ボイコット程度で考えを変えないことなど、おそらく日本中の人が分かっている。新疆ウイグル自治区の人権状況は、伝えられる限りでは人類への犯罪と言っていいレベルで、こうした状況に目を瞑り、口を閉ざせば、中国の行為を黙認することになる。そのようなことは決して許されず、民主主義国家であれば、その状況に異を唱えるのは当然である。正しいことを正しいと言えない国は、もはや独立国家と呼ぶに値しない。
三浦氏が「相手が言うことを聞かなそうだから、無駄な抗議はやめよう」と考えているのであれば、権利章典もしくはフランス革命以後の歴史をもう一度学び直した方がいい。損得だけで国際政治を語れば、国は道を誤る。
「無法者に文句言っても無駄だから言わない」と言うような態度は実に残念ですなあ。
三浦氏の発信はもはやほとんど見ていないが本当に残念な人である。
「国際政治学者」と言う肩書きを最初に名乗ったのは恐らく舛添要一氏だったと思うが、何をしている人なのか「ハイパーメディアクリエイター」並みによくわからない。
舛添氏の場合は「小池氏に文句を言うけれど、直接は責任を負えない時点で〆なのでしませんから、安全地帯で…」という前提で、まあ恨みつらみを言いまくる人に堕ちましたが。三浦瑠麗氏を含めても、タレント化している消耗品として食い潰される人だと分かって居るので。ご本人の行動を抑止する人が居ないまま持論と私見を自己発露する場に居れば。演じているんでしょう。立場を演じているんです。都合が良いですからね、使うメディアは自覚していますよ、と。真面目にしたらば負けです。
三浦瑠璃氏は外交的ボイコットにより中国は変わらない、米国追従だと主張する。
三浦氏が変わらないとするそれは一体何が変わらないのか?中国の政治体制か?
中国の体制をを変わらせるための外交的ボイコットではない。オリンピックにおける外交的ボイコットで変わるわけがない。
こんなことは誰しもわかることだ。
すると三浦氏は外交的ボイコットにて問題とされているジェノサイドが変わらないというのか、ならばジェノサイドを静観するのか、静観していろというのか。
外交的ボイコットは自由社会から全体主義国家へのアンチテーゼであり狭義にはジェノサイドに少なくとも対処できればの為である。
この女性は何者か。
外交的ボイコットは対中国のみならず日本国内に存在する、そして米国、世界、この世に巣くうファシスト共への宣戦布告だ。
何を守らねばならぬのか、それを国内外ともに明確する政治、国家としての表明であり行動であり、それは実社会に敷衍し波及する。
我が国は自由を価値とする国家であると、そして国民はそれを再確認し踏まえ、
ファシスト共に対峙し対決するのだ。
高市早苗氏は、総裁選前のNHK日曜討論において(立候補者達の討論)
まず国家の理念、そのあり方が重要であると主張した。
高市氏に刮目した。政治家がともすれば大衆迎合に流れる中、総裁選に出馬するに際し政治家として立脚する価値観、政治の大前提を明確に表明したのだ。
それすなわち自由社会を価値とする、自由社会を守るということであり血の歴史をもって培われた近代国家、自由社会を基礎基盤としての政治こそ政治であるということに他ならない。
今この自由社会がファシスト共の巧妙なる画策により亀裂が入ろうとしている。
いや亀裂はすでに入っている。
何としてもこの自由を守らねばならない。
三浦瑠璃なる人物は何者か、政治評論家?
よくは知らないが単なる芸能人に類する政治タレントにしか見えない。
その証左は自分が輪姦されたことを書籍にしたはず。公にした意味は何か、
政治評論家としての枠を超えての個人的自己顕示性を感じる。
だが伊藤詩織氏に先をこされ不発に終わった感がある。ブラックボックスほどには売れなかったのでは。
伊藤氏は三浦氏とは異なり少なくとも個人的問題を社会問題へと敷衍させている。
今回の発言は赦せない。
三浦氏の発言を自己に注目を寄せる炎上商法的政治タレントの戯言として位置づけてはならない(その理由は割愛)
ご返信は不要です。
外交ボイコットなら選手も犠牲になりませんし、そこまで反対する意味が分からない。