免職教師の叫び(12)CAN YOU CELEBRATE?
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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免職された札幌市の教師・鈴木浩氏(仮名)と、被害を受けたとする元教え子・石田郁子氏の共通の友人(女性)が取材に応じた。真っ向から対立する両者の意見について聞くと、「石田郁子さんは少なくとも2つの嘘を言っている」と証言した。
■鈴木・石田両氏の共通の友人
取材に応じたのは北海道在住の松永なおみ氏(仮名、57歳)で、鈴木浩氏の1学年上にあたる。80年代半ば、青年サークルで出会い、それ以来の友人で、さらに鈴木氏を通じて知り合った石田郁子氏とも親交があり、両者の交際していた状況を知る貴重な存在である。連載第3回妄想と現実の狭間で出てきた、2人の交際を知るB氏が松永氏である。
以下、同氏の話をもとに記述していく。
1997年夏から1998年秋頃にかけ、3~4か月に1度程度、鈴木氏の一軒家に集まり、窓を全開にして焼肉を楽しんだ。その時のメンバーは5人。鈴木氏と石田氏、そして連載第3回妄想と現実の狭間でも紹介したA氏(男性)、それに松永氏と、松永氏の夫である。「1回ぐらい、人が増えたことがあるかもしれませんが、基本的にはその5人です」と言う。
1997年夏、最初の焼肉の集まりを開催した時に、松永氏は鈴木氏から「僕の彼女」という形で石田氏を紹介された。
椅子に座ってテーブルを囲むが、その時の席は松永氏夫妻と、鈴木氏と石田氏が隣り合って座った。2組のカップルを含む場合の、ごく自然な並びである。この時、石田氏は北海道大学2年の20歳、残る4人は30代前半であった。松永氏の夫は「若い彼女で羨ましいなあ」と鈴木氏に冗談を言い(今ではセクハラの類かもしれないが)、鈴木・石田両氏は苦笑することが何度かあったそうである。
この焼肉の会は98年夏頃まで続き、「全部で3、4回やったはず」(松永氏)とする。
■CAN YOU CELEBRATE?の思い出
ここで石田氏の話である。石田氏の訴状やメディアへの取材に応えたところによると、中学・高校時代にわいせつな行為をされ、大学生になると性交もした。そして「1997年7月頃以降、原告(筆者註:石田郁子氏)に連絡をとらなくなった。」(訴状から)として、両者の関係が終わったとする。つまり1997年夏には関係が終わったとしているのである。
ところが、鈴木氏は1997年6月か7月に交際が始まり、1998年秋に終了したとする。
交際が終わったのは1997年7月(石田氏)か、1998年秋(鈴木氏)か。既に四分の一世紀近い時が流れており、どちらが真実を語っているのかを調べるのは容易ではない。しかし、松永氏は焼肉の会が行われたのは1997年夏から1998年夏にかけてであったことを覚えているという。
実は松永氏は当時、年末から正月にかけて入院している。正月だけ自宅に戻り、松の内があけたら病院に戻った。退院後も焼肉の会があり、その際に鈴木氏らから「まだ飲めないの?」と聞かれ「体調が戻るまで、もう少し待ってよ」と答えたそうである。
その入院の際に、石田氏がお見舞いに来てくれた。松永氏は当時、入籍して間がなく、新婚であった。それもあって、石田氏に以下のような話をしたのを覚えているという。
「CAN YOU CELEBRATE?のような感じで(愛の告白を)言われたらいいよね。私はそうじゃなかったんだ」。
CAN YOU CELEBRATE?は安室奈美恵氏の最大のヒット曲。松永氏は自身の結婚が大ヒットしたラブソングのような世界ではなかったことを、当時の大ヒットした曲を引き合いに冗談めかして言ったのである。このCAN YOU CELEBRATE?は1997年2月19日にリリースされている。そうなると石田氏がお見舞いに来たのは1997年より前ということはあり得ない。1996年の年末に入院したとしたら、このような会話はできない。そうなると、入院したのは1997年暮れから1998年1月にかけてということになる。
そうした事情を踏まえ松永氏は「焼肉の会をしていたのは1997年夏から1998年夏の間で間違いありません」と断言する。それはその時期が、鈴木・石田両氏が交際していた期間であることを意味する。
なお、東京地裁・東京高裁の判決では別れた時期については1997年7月頃、仮にそうでないとしても1998年秋頃に解消されたとし、断定を避けている。石田氏の請求が除斥期間を理由に棄却されているため、いつ別れたか、事実認定の部分は裁判の帰趨には関係がないから特に深く証拠調べをする必要もなかったのであろう。
しかし、最終的に高裁の事実認定をベースに札幌市教委は処分しているのであるから、鈴木氏にすれば「よく調べてくれ」と言いたくなるところである。
交際が1998年秋まで続いていたら、つまり、石田氏が大学3年、21歳まで続いていたら、それは「交際と思っていたが、後から考えると性的暴行だった」と主張するのはさすがに無理がある。石田氏が1997年7月の交際終了にこだわるのは、それを認めると主張全体が崩壊しかねないと考えたのかもしれない。
■散らかり放題のアパートでできないこと
松永氏はもう1点、石田氏の陳述のおかしさを指摘する。鈴木氏が一軒家に移る前のアパートの様子である。石田氏が中学の卒業式の前日、1993年3月14日に案内されたというアパートには、松永氏も何度か足を運んでいる。
石田氏は訴状の中で、キスをされた後「被告●●(筆者註:鈴木氏のこと)が上になって床で原告を抱きしめるなどの行為を一方的に行った」としている。
しかし、実際は美術教師の鈴木氏は室内を工房替わりに使用しており、美術関係の資材が散乱し、とても人が足を踏み入れられるような状態ではなかった。
「それはもう、ものすごい散らかり方で、床に座ることなどできません。椅子があったので、そこに座るように言われました。部屋に上がる際に『土足でいいよ』と言われたぐらい、汚れていました。その床に横になるスペースはありませんし、土足でいいような床に女性を横にしようとするなど、考えられません」。
鈴木氏の話によると、高校生の時の石田氏に会う時は専らファミリーレストランであり、アパートには入れたことがない。石田氏はアパートの室内の状況を知っていれば、このようなことは言い出さなかったのではないかという推測は成り立つ。
■少なくとも2つ嘘を言っている
松永氏と石田氏の関係は、その後も細々と続いた。1999年秋に石田氏が、松永氏の自宅を訪問している。これは松永氏が飼い始めた犬を見るためだった。そこから長いブランクがあり、次に会うのは2016年夏、突然、石田氏から電話があり、札幌駅にあるレストランで一緒に食事をしている。
松永氏が鈴木氏の免職を知ったのは、2021年2月。鈴木氏から「話がある」と言われて事実を告げられたという。
2人をよく知る者としては、両者の対立をどう見るのか。「どちらが嘘を言っていると思いますか」と聞くと、以下のように答えた。
「石田さんの中学・高校時代に何があったのかは知りません。ただ、分かる範囲で言えば、私の記憶と鈴木氏の言っていることは矛盾がありません。一方、石田さんの言う、1993年当時の鈴木氏の散らかり放題のアパートの床で、女性を横にしたというのは、信じられません。1997年7月以降、2人が交際していたのは間違いありません。その2点で石田さんは嘘を言っています。」
(第13回へ続く)
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証人が現れても、声の大きい方を信じるなら、一体何のための司法なのでしょうか。
昨日、伊藤詩織から訴えられていた大澤氏に、33万円の賠償金の判決が出ました。
でも、訴えるほどのことなのでしょうか。裁判に訴えるよりも、きちんと戸籍を見せて(他の部分は黒塗りにしてでも)、偽名じゃないことを証明しさえすれば、すぐに解決すると思うのです。
伊藤氏が著書や会見に訴えたことにより、山口氏には、世界中から、凄まじい誹謗中傷が毎日のように届くようになりました。それはもう、伊藤氏の比ではありません。刑事で不起訴が確定し、刑事責任は問われなくなり、民事も控訴審中にもかかわらず。また、蓮見氏や大澤氏にも、殺害予告やダイベンの写真まで送りつけられ、一日中電話が鳴り響き、仕事にならないほどだったそうです。
正義のフリをして、相手をとことん追いつめる。司法も、それをわかっているのかどうかわかりませんが、それに加担する。石田氏のケースだって、結局は、ある意味石田氏の言い分を認めた事にしたのでしょう。言い分だけで、人の人生をめちゃくちゃにするのは、もうたくさんです‼️
世の中には、最低の人間がいて、その人間に加担したり、見抜けなかったりする人間も沢山いるのだということを、伊藤詩織事件や石田事件で、思い知らされました。
この手の処分を受けたら即処分無効とか訴えるもんなのに、動きが遅いように感じられて不思議だった
こんな無理筋な免職なんだから、どうせ離婚までしてんなら顔出しして石田を攻撃した方が良かったかもね