再考 非核三原則(2)鳩山政権で佐藤栄作氏遺志
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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非核三原則について検討する連載第2回は、かつての民主党政権の対応について紹介する。前回、三原則の生みの親である佐藤栄作総理は、状況次第では見直しを考えていたことを紹介したが、そのことは2009年に発足した民主党政権にも引き継がれていた。ところが、事実上の後継政党である立憲民主党は2022年3月に三原則を堅持していくことを政務調査会長の談話で発表。さらに同党の政策集では三原則に一切触れておらず、政権担当時のことは黒歴史扱いとしている。
■国会決議の法的拘束力
前回、お伝えしたように、1968年(昭和43)に佐藤栄作総理が施政方針演説の中で言及した非核三原則は単独で打ち出されたものではなく、4つの核政策の1つとして出されたものであった。その結果、三原則は米国の拡大抑止に依存することを前提とし、それへの依存が日本の安全保障上適切ではないと判断される状況になれば、見直されるべきことを意味していた。そのため、佐藤総理は野党からの非核三原則に関する国会決議の提案について他の核政策が国民に十分理解されない限りは決議は時期尚早ということで拒否している(1968年2月6日の衆院予算委)。
実際に国会決議がなされたのは、その3年半後、1971年(昭和46)11月24日の衆議院本会議の場であった。さらに1976年(昭和51)には衆参の外務委員会、1978年(昭和53)に衆議院本会議、1981年(昭和56)衆議院外務委員会、1982年(昭和57)衆参の本会議で決議がなされている。
もっとも、非核三原則はあくまでも政策上の「原則」に過ぎず、原則は例外を伴う。佐藤総理としては、非核三原則は4つの核政策の中の1つであり、決議された非核三原則の趣旨は米国の拡大抑止が機能しない状況になれば、見直される趣旨であることを含んでいる。そのような性質の非核三原則が決議されたという認識である。
これは決議を曲解しているのではない。その後の内閣でもその考えが踏襲されていることから、公的見解と言い得る。それがはっきりと示されたのは、皮肉にも民主党政権下でのことであった。
その点はひとまず措くとして、それら多くの国会決議が佐藤総理のような考えを含まないものであるという考えをする人もいるかもしれない。そうした主張に対しては、仮にそうだとしても、国会決議には法的拘束力はないことから、政府が非核三原則の例外を認めたとしても、それは違法になるというものではないという反論が可能である。
そもそも国会決議に対して政府の負う責任は、決議の趣旨を尊重し、実現のために努力すべき政治的責任程度に過ぎない。実際に、決議に法的拘束力がないことはこれまで中曽根康弘総理ら多くの政府関係者が答弁している。たとえば1998年(平成10)に大森政輔内閣法制局長官は以下のように説明した。
「政府といたしましては、議院の意思として示された議決の趣旨を十分尊重して行政を遂行する責務を有することは当然でございます。ただ、法的拘束力があるかということになりますと、法的拘束力まであるというわけではございません。もし、国会が内閣を法的に拘束し、縛ろうという目的がある場合には、法律の形式でその意思を確定する必要があるということが言えようかと思います。」(1998年3月3日・衆議院予算委員会にて)
このように岸田総理が国是と表現した非核三原則は、法的拘束力のないものである。なお、1976年の決議以降、「国是」という表現が使用されている。
■佐藤栄作氏の遺志は民主党政権下でも
佐藤総理の考える非核三原則がその後の内閣にも踏襲されていることがはっきりとしたのが、2010年(平成22)3月17日の衆議院外務委員会でのことであった。民主党の鳩山政権下、岡田克也外相は以下のように答弁している。
「緊急事態ということが発生して、しかし、核の一時的寄港ということを認めないと日本の安全が守れないというような事態がもし発生したとすれば、それはそのときの政権が政権の命運をかけて決断をし、国民の皆さんに説明する、そういうことだと思っています。」
この答弁に対して、質問者の岩屋毅氏(自民党、後の防衛大臣)は「きょうは、そこまでの話が聞けてよかったなというふうに思います。やはり、その時の政権として、万やむを得なき場合には、非核三原則の一部にその例外が生じることがあっても止むを得ない、これは当然、そういう判断に立ってしかるべきだと私は思うんですよ。」と述べている。
この後、岡田氏は笠井亮氏(日本共産党)の質問に答え、さらに詳細に答弁した。このやりとりは現在でも、日本共産党チャンネルで視聴が可能である。
「非核三原則というのは、これはやはり日本自身を核の脅威から遠ざける、こういう考え方に立って行われているものだと私は認識いたしますけれども、いざという時の、日本国民の安全というものが危機的状況になった時に原理原則をあくまでも守るのか、それともそこに例外をつくるのか、それはその時の政権が判断すべきことで、今、将来にわたってそういうことを縛るというのはできないことだと思います。」(日本共産党チャンネル・非核三原則を堅持せよ 笠井議員)
なお、岡田外相はこの時、非核三原則を法制化すべきと迫る服部良一氏(社民党)に対して、鳩山内閣ではそういう考えはないと一蹴している。
■立憲民主党の曖昧戦略
このように岡田外相は1968年の佐藤栄作総理の胸中を、41年後に代弁したと言っていい。この考えを2014年に安倍内閣が、そして2022年に岸田内閣が踏襲していることを明らかにしている。
一方、岡田氏が現在所属する立憲民主党では、2022年3月3日、ロシアのウクライナへの軍事侵攻後、安倍元総理が核シェアリングに言及したこと、あるいはプーチン大統領が核兵器の使用をにおわせたことについて、小川淳也政調会長名で「非核三原則を堅持していく」という談話を発表した(立憲民主党・【談話】非核三原則を堅持していく)。
立憲民主党のいう非核三原則は、岡田克也氏が答弁した「日本国民の安全というものが危機的状況になった時に原理原則をあくまでも守るのか、それともそこに例外をつくるのか、それはその時の政権が判断すべきこと」という考えを容認しているのか、発表された談話を見るだけでは判然としない。
ちなみに同党の政策集(外交・安全保障)には非核三原則についての言及はなく、「核兵器廃絶、人道支援、災害救援、経済連携、文化交流などを推進して人間の安全保障を実現するとともに、自国のみならず他の国々とともに利益を享受する開かれた国益を追求します。」とあるのみ。
結局、立憲民主党は民主党政権下で非核三原則も例外がある、あるいは場合によっては見直しが必要と認めたことについて、なかったことにしている、聞かれるまで黙っているという方針なのであろうか。こうした方法で国民の信頼が得られると思っているのか、理解に苦しむ。
このような同党の論理的な行き詰まりを解消しようとしたのが、同党の小西洋之氏であるが、その思惑は失敗に終わっている。その点は次回に。
(第3回最終回に続く)
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