教育長”失脚”で訴訟離脱 免職された教師の思い

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 免職処分の取消しを求める札幌市の元教師の裁判で、被告の札幌市教委代表者が変更になる見通しとなった。”冤罪”で全てを失った元教師にとって、その原因を作った当の本人が訴訟から離脱することに忸怩たる思いがあるという。

◾️市教委トップが交代

檜田英樹氏(STV北海道ニュース画面から)

 2021年1月に中学校の元美術教師の鈴木浩氏(仮名)は28年前に中学3年だった生徒(後に鈴木氏らに損害賠償請求訴訟を提起する写真家の石田郁子氏)に非違行為をしたとして免職処分とされた。

 その処分の取消しを求める訴訟が札幌地裁で係争中であり、被告は「札幌市、同代表者兼処分行政庁 札幌市教育委員会、同委員会代表者委員長 檜田英樹」とされているが、市教委のトップの檜田英樹氏は既にその職を退いているため訴状の訂正が必要になる。現在の市の教育長である山根直樹氏に変更しなければならない(札幌市・教育長及び教育委員)。

 ごく単純な事務的な手続きである。同訴訟が提起された2023年8月29日時点で市教委の代表である教育長は檜田氏であったが、2024年5月に退任し、5月25日付けで山根直樹氏が就任したことで訴状の宛名を変更するものにすぎない。おそらく、近いうちに関連する申立書のような形で原告側から出されるものと思われる。

 檜田氏は、鈴木氏の処分に深く関わっている。石田氏が性的被害を受けたとして市教委に鈴木氏の免職を求めた際に、鈴木氏から事情聴取をしたのが当時の教職担当部長の檜田氏であった。4回行われた事情聴取の第3回で「わいせつ行為がなければ懲戒処分は行わない、一度出した決定は変えない。(2016年)7月には直接、石田氏に会って、処分はしないことを伝えてきます。」と明言したとされる(鈴木氏の証言などから)。

 その後、石田氏が札幌市と鈴木氏に対して東京地裁に損害賠償請求の訴えを提起した際には、共同被告として石田氏と全面的に争って勝訴した。ところが、東京高裁は石田氏の訴えを棄却しながらも非違行為は認定するという判決を出した。すると市教委は態度を一変させ、鈴木氏を懲戒免職処分としたのである。その際、檜田氏は市教委の教育次長であった。鈴木氏を懲戒免職とした4か月後の2021年5月25日、檜田氏は市教委のトップである教育長に昇進した。

 2023年8月に鈴木氏が免職処分取消しの訴訟を提起後、檜田氏は処分行政庁のトップとして訴えの棄却を求め、事情聴取を行った際には「処分はしないとは言っていない」「事情聴取は録音していない」と原告の主張と180度異なる事実を主張をしている(以上、「黒塗り報告書」を謝罪 札幌市教育長の悪評を参照)。

◾️「どんな気持ちで裁判に臨んでいるのか」

 鈴木氏にすれば、檜田氏は自分を処分した張本人であり、処分取消しの判決を得て檜田氏に直接、その責任を問う形になることを望んでいたのは想像に難くない。ところが、事実と異なることを主張した上に訴訟の係争中に退任してしまったのである。

 「これで私の免職に係った関係者、当時の教育長、学校教育部長、課長、係長、職員がすべていなくなりました。彼らが何の責任もとらないまま生きていると思うと腹が立ちます。私の免職を知らない役人たちはどんな気持ちで裁判に臨んでいるのか聞きたいものです」と鈴木氏は言う。

 免職から3年半以上の年月が経ち、行政の内部でも定期的に人事異動が行われるため、そうなることは仕方のないことかもしれない。また、行政に対する訴訟の場合、個人を相手にその責任を問うのではなく組織に対する責任追及となるから当然といえば当然のこと。しかし、鈴木氏にすれば組織の中でも最終的に処分を決めるのは個人であり、誤った判断をして処分をした人間が責任を取らないまま訴訟から離脱し、当時の事情を全く知らない人が訴訟の名宛人となるというのは納得がいかないという感情を抱くのも分かる。

 仮に処分が取り消され、判決が確定した場合、過去に1度も事案に関わったことがない山根氏が謝罪し、本来、謝罪すべき檜田氏は知らん顔というのは、全く身に覚えのないことで職も名誉も失った人間からすれば耐え難いものであることは容易に想像がつく。

◾️退任は事実上の更迭か

 もっとも、檜田氏が教育長を退任したのは、更迭に近いという見方もある。札幌市で中1の女子生徒がいじめを苦に自殺した問題で、市教委は黒塗りばかりの調査報告書を公表、遺族からの声を受けて謝罪した。その際に謝罪をしたのが檜田氏である(FNNプライムオンライン・【中1女子生徒自殺】“壮絶ないじめ”明らかに―黒塗りで隠された報告書再公表 「ねぇねぇ、首つって死んで」 札幌市教委が8人処分『慎重になりすぎた』)。

 これは全国ニュースで大々的に報じられたのでご存じの方は多いと思われる。この後、檜田氏は、札幌市の秋元克広市長から一連の対応の不適切であったとして厳重注意処分を受けている。メディアからも、SNS上でも批判が殺到。2024年3月には秋元市長が檜田氏の退任させることを決めたと報じられた。「市議会の一部には5月の任期満了前の交代を求める声も出ていた。」(北海道新聞電子版・札幌市の新教育長に一般職出身・山根氏 内向き体質刷新なるか)とあり、任期途中の更迭だけは免れたというレベルの退任であったのかもしれない。

 檜田氏は教育長としては8年ぶりの教員出身者としての就任であった。そのため「庁内では教員出身ゆえに『子供や保護者ではなく、学校現場を優先している』(市幹部)との声も多かった。市立小学校特別支援学級で教諭の不適切な指導により児童の不登校が相次いだとされる問題では、複数の保護者から市教委の不十分な対応が被害を拡大させたとの批判が出た。」(前述の北海道新聞電子版記事から)という報道もなされている。

◾️檜田氏ら市教委の”手のひら返し”

処分取消しを求める鈴木浩氏(仮名)

  石田氏が訴えの提起前に市教委に鈴木氏の処分を求めた際、同委では弁護士の話も聞いて処分しないことを決め、檜田氏もその線に従って行動したようである。そこまではまともな判断力を有していたと思われるが、東京高裁の認定があると態度を変え、共同被告として戦っていた鈴木氏を懲戒免職にする”手のひら返し”をしている。

 東京高裁の司法の判断があった時に、それが既判力の及ばない判決理由中の判断であって、それ自体を勝訴した鈴木氏は争うことができないといった事情から、当初の市教委の判断(鈴木氏を処分しない)を貫けばいいと思うが、そこであっさり転進したことが今日の事態を招いたものと思われる。

 世論や石田氏の背後にいるような左翼勢力からの批判に戦うだけの気概がなかった、風見鶏のように世間の流れに沿うことだけを考えていたのではないか。そう考えないと、ここまでの檜田氏の行動を説明することはできない。”いじめ・黒塗り”事案でも、鈴木氏の事案でも、檜田氏は「保護されるべき法益は何か」という部分の判断力が決定的に欠けているように見える。その結果、どれだけ多くの人が傷つき、心を痛めたのか、本人は気付いているのかどうか。

 「教育長は退任後に札幌市の施設の長などの名誉職につき、2年ほどで退任して退職金を稼ぐというパターンが多いように思います。檜田氏は今はどうしているのか。」

 鈴木氏はやり切れない思いを筆者にメールで送ってくれた。

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