昭和の終わりと平成の終わり、僕なりの30年

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 平成31年4月30日、平成最後の1日となった。昭和生まれの僕としては平成には昭和ほどの思い入れはないものの、社会人として人生の中核となる時代を過ごしたわけだから、やっぱり様々な思いはある。

■昭和最後の1日、ラジオで知った昭和の終わり

平成3年、若かった…

 昭和64年1月7日、中山競馬の取材に自動車で向かう途中、ラジオで昭和天皇の崩御を知った。中山競馬場で天皇陛下の崩御に伴う競馬の中止の原稿を書いて、その後、夕方ぐらいに会社に上がって翌日の記事をどうするか社内で会議を行った後、取材のため美浦トレセンに向かったのを覚えている。

 その間に新元号平成の発表があり(昭和が終わったんだな)という思いと、平成元年という聞きなれない言葉に戸惑いを覚えていた。当時は昭和天皇の崩御で社会は暗く、新元号を論じる余地など許されない感じだったが、今回は生前譲位ということで社会全体が新元号を明るく希望に満ちて迎えられる。その意味で今上陛下には感謝申し上げたい。

 平成となってから30年。タイムマシンで当時の自分に会いに行って「30年後は会社を辞めて、フリーライターと専門学校の講師をやっているぞ」と言っても絶対に信用しないだろう(笑)。あの頃は何の迷いもなく、仕事に全力投球していたから。

 平成の終わりということで平成っぽい写真を載せようと思い、1991年8月、南アフリカに1人で旅行した時のものをチョイスした。若い(笑)。1991年だから平成3年。まだ独り身の時期に21連休を取って南アフリカ・ジンバブエ・ザンビアと歩き回った。会社には迷惑をかけ、周囲から顰蹙を買ったが、この時の経験が今の僕に確実に生きていると思う。

■平成3年アフリカで過ごした日々

ザンビアの国境の街リビングストンにて 1991年夏

 南アフリカの後は、ジンバブエからザンビアに足を伸ばした。当時、ジンバブエからザンビアの国境は自動車で越えることができなかった。ガソリン価格が関係していると聞いた。そこでジンバブエで自転車を借りて、ザンビアとの国境を超えて、ザンビアの「リビングストン」という町に辿り着いた。

 何もない国境の街だった。駅前の食堂でランチを食べたら、日本円で50円ほど。お皿から手で取って食べるようになっており、(困ったなぁ)と思っていたら、店のおじさんがフォークを出してくれた。何でもない思い出が今は懐かしい。

 令和を迎える時代に、こうしてライターをしつつ専門学校で教壇に立って「明日は今日よりもっといい日にしよう」と思いながら暮らしていける我が身の幸運を思う。会社に残っていたら「定年まではあとわずか、その後はどうしよう…」などと思い悩んでいたに違いない。

 平成の終焉、令和の到来まであと16時間を切った。残された平成としての時間を楽しみながら、令和の時代を迎えようと思う。

 このHPをご覧になっている皆さん、よい新時代をお迎えください。

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