逝去1年安倍元総理見下す山本太郎氏の無礼

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 安倍晋三元総理が凶弾に斃れて1年が経った8日、れいわ新選組の山本太郎代表が死者を冒瀆するかのようなコメントを発表した。冒頭で哀悼の意を表するとしながらも、自らの政治主張を行い、さらに元総理を見下す表現。政治家としてというよりも、人間として山本太郎氏には致命的に欠けているものがあるように感じる。

◼️民主主義の危機

安倍元総理の国葬儀当日(撮影・松田隆)

 山本太郎氏は党のホームページで以下のコメントを公開した。

安倍元総理が逝去して1年となる。哀悼の意を表する。

旧統一協会と一体化した自民党の中でもその広告塔として認知されていた元総理に対し、旧統一協会に家庭を破壊され人生を奪われた者が及んだ凶行であった。

一方、政界では、政治とカルト宗教との癒着へのメスを入れぬまま終わったかのような話になっている。

安倍元総理の死を悼むと言うなら、特別委員会の設置を求め、膿を出し切る必要があるのではないだろうか。

自民党の中からこそ、そのような声が聞こえきて然るべきではないだろうか。

安倍元総理に全てを背負わせて幕引き、ではあまりにも不憫である。

れいわ新選組として引き続き、特別委員会の設置を求めていく。

(れいわ新選組・安倍元総理逝去から一年を迎えて(れいわ新選組代表 山本太郎コメント 2023年7月8日)、適宜、改行部分を改めた)

 このコメントをよく読んでいただきたいが、冒頭に「哀悼の意を表する。」とあるために、政治的立場を超えて死者に対する礼を尽くしているかのような印象を受けるが、実際は「特別委員会を設置を求める」という政治的主張をするための文章となっている。

 「政治とカルト宗教との癒着へのメス」を入れるための特別委員会の設置ということなのであろうが、それと安倍元総理が殺害されたことの持つ意味は全く異なる。仮に安倍元総理が一命を取り留めたとしても、本当に「政治とカルト宗教との癒着」が存在するなら、山本氏が政治的主張として特別委員会設置を求めることは問題ない。

 それは二の次、三の次の話である。何より考えなくていけないのは、安倍元総理の死は、政治的テロによる非業の死であり、殺人という許されない犯罪が行われたということにとどまらず、政治家の表現の自由、政治活動の自由を不法な力で押し潰し、多様な意見を出し合う中で主権者が政治的判断をしていくという民主主義の根幹を破壊する行為の犠牲になったという点である。民主主義を実現する国会の場に議席を有する議員は誰一人、その部分で凶行を許せない、2度とこのようなことを発生させてはいけないと民主主義を守るために声を上げるべきではないのか。

◼️委員長席に向けダイブした議員

 民主主義の根幹が揺るがされた1年前の事件で、自党の政治主張でまとめるコメントを発表する人間を誰が信用すると思っているのか。コメントの内容を考えれば、冒頭の「哀悼の意を表する。」を本気で受け取る人がいるとは思えない。

 山本氏が言うように、安倍氏と旧統一教会の間で、政治とカルト宗教との癒着があったとしたら、安倍氏は殺害されても文句が言えないとでも言うのか。

 山本太郎氏は今年6月8日、参議院法務委員会で入管難民法改正案の採決を阻止する目的で委員長席に向かってダイブし、与党議員2人を負傷させている。この点を「自民党で作られた人柱と言いますか、あの壁を越えないことには、その先には行けないわけで、採決を止めるという行動を体を張ってやるしかない」(FNNプライムオンライン・山本太郎氏の懲罰動議提出 “国会でダイブ”本人は反論)と語った。

 自らの政治的目的のためには議論の場で有形力を行使することも正当化されると考えているのは明らか。そのような人物が安倍元総理の非業の死について心から「哀悼の意」を表しているのかは疑わしい。それなのに、冒頭で「哀悼の意」を表したのは、自らを通常の社会通念を持ち合わせた人間であることを示すための小道具としか考えていないと思われても仕方がない。

 筆者は山本太郎氏こそが民主主義の敵であると思っている。

◼️安倍元総理を見下す表現

 山本太郎氏のコメントを見ると、気になる点が他にもある。

「安倍元総理に全てを背負わせて幕引き、ではあまりにも不憫である。」の部分である。この言葉を読んで不快感を覚えた人は少なくないはず。ここで「不憫」という単語に注目していただきたい。

 不便(「不憫」「不愍」は後の当て字)③あわれむべきこと。かわいそうなこと。…「ーーな子」(広辞苑第7版 岩波書店 p2582)

 「ふびんな子」のように、目下の者に対して使用する言葉である。別の辞書でも見てみよう。

 不憫○弱くてかばってやりたいくらいかわいそうなさま<不愍>(類語国語辞典第12版 角川書店p875)

 さらにネット媒体では以下のような記述が見られる。

 「不憫でならない」は、かわいそうな気持が抑えられない様子を表す言葉である。また、「不憫」は、年下の人や立場が下の人に対して使う言葉で、目上の人に対して使うことは失礼にあたる。(weblio辞書 不憫

 銃撃され、無念の思いのまま世を去った元総理を、山本代表は見下して(かわいそうな子だね)とばかりに同情するコメントしているのである。死者に対するこれほどの冒瀆があるのかと思う。

◼️ヤフコメは賛同で溢れ…

山本太郎氏(都知事選出馬時のポスターから)

 このコメントを紹介した日刊スポーツの記事が、Yahooに転載されている(Yahoo! JAPANニュース・れいわ山本太郎代表「安倍元総理にすべて背負わせて幕引きは不憫」特別委員会設置求める)。そこへのコメントは、賛同が圧倒的に多い。

 「おすすめ順」でフィルターをかけると、最も上に来るのが賛同コメントであり、しかも安倍氏を批判する人がよく間違える「安部」という表記を用いている。何か目に見えない勢力が動いているのではないかと勘ぐりたくなってしまう。

 この賛同の多さが本当の民衆の声なのかは疑わしいが、もし、政治的な動員がかかっているとしたら、これも大衆を錯誤に陥らせる類の行動である。

 安倍元総理の死から1年。どこまで反民主主義がはびこるのか、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

    "逝去1年安倍元総理見下す山本太郎氏の無礼"に3件のコメントがあります

    1. 七兵衛 より:

      日教組による戦後教育の賜物か、日本人は過去を振り返らない人々が多い気がします。振り返らないと言うより、ただ単に無知なだけかも知れませんが。
      一部の過激思想な軍人による政治家へのテロ行為やクーデター未遂。2・26事件や5・15事件ですら、すでに忘れ去られている気がしてなりません。
      口で言ってわからないのなら実力行使を辞さずと言うことなのなら、「話せばわかる」と言う高橋是清大臣を「問答無用」と言って惨殺した過激思想軍人と山本太郎氏にどれほどの違いがあるのでしょうね。

    2. 匿名 より:

      そういえば、SNSやニュース記事のコメント欄で個人の感想を書き込んでいると「自民党のバイト」などと謎の決めつけをしてくる不審者が居ますが、もしかして彼らは「自分達がそう(政治的動員されている)だから自分と異なる意見を書き込んでる奴は自民党が動員しているバイトに違いない」と決めつけてコメントを書き込んできているのですかね…?

      そんな事(個人の感想を書き込んでるだけ)でバイト代を支払って貰えるなら是非とも支払って欲しいもんですけどねぇ…。

    3. 野崎 より:

      山本太郎及び大石晃子は共に中核派との関係の説明、中核派の評価を国民に行え。

      故安倍首相と統一教会の関係は基本的に何ら問題はない。(その根拠詳細は長文となり割愛。)
      端的にいえば合法だからである。統一教会の布教における問題は司法によればいよい。

      それに引きかえ中核派は犯罪組織、暴力革命を標榜するテロ組織、テロ集団だ。

      殺して何が悪い! これからも殺してやる!と平然そう言う者達だ。
      (これは十数年前、代々木八幡駅改札前で中核派(渋谷暴動、星野文明を救う会)と起こした悶着において、当方は4名でこの言動を確認、うちの若い衆はカンカンに怒っていた)

      山本太郎、大石晃子両名のこの問題をあいまいに終わらせてはならない。

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