24年後もサバイバー 中島瑞果(1)PTA会長”みずっち”
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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2002年放送の「サバイバー」(TBS系)出場者のその後をたどるシリーズ第三弾は中島瑞果(みずか)氏を取り上げる。当時30歳、可憐な容姿に、大胆な水着姿で無人島を駆け回り、優勝まであと一歩の3位となった”みずっち”の活躍に、目を奪われた男性視聴者も多かったに違いない。54歳の今は3児の母として主婦業をこなす傍ら、PTA会長の重責を果たしつつ更生保護の担い手として地域に貢献している。
◾️3月から保護司に
2025年7月18日、文部科学省で特別支援教育に携わる教員への給与の調整額削減に反対する保護者らの記者会見が行われた。同年6月に成立した「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法等の一部を改正する法律」を受けて、特別支援教育の現場で働く教員の給料の調整額が現行の給与月額に対して3%支給から、2028年には1.5%まで引き下げられることの見直しを文科省と財務省に要請したことを報告した。
会見場には6人の保護者が並んだ。盛夏の時期、カジュアルなクールビズの服装で臨む保護者の中、ただ一人フォーマルな黒いスーツを着込んだ女性の姿があった。会見に参加した記者も、同席した保護者さえも、その女性がかつてサバイバーで3位の”みずっち”であることを知らないと思われる(以上、教育新聞「特別支援教育の調整額削減は見直しを 保護者らが改めて要請」参照)。
サバイバー出場時、「珈琲豆専門店店員」「フリーター」などと紹介された中島氏は、現在は夫の姓(丸山)となり、様々な役職をこなす。肩書きは、自身の子が通う市川市内の小学校のPTA会長(来年度で3年目)と学校運営協議会・委員、同市PTA連絡協議会・副会長、千葉県公安委員会少年指導員、千葉県警察少年補導員などを入れて7つを数える。
2026年3月から千葉県市川浦安地区保護司、5月からは千葉県PTA連絡協議会・理事・代議員などの役職が加わる。
保護司は法務大臣が委嘱するもので、その使命は「…社会奉仕の精神をもつて、犯罪をした者及び非行のある少年の改善更生を助けるとともに、犯罪の予防のため世論の啓発に努め、もつて地域社会の浄化をはかり、個人及び公共の福祉に寄与すること」(保護司法第1条)と規定されている。保護司になる者の条件は以下のとおり。
1 人格及び行動について、社会的信望を有すること。
2 職務の遂行に必要な熱意及び時間的余裕を有すること。
3 生活が安定していること。
4 健康で活動力を有すること。
(保護司法第3条第1項)
お堅い肩書きとは対照的に、カメラの前で見せてくれた笑顔はサバイバー出場時の”みずっち”の愛らしさそのままであった。そのギャップに中島氏が歩んだサバイバー後の24年の重みを感じずにはいられない。
◾️目に飛び込んできた「日本版サバイバー募集開始」
今から24年前の2002年初頭、6月に開幕する日韓共催のサッカー・ワールドカップに向けて緊張が高まっていた時期、都内の珈琲豆専門店に勤務していた当時30歳の中島氏は、レジの前で、客に見えないように手元に置いた新聞のテレビ欄を何気なく見ていた。すると、「日本版サバイバー募集開始」という小さな活字に目を奪われた。
既に日本でもTBSの深夜枠などで放送さ れていた米国版(ファーストシーズンは2001年1月から)を視聴しており、「あの世界観、映像のきれいさ、あそこに身を置いてみたい」という願いを持っていた。その憧れの番組が日本でも始まることを悟ったのである。
「絶対にいつか日本でもやると思っていました。(アメリカ版は)日本だと松尾(純子、当時36=番組での肩書き・レストランプロデューサー)さんや小野(郷司、当時32=会社経営)さんみたいなキャラの人たちが怖そうだなとか、追放されたらどんな気持ちがするのかなとか、(ゲームでやっていた)虫を食べられるかなとか、協調性があるかどうかもわからないし、でも、行ってみたいよね~という気持ちでした。それで医師が付いていて絶対安全というのがあったので『それなら行ってもいいかな』と思いました。もう頭の中はそれでいっぱいです。」
高校卒業後に芸能活動をしていた中島氏にとっては、米国版サバイバーは憧れの番組でもあった。そこでテレビ欄を当時の雇用主に見せて「これ、やりたかったものです。行きたいです」と言うと、あっさりとOKを貰えた。
こうして番組に応募をすることになったが、素人参加番組に興味本位で応募するというものではなかった。前年2001年に30歳という区切りの年齢に達したこともあり、「合格しなかったら芸事を廃業しよう。18歳からここまで頑張ってきてオーディションで一般の方に負けるようなら、辞める」と、並々ならぬ決意を持って臨むことになる。
芸能活動をしていたことから、テレビ番組ではキャラクターをはっきりさせた方がいいという番組サイドの事情はわかっていた。そこで選んだのが、口の悪いセクシー系。米国版サバイバーでは1人はいるタイプで、かつ、日本のテレビ業界でも好まれるタイプになり切ろうと決めた。もっとも、「『口の悪い』というのは姐やん(松尾純子氏)が抜きん出ていたので、役をとられました」とのことで、現地では素顔の自分で臨む結果になったという。
そして、オーディションでは「めちゃくちゃバストを詰め物でボリューミーにしてタイトな服で行きました」と、セクシー系を強調する作戦に出て最終審査に駒を進めた。
◾️出発前の秘密の同盟の相手
最終オーディションはTBSで行われる。こうしたオーディションでは開始1時間前に現地入りすることにしていた中島氏は、早めに現場に到着。近くのコーヒーショップに入り、ゆっくりと椅子に腰掛けた。当時は飲食店では喫煙が可能であったため、灰皿を近くに置く。注文したコーヒーの蓋を外し、手にしたコーヒーフレッシュを静かに流し込んだーー灰皿に。「落ちたら芸事廃業」の決意の下、極度の緊張状態にあったことを実感し、店内で自らの行為に大笑いしてしまった。
集合場所のTBSのロビーに行き、一人がけのソファーに座って開始を待った。そのうち、カメラクルーが現れ、オーディション参加者と思われる人の撮影を始めた。
(やだ、これ出来レース?)と不信感が募り、近くに座っていた女性と目を合わせた。相手の女性も同じことを考えていたのかもしれない。どちらともなしに話を始め、すぐに意気投合した。その女性が石毛智子氏(当時25、帰国子女)であった。その後、カメラクルーは2人のもとにもやってきて、撮影を始めた。
ロビーでの撮影後、最終オーディションまで6時間ほど時間があったので、石毛氏をその頃住んでいた世田谷区喜多見の自宅に招き、おしゃべりを続けた。コーヒーフレッシュを灰皿に流し込んだ失敗談に、石毛氏は大笑いしていたという。
連絡先を交換した2人は「もし、合格したら秘密の同盟ね」と約束した。この秘密同盟は、両者が別々のチームに所属することになり、石毛氏がチーム戦で追放されて合流を果たせなかったため実現することはなかった。石毛氏追放直後の投票免除ゲーム「ワニの生けどり」の際、相手チームに石毛氏の姿が見えなかったことについて「トモちゃん(石毛氏)が来なかったゲームの日、心から落ち込んだことは忘れていません」と語る。
すっかり打ち解けた2人は、周囲から見ると目立つ存在であったのは間違いない。最終会場にいた若松泰恵氏(当時27=工具店の看板娘)は「すごく綺麗な女性が2人いました。…その2人はオーディションで仲良くなったのか、よく分からないのですが、…いかにも東京の人という感じの華やかで綺麗な人だなと思いましたし、とても目立っていました」と後日語っている(参照・23年後のサバイバー 若松泰恵(1) 始まりは扁桃腺)。
◾️ボディピアスを釣り針にしない約束
こうして後がない思いで臨んだオーディションを見事に勝ち抜いた。家族への報告は直前になったことで両親は激怒したというが、動き出した歯車を止めることはできない。
出発前、歯科で木の枝で歯の磨き方を尋ねたり、島で着用する水着を買ったり、忙しい時間を過ごした。TBSによる衣装チェックもあったが、用意した衣装はすべて認められた。渋谷のOCTOPUS ARMY(オクトパスアーミー)でアルバイトしていた中島氏にすれば当たり前のことである。
また、ボディピアスの装着も認められた。ただし「釣り針に使用しないこと」という制約付きであった。
こうして、2002年3月にパラオの無人島・ゲメリス島に向かうことになる。
24年後もサバイバー 中島瑞果(2)に続く







