国葬絡みで露呈 江川紹子氏ら無知と不勉強

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 社民党別働部隊とも言うべき「安倍元首相の国葬を許さない会」と名乗る団体は9日に、国葬は憲法に違反すると断定した。同様に「明確な法的根拠」がないとしてジャーナリストの江川紹子氏らも反対する。しかし、政府は法的根拠を明確にしており、また、仮に法的根拠がなかったとしても直ちに違憲になるものでもない。社民党別働部隊も江川氏も反対派の理屈は破綻している。

■国葬実施のために国会で議決?!

江川紹子氏(同氏Facebookから)

 9日に「安倍元首相の国葬を許さない会」と名乗る正体不明の団体が安倍元首相の国葬の差し止めなどを求める訴訟を東京地裁に提起した。同会の代表で社民党の元職員の藤田高景氏は「国葬を強行することは、日本国憲法の精神を踏み躙り、何らの法的根拠のないことに国民の血税を注ぎ込む違法行為」と記者会見で述べた。

 ジャーナリストの江川紹子氏は自身のコラムの中で「私自身は、国葬実施に賛同はできない。そもそも、明確な法的根拠がなく…。」としている。

 さらに、「それでもあえて実施するのであれば、国会で議論をしたうえで、国葬の可否について国会の議決を経るべきだろう。そうすれば、少なくとも根拠が明確でないのに一内閣、一首相が勝手に決めた、というのではなく、『国権の最高機関』である国会によって判断した、という民主的な手続きの形は整う。」(Business Journal・江川紹子が斬る【安倍元首相・国葬問題】国会で可否を審議し、本当の民主主義を守れ)と続けている。

 国葬に反対する人々は、このように法的根拠が不明確であることを理由の1つとしている。「安倍元首相の国葬を許さない会」に至っては「違法行為」とまで断定している。

 しかし、岸田総理は法的根拠について説明している。7月14日の記者会見で、内閣府設置法4条3項33号内閣府の所掌事務として定められている「国の儀式」として、閣議決定をすれば実施可能との見解を示した。

【内閣府設置法4条】

3 前二項に定めるもののほか、内閣府は、前条第二項の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。

33.国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。

 「前条第二項の任務」とは、同法3条2項の「皇室、栄典及び公式制度に関する事務その他の国として行うべき事務の適切な遂行」などを指しているものと考えていい。3条2項はそれ以外にも「男女共同参画社会の形成の促進、市民活動の促進、沖縄の振興及び開発、北方領土問題の解決の促進、災害からの国民の保護…」など多岐にわたる事務を示しており、内閣府が広範な事務を行えるように定められている。

■行政法の初歩 法律の留保

 同法4条は内閣府の所掌事務の定めであり、1項は1号から31号まで、3項は1号から62号まで定められる膨大なもの。これは内閣府が広範な事務を司るために細かく規定されたものと考えられる。内閣(府)は国のため、国民のために働くのであり、緊急時を含め様々な事案に迅速に対応ができるように、広範な事務に関われるようにしてあるのがその趣旨と言えよう。

 江川氏や謎の団体が「明確な法的根拠がない」とするのは、この内閣府設置法に国葬の定めがないことを指していると考えられる。彼らの主張からすれば、政府(内閣府)が行う事務については、内閣府設置法に明確にその事務が記されているか、あるいはその事務を実施するための特別法が存在することが必要と考えているのは間違いない。

 この考え方は法律による行政の原理のうち、法律の留保の問題である。謎の団体や江川氏の「明確な法的根拠がない(から違法、賛成できない)」という考え方は「全部留保説」と呼ばれるもので、「行政活動のすべてについて法律の根拠が必要であるとする見解」(行政法 第5版 櫻井敬子、橋本博之 弘文堂 p16)と説明される。

全国戦没者追悼式が行われる日本武道館

 ところがこの全部留保説は大きな欠陥があり、現実の行政事務では採用されていない。即ち、「法律の根拠がない場合には行政は自由な活動をすることが許されないため、行政は実際上の必要が生じても法律がない限り具体的な対応をすることができず、迅速に国民のニーズに応えることができないという現実的な弊害が生じてしまう。また、全部留保説をとった場合、包括的な授権をする法律が増えるだけで、結局のところ法律による行政権の縛りが効かなくなるという指摘もある。」(同)ということである。

 具体例を示すなら、政府が主催し毎年実施されている全国戦没者追悼式にも明確な法律はなく、1952年の閣議決定により実施が決定され、現在も続いている。江川氏が「明確な法的根拠がない」を国葬に反対する理由の1つとするのであれば、全国戦没者追悼式にも反対するのが筋であろう。

 包括的な授権をする法律が増えるのを防ぐために、内閣府設置法は4条1項が31号まで、3項が62号まで細かく規定していると思われることをジャーナリストなら気付いてほしい。

■ジャーナリストを名乗るなら…

 謎の団体に法律の留保について言っても理解できない、しようともしない人々であると思われるのでいいとしても、ジャーナリストである江川紹子氏が行政法の初歩(法律の留保は行政法の基本書の冒頭で出てくる極めて基本的な事項)も知らずに国葬に反対する理由としていることには驚きを禁じ得ない。

 ちなみに実際の行政実務は全部留保説は採用していない。「通説および行政実務は侵害行政についてのみ法律の根拠を要するとしており、それ以外の行政活動については法律の根拠を要しないという考え方に依拠している。」(同)とされ、この考え方を侵害留保説と呼ぶ。

 つまり、安倍元首相の国葬は「明確な法的根拠がないから賛成できない」という江川氏の主張は以下の点で誤っている。

①国葬の実施については内閣府設置法という法的根拠がある。

②仮に法的根拠がなかったとしても、国葬は侵害行政ではないから法律の根拠は必要ない。

■国会の議決に何の意味があるのか

写真はイメージ

 江川氏は国葬を実施するには「国葬の可否について国会の議決を経るべき」という趣旨のことも述べている。最後に、この点について言及しておきたい。

 江川氏は国葬に明確な法的根拠がないことを問題にしているのであろう。謎の団体は、それが憲法に反すると考えて提訴し、司法に解決を求めた。これは手続きとしては正しい。

 仮に江川氏が言うように、国会で「国葬を実施すべき」という議決があったとしても、それによって裁判所の判断が変わるわけではない。あり得ないと思うが、国葬の実施は違憲だと最高裁が判断したら、国会の議決があったことによって政府は責任を免れるわけではない。

 そもそも国会は選挙で選ばれた議員で構成され、首班指名選挙によって内閣総理大臣を指名するのであり、総理は国会の信任を受けて行政事務を行う。実際に行政事務を行う際にいちいち国会の議決を必要とするなら、内閣の権限は国会によって大きく制約されてしまう。国会は内閣の暴走を防ぐために不信任案決議という手段を有しており、それに対して内閣は総辞職するか衆議院を解散して民意を問うことで権力の均衡が保たれている。

 こうした中学の公民レベルの話が分かっていれば、国葬において国会の議決を求めるという主張がいかに意味のないものかは理解できる。

 江川氏は三権分立の仕組みを理解できていないのかもしれない。少しは事前に勉強してから文章を書いたらいかがか。

"国葬絡みで露呈 江川紹子氏ら無知と不勉強"に3件のコメントがあります

  1. 匿名 より:

    今回の記事も勉強になります。
    もっとも、法的根拠うんぬんとは別の理由で国葬に反対する意見も少なくない(多い?)のも確かですが…

  2. BADチューニング より:

    まぁ何というか、

    •反対の為の反対

    をしている様なモノですからねぇ……

    ※安倍晋三氏の“国葬”が、どうか厳粛に執り行われます様に。

  3. 野崎 より:

    単純に、現政権は民主主義、多数決原理によるものである。
    よって国葬は現政権を支持した国民の意志であり何ら問題は無い。
    が私の認識です。手続き上の詳細は知る由もなく又どうでもよい、違法性がある訳はない~!

    >全部留保説、はじめて聞きました。
    全ての行為を法制化できない、不可能だ、ということ、当然ですね。
    脈絡なく内心の自由、信教の自由が思い浮かびます、内心の自由、信教の自由の根拠はなにか? さらに宗教法人への非課税(厳密には非課税ではない)も思い浮かびます。

    人の心は法律により制約できない、実行性が無い、不可能だから?よって何を考えてもよろしい~ その考えが具現化することなく考えのみであるならば自由だ(しかたがない~)
    ということか? つまり根拠はない。

    根拠とは何か? 法の根拠 基本的人権の根拠は何か? 
    キリスト教国においてはズバリ、神の命令だからである。殺人もしかり。

    比較文化論において日本人は宗教及び規範を有しないとの評価がある(どこにあるかは割愛~)
    よって日本における人権の根拠は天賦人権説などである、説、あくまでも説~
    日本人は何故人を殺してはならないか、の論理を構築できない。
    キリスト教国においてそれは神の命令だからである。

    内心の自由による信仰対象への喜捨、献金は自由である。芸人への投げ銭も!
    それを受ける側は営利を目的とした組織ではなく内心の自由の相対としての組織又内心の自由そのものの組織(趣味、道楽の集まり的)であり課税の根拠はない、だから非課税?

    税といえば納税の理念はわかる(皆で金を出し合い社会をよくしましょ~)だが税額、税率の根拠は何なのだ!とうのがあった、一事90%を超える個人所得への課税率の根拠はなんだったのか、ある人はそれを嫉妬の税制と言っていた。

    などが思い浮かんだ記事でした。

    ご返信は不要です。

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