「死刑怖い」今村磨人容疑者にかける言葉
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵
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広域強盗事件で指示役「ルフィ」とみられる今村磨人(きよと)容疑者(38)が7日、フィリピンから移送される航空機内で警視庁に逮捕された。同容疑者は地元北海道の知人に「死刑になるのが怖い」などと電話で話していたという。こうした話を聞くと、あらためて思うのが死刑制度の持つ意味の重要性である。
■20件の強盗事件などに関与か
一連の広域強盗事件につき、フィリピンの入管施設から指示を出していたとされる今村容疑者は、日本への移送前から死刑の恐怖に怯えていたようである。知人に対して電話で「日本に帰って死刑になるのが怖い。震えて眠れない」(北海道新聞電子版・広域強盗「死刑になるのが怖い」 今村容疑者、道内の知人に電話、2023年2月7日閲覧)と語っていたそうである。
今村は特殊詐欺事件での逮捕となったが、本丸は広域強盗事件であるのは明らか。2022年5月に京都市中京区での事件や今年1月24日の広島県呉市での事件などが取りざたされている。窃盗を加えると少なくとも20件に関わったのではないかとされる(産経新聞2023年2月8日・「ルフィ」関連 14都府県に拡大)。
その中で、今年1月19日に狛江市の事件では90代女性が殺害された。強盗致死(殺人)罪(刑法240条後段)が成立する可能性があり、その場合、刑罰は死刑又は無期懲役である。減軽事由がない限り、最低でも無期懲役となって、一生刑務所から出ることはないと考えられる。当然、死刑の可能性もある。
今村容疑者は強盗事件に全て関わったかもしれず、さらに1人、殺害しているとしたら死刑となっても不思議はなく、それゆえ、本人も生命の危機を感じているのであろう。
この今村容疑者の「死刑怖い」発言を聞いて「当然の報い」「自分だけは命を助かりたいと思うのか」などの思いを持つ人も少なくないと思われる。
■世界は死刑廃止が主流
世界では死刑廃止が潮流となっており、世界の3分の2以上の国が法律上または事実上死刑を廃止しているという。2018年11月の時点で108の国が全ての国で死刑を廃止、7か国が通常犯罪について死刑を廃止したとされる(フランス大使館・世界における死刑廃止、2023年2月7日閲覧)。
日本のような死刑存置国は55で、もはや少数派。廃止国は誤判の可能性や、死刑の残虐性などをその理由としており、逆に存置国は被害者(遺族)感情や、犯罪への抑止力などを根拠に存置していると考えられる。
今回、もし、日本がEU加盟国や米国の一部の州などのように死刑を廃止していたとしたらどうであったか。今村容疑者は生命の危機に怯えることなく、残る人生を牢獄で過ごすことをいかに自分自身の中で受容していくかに腐心することになったはず。「好き勝手なことをしてきたから、しょうがないか」「残る人生は牢屋の中でノンビリしよう」などと考えるようでは被害者の遺族にとってはやりきれない思いであるのは間違いなく、(それが事件の着地点として適正なのか)と疑問を感じる人も少なくないのではないか。
今回の90歳の女性が殺害された事件では、自宅に犯人グループに侵入された時点で当該女性の命は失われることが確実になったと言っていい。逆に侵入した実行犯、今村容疑者がフィリピンから指示を出していたとしたら、いずれつかまって刑務所行きになることを思えば、残る人生を施設の中で命の保障はされるのである。
このように凶悪な犯罪者が犯行対象者を定めて実行に移したら対象者の命はほぼ失われることが確実になり、逆に犯人グループは国家による庇護で生命を保障されてしまう。そう考えると、死刑が廃止された国家では、人を殺そうと考える人の命と、人を殺そうなどとは考えたことがない人の命では、前者の方が生き延びる蓋然性が高くなり、国家の庇護を受けやすくなるという逆転現象が生じる。
各種調査を見ると、日本人の死刑制度存置の支持率は8割を超えている。それは上記のような考えるだけでバカバカしいような結果を、感覚的に分かっているからではないか。そうした日本人のバランス感覚は、ごく当たり前のことであると思う。
■死刑と犯罪抑止の因果関係
死刑があることで、それが抑止力になり犯罪を思いとどまらせる効果があるかは正直分からない。
実際に死刑制度がある日本で、今村容疑者は死刑に処せられるかもしれない行為を行った可能性があり、「死刑になるのが怖い」と言っているということは死刑制度が抑止力として完全には機能しなかったことを示していると考えることもできる。
逆に死刑制度がなければ、犯行グループがより成功率の高い強盗殺人を中心の犯行態様にしていた可能性があり、そのように考えると抑止力が効いた結果、殺人は1件にとどまっていると考えることもできる。
このように、死刑制度と犯罪の抑止力の正確な因果関係を知ることは難しい。1つ言えることは、今村容疑者のように死刑の可能性があることを自認する者にとって、死刑制度は恐怖の対象となっているということであり、それはそれで制度の存続させるべき価値となっているようには思う。
■憲法が予定する死刑という刑罰
あまり知られていないことかもしれないが、日本国憲法は死刑を予定したつくりになっている。具体的には13条や31条などがその根拠とされる。
【憲法13条】
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
【憲法31条】
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
このように国民の生命は、「公共の福祉に反しない限り…最大の尊重を必要」とされ、「法律の定める手続によらなければ…奪はれ」ないと規定されている。ということは、公共の福祉に反する場合や、法律の定める手続きによれば生命を奪うこともある、という反対解釈が成り立ち、それが死刑存置の根拠とされている。
刑罰に生命刑を予定するかという大きな問題は、最終的には国民が決めるべき話。もし、死刑を廃止しようということであれば、それは憲法を改正すべきであり、憲法が生命刑を予定していながら運用の段階で死刑を実施しないというのであれば、それは解釈改憲であって憲法の空文化を進めるものとなってしまう。
ところが各種アンケートでは日本国民の8割以上が死刑存置に賛成している。その状況で各議院の総議員の3分の2以上の賛成で発議し、特別の国民投票などで過半数の賛成を必要とする憲法改正(憲法96条1項)が可能なわけがない。日本の死刑廃止論者としては、福島みずほ氏や亀井静香氏、辻元清美氏らが有名であるが、彼らはこうした正式な手続きを決して求めない。
■死刑判決確定後にかける言葉
今村容疑者は7日に日本に移送され、振り込め詐欺の容疑の捜査が進められ、その後、本丸の広域強盗事件へと進んでいくはず。真相究明を果たし、適正な刑罰が与えられることが求められる。
今村容疑者にとって適正な刑罰が死刑であるなら、粛々と執行されることを一国民として願っている。
もし、死刑判決が確定した場合、今村容疑者(その時は死刑囚という肩書きになる)にかける言葉があるとすれば、こんなものであろう。
恐怖と絶望の中でこの世に別れを告げることで被害者が受けた悲劇的な状況を実感すれば、関係する人々へのせめてものお詫びになるでしょう。
あなたにはもはや更生の必要はなく、自らの罪を反省する必要もありません。ただ、適正な法の執行を受ける、その一事があなたにできることの全てなのです。
ご冥福をお祈りします。
》)ジャーナリスト松田様
お金目当ての犯罪者の多くは死の覚悟はないでしょうね。死刑制度は賛否が分かれる問題だが思いますが、一定の犯罪者に対しては確実に抑止力になると思います。この世に生のある者なら誰でも死に怯える瞬間はきっとあるはずです。特に非合法な手段に訴えてでも自己の目的を達成しようとする人間なら尚更でしょう。
少なくとも私は自分の家族が犯罪者に身勝手に殺害されたら、一生その犯人を許せないと思います。犯人の更生よりも間違いなく死を望みます。それも出来ることなら、私自身の手で葬りたいと切望すると思います。それが非合法な手段であってもです。
「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉があります。松田さんのように法律を学ばれた方には申し訳ありませんが、時と場合によっては「クソ喰らえ」と思ってしまう自分がいます。支離滅裂で申し訳ございません。
おっしゃる通りと思います。
>>犯人の更生よりも間違いなく死を望みます。
これが普通の人間の偽らざる本音だと思いますし、そうした被害者感情は裁判でも非常に重視されているようです。江戸時代までは仇討ちという私刑が認められていましたが、明治になって国家が刑罰権を独占するようになりましたが、そこで刑罰権を極度に抑制すれば反動で私刑が横行しかねません。その意味でも死刑制度は必要であると感じています。
もちろん、犯罪の抑止力に資するという点も極めて重視しています。
今村磨人は何回も刑務所(少年院も含む)を出入りしては、他人を傷つけて笑ってバカにして生きてきた腐れデブモンスター
コイツは更生なんか一切しない極悪トラブルメーカー
死んでもらうのが世の為にな