新聞オワコン説否定の池上彰氏がオワコン

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 ジャーナリストの池上彰氏が12日にネットで公開された記事で、新聞は”オワコン”ではないと強調した。部数減が止まらない新聞という媒体の重要性を説く内容で、Smart FLASHで公開されたもの。しかし、その主張は論理性・合理性を欠き、池上氏自身がオワコン化していることを示すものと言っていい。

■池上氏が示した7つの視点

テレビ出演時の池上彰氏(ネットもテレ東・池上彰VS天才小学生~忖度なしの疑問に答えます~画面から)

 問題の記事はタイトルからストレートに「池上彰 部数減で苦境も…『新聞はオワコンじゃない。読まない人は損をします』」というもの。池上氏のコメントを紹介しつつ、新聞がいかに有用なメディアであって、「オワコン」ではないことを強調する内容となっている。

 そもそも「オワコン」の定義が難しい。「俗に、流行を過ぎた商品やサービス」(デジタル大辞泉)、「話題性が薄れ、魅力がなくなり、すでに興味を引かなくなったコンテンツなどを意味する表現」(実用日本語表現辞典)などと説明されているが、広辞苑第7版には掲載されていない。

 新聞の部数減が止まらず、他の媒体にとって代わられている状況などを思えば、池上氏は「魅力がなくなり、すでに興味を引かなくなったコンテンツ」という意味合いで使っていると考えるのが通常の思考であろう。

 その上で、当該記事で池上氏が新聞がオワコンではないとする理由を、話した順に箇条書きにして示す。

世の中の動き全体を短時間で、ざっと俯瞰できる。この一覧性で新聞は最優位に立つ。

朝刊の文字数はおよそ20万字で情報量が非常に多い。

速報性でテレビやネットに勝てないが、ともに新聞から情報を得ているケースは多い。

新聞もネットに力を入れ、速報はネット、じっくり読ませるものは紙と役割分担が進んでいる。

企画読み物はビジネスのヒントになる。

記者が健筆を振るい、読みやすい、わかりやすい名文を学べる。

新聞は自分の興味あるもの以外の記事も目に入り、視野が広がる。

 こうした理由を挙げて、同氏は「新聞はまだまだ『オワコン』ではありません」と結論付けている。以上の7つを見た上で、新聞をオワコンではないと感じる人がどれだけいるか。

■池上氏の主張の決定的な2つの欠陥

新聞の発行部数は激減(イメージ写真)

 オワコンを「魅力がなくなり、すでに興味を引かなくなったコンテンツ」と考えた場合、池上氏が7つ挙げた理由には、決定的な欠陥が2つあると感じる。1つは、コンテンツの魅力にコストは決定的な要因となるという視点が欠落している点である。

 朝日新聞は朝夕刊セットで月額4400円。池上氏が挙げた①から⑦まで新聞の魅力は、毎月4400円、年間で5万2800円の対価を支払って初めて得られるサービスであることを忘れてはならない。

 類似のサービスが無償で得られる場合、多少、情報の質や量で劣っても、コストを考えれば新聞を選択する者は極めて少数であるのは言うまでもない。それが部数減の最大の要因になっていることは池上氏もご存知であろう。

 無償で得られるデータと年間5万円以上の対価を支払って得られるデータは、当然、有償の方が優れている部分は多いはず。その優れた部分をあげつらったところで、それは「金を取ってるのだから当たり前」と言うしかない。逆に有償なのに、無償で得られる情報より古く劣っている物も混じっているから、新聞は不要だということになっている。

 もう1つは、ネットはダイレクトに新聞と競合する媒体であるという点である。速報性という点において、日本の新聞はラジオが放送を始めた1925年(大正14)の時点で後塵を拝することとなった。テレビの本放送が始まったのは1953年(昭和28)で、一般に普及し始めたのは1960年代(昭和35年-同44年)のこと。それでも新聞の発行部数は上がり続け、総発行部数のピークは1997年(平成9)とされ(Yahoo!コラム・不破雷蔵:ピークは1997年で減少傾向継続中…戦中からの新聞の発行部数動向)、日本新聞協会の発表でも2000年以降、発行部数は下がり続けている(日本新聞協会・新聞の発行部数と世帯数の推移)。

 速報性で劣りながらも発行部数が上がり続けたのは、ラジオが音声、テレビが音声+画像(動画)で情報を伝えるのに対し、新聞は文章と画像(写真、イラスト等)で伝えるという媒体の特性の違いが最大の要因であろう。それは新聞とテレビ・ラジオが媒体として完全には競合しないことを意味する。一方、ネットは、新聞と同じ文章+写真で伝えられるため、完全に競合する。その上、速報性で優り、音声と動画も加えることができるのであるから、ネットが新聞を駆逐するのは当然。新聞に与えた影響という面を考えれば、ラジオやテレビが登場した時と、ネットが登場した時とでは決定的に状況が異なる。

 そのことは新聞のピークが1997年とされることが間接的に証明している。その2年前にWindows95が発売されPCが一気に普及、インターネットが身近な存在となった。

 以上の2つの点を池上氏は無視し、自分にとっての新聞の魅力を語るだけで「オワコンではない」と結論付けており、論理性、合理性に欠ける内容となっている。

■池上氏の7つの主張の脆弱さ

写真はイメージ

 以上の点を踏まえ、池上氏の7つの指摘を見てみよう。

世の中の動き全体を短時間で、ざっと俯瞰できる。この一覧性で新聞は最優位に立つ。

一覧性で新聞優位であるとしても、Yahoo!ニュースのトップと、ジャンルごとのページを見回せば、さらに新しい情報を含めた世の動き全体を短時間で、ざっと俯瞰できる。

朝刊の文字数はおよ20万字で情報量が非常に多い。

単純な情報量だけなら、ネットの方が無限にスペースを有する分、掲載できる情報量に限りある新聞紙面より多くすることは可能。また、情報量が多すぎることは、良いことばかりではなく取捨選択に困る弊害がある。多すぎる情報量は素早く、正確に状況を把握するのに適していない。

速報性でテレビやネットに勝てないが、ともに新聞から情報を得ているケースは多い。

情報の最終受領者は正確な情報を得ることが重要であり、ニュースソースがどこであるかは問題としない。新聞発の情報なので、テレビやネットの同じニュースは見ないということなどない。逆に新聞は有料だが、テレビやネットでタダで同じニュースを見られるとあれば、読者・ユーザーがどちらを選ぶかは自明である。

新聞もネットに力を入れ、速報はネット、じっくり読ませるものは紙と役割分担が進んでいる。

速報記事を見たい新聞読者は、ますます新聞を買わなくなる。役割分担が進んだ結果でも新聞(紙)の売り上げが上がるとは思えず(実際に上がっていない)、役割分担が新聞社の生き残りに繋がることを推認させる要素が示されていない。また、役割分担が進むことで、①の優位性が崩れる可能性がある。

企画読み物はビジネスのヒントになる。

ネットの世界にも企画読み物はあり、新聞の優位性を決定づける要因とはならない。

記者が健筆を振るい、読みやすい、わかりやすい名文を学べる。

健筆を振るえる記者は新聞だけに書くというシステムはない。そうした”お金をとれる”記事を書く記者がこの先、ネットにも書くことになるかもしれず、また、今も書いているかもしれない。そのため、池上氏が指摘する事実が新聞の優位性となることは合理的に導けない。

新聞は自分の興味あるもの以外の記事も目に入り、視野が広がる。

ネットで検索して検索結果を見る、ポータルサイトのニュースページを概観するだけで自分の興味あるもの以外の記事(見出し)が目に入る。新聞だけが持つ特性とは言えず、他媒体への優位性を保つ要因とはならない。

■新聞のデジタル移行は可能か

米国では新聞のデジタル化が進む(写真はイメージ)

 池上氏が新聞を愛していることは、新聞出身者として、うれしく思う。しかし、実際に新聞に未来があるかどうかは別問題である。

 ニューヨークタイムズはデジタル化して、従来の発行部数の6倍近い600万人以上の有料会員を得ている(文春オンライン・宮永博史:有料会員600万人 デジタルシフトに成功したNYタイムズと、凋落する日本の新聞社の“違い”)。

 日本でも同じようにできれば生き残ることも可能かもしれないが、その場合、日本の新聞を支える宅配制度がネックになる。新聞は新聞販売所を通じて各家庭に届けられる。もし、日本の新聞が全面的にデジタル化したら、2020年10月時点で全国に1万4839ある新聞販売所は全て閉鎖され、総従業員26万1247人(日本新聞協会・新聞販売所従業員数、販売所数の推移)は路頭に迷うことになってしまう。

 新聞社の販売担当と新聞販売所の関係は、メーカーと小売の関係に似ている。メーカーがどんなに優れた商品を開発しても、小売が真剣に売ってくれないとビジネスとしては成功しない。新聞社の販売担当は、販売所の社長と酒を飲むのが仕事と言われるほど、良好な関係を維持する必要に迫られている。そのため有力な販売所の子弟が新聞社に就職して記者になることは珍しくなく、言葉は悪いが「子弟を人質にして、自社の新聞を販売所に売らせる」という構図はあった。

 このような制度の上に成り立つ新聞という媒体は「アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む」などと言われ、信頼を失う1つの要因となっていた。日本の新聞社は販売所頼みであり、それを切り捨てることなどできない。切り捨てたら、その瞬間に、即ち、デジタル化を前に倒産する。

■池上氏の限界を示す記事

 新聞がオワコンという世間の流れに、池上氏は”逆張り”の新聞擁護をぶちまけたのかもしれないが、日本の新聞社の特性を無視した上、その主張が悉く論理性を欠くものとなっている。そのことで逆に「池上氏でも新聞を庇いきれないのか」という趣旨が伝わる結果になってしまったのは皮肉としか言いようがない。

 池上氏が主張すればするほど、その逆に真実があることが分かってしまうという仕組み。せめて「私・池上はそれでも新聞を愛し続けます」程度にしておけば傷も浅かったと思う。

 厳しいことを書くのは申し訳ないが、当該記事はジャーナリストとしての池上氏の限界を感じさせるものであり、ジャーナリストとして正確な分析・評価ができない池上氏こそがオワコンであることを示すものになってしまったと言っていい。

"新聞オワコン説否定の池上彰氏がオワコン"に8件のコメントがあります

  1. 王敬 より:

    はじめまして。初めてコメントします。
    松田氏の反論いちいちごもっともです。
    それに加えるとすれば、読者は記者(新聞社)のバイアスのかかった記事は必要ないという事実ですね。加工(捏造)されたデータからは真実は見えない。欲しいのは生データ。それが提供できなければ新聞社の生き残りは難しいと考えます。

  2. 通りすがり より:

    昔は新聞を読まないことがまるで悪いことのように言われていた時代もあったが、今や新聞は時間と経費と資源の無駄の象徴になった。
    オールドメディアの報道の在り方に様々な疑問や批判を投げかけられるようになって久しい昨今、まずは発信する側が変わらなければ、近い将来必ずや淘汰されることになる。

    何事においても中立で、真実のみを伝えるものでなければ意味などないし、偏向的なプロパガンダを目的とするなどもっての外。

  3. 名無しの子 より:

    私は、新聞が真実を伝えてくれるのであれば、池上氏の主張することが全て逆であっても、まだ、価値があると思います。
    でも、今の新聞は、はたして真実を伝えているのかどうか。私には、偏向ねつ造ばかりのように思えます。
    事実を公平中立に伝えてこそ、プロとしての情報屋なのだと思います。高いお金を払ってまで、嘘の情報を得る意味があるのでしょうか。
    でも私は一応、今でも新聞(地方紙)をとっています。しかし、ほとんど読みません。ではなぜとっているかというと、新聞に挟んであるチラシ目当てです。また、野菜を包んだり、油物を拭いたり、ペットのトイレシートの下に敷いたりしています。
    そういう使い方をしているので、はっきり言って、何も書かれていない紙にチラシを挟んだだけでも構わないかも。インクももったいないですし。
    有料の新聞よりも、無料の松田さんの記事の方が、余程信頼できます。
    また、知名度は松田さんより池上氏の方が高いですが(松田さん、ごめんなさい)、松田さんの方が、余程、有能なジャーナリストだと思います。主観的な個人の感想ではなく、客観的なデータを用いながら、冷静に判断する点において。
    松田さん、申し訳ありませんね。無料で、良質な真実の記事を読ませていただいて。いつも、本当に感謝しております。どうもありがとうございます。

  4. 秋吉万葉 より:

    松田様の一つ一つ丁寧に問題点を指摘していくことで、とても分かり易くてありがたいです。
    ただ話を聞いているだけですと、気が付かない問題点に気が付く事ができて感謝しております。

  5. 山口秀明 より:

    佐渡島に住んでいると、欠航の為に新聞が届かない事も有ります。それでも、新聞は大事です。だから、デジタルの新聞も取っています。必要な記事(地方紙の佐渡の情報)も有るので購読していますが、地方紙は政権反対派の意見が多く参考になる紙面は少ない気がします。専ら、ヤフーニュースで情報を得ています。誰が書いているかで、フェイクか?を判断しています。

  6. 匿名 より:

    新聞が捏造記事を続けるならどんどん価値を下げていくでしょうね。最低でも是々非々で記事を書いてくれるものでなければ買う価値はないと思います。

  7. 匿名 より:

    池上氏は中立を装うのがうまいですね。

  8. あっぷる より:

    朝日新聞なんか読んでたら元々悪い頭がさらに悪くなるから読まないほうがいいよ笑笑

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